第3話「バカップル禁止令発令!」
いつもの部活終わりの夜。
白波女子学園・水泳部専用寮「しらなみ館」三階。
その一室から、ドライヤーの音と笑い声がもれていた。
ベッドが三つ、正面の壁際にも机が三つ。
制服はハンガーに並び、ロッカーの扉にはイルカのステッカーや記念写真が貼られている。
窓の外に映るのは風よけの木々とライトアップされた屋内プール。
「ふあ〜、今日も一日終わり〜!」
ドライヤーを止めた明日香がパジャマ姿でベッドに倒れ込む。
机では玲奈が冷静にペンを走らせ、ノートPCにデータを入力していた。
「昨日の千尋のタイム、1分56秒11。ターンの角度は良し。浮き上がりのテンポ、前半より0.2秒遅れ——要修正、と」
「玲奈ー。こんな遅くまで記録整理とかやめようー。気が休まらないってばー」
「毎日の積み重ねが本番を作るの。気合いじゃ勝てない」
「はいはい、理論派理論派」
明日香は天井を見つめたまま、腕をあげてふるふるする。
「あんたはもう少し理論を勉強しなさい」
「わたしは感性で泳ぐからいいのー」
「感性で泳ぐな、脳筋」
「天才って言ってくんないかなー」
「……二人とも、お風呂あがりくらいはもうちょっとリラックスしようか」
お風呂から戻ってきた千尋は苦笑しながらタオルを肩にかけ、軽く髪を拭く。
その笑顔と匂いだけで、部屋の空気が少しやわらぐ。
「ねえ千尋、今日もカッコよかったよ〜」
明日香がベッドの上から起き上がって抱きつき、頬ずりする。
「わ、ちょ、明日香!」
「いい匂い〜。これが努力の香りってやつ?」
タオルと千尋の耳のにおいを嗅ぎ、千尋の髪を手ぐしする。
「まだ乾いてないから、離れる」
「それがいいんだよ。このムワッとした匂いがたまらないんだって」
「変態」
「愛情表現だってー」
頬ずりしながら、その唇と唇は徐々に近づいていく。
「はいはい、バカップル発言禁止。千尋、座って」
「ありがと」
千尋は明日香と離れると、玲奈に案内されるがまま、ドレッサーに座る。
玲奈はふてくされた明日香を横目に、千尋の髪を丁寧にふき、ドライヤーをかけ始める。
「まったく、いっつもイチャイチャして……同室の私が可哀想だとは思わないの?」
「ごめんとは思ってる」
「思ってない顔してる」
ドラヤーとは逆の手で千尋の頬をつねる。
「ホントごめん。でも、明日香が好きだし、求められたら答えちゃうっていうか……」
「知ってる」
「……」
「千尋が明日香が大好きなのも、求められたら答えちゃうことも」
「……」
「そして——明日香が淫獣だってことも」
千尋にドライヤーをかけながら、ベッドでふてくされている明日香に視線で釘を刺す。
「ぶーぶー」
「ほんと、明日香は遠慮という言葉を知らないんだから」
「玲奈だってほんとは羨ましいくせに〜」
「……はあ?」
「今だってほら、ドライヤーかけるふりして千尋の匂い嗅いでるしー」
「嗅いでないわよっ!」
「そんな真っ赤な顔で言われても説得力ゼロなんですけどー」
「これは違うわよ!」
「はいはい、喧嘩しない」
自分の髪を触って乾いたのを確認し、二人に振り返る。
「ドライヤーありがと、玲奈。手際がよくて尊敬するよ」
千尋は玲奈の手にそっと手を重ね、目を見ながらお礼を述べた。
「そういうところが……って、もういい」
玲奈はドライヤーを片付け、机にあるノートを閉じた。
そして一呼吸置き、千尋まっすぐに見つめる。
「ねえ、千尋」
「ん?」
「もし明日香が恋人じゃなかったら、私を——」
「ちーひーろー!」
玲奈の言葉を遮り、明日香が千尋の胸に飛び込む。
「千尋、大好きだよ。千尋は? 千尋は誰が好き?」
「え? もちろん明日香だよ」
「一番?」
「うん、一番」
「じゃ、証明」
「うん」
二人は軽く身を寄せ合い、唇を重ねる。
明日香の目には千尋ではなく、目をつり上げる玲奈の顔がうつっていた。
「……いい加減にぃぃぃ……」
玲奈を無視して唇を重ねる二人に、怨嗟のこもったような視線が向けられ——。
「しなさーーーい!!」
「「!?」」
爆発した。
「ど、どうしたの、玲奈?」
「気にしなくていいよ、千尋。ほら、続きしよ」
ビックリして離れた千尋の顔に、再び明日香の顔が迫る。
「いい加減にしろって言ってるでしょ!」
「なにさ、ツンデレ」
「ツンデレじゃないって言ってるでしょ。いい、千尋」
「わ、私? なに?」
「明日香に流されてたら変な女子に見られるのよ」
「へ、変な女子?」
「部活中もお昼休みも夜もずっと明日香くっついて、流されるままにキスして、それで本当にいいの?」
「えっと、明日香が好きだし、校則違反でもない……よね?」
「ええ、別に校則違反じゃないわ。部活中だって、しっかりメニューをこなせば休憩時間は自由にしてもいいと思う。でもね、ダメなの」
「なにが?」
「……さっき、悪いと思ってるって言ったわよね?」
「え、ああ、うん」
千尋だって、実際に悪いとは思っていた。
明日香と恋人になって以来、ときどき玲奈に冷たくしているという自覚があったから。
だから明日香がいないときは積極的に玲奈と会話し、交流を続けてきた。
「やっぱり分かってない。ルールを決めましょう」
「ルール?」
「バカップル禁止」
「バ、バカップル?」
「千尋は明日香のせいで完全にバカップルになってるのよ」
「……」
「ところこまわず抱きついてキスして、夜は二人で一緒にベッドで——って、そんなことはいいわ!」
「……」
「とにかく! バカップル禁止よ!」
「えっと、禁止って具体的には?」
「え? そ、そうね……」
玲奈はニヤニヤしながら見てくる明日香をにらみ、思いついたまま口にする。
「抱きつくのは5秒まで。キスは……1秒まで……それで!」
「はいはい! はんたーい!」
「うっさい、淫獣!」
「それだけでいいの? バカップル禁止って」
千尋は不思議な顔をしながら、拍子抜けしたような声を上げる。
「そ、それでいいわ! 明日香! 千尋が了承したんだからあんたも従いなさい!」
「へーい。ま、明日には忘れてるからいいよ。千尋ってなんでも受け入れてくれるけど、この手の話には疎いし」
「私が憶えてるわよ」
「いないところでやる」
「いるわよ。隠れてやろうしたらこれで叩くから」
玲奈は丸めたノートをパンパンし、明日香を威嚇する。
「明日香、玲奈の言う通りにしよう。私はともかく、明日香が変な女子って思われたらヤだし」
「むー、千尋がそういうなら……」
「よし、決定! ルールは今からだから、今晩からはおとなしく寝てよね」
「え、無理」
「ルールを守れ!」
玲奈がぐるっと首を回し、千尋をにらむ。
「千尋!」
「え?」
「明日香がベッドに入ってきても相手したらダメだからね。抱きつき5秒、キスは1秒!」
「う、うん、分かった」
玲奈はバカップル禁止令のポスターを作り始め、明日香はどう出し抜くかを考えながら、ピリピリした夜は過ぎていく。
そして翌朝、寮の談話室には『バカップル禁止令!』の手書きポスターがデカデカと貼られていたのだった——もちろん、三人の署名入りで。




