第23話「副キャプテンの(間違った)奮闘」
重苦しい空気が流れたあの日から数日――。
白波女子学園水泳部は、表面上はいつも通りの練習風景を取り戻していた。
千尋はキャプテンとして、玲奈はチーフマネージャーとして、それぞれの役割を完璧にこなしている。
だが、明日香の心は晴れなかった。
(玲奈のやつ、今日もビシバシやってんね……)
プールサイドでタブレットを片手に、後輩マネージャーたちに的確な指示を飛ばす玲奈の姿が目に入る。
その背中は自信に満ち溢れて見えた。
声を荒げ、涙を見せていた玲奈の面影はどこにもない。
そこにあるのは、『頭脳』として完璧に機能する、チーフマネージャーとしての姿だった。
(データ、データ、データって。水泳って、そんなに数字がすべてなわけ?)
明日香は記録会での泳ぎを思い出す。
(確かに、玲奈のデータを無視したせいでむちゃくちゃキツかった。それは事実)
だからこそあの日、明日香は玲奈に対して『データ』を認めるようなことを言った。
(でもやっぱ、それだけじゃないっしょ、水泳は)
自由練習時間。
明日香はストレッチをしながら辺りを見渡す。
心なしか、自分に向けられる後輩たちの眼差しが変わっているように感じた。
これまでの純粋な憧れだけでなく、『支える者』と比較するような色を帯びている気がして、明日香は焦りを覚える。
(ここはいっちょ、副キャプテンとして頑張ってみようかな)
軽く何度か跳びはねて大きく息を吸うと、明日香は声を上げる。
「よーし! みんな、ちょっと集まってー!」
明日香は自分を慕う一年生の岩倉美緒や、二年生エースの藤原詩織たち数人を呼び集める。
一年生の岩倉美緒は全中で無双した白波水泳部期待の星。全種目で不得手がなく、感性で泳ぐという点で明日香と気が合い、非常に仲が良かった。
逆に、二年生のエースでもあり、メドレーリレーの軸でもある藤原詩織とは相性が悪い。
平泳ぎ専門。感覚に頼らず、水泳理論を突き詰めて泳ぐタイプで、どちらかというと玲奈と仲が良い。
二人を含めたのは、単純に味方を増やしたかったからだった。
岩倉美緒は単純に明日香を慕っているし、藤原詩織を味方につけられれば、相手の牙城を崩しつつ自分の味方も増やせる。
明日香は瞬時に水泳部内のバランスを考慮し、最適な人材を集めたのだ。
「なんですか、明日香先輩」
「私、篠原先輩に伺いたことがあったのですが――」
「いい? 玲奈のデータもすごいけど、それだけじゃ勝てないのが水泳なの!」
明日香は詩織の言葉を遮って持論を展開する。
「これからの時代は感性! フィーリングこそが至高なの!」
「か、感性、ですか……?」
「わかりますわかります! フィーリングって新時代っぽいです!」
「うんうん、みおっちはよくわかってる。さすが、我が一番弟子!」
「はい!」
「……」
元気よく返事をしたのはみおっち――岩倉美緒だけで、詩織はジト目で明日香を見つめ、他の部員はポカンとしていた。
温度差の激しい部員たちを前に、明日香は胸を張る。
「というわけで、今から私のスペシャルメニューを開始します!」
「一体どんなメニューを……」
詩織が警戒して訪ねる。
「名付けて、『イルカの気持ちになる練習』!」
「「「 イ、イルカ? 」」」
今度は全員の声に疑問符が付いた。
明日香は無視して得意げに頷くと、自らプールに入り、奇妙な動きを始めた。
「いい? イルカはね、全身で喜びを表現するの! こう『キュイー!』って鳴きながら水を全身で感じるの!!」
明日香は謎の鳴き声とともに、体をくねらせて何度も水面を跳ねていた。
その姿はイルカというより、打ち上げられた魚のようである。
それを見つめる部員たちの心の声は一つ――。
((( なにこれ…… )))
その動きは無駄に激しかった。
プールサイドまで水が飛び散り、部員たちにもパシャパシャ掛かる。
「「「 …… 」」」
「こうやって水と一体になるの!」
無駄に激しい動きをしていたにも関わらず、明日香は息を切らしていない。
部員たちはイルカ(?)の動きではなく、明日香の体力のすごさに感心していたが、誰も口に出せずにいた。なぜなら――。
「はい! みんなもイルカになる!」
本人が体力や技術よりも、『イルカ』にこだわっているから。
「ほら、3、2、1――」
明日香がカウントダウンを開始したのを見て、全員が悟る。
((( イルカになるしかない! )))
副キャプテンの強引さは誰もが知っていた。
悪気もなく、純粋に自分が良いと思ったことをする。
それが部のため、部員のためになると信じてるから――。
「ゼロ!」
「「「 ――ッ!! 」」」
集められた部員たちが一斉に入水し、Aチームレーンの一角に水しぶきが上がる。
そしてイルカ運動。
プールが大きく波打ち、水しぶきが多数上がる。
そこにあるのは、ただただ、カオスな空間だった。
「オッケー! 次は『水の声を聞く瞑想』!」
ひとしきり『イルカ』になった後、明日香は仰向けで水面に浮かぶように指示した。
「こうね、心を無にして……。水が何を語りかけてくるか、耳を澄ませて……。『もっと速く』って言ってる? それとも『今日は休め』って言ってる? どう? 自分だけの『水の声』が聞こえるでしょ?」
((( ……水の音しかしない…… )))
心の声がシンクロする。
ぷかぷかと浮かぶ少女たちの光景は、練習風景というより、白昼夢といえるだろう。
その異様な光景をに対し、プールサイドからは氷点下の視線が向けられている。
視線の送り主――玲奈の持つタブレットが、心なしかミシリと音を立てているようだった。
「……あなたたち、そこで何をやっているの?」
地を這うような低い声が響く。
声の主はもちろん玲奈だった。
「データ信者の玲奈にはわかんないよねー。 このスペシャルメニューの意味が」
「非科学的にも程があるわよ、この脳筋!!」
玲奈の怒号がプール全体に響き渡った。
「あれは泳ぎじゃなくてただの遊戯! 大事な大事な自由練習中に何てことをしてるの!? タイムも心拍数も――なんのデータにもならないじゃない!」
「感性を鍛えてんの! データじゃ計れない『何か』があるって、この前の記録会で玲奈も分かったんじゃないの!?」
「あれとこれとは話が別よ! あれはあなたのポテンシャルが私の予測を超えただけ! こんなオカルトで再現できるわけないでしょ!」
「オカルトじゃない、感性だって言ってんの!」
「バカ明日香! そんなにやりたいなら一人でやってなさいよ!」
プールサイドとプールの中。なのに掴みかからんばかりの勢いで口論を始める二人。
イルカだった部員たちは、その迫力にただただ縮こまるばかりだった。
その喧騒を、少し離れた場所で見ていた千尋は少し安堵する。
(二人とも、元気が戻ってきたみたいで良かった……)
チームの空気はまだぎこちない。
しかし、明日香がこうして『自分らしく』暴走し始めたこと、玲奈が本気でそれに怒っていること――その光景が、千尋にとってはほんの少しだけ、希望の光に見えた。
「はいはい、二人ともそこまで。みんなが困ってるでしょ」
キャプテンの一声で、二人はしぶしぶといった様子で距離を取る。
だが、その視線はずっと火花を散らしたままだった。
夏の決戦前の白波のプール。
そこでは恋と友情と、そしてちょっぴりおバカな感性の歯車が、今日も元気に空回りしていた。




