第45話「改正しよう! バカップル禁止令!」
宣言動画の公開から数日が過ぎた。
世間の喧騒は少しずつ落ち着きを見せ始めていたが、白波女子学園の水泳部寮——千尋たちの部屋の中だけは、以前にも増して妙な熱気を帯びていた。
「ちっひろ〜♡」
「ん、どうしたの?」
「充電切れ〜。補充させて〜」
夕食後、千尋がベッドでストレッチをしていると、明日香が猫のように擦り寄ってくる。
そしてそのまま千尋の背中に抱きつき、首筋に顔を埋めて深呼吸。
「はあ〜……千尋成分、摂取完了……」
「あはは、くすぐったいよ」
千尋は苦笑しながらも、拒むことなく明日香の頬を撫で、顔を寄せる。
宣言動画での『公認』以来、明日香のスキンシップはリミッターが外れたかのように激化していた。
今も首筋に顔を埋めていただけだったのに、いつのまにか唇が重なり、お互いの気持ちを確かめ合っている。
「……ちょっと」
その甘い空気を切り裂くように、鋭い声が飛ぶ。
PCデスクでデータ整理をしていた玲奈が、椅子を回転させて二人を睨みつけていた。
「あんたたち、少しは加減というものを知りなさい。ここは神聖な寮の部屋よ。発情するのは消灯後にして」
千尋に頭をポンポンと叩かれた明日香は渋々離れ、頬を膨らませる。
「えー? なによ玲奈、妬いてんの?」
明日香が千尋の頬に顔を擦り付け、ニヤリと怪しい笑みを浮かべる。
「違う! 私は節度ある行動を求めているだけ!」
「節度ある行為って、いまさら?」
「だいたい、『バカップル禁止令』はどうなったのよ。抱きつき5秒、キス1秒のルールは?」
「はあ? なに言ってんの、お子様玲奈ちゃんは?」
明日香は千尋に抱きついたまま「やれやれ」と肩をすくめる。
「私たちはもう『公式』なんだよ?」
「それが?」
「日本中が認めた恋人同士! ルールなんて過去の遺物! イチャつくのは恋人の義務でーす!」
「どんな義務よ! いくら公式でも限度があるって言ってるのよ!」
「玲奈だってこの前みんなの前で『愛してる!』って叫んだくせにー」
「あ、あれは、あんたが挑発してきたからでしょ!」
ガタッと椅子から立ち上がり、明日香を睨む。
しかし、明日香は涼しい顔でその視線を無視し、千尋の顔を無理矢理向けて恋人らしく唇を重ねる。
「ふん、もう怖くないでーす! これが先輩恋人の余裕ってやつ!」
「くっ……! この淫獣が……!」
玲奈が悔しそうに服の裾をギュッと握り込む。
二人のやり取りを見ていた、というか渦中にいた千尋は、「うーん……」と何かを考え込み、ポンと手を打つ。
「……よし、決めた」
「ん? 何を?」
「バカップル禁止令、改正しようか」
千尋の言葉に、二人が注目する。
「明日香の言う通り、私たちの仲はもうみんな知ってるわけだし、部屋の中でまで我慢する必要はないと思うんだ」
「でしょでしょ! さすが千尋、話が分かる!」
明日香が歓声を上げる。
しかし、千尋は人差し指を立てて「ただし」と続けた。
「玲奈だけが我慢するのは不公平だよね」
「へ? 私?」
玲奈がポカンとし、跡が付くほど握り込んでいた拳がぱっと開く。
「だから新ルール。『明日香が私にしたことは、私が玲奈にする』。これでどうかな?」
「んん?」
「……」
二人の思考が停止する。千尋はニコニコしながら説明を続けた。
「つまり、明日香が私に10秒抱きついたら、私も玲奈に10秒抱きつく。明日香がキスしたら、私も玲奈にキスする。これなら平等でしょ?」
「……マジで言ってる?」
「ちょ、千尋!? それって……!」
明日香と玲奈が同時に、しかし両極端な表情で声を上げる。
だが、千尋はもう動き出していた。
「さっき、明日香はずっと私に抱きついてたよね。あと、恋人らしいキスが二回」
「う、うん……」
「じゃあ——」
千尋はベッドから立ち上がると、棒立ちしている玲奈の元へ歩み寄り、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「ひゃっ……!?」
「明日香がどれぐらい抱きついていたかわからないから、とりあえず5分ぐらいい?」
「え、ええ……」
身長差があるせいか、玲奈の顔は千尋の胸に埋まる。
千尋の温かい体温と安心する匂いが、玲奈を包み込む。
「……ちひろ、いい匂い……」
「お風呂入ったばかりだから」
「ううん、違う。これは、千尋の匂い。ボディソープやシャンプーの匂いじゃない……」
「そっか。うん、玲奈もいい匂いがする。安心する匂い」
玲奈の身体から力が抜け、とろんとした表情になる。
抵抗する気力など、最初かったかのように。
「……次はキスだね」
少し腕を緩めると、玲奈は自ら目を瞑り、上を向く。
千尋は僅かに腰を折り、うっすら開く唇に自分の唇を重ねる。
「「ん……」」
明日香とのキスした時間を考え、すぐに千尋は離れる。
「これで、一回。あと一回だね」
「ええ……」
2回目は雰囲気を作る必要もなく、完全に明日香と同じ『バカップル』の雰囲気のキスだった。
全てが終わると、玲奈は顔を真っ赤にして、その場にへなへなと座り込む。頭から湯気が出そうなほどの茹で上がりで、その表情は夢現といった様子だった。
「——よし、これで平等!」
千尋は満足げに笑う。
その光景を見ていた明日香は、口をあんぐりと開けていたが、すぐに「ムッ」と頬を膨らませた。
「なんか、玲奈ばっかり雰囲気作ってズルくない?」
「え? 明日香だって同じことしたよね?」
「むぅ……! じゃあ、こうしてやる!」
明日香は千尋の手を引いてベッドに押し倒し、雰囲気を上書きするような濃厚なキスを見舞った。
「んんっ……!?」
「ぷはっ! どうだ! これなら玲奈にはできないでしょ!」
明日香がドヤ顔をする。
しかし、千尋は少し息を整えると、困ったように、でも艶っぽく微笑んだ。
「明日香、ルールは『同じことをする』だよ?」
「え? まさか……」
千尋の視線が、床でへたり込んでいる玲奈に向く。
「れ、玲奈……心の準備はいい?」
「は、はいぃぃ……ッ!?」
震える玲奈の手を引き、ベッドに押し倒す。
「え? マジで、玲奈にもそこまでするわけ?」
「も、もちろんだよ……!」
「ちょい待って千尋! それは千尋のキャラじゃ……!」
「ルールだからね」
千尋は玲奈の唇を強引に奪い、明日香のような濃厚な口づけををする。
「んんっ……!!」
すぐに玲奈の腕が千尋の首に回る。まるで「もっとして」と言わんばかりに、唇と身体が重なる。
数秒後——。
唇が離れると、玲奈は完全に力が抜け、あり得ない幸福を味わったような顔で気絶寸前になっていた。
「……す、すごぉ……」
「——うん! これでよし!」
千尋は濡れた唇をペロリと舐めながら、明日香に向き直る。
「それで、次はなにをする? 明日香も玲奈も私の大切な恋人だし、なんでもドンと来いだよ」
「……降参……」
明日香はガックリと項垂れた。
このルールは、自分が攻めれば攻めるほど、玲奈が得をするシステムだと痛感したのだ。
しかも、千尋が満更でもなさそうなのが明日香の一番の誤算だった。千尋からは一度も強引に攻められたことがないので、もっと奥手だと明日香は思っていたのだ。
「はあ……。まさか、千尋にSっ気があるとは思わなかった……」
「うん、まあ、仲良くしようよ」
千尋は明日香と復活しかけている玲奈の両方を引き寄せ、二人まとめて抱きしめた。
「私は、みんなで笑い合ってるのが好き。そのためなら……なんでも出来るよ」
その言葉に、二人は顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。
バカップル禁止令・改正版。
それは、千尋による『二人への愛の平等化』であり、寮の部屋をこれまで以上に甘く、危険な空間へと変える決定打となった。
夜はまだ長い。
三人のスキンシップ合戦は、消灯時間を過ぎても、まだまだ終わる気配がなかったのだった。




