第12話「ファンクラブ再び」
寮の談話室は春季大会の興奮が嘘のように静まり返っていた。
壁にかけられた大型モニターは電源が落とされ、数日前まで熱狂的な応援メッセージで埋め尽くされていた電子掲示板も、今はただ時刻を静かに表示しているだけ。
「ふう、平和だね……」
千尋は自販機で買ったドリンクを軽く振りながらソファに腰を落とす。
朝の修羅場が嘘のように今は平和だった。
「ちっひろー」
「ん?」
「これこれ」
「またネットニュース?」
「そ! ほら見てよ、千尋ー」
明日香が突き出してきたスマホの画面には——
【“水の女王”と“太陽の女神” 公式カップルの休日デートに独占密着!!】
——という、少し大げさな見出しの記事が表示されていた。
「これって……」
記事に添えられているのは、先日のオフに撮られたと思われる写真の数々。
クレープを食べさせ合っているショット、明日香が千尋の腕に楽しそうに絡みついているショット、パフェをスプーンで「あーん」しているショット、軽くキスをしてるショット——。
どれも二人の親密さを強調するものばかりだった。
写真の千尋の視線は明日香に向けられているが、明日香だけはバッチリカメラ目線で、中にはウィンクしているものもあった。
「玲奈が言っていたのはこれのことかー」
「まあ、アイドルの宿命ってやつ? ファンサービス、ファンサービスー」
明日香はそう言って笑うが、その記事を読んでいたのは彼女だけではなかった。
「くだらない」
談話室の入り口。
腕を組んで立っていた玲奈が、吐き捨てるように呟く。
その手には、びっしりと書き込まれた練習日誌とタブレットが握られている。
「お疲れ、玲奈」
「あなたたち、よくそんな呑気な顔でいられるわね」
玲奈は二人の方へ歩み寄ると、自分のタブレットの画面を突きつける。
そこに表示されていたのは、ファンクラブが運営するSNSのタイムラインだった。
「見なさい、これ。『#公式カップル』『#ちひあす』。このタグで、あの日のデート写真が拡散されてるの。千尋が知らないうちにね」
「ほおほお、仕事が早いねー、ファンクラブは」
「調子に乗ってプライベート写真をこんなに許すから騒ぎなってるのよ。どうすんの、これ?」
「どうにもなんないっしょ。それよりもさー、玲奈ー」
「なによ」
「今気付いたんだけど、問題なのはコッチじゃない」
明日香が玲奈のタブレットにスッと指を滑らせると、別の投稿が現れる。
それは、ファンクラブ内の派閥、『推しのカップルは誰か?』——通称『推しカプ戦争』の再燃を告げるものだった。
【緊急アンケート! 白波最強カップリングはどっち?】
選択肢はこちら!
【♡千尋 × 明日香♡】
【♡千尋 × 玲奈♡】
「……は?」
「この話題さー、私と千尋が付き合い始めてからパタッとなくなったんだけど、なぜかなー、また再燃しるみたいだねー」
「……」
「なぜかなー?」
「……知らないわよ」
玲奈は少しうわずった声で投稿に目を向ける。
アンケートのコメント欄は、すでに熱を帯びた議論で溢れかえっていた。
『公式はちひあすだけど、献身的に支える玲奈先輩との関係性も捨てがたい!』
『練習中のあの阿吽の呼吸は、ただの親友じゃない!』
『いやいや、デート写真見た!? あの甘い雰囲気は本物!!』
『篠原先輩は最高。篠原先輩こそキャプテンの伴侶にふさわしい』
『関係者?』
『篠原先輩はキャプテンの全てを理解してる。結婚すべき』
『ちひあすが公式』
『認めない』
『数字が全てだって。ちひあす圧勝してる』
『陰謀、ねつ造、世論操作、賄賂』
『ちひれな信者は暗い』
『これを見て目を覚ますといい』
【(千尋と玲奈がキスしてる写真)】
『有名コラw元ネタはこれ』
【(千尋と明日香がキスしてる写真)】
『そっちがコラ。篠原先輩の写真が真実』
『信者ってこわーいw』
「……ばかばかしい」
玲奈はタブレットの画面を消し、深くため息をつく。
しかし、その耳はほんのりと赤く染まり、口角が少しだけ上がっていた。
「ふーん、へぇー、ほー、玲奈も結構人気じゃん。良かったねー」
明日香が面白がるように玲奈の肩を叩く。
「なにさ、あのキス写真は? え、ツンデレーナ?」
「知らないわよ」
「加工がうまいだよねー。まるで普段からパソコンをいじってそうな——」
「うっさいわね。なにが言いたいわけ?」
「んにゃ、なにもー」
「私はマネージャーよ。キャプテンとそんな風に見られると業務に支障が出る」
「でもさー……千尋はどう思う? 玲奈のこと」
「私?」
不意に話を振られた千尋は、少し困ったように笑った。
「玲奈は誰よりも信頼してる親友。明日香とは違うよ——」
その言葉に、明日香は満足げに頷き、玲奈は俯いて唇を噛んだ。
「玲奈は——」
「だよねー、大好きだよ、千尋」
千尋の言葉を遮って明日香が抱きつき、唇を重ね、すぐに離れる。
手刀を振りかぶっていた玲奈は肩透かしを食らう。
「守ったよ。キスは1秒、抱きつき5秒ってね」
「……それでいいのよ」
「ちっひろ♡」
「また、ん——」
「はい、1秒」
明日香がしたり顔で玲奈に振り向く。
「ま、こういうことだから。千尋は私がいいんだって」
明日香が勝利宣言し、千尋の腕に絡みつく。
「……」
玲奈は何も言わず背を向け、談話室を出て行こうとする。
「玲奈?」
千尋が呼び止める。
「……次の練習メニュー、考え直す。今のままじゃ、夏のインターハイで足元をすくわれるかもしれないから」
その背中は、マネージャーとしての責任感を語っていた。
その握りしめられた拳にはどんな感情が渦巻いていたのか——。
千尋も明日香も、玲奈自身さえも、気づいてはいなかった。
静かな寮の廊下。玲奈の足音だけが遠ざかっていく。
勝利の熱狂が去った静寂の中、友情の歯車は、きしむ音を立てて回り続けるのだった。




