第34話「再生のリレー」
インターハイ東京都予選、2日目の朝。
首都圏アクアアリーナの空気は、昨日とはまるで違っていた。
白波女子学園の控えスペースには、重苦しい沈黙の代わりに、緊張感の中にも確かな活気と、互いを信じる温かい雰囲気が戻っていたのだ。
観客席もSNSも、その変化を感じ取っていた。
『白波変わった?』
『昨日のアレは夢だったとか?』
『勝つ予感しかしない』
『聖明、短い天下だったな……』
『記録更新あるで』
——深夜に及んだ決起集会。
リーダーたちの涙の謝罪と本気の誓いは、チームの心を一つにした。
わだかまりは消え去り、そこにはただ『最強の白波を取り戻す!』という共通の決意だけが燃えていた。
「よし、気合入れていくぞー!」
「昨日の分、絶対取り返す!」
「白波ファイトーーー!」
ウォーミングアップから、選手たちの掛け声には力がみなぎっていた。
その輪の中心には、吹っ切れたような笑顔を見せる千尋と明日香。
そして、穏やかな表情ながらも、覇気のある動きで的確な指示を送る玲奈の姿。
三人の間に壁はなく、自然な連携が復活していた。
午前中の個人種目予選、そして午後の決勝レース。
白波の選手たちは、前日の不振が嘘のように、次々と自己ベストに近いタイムを叩き出していく。
まるで、『これが白波だ』と会場に見せつけるように。
千尋は200メートル自由形決勝で、聖明女学院の九条静香を寄せ付けず圧勝。自己新と日本記録を更新し、キャプテンとしての完全復活を印象付けた。
2年生エースの藤原詩織も200メートル平泳ぎで安定した強さを見せ、自己新と大会記録を叩き出し、危なげなく優勝を飾る。
そして歓声が上がったのが、明日香の200メートルバタフライ決勝だった。
明日香は、昨日の件があって遠慮がちな応援に留まっていたFC応援団に手を振り、笑顔を振りまく。
熱烈なFC応援団はそれだけで察した。
今日は違う、完全復活している、と。
すぐに横断幕が大きく広げられ、ペンライトが観客席で波を打つ。
スタート台に立った彼女の表情には、もう昨日のような虚ろさはない。
軽くストレッチするだけでもオーラがあり、全身から強い意志の光を放っていた。
『Take your marks』
「……」
ピッーーー!!
飛び込みからして違う。
力強く、そしてしなやかだった。
水中でのドルフィンキックも力強く、浮上した時点で2番手に身体一つ先行する。
確実に水を捉え、大きくも無駄ないストロークで一気に距離を稼ぐ。
後半にペースが落ちたものの、その泳ぎは圧巻だった。
〈 1 朝倉明日香 2:03:69 GR 〉
「よっしゃあぁぁぁ!!」
ガッツポーズ共に水しぶきが上がる。
タイムは自己ベストに及ばないものの、大会記録を更新。会場が一気に沸く。
見守っていた千尋と玲奈は、顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべた。
明日香を慕う後輩たちもそれぞれハイタッチを交わし、明日香の勝利を祝う。
玲奈はすぐに明日香の元へ駆け寄り、タオルを放り投げた。
「ナイスファイト。でも、後半失速したでしょ。レース運びが甘すぎる」
いつもの口調に、明日香は苦笑いを浮かべながら天を仰ぐ。
そして、タオルで表情を隠しながら玲奈を睨む。
「わーってる。うっさいなー……」
「わかってるならいいのよ。後でキッツいメニューを組んでやるから」
「……ん、あんがと」
タオルで隠れた頬は緩み、その口元は笑っていた。
チームの雰囲気は最高潮に達していた。
その後も白波の快進撃は続き、最終種目、〈女子4×100mメートル メドレーリレー決勝〉を迎える。
白波のオーダーは——
第一泳者・背泳ぎ:南雲遥香(2年)※背泳ぎ高校記録保持者、日本記録2位
第二泳者・平泳ぎ:藤原詩織(2年)※平泳ぎ日本記録保持者、世界記録2位
第三泳者・バタフライ:朝倉明日香(3年)※バタフライ日本記録保持者、世界記録3位
アンカー・自由形:堂島千尋(3年)※自由形日本記録保持者、世界記録3位
—— 白波が誇る、超高校級の最強メンバーだった。
『さあ、いよいよ最終種目! 女子4×100メートル、メドレーリレー決勝です!』
スポーツ情報番組【Morning Splash】の女子アナウンサーが熱のこもった声を上げる。
『フリーリレーでまさかの敗北を喫した白波女子学園、このメドレーリレーで王者の意地を見せられるでしょうか!』
会場の視線が、第4コースの白波に集中する。
第一泳者の選手たちがプールに入って壁のハンドルを掴み、滑り止めに足をかけてスタート姿勢をとる。
千尋、明日香、詩織——チーム全員が、固唾を飲んで彼女を見守る。
『Take your marks』
会場が一瞬静まりかえる。
ピッ————!!
南雲が美しいフォームで飛び出し、静かながらも力強いバサロキックでリードを奪う。
背泳ぎのエースとして、完璧な流れを作る。
『これが白波! 王者白波、昨日の不振が嘘のように突き放します!』
第二泳者の藤原詩織がスタート台に立ち、クラウチングスタートの体勢になる。
背後を見ると、千尋が腕を組みながら親指をぐっと立て、笑顔を浮かべていた。
(キャプテン……千尋さん、見ていて下さい。これが、私の平泳ぎです——!)
南雲が圧倒的リードで壁にタッチすると同時に、詩織が飛び込む。
まるで無駄のない泳ぎ。
それは、世界に誇る日本の平泳ぎを徹底的に研究し、その道を進み続ける詩織を象徴するような完璧なフォームだった。
リードが更に広がり、会場の熱狂はどんどん高まっていく。
「さっすがシオリン。こりゃ、私も負けてられないね」
「藤原さんは平泳ぎで世界を獲るからね。でも大丈夫だよ」
「なにが?」
「その時には私たちも隣りにいる。勝ち負けじゃなくて、同士としてね」
「そっか。——っし! じゃあ、見劣りしないように頑張ってきます! キャプテン!」
「うん、頑張って。ずっと見てる」
明日香は千尋と軽くグータッチし、スタート台に立つ。
(不思議なもんだ。あれだけ重かった歓声が、すごく気持ちいい)
スッとスタート姿勢になる。
(ハルちゃんとシオリンでほぼ勝ち確。でも、まだ《ほぼ》。私が決めて、千尋が伝説を作る。私は《前菜》、だからね——!)
詩織が壁に迫る。
明日香の瞳に迷いはない。
ただチームのために、自分の全てを出し切るという決意の炎だけが宿っていた。
『白波強い! すでに独走状態! これが王者白波だぁぁぁ!』
(さあ、行こうか。千尋のために、チームのために!!)
詩織のタッチと同時に明日香が飛び込み、完璧な入水を決める。
得意のドルフィンキックで差を広げ、大きく水を搔く。
前方、視界の端に他校の選手が映る。
すでに25m以上の差が付いており、明日香はその見慣れた光景に苦笑いを浮かべる。
(やっぱこれでこそ白波! 白波は無双でなくっちゃ!!)
水面に躍り出た明日香の泳ぎは圧巻だった。
水を得た魚のように、いや、水面を切り裂く翼のように、ダイナミックかつ効率的なストロークが繰り出される。
それは、スランプを完全に脱した、バタフライエース・朝倉明日香の完全復活の泳ぎだった。
「……カッコイイよ、明日香」
「はあ、はあ……朝倉先輩、流石です。あれでこそ、副キャプテンです」
「うん、だね。藤原さんもすごかったよ。あの泳ぎ、絶対に無駄にしないから」
千尋が詩織の肩に手を置き、ギュと握る。
「ッ——! は、はいっ! 頑張って下さい! 応援してます!」
「あはははは。キャプテンらしく、最後を締めてくるよ」
千尋は親指を立て、ウィンクを見せてスタート台に向かう。
「……めっちゃかっこいい、千尋さん……食べたい……」
「詩織、顔が痴女っぽくなってる」
「ハッ!」
親友の南雲遙香がジト目で突っ込むと、詩織が我に返ったように身体を引き締める。
「まだレースは終わってないよ。それに人目があるんだからそんな顔しない。次期キャプテン候補なんだからキリッとしてなさい」
「う、ごめん、つい……」
「詩織がキャプテンラブの変態なのは周知の事実だけど、場を弁えて」
「そこまで言わなくても……」
「普段はメガネの似合うインテリのくせに、豹変しすぎなのよ」
「キャプテンが魅力的すぎるのが悪い」
「あんたほど豹変するのはレアよ」
「ノーマル」
「レアよ、激レア」
泳ぎを終えた二人は先輩たちを信頼しきっているのか、レースそっちのけで井戸端会議を始める。
『朝倉明日香選手、速い! これが日本の誇る『白波のトビウオ』だ!』
井戸端会議の二人とは裏腹に、観客席もTV実況も大いに盛り上がっていた。
明日香は自己新並の完璧な泳ぎを見せていた。
詩織たちが作った差は更に広がり、2番手の聖明女学院とはすでに10秒の差が出来ている。その圧倒的なまでの泳ぎに、観客席は総立ちだった。
『さあ! ついに日本最速アンカー、堂島千尋選手の登場です!』
千尋がスタート台に立ち、クラウチングスタートの姿勢になる。
『もはや圧勝ムード! 日本記録にどこまで迫れるか!!』
明日香のタッチと同時に、千尋が飛び込む。
明日香はラップタイムを振り返って目を開き、千尋の泳ぎを見送る。
「はあ、はあ、はあ……みんな、すごいなー。あとは任せた、メインディッシュ」
既に大差がついているが、千尋は全力の泳ぎを見せた。
チーム全員の想いを一身に背負い、最後の100メートルを圧倒的な泳ぎで締めくくる。
そして、電光掲示板に表示されたタイムに、会場全体から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
〈 1 白波女子学園 3:51:73 GR HSR 〉
〈 2 聖明女学院 4:06:71 〉
〈 3 白鳥白凰高校 4:09:88 〉
〈 4 青葉女子学校 4:12:31 〉
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大会記録と高校記録を大幅に更新する、圧巻のタイム。
それは、白波美沙を含む日本代表チームが出した記録に迫る、驚異的なタイムだった。
「「「やったーーー!!」」」
控えスペースの白波チームから、歓喜の爆発が起こる。
プールの中では千尋が力強くガッツポーズをし、飛び込んできたチームメンバーと笑顔で抱き合った。
「千尋すごかった!」
「はあ、はあ、明日香もね」
「キャプテン最高です!」
「さすがです、キャプテン!」
ひとしきり抱き合った4人がプールから上がると、チームメイトたちが次々と集まってくる。
玲奈は少し離れた場所で一人、タブレット片手に涙していた。
千尋たちを見つめるその瞳は、優しさに満ちている。
敗北の悪夢を乗り越えて一つとなった白波女子学園水泳部は、再生のリレーを日本に見せつけ、絶対王者の威厳を取り戻す。
それは彼女たちの新たな、そしてより強い絆の始まりを告げる、輝かしい勝利の泳ぎだった。




