プロローグ「観測者たちの喧騒」
インターハイ東京都予選、当日。
まだ朝靄が残る時間から、首都圏アクアアリーナには異様な熱気が満ち始めていた。
全国大会への切符をかけた戦い。
その中でもひときわ注目を集めているのは、絶対王者・白波女子学園だった。
しかしその注目は、いつものような純粋な期待や称賛だけではなかった。
国内最大のSNSアプリ【Chirp】のタイムラインには、前夜から白波水泳部に関する不穏な憶測で埋め尽くされていた。
『白波、なんか雰囲気ヤバくない?』
『記録会後のファンクラブ動画も更新止まってるし……』
『#白波どうした』
『#ちひあす不仲説 ってマジ?』
『 雨の日からずっとだよね』
『ブルスク(玲奈FC)の過激派がデマ流してるって噂も』
『たんなるスランプ』
『王者も人の子だった?』
『波乱あるかもなー』
ファンクラブ最大手で学園公式の【White Wave】の公式フォーラムも、心配する声や憶測を諌める声で揺れていた。
コメント欄には『#信じよう白波』というハッシュタグがトレンド入りする一方で、不安を煽るような投稿も後を絶たない。
王者を取り巻く空気は、常勝軍団ではあり得ない、不穏なものに包まれていた。
***
そして午前8時。
予選開始の1時間前。
全国放送NSTのスポーツ情報番組【Morning Splash】の現地中継が始まった。
『——こちら、首都圏アクアアリーナです!』
人気女性アナウンサーが中継する様子が映る。
背後には準備で慌ただしく動くスタッフやプールが映り、映像越しでも熱気が伝わるようだった。
『いよいよ今日から、夏のインターハイ本戦出場をかけた東京都予選が始まります!』
女子アナが大会の横断幕を紹介すると、TVカメラが横断幕をアップで映す。
『やはり注目は、前人未到の9連覇がかかる、白波女子学園です!』
女子アナが興奮気味にレポートすると、TVカメラはウォーミングアップを開始した白波の選手たちがいるエリアを映し出す。
しかし、そこに映し出された光景に、女子アナはわずかに戸惑いの表情を見せた。
『えー、白波の選手たち、今まさにアップを始めたところですが……』
まるで遠くを覗くように額に手を当て、『んー?』と呟く。
『いつものような活気が、今日は感じられないような……気のせいでしょうか?』
スタジオの解説員やコメンテーターたちも、モニターを見ながら首を傾げる。
『んー、確かに。少し、表情の硬い選手が多いように見えますね』
元競泳オリンピック選手がコメントする。
『特に、キャプテンの堂島選手。あと——』
TVカメラがそれにあわせて堂島千尋をアップで映す。
『——副キャプテンの朝倉選手』
コメントに合わせてTVカメラが動く。
『二人の間にも、少し距離があるような感じがしますね……』
その時、中継の女子アナの声がスタジオの会話に割り込む。
『あ! スーパーレジェンド・白波美沙さんの姿が見えます!』
女子アナの視線を追い、TVカメラが離れた場所にいる美沙顧問を映し出す。
『お話を伺えないか聞いてみましょう』
女子アナが一人で駆け寄り、美沙顧問に取材許可を取る。
美沙顧問はTVカメラを一瞥すると軽く頷き、女子アナと一緒にカメラの前にやって来る。
『みなさん、おはようございます』
美沙顧問は満面の笑みを浮かべてTVカメラに向かって挨拶し、一礼する。
『突然のインタビューを受けて頂き、ありがとうございます!』
『大丈夫ですよ。メディアの要望にはできるだけ応えたいと考えていますので』
『さすが、スーパーレジェンドです』
『ありがとうございます』
『今日の大会は——』
当たり障りのないやり取りを何度か交わし、女子アナが本題に切り込む。
『いよいよ予選初日ですが、白波チームの雰囲気はいかがでしょうか?』
美沙顧問の口角が軽く上がり、優しい微笑みを浮かべる。
『良い状態ですよ』
『良い状態——絶好調ということでしょうか?』
『この日のために準備してきました、当然です』
『白波の選手さんたち、ちょっと緊張してるように見えるのですが……?』
『インターハイに向けた最初の関門ですから、高校生である彼女たちは緊張していても仕方ありません』
『実力も実績もある選手さんたちでも、やっぱり緊張されるんですね』
『もちろんです。私も緊張してますからね、ほら』
美沙顧問は苦笑いを浮かべ、震える手のひらを女子アナに差し出す。
『あ、ちょっと汗ばんでます?』
『ええ』
『オリンピックレジェンドでも、高校生の大会で緊張されるんですね』
『レース会場にいるだけで緊張するんですよ。身が引き締まる思いです』
『はー、なるほどー』
『今から泳ぐ彼女たちはもっと緊張してるでしょうし、私の比ではないでしょうね』
『白波の選手さんたち、これまでこういった雰囲気になることはなかったと思うのですが、今大会はなにか、特別な意気込みでも?』
『いつも通りですよ。ただ——』
『ただ?』
『私が大会前に追い込みすぎたので、かなり参ってるかもしれませんね』
肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
『レジェンドの追い込み……すごそうですね……』
女子アナは顔を引きつらせ、息をのむ。
『どんな風に追い込んだか……お聞きになりたいですか?』
『い、いえ、結構です! あ、お忙しいところありがとうございました! はい!』
『——最後に一つ、よろしいでしょうか?』
『え? あ、どうぞ、はい!』
慌ててマイクを向ける。
美沙顧問は軽く会釈し、口を開く。
『選手たちは一人の水泳選手である前に一人の女子高生です。一日の大半を練習で費やしていても、その間には普通の女子高生としての日常があります。選手としてはもちろん、彼女たちの日常も応援して頂けると嬉しいです』
『女子高生としての日常、ですか……?』
女子アナが不思議そうに顔を傾げていると、TVカメラ横にあるカンペボードに『CMまで20秒』と表示される。
女子アナと美沙顧問は横目でそれを確認し、お互いに頷く。
『それでは失礼します。また』
美沙顧問は一礼し、選手たちの元へ戻っていく。
『以上、白波女子学園水泳部顧問、白波美沙さんにお話を伺いました。一度スタジオにお返しします』
『はい、ありがとうございました。CMの後は再び大会の中継をお届けします』
番組がCMに入ると、解説員やコメンテーターたちが美沙顧問の発言を巡り、あれこれと持論や推論を展開して盛り上がる。
その内容は、理論的なものから感情的なものまで様々だった。
この美沙顧問の発言はSNSや各ファンクラブにも取り上げられ、ぷちバズりをみせる。
様々な想いが交錯する中、開戦のブザーが鳴り響き、大会の幕が上がっていく。




