第17.5話「指導者たちの夜」
夜10時。
学園敷地の一角に設けられた教員用居住区。
その一室、白波美沙と高城麗子のリビングは、柔らかな間接照明に照らされていた。
棚には数々のメダルやトロフィーが飾られ、大きなコルクボードには家族三人で撮った写真や、水泳部での日々が飾られている。
美沙はソファーに腰掛け、娘を寝かしつけている麗子の様子を眺めていた。
「寝た?」
「ええ。美沙と一緒で寝付きは良いみたい」
「そっか。まあ、麗子もそうだけど」
「そうね。まさに私たちの子供って感じ」
麗子はジュニアベッドで眠る娘の顔をなで「似てる」と呟く。
「昔は同性出産とか夢物語だったのに——技術の進歩に感謝だ」
「そうね。高校大学と、美沙が私の子供を産んでくれるなんて考えたこともなかった」
「ん? 一度も考えたこともなかった?」
「完全にない、といえば嘘になるわね」
「だろ。私はずっと考えてたぞ。麗子に私の子供を産んでほしいって」
「結衣が大きくなる前には美沙の子供を産みたいと思ってる」
「妊娠薬のリキャスト期間はとっくに過ぎてるし……二人目、つくる?」
「今はちょっと、ね……」
「まあ、そうだな……」
娘を寝かしつけた麗子はPCデスクに向き合い、コンピューターのスリープを解除する。
「さて、もう一仕事しますか」
冷め切ったコーヒーを一口含み、マウスを動かす。
「まだ続けるのか? 麗子が倒れたら私も学園も困るぞ」
「心配性ね。昔と同じ轍は踏まないから安心して」
「信頼はしてるが、つい、な」
美沙はコルクボードの写真に目を向け、大学生時代の写真と、千尋たちとの集合写真、それぞれを見比べる。
「やっぱり心配? あの子たちのこと」
「心配しない方がおかしいだろう。だが、あれは必要な嵐——なのかもな」
美沙の言葉に、麗子は静かに頷く。
今夜、この部屋のインターホンは二度鳴った。
一度目は、キャプテンである千尋が顧問である美沙を訪ねてきた。
そして二度目は、チーフマネージャーである玲奈が、副顧問である麗子を頼ってきた。
「堂島のやつはひどく落ち込んでたよ。『私が二人を傷つけてしまった』と。あれは、全部自分のせいだと思い込んでたな。キャプテンとしての責任感と、恋人としての罪悪感で押しつぶされそうだった」
「玲奈も似たような感じだったわね」
麗子は玲奈が訪ねてきたときの様子を思い出す。
いつもは冷静沈着な彼女が、顔をゆがめ、涙を浮かべて直前の出来事——明日香とのやりとりを打ち明けてきたのだ。
「『私のデータは明日香の体温には勝てないのでしょうか』と。玲奈は本気でそう思っていた。自分が積み上げてきた努力の全てが、恋人という立場の前では無価値になるのではないかって」
「ふっ、篠原は本当に麗子そっくりだな」
美沙は麗子の背後から手を回し、その身体を椅子ごと包み込む。
「麗子もそうだった。私の隣で誰よりも私を分析し、誰よりも完璧なサポートをしてくれていた。だが、隣で笑っているだけの『友人』に嫉妬していた」
「まあ、そうね」
「篠原の気持ち、今の麗子には痛いほど分かるんじゃないのか?」
「ええ……」
玲奈の顔を見て、その言葉を聞いて、麗子は思う。
まるで、過去の自分が今の自分に訴えて来ているようだと。
あの苦しみは、他の誰よりも自分が一番よくわかる。
陰に徹する痛み、『支える者』だけが知る誇りと孤独。光の当たらない場所で戦い続ける者の魂の叫び。
「で、どうアドバイスしたんだ?」
「『朝倉さんの体温は堂島さんという魚を包み込む海。あなたのデータはその魚を光へ導く潮流。どちらも堂島千尋という魚には必要』。そして……『その全てを欲しがるのが、堂島千尋という女性』と」
「魚には海と潮流が必要、か」
美沙は笑い、麗子を抱きしめる力が強くなる。
「千尋にはこう言っておいた。『今は口を出すな。これは、明日香と玲奈、二人の問題だ。お前がすべきことは、明日のレースで二人に証明すること。二人の『支え』があるから私は最強なのだと、結果で示せ』、とな」
「それが一番」
「堂島千尋、朝倉明日香、篠原玲奈——ポテンシャルは計り知れない。絶対に乗り越えて最高の結末に落ち着くさ。泳ぎも、恋も、私たちのようにな」
「……ええ、そうね」
自然と顔が近づき、唇が重なる。
「私には麗子がいた。だから恋も泳ぎも完走できた。改めて、ありがとう」
「私も、美沙がいたから今の私があるし、結衣もいる幸せな家庭を持てた。こちらこそ、ありがとう」
「「 愛してる 」」
声が重なり、再び唇が重なる。
「なんだか新婚っぽいな」
「まるで熱々な堂島さんと朝倉さんみたいね」
「まあ、堂島に関しては2人目ができそうだが」
「同性婚や多重婚が認められてる日本で本当によかったと思う。昔だったら応援すら出来ないから」
「あいつはモテるからな。天然の人たらしだ。他にも本気で狙ってる女子がいるかもな」
「当たらずも遠からずね」
「ん?」
「とりあえず、あの子たちは『今の嵐』で精一杯。顧問と副顧問らしく、見守り、導きましょう」
「だな。まずは目の前、一歩一歩だ。あいつは速すぎる。泳ぎも恋も。私の身を少しは気遣ってほしいもんだ」
「オリンピックレジェンドが情けないこと言わない」
「すぐに抜かれるさ」
「そ・れ・で・も。今はあなたが水泳界の頂点なの。みっともない姿は見せない」
「まあ、気をつける」
二人が椅子越しにいちゃついていると、ジュニアベッドから声が聞こえてくる。
「ちーちゃん! ちーちゃん!」
「……結衣、そこは『美沙ママ』『麗子ママ』だろ。どうして堂島を呼ぶ……」
美沙はジュニアベッドで手を伸ばし『ちー』を呼び続ける娘の手を握る。
「〈ゆりかご〉では堂島さんにべったりらしいわよ。将来、堂島さんのことを『お姉様』とか呼んでなつきそうね」
「あいつはなんなんだ? 赤ん坊にまで好かれるなんておかしいだろ?」
「美沙も言ってたじゃない、天然の人たらしって。天然に年齢差は通じないの」
「はあ、母親のプライドが……」
「もしも堂島さんと結衣が結婚したら——」
「あいつが義理の娘になるのか?」
「レジェンドスイマー家族ね。結衣がオリンピックで金メダルを獲ったら3世代レジェンドスイマーの誕生。きっとその子供もそうなるわ。子々孫々、ずっと金メダルを獲り続ける家系よ」
美沙は一瞬嫌な顔を浮かべるが、成長した娘の笑顔と、親子3人でメダルを手にする光景を思い浮かべると、みるみる笑顔になっていく。
「——悪くないな」
「でしょ」
美沙と麗子は、それぞれ娘の手を握り、笑顔を浮かべる。
リビングの窓の外では、夜空に三つの星が寄り添うように輝いていた。
その光はまだ揺らいでいたが、ゆっくりと、一つの星座を形作っているようだった。




