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ドンと恋!〜 私たちのStarting Block 〜インターハイで日本新記録を出したら表彰台で公開告白されました。  作者: 空知美英
3章:崩壊へのプレリュード

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第26話「雨上がりの放課後」

その日の放課後は、激しい夕立に見舞われた。

部活終わりの生徒たちが帰り支度を整える頃には雨足も止んでいたが、空はまだ重たい灰色に覆われ、地面には大きな水たまりがいくつもできていた。


「うっわ、結構降ったねー」

「明日、寒くならないといいけど」


部室の窓から外を眺めながら、部員たちが口々に言葉を交わす。

千尋も窓際に立ち、濡れた木々や校舎を眺めていた。

昨夜の明日香との秘密練習、そして玲奈との静かな会話——二人の表情が少し和らいだことに安堵しつつも、まだ完全には晴れない胸のつかえを感じていた。


「千尋、まだ残るの?」


先に着替えを終えた明日香が、バッグを肩にかけて声をかけてきた。

その表情は、昨日までの曇りが嘘のように、いつもの快活さを取り戻しているように見えた。


「うん、玲奈がまだみたいだから。一緒に帰ろうかなって」

「そっか。じゃ、私はお先にー。玲奈のこと、あんま心配させないでよー」


明日香はひらひらと手を振ると、他の部員たちと共にワイワイしながら部室を出て行く。その足取りはとても軽く、とても機嫌が良さそうに見えた。


(良かった。明日香は吹っ切れたみたい……)


千尋はほっと息をつき、マネージャーデスクに向き直る。

玲奈はまだタブレットに向かい、今日の練習データを整理していた。

その横顔は真剣そのものだが、最近よく見せていたトゲを感じる表情ではなかった。


「玲奈、まだかかりそう? ゆっくりでもいいから、無理しないでね」

「……ええ、もう終わるわ。ありがとう、千尋」


玲奈は最後のデータを保存し、タブレットを閉じるとスタンドライトを消した。

立ち上がり、自分のバッグを持つ。


「すごい雨音が聞こえてたけど、もう大丈夫そう?」

「今は止んでるみたいだけど……念のため、傘はあった方がいいかもね」


二人で出口へ向かう。

外は雨上がりの湿った匂いが立ち込め、遠くではカエルが鳴いていた。

そして、玲奈が自分の傘立てを見た瞬間、小さく「あ……」と声を漏らした。


「どうしたの?」

「傘。朝一で明日香に貸したままだったの、忘れてたわ」

「あ、でも、今降ってないし——」


千尋が「大丈夫」と言おうとしたタイミングで、ポツポツと再び降り始め、すぐに雨模様になった。


「あー、間に合わなかったね」

「いっつもこう。バカ明日香になにか貸すと、私が酷い目に遭う」

「あはは……」


玲奈は怒っているようだが、どう見ても本気の怒りではなかった。

千尋はそれが嬉しくなり、思わず笑いが漏れる。


「はあ。もう少し、ここで作業してようかしら?」

「玲奈」

「ん?」


千尋は自分の大きな傘を開き、玲奈の方へ差し出した。


「一緒に入ってく?」

「……いいの?」

「もちろん。寮までだし、すぐそこだよ」


玲奈は少しだけ躊躇うそぶりを見せたが、軽く肩をすくめ、笑顔になる。


「じゃあ、隣り、お邪魔します」


千尋の傘の下にそっと身を寄せる。


「いらっしゃい」

「よろしく、千尋」


二人で一つの傘に入る。

自然と肩と肩が触れ合う距離になる。

千尋の体温と、シャンプーの残り香がふわりと玲奈の鼻腔をくすぐった。


(近い……)


触れ合った肩から伝わる熱が、玲奈の心臓を早鐘のように打つ。

昨夜の千尋の言葉が、その温もりと共に蘇ってきた。


『玲奈がいると、安心するんだ』


ただの親友として、マネージャーとして、千尋の『安心できる場所』でありたい。そう決意したはずだった。

なのに今、この触れ合う肩が、隣にある千尋の存在が、玲奈の決意を別の色に染め上げていく。


(安心、だけじゃない……もっと……)


もっと近くにいたい。

この温もりを、自分だけのものにしたい。

その想いが、明確な形を持って表に出てくる。

これはもう、単なる『支えたい』という気持ちだけではないのだと、玲奈ははっきりと自覚していた。

そして、身体は自然と密着していく。

どんどん気持ちが高まり、胸の鼓動が強くなる。


「顔が赤いよ、大丈夫?」


千尋が心配そうに覗き込んでくる。

息が掛かるぐらいの近さに、玲奈の心臓はさらに大きく跳ねた。


「な、なんでもないわよ! きっと湿気のせいよ、湿気の!」


玲奈は慌てて顔を背け、早足になろうとする。

千尋は「そう?」と不思議そうに首を傾げながらも、歩調に合わせて傘を動かし、ピッタリと玲奈の横に付いた。

玲奈はその優しさに嬉しくなり、身体を預けるように千尋にくっつく。

まさにその瞬間だった。

道の向こうから、ずぶ濡れになった明日香が走ってくるのが見えた。

手には何も持っていない。

おそらく、部室に忘れた何かを取りに戻ってきたのだろう。

明日香は傘の下で寄り添うように歩く二人の姿に気づき、ピタリと足が止まった。


(なんで……)


雨に濡れた前髪が額に張り付き、制服は水を吸って重い。

その瞳が、傘の下の二人——特に、千尋の隣で肩を寄せ、頬を染めている玲奈の姿を、ただじっと見つめていた。

千尋と二人で過ごしたプールの甘い時間。

そして、『明日香だけの支え方』だと肯定してくれた千尋の言葉。

それらが、一瞬にして遠い過去のように感じられた。


(私の居場所に……)


繰り返される、言葉にならない感情が、明日香の胸を締め付ける。

信じていたはずの千尋の言葉も、玲奈との間に生まれたはずの奇妙な連帯感も、雨上がりの湿った空気の中に溶けて消えていくようだった。


「あ——」


千尋が明日香に気づき、声を上げようとした。

しかし明日香は何も言わず、ただ踵を返して背を向け、来た道を、もと来た以上の速さで走り抜ける。

その背中は、雨に打たれて震えているように見えた。


「明日香——!」


千尋は傘を放り出して追いかけようとするが、玲奈がその腕を掴んで制止した。


「待って千尋! 今は——!」


玲奈は走り去った明日香の背中と、呆然と立ち尽くす千尋の顔を交互に見つめる。

その瞳には、先ほどまでの淡い恋心とは違う、複雑な光が宿っていた。

雨上がりの放課後。

触れ合った肩の温もりとささやかな幸福。そして、ずぶ濡れの中に消えた背中。

三人の心模様は、再び、嵐の模様を描き始めていた。

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