第10話(下)「白波、翔ける水面 ― 笑う夜 、 そして朝へ ― 」
『——総合優勝、白波女子学園!』
館内にコールが響く。
会場の拍手が波のように広がり、選手たちの頬に光が反射する。
表彰台には4人の選手が整列していた。
中央にはキャプテン・堂島千尋。その隣に副キャプテン・朝倉明日香。
もう一方にはリレーのチームメンバー2人が並ぶ。
『代表、堂島千尋!』
呼び名の声と同時に、千尋が一歩前に出る。
両手でトロフィーを受け取った瞬間、歓声が一段と高まった。
それは祝福であり、敬意でもあった。
『おめでとうございます!』
表彰係が賞状を手渡すとフラッシュが弾け、テレビや配信サービスのカメラが向けられる。
千尋が軽く頭を下げると、マイクが向けられた。
『堂島選手、優勝おめでとうございます。今のお気持ちは?』
マイクの先で千尋は一瞬言葉を探し、それからゆっくり口を開く。
「嬉しいです。でも、それ以上に、みんなと泳げたことが幸せです」
『個人もリレーも圧勝でしたね。200m自由形ではご自身の持つ日本記録を更新しました。今日の泳ぎを振り返ってどうでしたか?』
「白波の名に恥じない泳ぎを——それが出来たと思います」
『この先の目標を教えてください』
「ここからさらに上を……白波が一丸となって、もう一段上を目指します」
アナウンサーが「見事なチームでした!」と声を上げると、場内の拍手が再び沸き起こった。
囲みのカメラがさっと引いていく。
観客席でその様子を見ていた玲奈はゆっくりと立ち上がる。
彼女の手元には、びっしり書き込まれた記録ノートとタブレット。
(これが私たちの舞台。その舞台に……その隣に、私も一緒に立ちたい——)
マネージャーは選手と一緒に壇上には立てない。
明日香のように隣に立ち、その瞬間の喜びを分かち合うことは出来ない。
しかし——その喜びは、誰よりも深いものがあった。
隣で美沙顧問が軽く口角を上げ、玲奈の肩に手を置く。
「篠原も頑張ったな。これはお前たち全員の勝利だ」
「はい……」
玲奈は静かに言い、ゆっくりと拍手を送る。
目の奥が熱くなり、胸が高鳴る。
それは勝利の感動なのか、明日香への嫉妬なのか、千尋への想いなのか——今の玲奈にはわからなかった。
***
試合の打ち上げ会場は宿舎の大広間。
長机に並ぶ料理の湯気、笑い声、照明の光。
トロフィーが中央に飾られ、その周りを囲むように部員たちが集まっていた。
「それじゃ——!」
美沙顧問がグラスを掲げる。
それは、短く潔い乾杯の合図。
「総合優勝おめでとう! だが満足するな! 私たちは白波! 道を開き続けろ!」
「「 はい!! 」」
「乾杯!」
「「 かんぱーい! 」」
グラスが一斉に鳴り、明日香が勢いよく立ち上がる。
「いっえーい! 総合優勝ぉぉぉー!!」
玲奈がすかさず注意の声。
「乾杯だけで立ち上がらない、まだ食前でしょ。イエロー一枚、と……」
「今くらいいいじゃん!」
「ふん。じゃあ優勝ボーナス取り消してあげる」
「ありがとうございますー、玲奈神様ー」
「そういうのはやめろって言ってるでしょ」
笑いと歓声が弾け、次々とグラスが空いていく。
千尋は少し離れた位置に移動し、その光景を眺めていた。
明日香の無邪気さ、玲奈のキツイ笑顔。
中等部と高等部が手を取って盛り上がり、拍手を送る姿。
その全部が、白波という旗の下にある。
千尋はジャージの胸に光る校章にひときわ畏敬の念を抱く。
「千尋ー、これこれ。さっきの表彰写真、さっそくアップされてるよ」
明日香のスマホにはスポーツニュースの記事が開かれていた。
〈白波女子学園水泳部 今年も無双の総合優勝! 堂島千尋選手 またまた日本新!〉
そこにはトロフィーを掲げる千尋の姿と、レース中の切り抜きが添付されていた。
「ずいぶん早いね」
「なんたって白波! 日本新だからね!」
「日本新、か……」
「ほらこれも! うちらのレースと千尋の写真のPV、すごいことになってんよ!」
動画配信サービスではドラマやアニメを押さえて競泳動画がランキングトップになっており、SNSに上げられた写真や動画は軒並みバズっていた。
学生の一大会であっても全国ニュースになり、動画配信サービスでは実況付きで生配信される時代。
それは、オリンピックで4冠を成し遂げ、国民栄誉賞を受賞した白波美沙が切り開いてきた歴史であり、白波女子学園が作り上げてきた成果でもあった。
「ほら、これなんか——」
「わかったから落ち着こう。スマホを見るのは後でも出来るし」
「そうだね。おーい、シオリンもこっち来て一緒に食べようー!」
「え、キャプテンたちと?」
「チームで一緒に泳いだ仲じゃん。一緒に飲もーよー」
「それじゃ……」
シオリンと呼ばれた2年生が明日香の隣に座る。
千尋は緊張している後輩に笑顔を向け、ねぎらいの言葉をかける。
「藤原さん、今日はお疲れ。あらためて、平泳ぎ2冠おめでとう。すごかったよ」
「ありがとうございます。キャプテンたちの陰になっていたので、そう言って貰えると嬉しいです」
「もっと胸を張っていいよ。藤原さんも白波の顔なんだから」
千尋は後輩のグラスにジュースを注ぎ、改めて二人で乾杯をする。
「私にも今度平泳ぎのコツを教えてよ。メドレーももっと速くなりたいんけど、ちょっとスランプでさ。藤原さんは教え方も上手いし、お願い出来ない?」
「わ、私がキャプテンにですか!? む、無理です!? 私なんか——」
「藤原さんは才能もあってすっごい頑張り屋さん。私は尊敬してるし期待してる。だからさ、そんなに謙遜しないで一緒に頑張ろう、ね」
「は、はい! キャプテンの為にこの命を捧げる覚悟で——」
藤原がビッと立ち上がって軍人のような敬礼をするのを見て、背後から明日香が絡みつくように肩を組む。
「シオリンは固すぎー。ま、そこが可愛いんだけどねー」
「ちょ、副キャプテン——」
「ねえ、シオリーン」
「なんですか?」
「シオリンも……千尋、狙ってるの?」
「へ?」
「ときどきさー、千尋を見る目がやたらキラキラしてるんだよねー」
「……キャプテンは我が校の誇りです。当然、私も尊敬してます」
「それだけ?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、千尋の水着の匂いを嗅いでるのはなんで?」
「——は?」
「知ってるよー。いつも洗濯かごにある千尋の水着で——」
「わーわーわーわー!!」
「あははは! シオリン慌てすぎー」
後輩をからかう明日香を見ながら、千尋は『また悪い病気が出た』とため息をつく。
そして、笑いが止まらない明日香の背後に大きな陰が現れる。
「バカ明日香! なんでいつもいつもあんたはそうなの!」
「げ、うっさいのが来た」
「あんたはなに? 後輩をいびらないと死ぬ病気にでもかかってるの?」
「いびってないって。私は真実を語り、愛を守る恋の奴隷。ライバルには牽制を——」
刹那、玲奈の手がフッと消える。
「っでぇ!?」
必殺の手刀が明日香の脳天に直撃する。
「この馬鹿がごめんなさい。こいつは私が引き受けるから、千尋とゆっくりしてて」
「あ、すいません、はい……」
玲奈は明日香を引きずってマネージャー組の輪に入っていく。
「明日香がごめんね。何度言っても治らない悪い病気だから許してあげて。私からもまた言っておくから」
「……大丈夫です。副キャプテンのあの言動にも、最近少しは慣れてきましたから」
「そう? ところで——」
「はい?」
「私の水着、珍しかった?」
「!?」
「私だけ何回も水着が支給されるからね。素材とか形状とか相当こだわってるみたいだし、藤原さんも気になるんだよね? 実家がスポーツ用品店だもんね」
「は、はい。その、素材とか、形状とか……に、におい、とか——」
「実際に着ているときとか、泳いだ直後の方がもっとよくわかると思うよ。確認させてあげるからさ、休憩中にでも声かけてよ」
「キャプテンが着ているときに、に、匂いを————」
その光景を想像した2年生は、天を仰ぎ、恍惚の笑顔で倒れ込む。
「ちょ、藤原さん!?」
「藤原先輩、どうしたんですか?」
「あ、水瀬さん」
「具合が悪いようなら私がみてましょうか? 静かなところで付き添ってます」
「運ぶの手伝うよ。藤原さん、ちょっともうろうとしてるみたいだし、水瀬さん一人じゃ危ないから」
「ありがとうございます」
千尋と水瀬(1年生マネージャー)は、藤原をそれぞれの肩に担ぎ、部屋の隅に移動させる。
「藤原先輩、どうしたんですか? お酒でも飲みました? 飲み物は何度もチェックしたはずなんですけど……」
「うーん……もしかして、私の水着のせいかな?」
「キャプテンの、水着?」
「うん。私の水着に興味があるみたいでね。洗濯かごにある私の水着をチェックしてたらしいんだけど——」
「……」
「そんなことしなくても、練習中に確認させてあげるって言ったら——」
「殺す気ですか」
「え?」
「あ、ご、ごめんなさい! つい! 失礼しました!」
「水瀬さん、理由がわかるの?」
「はい、わかります、痛いほど。そんなご褒美——んん、いえ、そんな提案をされたら、誰だってこうなります」
水瀬は同情するような視線を藤原に向ける。
「藤原先輩は大丈夫です。キャプテンはみんなのところに戻ってあげて下さい。副キャプテンの視線も痛いので」
水瀬はジュースで盛り上がっている一団に顔を向ける。
そこでは玲奈が般若の様子で怒声をあげており、明日香はそれを無視するようこちらを——千尋の方をじっと見ていた。
「明日香も玲奈も、なにやってんの……」
「全部キャプテンがらみですよ。ここはいいので、早く副キャプテンのところにどうぞ」
「ごめんね。なにかあったらすぐに呼んで。二人を押さえ込んででも、すぐに水瀬さんの元に駆けつけるから」
「……はい」
千尋は水瀬の両肩に手を置き、しっかり念押しして明日香たちの元に向かう。
「……キャプテンの手。大きくて、すごくあったかい……」
水瀬は両肩の感触を確かめ、うわごとをつぶやき続ける藤原の顔を見る。
「千尋さんの、にお、い——」
「私以外にもやってる人、いたんだ……」
水瀬は先輩である藤原の手を握り、一方的な仲間意識を持つのだった。
打ち上げはその後2時間も続き、明日香と玲奈の喧嘩を千尋がなだめるという光景が延々と繰りかえされたという。
***
翌朝、宿舎前。
朝日を浴びたバスが並び、白波の選手たちが整列している。
玲奈が点呼を取り、名簿を確認していた。
「全員そろってます。忘れ物もありません、顧問」
「了解。キャプテン、締めて」
「はいっ!」
千尋が一歩前に出て、胸を張る。
「春季大会、お疲れ様でした! 明日からまた、気合い入れて頑張ろーっ!!」
「「 おーっ!! 」」
バスのドアが閉まり、ゆっくりと発車する。
窓の外に映る会場が遠ざかっていく。
千尋は大きく息を吐いてシートにもたれ、静かに思う。
(勝って、笑って、さらに高みへ。これが、私たちの白波のスタイル——)
バスの中では明日香が早速はしゃぎ、玲奈がそれを制し、美沙顧問が笑う。
千尋たちは、白波女子学園へ舞い戻る。
白い波を纏うバスは、ふたたび日常へ。
世界に通用する女性を育成する。その理念の先に、次の波が待っている——。




