第九十九話 芋粥の鬼謀
「殿、準備整いましてございます」
政成が静かに告げた。
城内の喧騒とは対照的に、
その声だけは落ち着いている。
秀政はゆっくり頷いた。
「そうか。ご苦労だった」
一瞬、城門の外へ視線を向ける。
赤備えの陣は、
すでに攻城の構えを整えつつあった。
大盾。
竹束。
丸太撞木。
虎が、牙を研いでいる。
騎馬赤備えは少し下がった所で待機している。
前田騎馬隊の奇襲に警戒しているのは見て取れた。
秀政は政成に向き直った。
「ここは危険だ。
義父殿も下がってくれ。
佐治と共に浅野の傍に行ってくれ」
政成が眉を寄せる。
「殿、お一人で大丈夫ですか?」
秀政は苦笑した。
「あぁ、大丈夫だ。
俺には村瀬が居る」
その言葉に、
村瀬が胸を張る。
そして、ぼそりと呟いた。
「殿。しかし言っておくが、
このわしも赤備え三人に囲まれたら死ぬぞ」
秀政の顔が引きつる。
「怖い事を言うな、村瀬。
こういう時くらい、いつもの調子で強がってみせろ」
村瀬は少し考え、
真顔のまま言い直した。
「……殿。
このわしも赤備え五人に囲まれたら死ぬぞ」
一瞬の沈黙。
秀政は大きく息を吐いた。
「……強がって、それか。
まぁ良い。期待しておる」
わずかに笑い合う。
だが、その笑いは短い。
外から、
陣太鼓の重い音が響いた。
政成が深く頭を下げる。
「承知しました。
私では居ても足手まとい。
ご武運を」
秀政は小さく頷く。
「大丈夫だ。俺は死なん。
安心して搦め手の林へ行け」
政成は振り返らず、
全力で走り去っていく。
だが、足軽の早歩きよりも遅い。
その背を見送りながら、
秀政は心中で呟いた。
(あの調子だ。
義父殿に戦は不向きよ。
隠れていてもらう方が安心できる)
ゆっくりと三の丸へ歩み出る。
城内は緊張に満ちていた。
櫓、土塁の上には弓兵と投石足軽が並ぶ。
門前には兵を配していない。
この三の丸は“捨て曲輪”。
門が破壊される寸前に二の丸まで逃げる。
ゆえに門前で当たる気はない。
土塁からの嫌がらせが関の山だ。
遠くで、
赤備えの隊列が動くのが見えた。
朱の鎧が、じわりと前へ出る。
攻城の刻が迫る。
秀政は土塁の上から、
豊川沿いの戦場を見渡した。
兵達が構える。
「来るぞ!」
陣太鼓が、再び鳴る。
今度は、攻城の拍子。
赤備えが、
ゆっくりと前進を始めた。
虎が、城を噛みに来る。
秀政と村瀬は一旦三の丸の奥に退いた。
*
「投石隊、木盾を打ち破れ!
弓隊、近づけさせるな!」
秀政の号令が三の丸に響く。
赤備えが前進する。
先頭には大盾。
厚い板で組まれた移動壁。
その背後に竹束。
さらに後ろに丸太撞木。
波のように、じわじわと迫る。
「放て!」
弓が鳴る。
矢が飛ぶ。
盾に突き刺さる。
竹束に絡まる。
わずかに覗いた隙間に当たる。
一人、二人と倒れる。
だが進軍は止まらない。
「投げろ!」
櫓の上から石が落ちる。
盾に直撃。
鈍い音。
一枚、木盾が割れる。
中の兵が倒れる。
だが後ろから新たな盾が前へ出る。
まるで潮が満ちるように。
「効いてはいるが……!」
村瀬が歯噛みする。
嫌がらせ。
それ以上ではない。
赤備えは焦らぬ。
ゆっくりと、確実に、
丸太撞木が前へ押し出される。
「撞木、来るぞ!」
弓を集中させる。
だが。
後方。
小幡典膳の隊が動いた。
「弓隊、前へ!」
武田の弓兵が前進。
応射。
矢が土塁へ降り注ぐ。
「うわっ!」
芋粥側の弓兵が一人、胸を射抜かれて落ちる。
別の者が肩を射られ、弓を取り落とす。
「伏せろ!」
土塁上にも多くの被害が出始めた。
丸太撞木は止まらない。
大盾に守られ、
じりじりと門へ迫る。
「射ろ!射ろ!」
秀政が叫ぶ。
矢が集中する。
だが竹束が厚い。
矢が吸われる。
そして――
ドン。
重い衝撃。
丸太撞木が門に当たった。
軋む。
もう一度。
ドン。
門の梁が震える。
「まずい……!」
三度目。
ドォンッ!!
門が歪む。
蝶番が悲鳴を上げる。
四度目。
衝撃と共に、
門板が内側へわずかに傾いた。
秀政は即断した。
「二の丸へ走れ!」
迷いはない。
「全軍、撤退!」
兵が一斉に動く。
土塁から飛び降りる者。
櫓から駆け下りる者。
門裏を捨てて走る者。
三の丸で死ぬ意味はない。
最後の兵が二の丸へ駆け込んだ瞬間。
ドォンッ!!
門が破れた。
武田兵が雪崩れ込む。
三の丸は空。
「追え!」
甘利の声が響く。
赤備えが突入。
だが二の丸との間には、
わずかな距離。
そして――
「放て!」
二の丸の櫓から、
矢が降る。
上から。
斜めから。
容赦なく。
武田兵が数名倒れる。
「上だ!」
武田兵が叫ぶ。
だが二の丸は、
三の丸より高い。
土塁も厚い。
上から狙われた赤備えが数名倒れる。
だが弓だけだ。
鉄砲の音はない。
とは言え、高所からの矢は、
確実に痛い。
武田軍は三の丸に展開し、
再び整列する。
二の丸の門前に、
大盾が運ばれる。
再び竹束。
再び撞木。
朱の鎧が、
門前に密集する。
櫓から矢が飛ぶ。
突き刺さる。
だが敵は引かない。
じりじりと、
二の丸門へ圧力がかかる。
秀政は城内を振り返った。
「……予定通りだ」
*
二の丸が搦め手(裏門)に繋がっている。
千近い兵が二の丸と本丸に籠っている。
大声を上げさせ、二の丸の櫓や本丸から矢を射かける。
全力防御を偽装する。
敵が二の丸の門にたどり着く。
その時点で使いをやって本丸の兵を退かせる。
再び丸太撞木が門に打ち付けられる。
二の丸の兵を退かせた。
櫓の守兵のみになる。
二の丸の蝶番も悲鳴を上げる。
「退けぇ!」
秀政が叫ぶ。
そして自身も走り出した。
その行先は本丸ではなく搦め手。
二の丸門が弾けた。
武田軍が雪崩れ込む。
搦め手へ逃げる芋粥兵。
そこで初めて甘利が勝利を確信する。
「逃げ癖の強い奴らよ。織田兵は腰抜け揃いぞ!
我らはこの城の奪取が任務だ!
本丸を落とせ!!」
武田軍は逃げる芋粥を追わず、本丸に駆け行った。
秀政が逃げ切り、林の中の浅野と合流する。
それと同時に本丸を占拠した甘利の軍から鬨の声が上がり、
高々と武田の軍旗があげられる。
だが、ようやく突入の興奮から覚めた武田の兵の一部が、
この場の異臭を訴え始める。
*
「よし、敵は罠に掛かった」
その鬨の声を合図にして、表門の橋の下の岩が動いた。
岩のように見せかけた偽装岩だった。
そこから忍びが現れ、同じく偽装岩の中から藁束と油瓶を取り出す。
橋の下に置いて油を浸し、火を放った。
一気に火が上がり、橋が焼け落ちる。
それと同時に裏門では、弓名人の佐治が火矢を構える。
そして正確に見せ櫓に放つ。
次々と火矢を渡され、
佐治が全ての見せ櫓に火矢を撃ち込んだ。
そう、見せ櫓の中は油を浸した藁束で、
埋め尽くされていた。
小さな火が一気に広がる。
所々に撒いた油と、打ち捨てた藁束や木材が燃え上がった。
一瞬にして豊川一夜城は火に包まれた。
逃げ道を塞ぎ、囲むように燃料が置かれていた。
そこに燃え広がった。
「まさか、千五百貫もかけて一日で燃やすための城を作るなど――
勿体なくて商人では考えも及びませぬ」
政成が呟いた。
「これこそ鬼謀よ」
自慢げに秀政が呟く。
(まるで映画のセットだな。
たったのワンシーンを撮るために莫大な金を使う。
それと同じだ。このショーの威力は――
赤備えを討った者として俺への絶賛で返る)
*
「な、何事だ!?」
慌てる甘利。
火に包まれて焦る武田の赤備え。
場外の武田兵も何が起きたか分からなかった。
小幡がようやく我に返る。
「馬鹿者!火を消せ!
中に兵部少輔の隊が居る。
退路を作れ!
橋をかけなおせ!」
小幡隊が動き始めた時、
急遽現れた前田騎馬隊が小幡隊に向けて一直線に突撃する。
火攻めに呆けていた騎馬赤備え隊は前田騎馬隊への対処が遅れた。
右往左往する小幡隊を馬上から突き倒す。
完全に浮足立った。
そして運んできた藁束を表門に投げ入れる。
火が大きく上がり、もはや通れそうになかった。
今までの鬱憤を晴らすかのように、
散々突き倒した利家が叫ぶ。
「頃合いじゃ、退くぞ。
騎馬赤備えが来る!」
そういうと一気に駆け抜けた。
これにより小幡の隊にも相応の犠牲が出る。
間一髪のところで騎馬赤備えが到着する。
「くぅ、取り逃がしたか!」
*
本丸。
火が舞う中で甘利が叫ぶ。
「油か!? 突入した時点で嫌な臭いがしたが……。
あ、慌てるな、退却だ!」
「表門、橋が落とされました!」
兵が叫ぶ。
「焦るな、搦め手へ向かえ!」
甘利はすぐに立て直した。
その搦め手には、芋粥三千の鬼が牙を剥いて待ち構えていた。




