第8話「春季大会開幕! 白波魂、初日から全開!」
バスが到着したのは午前10時ちょうど。出発から4時間半後だった。
白波学園一行を乗せた二台のバスが、県立アクアセンターの駐車場に入る。
青空の下、まるでガラスの城のように輝く水の聖地がそこにあった。
「着いたぞぉぉぉおおお!」
「うるさいバカ明日香、叫ぶな。恥ずかしいのよ」
「いやいや、つい叫んじゃっても仕方ないって」
「はぁ?」
「なんでこんなに大移動しなきゃならんのさ? お尻ちょー痛いんだけど」
「バカなの? 試合するために決まってるじゃない」
「うちで試合すれば良いじゃん。めっちゃ広いし観客席付きよ? おかしいじゃん」
「不公平なの。そんなことしたらうちが有利すぎるでしょ」
「どこでやっても同じだと思うけどねー。うちら強いし、結果なんて変わらないって」
「そういう問題じゃないの。学生の大会なんだから——って、毎年同じ会話してない?」
「してるね」
「イエロー1」
「理不尽!?」
「業務妨害よ。はいみんな、荷物出して!」
「「 はい! 」」
明日香の叫びに玲奈が即ツッコミを入れ、部員たちが笑いながら荷物を下ろしていく。
荷物が整理され、流れるように部員達が整列する。
そして美沙顧問が腕時計を見て声を張った。
「よーし、全員聞けー。昼食は11時半、12時半から公式練習だ。わかったな!」
「「 はい! 」」
即答が返る。
千尋は小さく頷きながら、明日香の肩を叩く。
「明日香、緊張してる?」
「ドウシテソウオモウノデショウカー?」
「わかるよ。明日香のこと、私がわからないと思う?」
「千尋だって、そうじゃないの?」
「うん、明日香と一緒」
「玲奈の鉄の心臓がうらやましいよねー。めっちゃいつも通りだし」
「本当にね。代替わりして初めての舞台なのに、玲奈はすごいよ。私なんてほら」
千尋は右手をグッパして明日香の手を握る。
「……濡れてるね。一緒だ」
「うん、濡れてる。ちなみに背中もだよ」
「ホントだ。ちょとブラ透けてる」
「変なこと言わない。それにそれ、ブーメラン発言」
「お互いスケスケのドスケベ痴女だ」
「……キャプテンの肩書きがこんなに重いなんて思わなかったな。亜美先輩のすごさを痛感するよ」
「亜美先輩は熱いくせにクールビューティーという変人だったからねー」
「亜美先輩も、真先輩も、里奈先輩も——やっぱりすごかったんだって実感してる」
「私たちもああなりたいもんだね。後輩に誇れる先輩ってやつ」
「だね。頑張ろう」
「新学期が始まって一ヶ月も経ってないのによくできてるよ、千尋はさ」
「明日香もね」
「ありがと」
「うん、こっちもありがと」
二人は両手を握って抱き合い、お互いを称え合うが、そこにするどい視線が突き刺さる。
「はい、5秒。離れなさい」
「今ぐらいいいじゃん」
「着いて早々いちゃつかない。千尋もホイホイ受け入れない」
「そうだね、ごめん。キャプテンの責任を全うするよ」
「そうして。淫獣は森に返せばいいのよ。勝手に生きるでしょ」
「いや、森なんてないっしょ。見渡す限りコンクリと建物よ?」
「ああ、困ったわ。じゃあこれを持って。筋肉バカなんだから余裕よね?」
玲奈は自分と千尋のバックを指さし、鼻を鳴らす。
「千尋の分はともかく、なんであんたの分も持たなきゃならのさ」
「あんたと違って私は沢山の仕事があるの。文句言わずに運びなさい。レッド喰らわすわよ」
「職権乱用じゃね?」
「正当な権限行使よ」
「明日香」
「……ま、千尋に免じて持ってあげる」
「よろしく」
「中身の保証はしないけど」
「イエロー1、と。これで32個目ね」
「あ、いつの間にか30の大台突破してたわ。千尋ー、お祝いはー?」
「おめでとう。ほら行こう」
「あっさりすぎない?」
「くだらないことで増やしてもご褒美なんかないよ」
「あーあ、ツンデレの逆ギレのせいでご褒美もらいそこねたじゃん。アホ玲奈」
「ふん。どうせキスしてとかデートしてとかでしょ」
「いんや。千尋の処——でっ!?」
丸く絞ったノートが明日香の頭蓋に炸裂する。
「名簿名を『朝倉淫獣』にするわよ。バカ言ってないでさっさと動きなさい」
「つぅー……。いつかこの恨みは晴らすからな、ツンデレーナ」
「変なあだ名を付けるな、淫獣明日香」
「そっちも十分ひどくね? ツンデレーナ?」
明日香と玲奈の間にバチバチしたものが迸るが、そこに千尋がさっと割り込む。
「明日香も玲奈もそこまで。ほら、みんな待ってるし、私らが率先して動かないと」
「だそうよ、バカ明日香」
「そうだね、アホ玲奈」
「はいはい、いくよ。明日香は玲奈のバックも持って。私は自分のバックは自分で持つから。ほら行くよ」
「了解でーす、キャプテン」
こうして、千尋たちはそれぞれのバックを持ち、会場に向かい始める。
***
千尋たちが控え室に入ると、すでに他校の選手たちがストレッチを始めていた。
全国常連校の姿もちらほら見えるが、白波女子学園の面々が入室したとたん、室内にピリッとした緊張が走る。そしてその視線が一斉に千尋達に向けられ、ざわめきが起こる。
「白波だ——」
「堂島千尋さん、やっぱりオーラある——」
「朝倉もいるし藤原もいる。今年も白波一強か——」
ざわめく室内をよそに、千尋たちは割り当てられたスペースに荷物を置く。
そして玲奈はスケジュール表を片手に説明を始めた。
「千尋、アップは14時の第3レーンよ。リレー組はそのあとに軽く合わせを入れるわ」
「わかったよ、玲奈」
「あと、部員全員の弁当チェックも完了してるし、体調確認とアレルギー報告も提出済み」
玲奈が確認事項をつらつらと延べていると、しかめっ面の明日香が口を挟む。
「完璧すぎて怖いんだけど」
「あなたたちが泳ぐ時点で“完璧”じゃなきゃ困るでしょ」
「なんかストーカーっぽいんよ」
「それは褒め言葉ね。ストーカー並に部員を把握してるということだから、チーフマネージャーとしては誇らしいわ。ありがとう、明日香。続けるけど——」
「……千尋。玲奈のやつ、危ない薬でもやってるんじゃないの?」
「ないから。玲奈は普通にすごいだけ。そして自分の仕事に誇りを持ってる。それだけだよ」
「かなー?」
「だよ」
千尋と明日香のやり取りをよそに、玲奈は部員全員に伝わるように説明を繰り返していく。
その様子はやり手のキャリアウーマンのように見え、千尋は玲奈の成長ぶりに驚き、尊敬の念を抱くのだった。
***
そして夕方。
大会前日特有の静けさがプールに降りていた。
水面が黄金色に揺れ、天井の光が差し込んでいる。
千尋はスタート台に立って腕をぐっぐっと組み、次に腰を曲げてストレッチをする。
その隣のレーンでは、明日香が水中から顔を出して笑っていた。
「なんか本番っぽくなってきたねー」
「だね。いよいよって感じ」
「勝ったらなんかご褒美くれる?」
「またそれ?」
「モチベーションは大事だって」
「じゃあ……勝ったら、明日香の好きなとこ、三つ言ってあげる」
「え、マジで!? やる気1000倍出た! 優勝間違いなし!」
「うん、頑張って」
玲奈が後ろで記録ノートを閉じ、二人に声をかける。
「タイムも感覚もいいわね。明日香、明日は“前菜担当”らしく、勢いでぶっ飛ばしなさい」
「前菜はよけーだって」
「とにかく、メインディッシュが最高になるようにしなさい」
そのやり取りに千尋は肩をすくめて静かに笑顔を浮かべるが、その瞳には揺れる水面が写っていた。
プールの反射光が彼女の頬を照らし、揺らぎを作る。
スタート台に立ちって水面に顔を向ける姿は、ただの高校生には見えなかった。
水面に映るのは、全国を狙う“白波のエース”の顔。
(水はいつも通りそこにある。大丈夫。明日香、玲奈……みんなで勝とう——)
千尋はスタート台を蹴り、プールの水を裂くように身を潜り込ませた。
夜の静けさと選手の声の中、水を割る音がプールに響く。
その音は、戦いの幕開けを告げているようだった。




