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ドンと恋!〜 私たちのStarting Block 〜インターハイで日本新記録を出したら表彰台で公開告白されました。  作者: 空知美英
3章:崩壊へのプレリュード

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第24話「二人の秘密練習」

玲奈との衝突と『イルカ練習』騒動から一夜明けた放課後。

公式の練習メニューが終わり、部員たちがまばらにクールダウンや自主練に励む中、明日香は一人、プールサイドの隅でストレッチをしていた。

その背中にはいつもの太陽のような明るさはなく、どこか小さく見えた。


「明日香——」


不意にかけられた優しい声に、びくりと肩を揺らして振り返る。

そこには、練習水着のままの千尋が立っていた。


「……千尋、おつかれ」

「うん、おつかれさま。まだ残るの?」

「んー、まあね。ちょっと泳ぎ足りないっていうか、なんというか……」


明日香は言葉を濁し、視線を水面に落とす。

昨日、玲奈に『非科学的』と一蹴された自分の『感性』。

そして、玲奈が見せた完璧な『支える力』。

その二つが、明日香の心に重くのし掛かっていた。


「はぁー……」


ついため息が漏れる。

軽く頭を振り、ストレッチに集中する。

千尋はそんな明日香の隣に黙って座ると、静かに切り出した。


「ねえ、明日香」

「ん?」

「今日の夜……少しだけ、付き合ってくれないかな」

「え、デート?」

「まさか。練習だよ」


千尋は悪戯っぽく笑うと、声を潜めた。


「玲奈には内緒だよ」


その言葉に、明日香は目を丸くした。

玲奈には内緒の、二人だけの練習——そんなこと、これまでは一度もなかった。


「ど、どういうこと……?」

「明日香が昨日言ってた『感性』? ちょっと興味あるんだ」

「千尋が、感性?」

「うん、感性」


嘘だと明日香は思う。

千尋は誰よりも理論と実践を重んじるスイマー。

美沙顧問に見いだされて鍛えられ、玲奈によって昇華した泳ぎ。

そこに、明日香のような『感性』が入り込む余地があるとは思えなかった。

本来の千尋であれば、昨日の『イルカ』を肯定するはずがない。


「……私に、気ぃ遣ってくれてんの?」

「うん、遣ってる。だって、明日香は私の大事な恋人だもん」


千尋は明日香の手をそっと握る。

その温かさは、明日香の渇いた心にじんわりと広がっていくようだった。


「千尋……」

「それに……玲奈のやり方が全てじゃないって、私も思うから」

「え?」

「明日香の『感覚』がチームの新しい力になるかもしれない」

「そんなことは——」

「わからないでしょ。だからさ、二人で試してみようよ」


それは、千尋なりの最大限の歩み寄りだった。

玲奈の『データ』と明日香の『感性』。

千尋にはどちらも否定出来ないし、どちらが正しいかはわからない。

これは、落ち込んでいる恋人を元気づけたいという、純粋な優しさ。

そこに、技術や理論はいらなかった。


「……千尋の、ばか……」

「褒め言葉?」

「ばか、ばか……」


明日香の頬に涙の線がスッと走る。


「練習、付き合ってくれるだけで嬉しいのに……あんな、訳わかんない練習まで付き合ってくれるなんて……ばかだよ……」

「バカじゃないし、訳わかんなくないよ」

「千尋……」

「明日香が信じてるものは、私も信じたい」


千尋は握った手に力を込め、優しく微笑む。


「だから、夜10時。ここで。いい?」

「……うん!」


明日香は涙をぐっと堪え、力強く頷く。

二人は一緒にクールダウンし、軽くシャワーを浴びて帰寮した。


***


夜10時。

寮の自室で玲奈が既に眠りについているのを確認し、二人はそっと部屋を抜け出した。

月明かりだけが差し込む屋内プールは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。


「なんかドキドキするね、明日香」

「悪いことしてるみたいだもんねー」

「確かに」

「こんな夜に出歩くなんてとんだ不良少女だよ、千尋君」

「君も同罪だよ、明日香君」


二人は手を繋いで指を絡め、くすくすと笑い合いながらプールサイドに立つ。

ひんやりとした空気と、塩素の匂いが二人を包む。


「それで、何をすればいいの? イルカ?」

「うっ……昨日はゴメン。あれは、ちょっとどうかしてた」

「あ、やっぱり?」

「うん、変なテンションになってた」

「でも、可愛かったよ」

「いやいや」

「こう、『キューイ!』って」

「ちょ、もういいって、はずい」


明日香はバツが悪そうに頭をかいた。


「今は普通に泳ぐ」

「うん」

「タイムとかフォームとか、そういうの全部忘れて——」

「うん」

「気持ちいいって思える泳ぎをするだけ」

「うん」

「それだけ」

「わかったよ」


千尋は静かに頷くと、明日香より先に水に入った。


「まずは、一緒にゆっくり泳ごうか」


千尋がプールの中から手を伸ばし、抱き寄せ寄せるように明日香を引き込む。


「ん——」


水の中で軽く抱き合い、静かに唇が重なり、ゆっくり離れる。

千尋は明日香の頬を優しくなで、軽くつねる。


「今はこういうことしない」

「手を引いたのは千尋の方じゃん」

「抱きついてきたのは明日香だよ」

「美味しそうな唇をしてるのが悪い。んー」

「だからしない。ほら」

「はーい」


頬を染めた二人は隣同士のレーンで、静かに水をかき始める。

超スローペースの平泳ぎ。

競い合うでもなく、教えるでもない。

隣を見ると千尋がいた。

隣を見ると明日香がいた。

二人はただ笑い合い、互いの水音と呼吸のリズムを感じながら水をかく。

時折、千尋が「今の、すごく伸びやかで綺麗だった」と声をかける。

明日香は「ほんと?」と嬉しそうに返し、また水をかく。

データも理論もない。

感じたままに泳ぐだけ。

信頼する恋人の言葉だけが、明日香の感覚を研ぎ澄ませていく。

少し泳いで、少しプールサイドで談笑する。その繰り返し。

そして、何度目かのプールサイド。


「……ねえ、千尋」


プールの壁に寄りかかり、息を整えながら明日香が呟いた。

千尋は無言で笑顔を向け、言葉の続きを待つ。


「私さ、やっぱり玲奈みたいにはなれないや」

「うん」

「玲奈みたいに、頭良くないし」

「うん」

「チームのこととか、データとか、難しいことはわかんない」

「うん」

「私にできるのは……千尋の隣で、一緒に泳ぐことだけ」


その声は、諦めではなく、どこか吹っ切れたような響きを持っていた。

千尋は明日香の肩に手を回し、引き寄せる。


「それでいいんだよ」

「そっか……」


明日香の頭が千尋の肩にもたれかかる。

千尋は明日香の濡れた髪を何度も手櫛し、優しく整える。


「こうやって明日香を感じるだけで、私は安心する」

「うん」

「それが、明日香だけの『支え方』なんだよ」

「私の『支え方』……そっか……」

「今、すごく支えられてる気がするよ」

「千尋……」

「明日香、大好きだよ」

「私だって、大好き。ん——」


二つの影が一つに重なり、水の流れも、空気の流れも静かに過ぎていく。

水面が小さく揺れ、月明かりが二人のシルエットを淡く照らす。

甘く、穏やかな時間。

それは、誰にも邪魔されない、二人だけの世界だった。


(この時間が、ずっと続けばいいのに——)


お互いの温もりを感じながら、夜空に浮かぶ月を見上げる。

二人が見たのは綺麗で澄みきったな夜空。月光が影を強くする夜。

しかし、一つになった二人の影は、徐々に薄くなっていくのだった——。

この後21:00にも追加で投稿します。

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