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ドンと恋!〜 私たちのStarting Block 〜インターハイで日本新記録を出したら表彰台で公開告白されました。  作者: 空知美英
4章:決裂と再生

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第32話「敗北の沈黙と、顧問の雷」


 初日の最終種目『女子4×100m フリーリレー 決勝』が終わっても、首都圏アクアアリーナの喧騒は続いていた。

 絶対王者・白波女子学園の敗北――。

 その瞬間を目の当たりにした観客たちのざわめきは続き、聖明女学院の応援団はその快挙に沸いていた。

 対照的なのは、白波女子学園の控えスペース。

 まるで時間が止まったかのように静まり返り、悲壮な雰囲気がチームを覆っていた。

 誰もが言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしている。

 プールから上がってきた千尋も、項垂れるメンバーに掛ける言葉が見つからず、ただ静かに身体を拭き、プールサイドを後にする。

 初めての敗北を味わったチーム白波は、重い歓声を背負いながら戦場を去るのだった。


「……」


 明日香は一人、逃げ込むようにトイレの個室に引きこもる。

 生理現象ではない。

 放心状態でただ座り込み、燃え尽きたかのように項垂れる。


(……もう私、ダメだ……)


 リレーで負けたのは自分のせい。それを痛いほど痛感していた。


(千尋……玲奈……)


 しかし、ずっと明日香を支配していたのは、二人の顔と言葉。

 千尋の笑顔が思い出せない。

 あの夜の出来事より、あの雨の日の光景が頭をよぎる。


(……私は、もう、必要ない……?)


 玲奈が隣りにいる。

 玲奈が千尋を速くする。

 玲奈がチームを支えている。

 そこに、自分の居場所があるように思えなかった。


(愛されて、愛して、愛して、愛して――子供を産んで、産まされ、ずっと隣りにいて、ずっとあの笑顔と一緒にいる……。それだけで、良かったのに……)


 少し前まで当然のように考えていた未来が、今は儚い夢のように感じていた。


(たくさん愛し合ってきたはずなのに、思い出せないや……ははは……)


 去年のインハイで告白して以来、数え切れないほど身体を重ねてきた。

 愛し合って、何度も二人の未来を語ってきた。

 結婚しようね。

 千尋の子供が欲しい。

 明日香の子供が欲しい。


(結婚して、オリンピックで活躍して、大きな家に住んで、家族に囲まれて、幸せに…………あれ? なんだっけ……?)


 明日香は何度も描いてきた光景を思い出そうと、必死に考えを巡らせる。


(……そうだ。結婚式は大きな教会。二人ですっごい高い純白のウェディングドレスを着て、一緒に並ぼうって――――)


 なんとか思い出したのは、結婚式の光景だった。

 教会。純白のウェディングドレスの千尋。

 そして、その隣に並ぶのは……。


(――ッ、玲奈――――!!)


 千尋の隣りに並んでいたのは、玲奈だった。

 雨の日の笑顔を千尋に向け、二人は幸せそうに見つめ合っていた。


(……そっか。やっぱり、もう、私は必要ないんだ……)


 明日香は幽鬼のようにふらっと立ち上がり、控え室に戻るのだった。


 ***


「……全員整列して。宿舎に戻るわよ」


 控え室に玲奈の声が響く。

 その声にはいつものような覇気は全くない。

 部員たちはまるで操り人形のように無言で荷物を持ち、動き出す。

 宿舎への帰り道も、そして宿舎に到着してからも、その重苦しい沈黙は続いていた。

 夕食の時間になっても食堂に現れる部員の数はまばらで、規律は乱れきっている。

 ほとんどの部員が部屋に閉じこもり、沈んでいた。

 強固な絆で結ばれていたはずの白波女子学園水泳部は、見る影もなく崩壊していたのだった。

 午後8時。

 千尋、明日香、玲奈の部屋のドアがノックされた。


「はい」


 千尋が応えると、ドアの外に立っていたのは副顧問の高城麗子だった。

 その表情は厳しく、有無を言わせぬ口調で告げた。


「あなたたち三人を美沙顧問が呼んでいるわ。部屋まで来なさい」


 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 ついに、この時が来た――と。

 三人は顔を見合わせることもなく、黙って立ち上がり、麗子の後に続いく。

 部屋には美沙顧問が一人、腕を組んで窓の外を眺めていた。

 その背中からは、普段の親しみやすさとはかけ離れた、冷たく厳しいオーラが放たれている。


「堂島千尋、朝倉明日香、篠原玲奈、三名、失礼します……」


 千尋が代表して声をかけると、美沙はゆっくりと振り返った。

 その瞳には、深い失望と、静かな怒りが宿っていた。


「座れ」


 聞いたこがない低い声で促され、三人はテーブルを挟んで美沙の向かいに座る。

 重い沈黙が部屋を支配していた。


「今日のレース、特にフリーリレー。あれが、今のお前らの実力だ」


 美沙は静かに、しかし刃物のように鋭い言葉で切り出した。

 その言葉は重く、千尋の心を抉る。


「個人種目での取りこぼし、リレーでの惨敗。言い訳は聞かない。結果が全てだ」


 三人は顔を上げることができない。


「なぜ負けたか、わかるか?」


 美沙の問いに、誰も答えられない。

 答えはすぐに浮かんだが、それが喉を通ることはなかった。


「堂島。キャプテンとして、これをどう分析する?」


 名を呼ばれ、千尋はびくりと顔を上げた。

 視線が一瞬合う。しかし、あまりの迫力に視線が美沙顧問の背後に逃げる。

 千尋は「どう分析する?」という問いに、言葉を選び、ゆっくりと口を開く。


「……チームの連携が……取れていませんでした。私の、力不足です……」


 美沙顧問は鼻で笑う。


「そんな生易しいものではないだろう?」


 その視線が、明日香、そして玲奈を射抜く。


「お前らは何をしにここへ来た? 友情ごっこか? 恋愛ごっこか?」


 千尋は目を開け続けることが出来なくなった。

 唇を咬み、ぐっと堪える。


「はあぁぁぁー……」


 美沙顧問がわざとらしく大きなため息をつき、目をつり上げる。


「ふざけるのも大概にしろ!!」


 その声は重く、体育館に響き渡るかのような凄みがあった。

 まさに、怒りが『雷』となってが落ちた瞬間だった。


「ここは遊び場ではない! 『白波』の看板を背負って、チーム全員の想いを背負って戦う戦場だ!」


 三人は反論できない。

 震える身体でそれを受け入れる。


「だがお前らは自分の感情に振り回され、やるべきことを見失い、挙句の果てにはチームをバラバラにした!」


 テーブルが強く叩かれる。

 それは、普段は厳しくも優しい指導者が見せる、初めての怒りだった。


「特に! 朝倉! 篠原!」

「「っ……!」」


 二人の肩が大きく震える。


「個人的な感情がチーム全体にどれだけ悪影響を与えているか自覚はあるか!?」

「「……」」

「あのリレーの無様な姿は、お前らがチームを振り回してきた結果だ!」

「そんな……!」


 千尋が思わず口を挟もうとしたが、美沙顧問の鋭い視線に遮られる。


「堂島も同罪だ。二人の問題に振り回され、チームを崩壊させた。その責任は誰よりも重い」


 その言葉は、容赦なく三人の心を抉っていく。


「いいか、お前ら?」


 一呼吸置き、三人を見据えて言葉が続く。


「恋で泳ぎを濁らせるのは、『白波の選手』として言語道断だ」


 明日香と玲奈の肩が再びピクッと動く。


「お前らはこれまで『白波』が築き上げてきた歴史と、仲間たちが積み上げてきた努力を、全て踏みにじっているということを忘れるな」


 美沙顧問は吐き捨てるようにそう言うと、立ち上がる。


「今夜だ」

「え?」

「リミットは今夜。よく考え、本音で話し合え。全部ぶちまけて相手にぶつけろ。自分たちが何をすべきなのか、なにを乗り越えるべきなのか。しっかり理解し、すぐに解決しろ。このままなら明日のレース、お前たちの帯同は許可しない」


 その言葉は最後通牒だった。

 帯同すら許さいというのは、いるだけでチームにとってはマイナスになるということ。それは、レギュラーから外されるより重い処分だった。

 美沙顧問はそれ以上なにも言わず、冷たい視線を三人に残して部屋を出て行った。


 残されたのは、深い沈黙と、打ちのめされた三人の少女たち

 尊敬していた顧問からの、あまりにも厳しい叱責。

 それは、彼女たちが目を背けてきた現実を、容赦なく突きつけてきた。

 壊れた関係、失われた信頼――。

 三人の心には、『白波』の名を汚し、『仲間』を裏切ったという重い事実が伸し掛かる。

 千尋、明日香、玲奈。

 それぞれの胸に巻き付く茨の痛みと共に、『本音』の夜が始まるのだった。

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