第5話『記憶の石、言葉の芽』
ある朝、ルナは平らな石板をいくつも並べて、村の子どもたちを呼んだ。
「今日は狩りでも農作業でもない。でも、すごく大事なことをするよ」
子どもたちは首をかしげながら、ルナのまわりに集まった。ルナは木炭を取り出し、石板に絵を描いた。
一つ目は、弓を持った獣人が鹿を追いかける姿。
二つ目は、水が湧く泉に手を差しのべる姿。
三つ目は、焚き火の上に鍋を置く場面。
「これは“狩り”。これは“水”。これは“火”。意味があるんだよ」
子どもたちは歓声をあげた。「絵だ!」「狩りだ!」と、指を差し合う。
「これは“言葉を残す”方法。話すだけじゃなく、こうやって石に、木に、布に……思いを刻むんだ」
その日、ルナは“絵記号”の基礎を教えた。
それは象形文字のようなもので、「病」は倒れた獣人の絵、「星」は夜空にひとつだけ光る印だった。
日を追うごとに、子どもたちの記号は増えていった。
そして彼らの言葉も増え、物事を「見えないまま伝える」ことができるようになっていった。
その様子を見ていた村長グランは、深くうなずいた。
「……言葉が残ることで、命がつながる。火と同じだな。誰かが火をおこせば、他の者もあたたまれる」
その言葉に、ルナは微笑む。
「そう。知識は火と同じ。一人が灯せば、村を照らせる。たくさんの手に渡れば、夜を越えられる」
夕刻、古老ヤファが教室を訪れた。
石板を見つめ、しわの深い顔に驚きが浮かぶ。
「これは……神の言葉ではないのか?」
「いいえ」ルナは首をふる。「これは、私たちの言葉。私たちが考え、残し、育てていくものです」
ヤファはゆっくりとうなずいた。
「ならば、これは“火を盗んだ狼”の再来かもしれぬな……かつて、神から火を奪い、民に与えたという」
その夜から、村の子どもたちはルナを「火の狼」と呼びはじめた。
新たな記号は、狩りの成果、病の記録、雨の日、井戸の水量など、あらゆる情報を蓄積していく。
文字が生まれ、言葉が村を変えていく。
言葉は、もはや声だけではなかった。
静かな石の上に、記憶と祈りが宿る時代が始まっていた。