第1話『未開の村、目覚める知性』
目を覚ました瞬間、ルナは自分の身体に違和感を覚えた。
腕に薄く生えた灰色の毛、尖った耳、揺れる尾……まるで動物のようだった。
(これは……転生?)
彼女はかつて、日本の大学で教鞭を執っていた歴史学者。文明の発展と衰退、制度と文化、戦争と平和の流れを愛し、古代文字から農耕技術、政体の変遷に至るまで膨大な知識を抱えて生きてきた。
目の前に広がるのは、木と石で作られた簡素な集落。人々は腰布一枚で暮らし、焚き火で煮炊きをし、狩猟とわずかな採集で命をつないでいる。
そして、彼ら――獣人たちは、文字を持たず、数も石で数えるだけだった。
「これは……鉄器以前、いや農耕文明の初期レベル……!」
ルナは驚きと興奮を隠せなかった。学者として、これ以上のフィールドはなかった。だが、同時に思った。
(このままでは、この村はいずれ滅びる)
病や飢え、他部族の襲撃。脆弱な社会構造のままでは、持続可能ではない。
ルナは考えた。そして決めた。
「この村を、文明に引き上げる。私の知識で――もう一度、歴史を始めよう」
最初に着手したのは暦の導入だった。
村では、季節の変化を感覚でしか捉えていなかった。彼女は太陽の影を測る「影時計」を作り、満ち欠けによる簡易暦を編み出す。
「この杭と板を見て。影の長さが一番短い日を“夏の始まり”とするの。年の巡りが分かれば、作物も狩りも、もっと効率的にできる」
次に始めたのは、記録の仕組み作り。
木片に刻む「線と点」で物や数を記録する表記法を提案した。まだ文字とは呼べないが、情報の蓄積には十分だった。
「ここに『食料3』、こっちは『病人2』……こうすれば、物や人を管理できるようになる」
最初は戸惑っていた村人たちも、少しずつ彼女の話に耳を傾け始めた。
村長・グランも言った。
「おぬしの言葉は難しいが……“石を使わずに数える方法”、確かに便利だ」
ルナは子どもたちにも「石板で遊びながら覚える」記号遊びを教え、知識を楽しむ空気を作った。
だが、転機は突然訪れた。
雨季に入り、備蓄の乏しい村が飢えかけていたのだ。
「……今ある土地のうち、南側は水はけが良い。そこに豆類を植えれば、根粒菌が土を肥やす。雑穀と交互に植える“輪作”で、次の収穫を安定させられるはず」
ルナは土を手で掴み、村人たちに説明した。
やがて彼女の知識は「実り」となり、わずかだが空腹をしのげる作物が収穫された。
「ルナのおかげで、わしらは冬を越せる」
その晩、焚き火の前で老いた村長が言った。
「この村に来てくれたのは……神の導きかのう」
「違います。ただの……歴史オタクです」
笑いながら、ルナは頭を掻いた。
だが心の中には、確かな自負があった。
(歴史とは、過去を知ることではない。未来を築くための知恵だ)
少女は決めていた。
ここから始まる新たな歴史を、誰よりも美しく編み上げてみせる――と。