【短編】初夜で白い結婚を提案されたので、明日から離縁に向けてしっかり準備しますわ
「すまない、エステル。遠征があったとはいえ結婚を早めたのは僕の落ち度だ。……君……を……愛するのは難しい……。三年……そう三年。その時に……君に瑕疵が付かない形で……っ、別れよう」
「──っ」
初恋だった。
ずっと騎士として戦ってきたアレクシス様が好きだった。大好きな人からのプロポーズに、私は浮かれていたのだ。プロポーズ後、僅か半年で結婚式というのは急だったのだけれど、それは婚約発表後に魔物大量発生により、夫となるアレクシス様が騎士団長として遠征に出ることが決定したからだった。
「戻る居場所を作りたい」と言う理由で、半年後の遠征前に結婚式を行うと言う過密スケジュールに。
結果、アレクシス様と会う機会もないまま結婚の準備だけが着々と進み、そして明後日が結婚式と迫った日。
神々の施された奇跡によって歴代勇者と呼ばれた英魂たちが顕現し、一騎当千の力を持った彼らが魔物の大行進を退けた。
これは王家が一か八かで行った術式が、成功したからこその奇跡だった。失敗する可能性もあり、関係者以外は極秘だったとか。兎にも角にも、死傷者ゼロで今回の騒動は収まったのだ。
そう騎士団の遠征も、魔物討伐もなくなった。精々、魔物の死体処理などの対応ぐらいで、喜ばしいことに危険度はグッと下がった。
だから結婚式も大勢の人たちに祝福され、私自身もこれからアレクシス様と一緒に過ごせると──思っていた矢先に、白い結婚と離縁を言い渡された。
(天国から地獄だわ……)
アレクシス様は一方的に言うだけ言って、別室に行ってしまわれた。
褐色の肌に、癖のある長い黒髪、空色の美しい瞳の偉丈夫。彫刻のように整っているため、表情が乏しい彼は一見すると怖いという印象を持つが、時々口元を綻ばせる姿がとても素敵だった。
文武両道かつ騎士団団長でありながら、インク好きで私の経営している工房に足を運んでくださっていた。
私は子爵家の次女で、一族は全員商人あるいは工房を立ち上げて運営などをして、手に職を持つか、貴族と縁を結ぶための結婚つまりは政略結婚を選ばされる。
幸いにもアレクシス様は侯爵家の三男ではあるものの、騎士団長としてすでに騎士爵をもっている。騎士爵は功績のある人物に一代限りの称号ではあるが、貴族には違いない。
そんな彼と親しくなったのは、彼が頻繁にインクを買いに工房を訪れたからだ。魔物の生態を書き記すこと、絵を嗜んでいるなど手帳を見せて貰って、さらに仲良くなった。
使っているインクは黒1、ブルー2、ピンク2を使った宵闇だった。これは私が初めて調合した色合いだ。
それが嬉しかった。
手帳に書かれた魔物の特徴や爪や攻撃パターン、弱点などから全体図も事細かに描かれていて、素晴らしく「出版してみては!?」と何度も言ったことがある。
それが功を奏したのか、魔物生態図鑑は国王及び他国からも称賛を受けた。今では冒険者ギルドや商人などから絶賛されている。
魔物の生態、その対処や弱点などの記載もあるので、冒険者や傭兵、兵士たちの生存確率がぐっと上がったのも大きい。
今回の大規模な遠征や、魔物の脅威が消えたことで、「魔物生態図鑑の2冊目の出版対応を優先するように」と、国王陛下から命令が下った。これは私との結婚も考えて、二人の時間を作るように慮ってくださったのだろう。
結婚式での発言に感謝していたが、アレクシス様の【白い結婚と離縁】で、その命令した意味が私の中で変わった。
私ならアレクシス様の心を煩わせずに、魔物生態図鑑の執筆に尽力すると思ったのだろう。それは確かに間違いではない。
でもそれなら、結婚までする必要はないのでは?
そうも思うが、予想以上にアレクシス様は未婚のご令嬢に人気だった。
魔物生態図鑑の作者としてさらに人気が出たことで、群がる令嬢たちに辟易していたこと。特に自分よりも爵位が上の令嬢をあしらうのは骨が折れるとか、工房に来て愚痴を言っていたのも覚えている。
またデートやら劇場、ボートやお茶会などの時間にも苦痛だと。
諸々の理由があってアレクシス様は、一番楽な相手として私を選んだのだ。日常生活で邪魔をしない都合の良い結婚相手。
「……っ、浮かれて……馬鹿みたい」
その日、初めて声を押し殺して泣いた。
どうしてこのタイミングで、そんなことを言うのかと。それならプロポーズする段階で、契約結婚だと、白い結婚だと言ってくれれば、ここまで期待はしなかった。
本気で愛してくれていると思っていたのは──私だけだったのだ。
悲しかったし、自分の浮かれ具合を恥じた。
こんな形で結婚するぐらいなら、片思いのまま今までの関係でいたかった。
もうアレクシス様がインク工房に訪れることも、王都で有名な茶菓子を受け取り魔物生態図鑑のページを見せて貰うことも、新作のインクの感想を聞くこともないのだ。
あの時間が一番好きだったのに。
(私……思っていた以上に、アレクシス様が好きだったんだわ)
それから明け方まで泣き続けて、宵闇を照らす朝焼けの淡い色合いを見て涙を拭った。橙色、いやオレンジ色よりも赤みがかった色合いが宵闇を明るく染めていく。
ふと自分の着飾った下着に視線を落とす。
今日のために侍女のメアリーが頑張ってくれた薄手の下着をムダにしてしまったと、申し訳ない気持ちが生じたが、もう涙は出なかった。
(三年で離縁するのなら、工房からの発注を以前よりも増やさないとダメね)
結婚より前から工房拡大の話が出ていたのだが、支店を出すことで仕事が忙しくなるのことや品質管理などインクの質を落としたくなくて、躊躇っていたのだ。
結婚後も工房の運営は続ける予定だったが、屋敷の管理などもあるので、数年間は発注は少なくする予定だった。
しかしここ最近、隣国の魔法国では私の作ったインクが、スクロールによく馴染むらしく大量発注をしてくれている。
大魔法使いユーグ様は大変な変わり者──感覚や価値観が普通の人と異なるのだが、魔法や魔法術式をこよなく愛していて、たまにふらっと現れては、何時間も魔法術式について語ってくれる大事な友人だ。
話をすることで、どのようなインクが必要なのかが分かる。だから来店客には、時々食事やお茶を出して話すこともあった。結婚すると言ったときも、個人的にインク発注の依頼をされた時は驚いたけれど。
(嬉しいことに私の作るインクを好いてくれている客層はいる。大量発注よりも付加価値を付けて、受注発注しつつ他国を拠点にこじんまりした店を出すとするとして、必要な資金は──)
最悪、離縁することで肩身の狭いをする可能性を考えて、他国に拠点を移すのは良いのかもしれない。それでなくともアレクシス様と結婚すると決まった段階で、嫌がらせなども多かった。結婚して以降も続くかもしれないのなら、この国で商売を続けるよりも、心穏やかな場所を確保したい。
(アレクシス様と夫婦になるのなら、嫌がらせにだって立ち向かう……なんて、思っていたのに……)
アレクシス様のあの一言で、私の心はポッキリ折れてしまったのだ。今まで嫌がらせや陰口を耐えてこれたのは、アレクシス様に愛されていると思っていたからであり、維持していた天秤が崩れてたからに他ならない。
翌日。
朝食の時間に、私は工房に戻るために動きやすいドレスに着替えた。瞼が腫れてしまったけれど、侍女のメアリーが氷水で冷やしてくれてメイクでなんとか誤魔化してくれた。
「私の可愛いエステル様にソンナコトを言ったのですか!?」と、私の代わりに怒ってくれたメアリーの気持ちが嬉しい。子爵家から付いて来てくれて本当によかった。
食事の部屋に向かうと旦那様──アレクシス様は新聞に目を通していて、少しだけ胸が痛んだ。
「ああ、おはよう。エステル」
「おはようございます」
静かな朝食。カトラリーの動かす音だけが響く。
「エステル、今日は時間があるだろうか」
その言葉に、胸がグシャリと潰された感覚に陥る。あれだけのことを昨日言っておいて、どうして一緒の時間を取ろうとするのか。
傷口に塩を塗られた気分だった。淑女の笑みを保ちながら微笑んだ。
「申し訳ありません。今日から予定が詰まっております」
「今日から? 工房に急遽発注でも? それとも何か問題が?」
心配そうにする姿に、ブチンと何かが切れた。
「アレクシス様が『白い結婚及び三年後に出て行け』とおっしゃったので、今後の方針も含めて工房の者たちと相談する予定ですの。アレクシス様はどうぞ、ご自分の執筆に勤しんでくださいませ」
「は?」
かしゃん、とアレクシス様はナイフとフォークを皿の上に落とした。執事長や侍女たちも心底驚いていた。けれども私は気にせずに、しっかりと料理を味わったのち、退席した。
終始アレクシス様は固まっていたが、私の提案に何か問題があったのだろうか。それとも今後、インクの購入に対して不安なのであればそこは商売なのでしっかりと定価で買っていただけるのなら、顧客として対応するつもりだ。
長いようで短い三年。
私は今後の身の振り方を考えて、即座に行動に移すのだった。
***
初恋だった。
幼い頃、子爵家のお茶会でエステルは令嬢や子息それぞれに、イメージしたインクをその場で作ってプレゼントするというパフォーマンスを見せていた。
物珍しさと、物作りとして有名な子爵としては宣伝なども兼ねたお披露目はよくするので、貴族間でも有名だった。
僕には宵闇という色で、宵闇よりも青みがかった色合いがとても美しく見えた。なにより一人一人説明をするエステルの笑顔がキラキラ輝いて、一目で見惚れてしまった。
そんな彼女と接点を持つためにも、ノートを購入してみたが書くことがない。乳母兄弟のローレンに「エステルの素晴らしいところを書き記すのはどうか」と相談してみたのだが、「エステル様に、どのようにインクを使ったのか聞かれたら、その言葉をおっしゃるつもりですか? 正直言ってドン引きされる可能性が濃厚かと」と言われて断念。
仕方なく自分の日常のことや、魔物退治……特に魔物の特徴など今後のために書き記すことが増えた。
エステルがいる工房は、癒しそのものだった。煩わしい令嬢のような自慢話や下世話な噂などなく、インクと手帳の内容、僕の話を楽しそうに聞いてくれて、時々お茶や彼女の作った菓子を食べる時間は至福だった。
だから騎士爵位を得た時に、プロポーズをしたのだ。彼女の顧客は大物が多く、その上気難しいことで有名な隣国の魔法使い、王妃、図書舘長、王都の人事部室長……。
彼女を買っている人間はかなり多い。だからこそ、さまざまな理由をつけて結婚を早めた。それが英魂の術式が成功したことで一変。あの術式が完成したのは、エステルのインクによる功績が大きいのだ。
それもあり本当に自分が夫でいいのか、彼女の栄光ある未来を潰してしまわないか。彼女は僕を本当に好いているのか、不安になってしまったのだ。
それは結婚前日、工房で隣国の魔法使いとのやりとりをたまたま見た時だった。
僕が座る場所と同じスペースで、お茶を出して話をする二人の姿を見てしまった。どちらも楽しそうで、自分だけがエステルとあの時間を共有していると勘違いしていた。
エステルは魔法使いや、王妃や他の相手でも笑顔で話を聞いていた。それを見たら、ろくにデートもせず自分の話ばかりをする自分は顧客ではあるものの婚約者として、彼女に何をしただろうか。
贈物はしたが、華美なものは好まないからと宝石よりも、髪を束ねる櫛や髪飾りなどだ。
彼女の何が好きで、嫌いかも聞いていたはずなのに、もっと婚約者としてできることがあったのでは? と結婚前日に後悔ばかりした。
そしてこんな気持ちで結婚して彼女に触れるのは、不義にあたるのではないか。
エステルに好いていてほしい。だから三年猶予を欲しい。自分を選んで欲しい。それまでは白い結婚をして、自分を選ばなかった時…………手放させるように──そう望んだのに。
どうしてこうなった??
「坊ちゃま。何をどうすれば恋い焦がれた初恋の相手に、『三年で出て行け』などと人格を疑うような最低クソ野郎な発言をしたのですか? 事と次第によっては──」
「まてまて! 違う! あれは僕のことを三年で好きになれないのなら、離縁も受け入れると……」
「はぁ。アレクシス様のことですから、大方緊張で肝心なところを言えず、拾えた単語を結びつけた結果、『君を愛するのは難しい。三年そう三年。その時までに君が僕を好きになれないのなら、君に瑕疵が付かない形で……っ、別れよう』的な感じで奥様には聞こえたのでは?」
「……そうかも知れない。彼女があまりにも魅惑的な姿で……襲わないようにするのに必死だったし……」
すでに色々やらかした後だが、執事長とローレンの言葉に、へたり込む。
「旦那様、発言をよろしいでしょうか?」
「スザンヌか、いいだろう」
スザンヌは侍女長を務め、エステルが嫁ぐに当たって一番傍に居た人物でもある。四十過ぎで侯爵家の侍女長をしていたが、この家に着いてきてくれた。私が国王陛下から下賜された屋敷の管理全般を任せている。ゆくゆくはエステルが担ってもらうのだが、すでに逃げられそうだ。死にたい。
「エステル様はご令嬢としての教養も、人としても素晴らしい方です。そして三カ月ほど侍女メアリーと交代制で、エステル様の工房での仕事も見てきました」
え、なにそれ聞いてない。しかも僕よりも一緒に居る時間多くないか?
「結果から申し上げて、エステル様はかなりおモテになります」
知っている。だから結婚を急いだんじゃないか。
「旦那様を好いてくださっていることが奇跡と言ってもいいかと。特に魔法使いユーグ様が本気を出せば、今すぐにでも奪われてしまいますわ」
「ぐっ……」
凹みに凹んだが、そこでスザンヌの「旦那様を好いてくださっている」という言葉が聞き違いかと固まった。
は?
え?
好き? 好いている??
いや、好きとは言ってくれていた。信じていた。
何よりプロポーズをして遠征に行くまでの間は、良い感じだったのだ。しかし結婚のスケジュールをぎゅうぎゅうに入れてしまったこともあって、一緒の時間を取ることも難しくて、前日の工房での姿を見て、どんどん自信が喪失していった。
工房で他の人たちと話すエステル様を見て、楽しくしているが自分だけじゃないと知って不安になって、営業トークじゃないのかと。
「好いている? 僕を?」
「じゃなきゃプロポーズを受けないでしょう?」
「しかし……プロポーズから半年も時間が取れなくて、エステルも不安になって、愛情も目減りしてしまう可能性も……」
「あのエステル様が? あり得ませんね。毎日旦那様のことを楽しそうに話していましたのに」
ええ……僕、聞いてないけれど?
それとも忙しすぎて聞き流していた??
「他にどう見えるのですか? さっさと工房に行かれたほうが良いかと」
「それはそうだが」
「先日の結婚式で、ユーグ様は今日にも我が国を出るらしく午前中に工房に寄るという情報が」
「ローレンツ、すぐに馬の準備を」
「承知しました」
***
工房ではインクの販売を手がけてくれている商会リチャードと、魔法使いユーグ様がいた。工房は私が結婚を機に発注を減らす話をしていたので、その最中調整でリチャードと交渉するつもりだったらしい。
ユーグは金髪碧眼の綺麗な人だ。口調が独特で極度の人見知りかつ意思疎通が少し特殊なのだが、悪い人ではない。そうちょっと変わっているだけ。
対してリチャードは人の扱いに長けた薄紫色の髪に、紫色の瞳で整った顔立ちで常に笑顔だ。そんな彼は私の姿を見た途端、「助かった」と笑顔になった。いやもしかしたら一緒に来ていたメアリーを見て歓喜したのかもしれない。
メアリーとリチャードは恋人なのだ。
二人は順調に愛を育み、デートを重ねて来年には婚約する。その姿にホッコリしつつ、どうして自分は上手くいかないのだろうと悲しくなった。
昨日までは、幸せいっぱいだったのに……。
「エステル、もしかして昨日泣いた?」
「え?」
ぐぐっと距離を縮めてくるユーグ様に、私はドキリとした。どうしてバレたのだろう。
「魔力がちょっと不安定。……あの男になにか言われた? やっぱり幸せにならないのなら隣国に逃げちゃう? 仕事なら斡旋するし、衣食住も落ち着くまでは援助する。すぐじゃなくてもいいから考えてみるといい」
「あ、ありがとうございます」
コツンと額がくっつきそうなほど近い。でもユーグ様にとっては、これが親しい人との距離感なのだ。本来なら恋人や夫婦でなければダメな距離なのだが、ユーグ様に秘密があって──。
「エステル!」
「え、アレクシス……様?」
唐突に現れたアレクシス様は珍しく焦っていて、急いできたのか御髪も乱れている。すぐさま私とユーグ様の間に割って入って、私の両手を掴む。
「昨日言ったことは僕がエステルに愛されているか不安だったから、君に好かれるよう期間が欲しいと言う意味で三年と言ったんだ。君を追い出すつもりも、愛していないわけでもない!!」
「え、……え。ええええ!?」
唐突な告白に私は淑女らしさをいじすることはできず、思わず叫んでしまった。淑女失格だわ。
***
「つまり、結婚式前日に工房に来て私とユーグ様の距離感を見て、不安になったと?」
「ああ……」
「目眩しの結界を張っていたはずなんだけど?」
「僕は目だけは良いからね」
アレクシス様はソファに座ったものの深々と頭を下げた。
色々と勘違いしているのだと察したので、慌てて訂正しようと口を開いた。
「あれは──」
「それだけじゃない。エステルの周りには魅力的な人が多いだろう。個人的な付き合いも多い。だから……僕との結婚が無理していないか、僕と結婚していいのか直前で不安になって……。冷静に話をしようとしたのだが」
「したのだが?」
「……エステルの扇情的な夜着を見て、頭が真っ白になってしまったというか、理性が崩壊しかけたというか。とにかく肝心な部分を強調した結果、ああいう言い方になってしまい……本当に申し訳ない!!」
(まさかの理由だった!?)
アレクシス様は、無理して婚姻させてしまったと思ってしまったらしい。プロポーズまでは順調だったが、魔物大量発生により遠征となったことで結婚式が早まったことに負い目を感じていたのだとか。
またここ半年あまり時間が取れず、デートの一つもしてなかったことなど諸々が重なったのもある。私はアレクシス様と結婚できるのに浮かれていて、その惚気話を常連客の方々に話していた。
それをアレクシス様に見られて、楽しそうにしていると勘違いさせてしまった。そこは申し訳ない。それとユーグ様の件だが──。
「僕は女だ。ユーグは病弱な兄の名で、奇行も色々と家の事情もあってワザとやっている。エステルとは数少ない友人で、仕事の発注以外にも相談に載って貰っているんだ」
「女性……」
「あと異性愛好者だ。それと僕が好きなのは……図書館長」
「図書館長がここを訪れるのは、ユーグ様に会わせることも目的としていまして……。彼女の距離感が近いのは、インクを使った新しい治癒の付与魔法を秘密裏にしていて……。私はその手伝いをしていたのです……」
「では僕は勝手に勘違いをして……っ、エステル。本当に申し訳ない!!」
「いえ! 私も仕事でのことでしたので……アレクシス様にお話しするのはどうかと悩んでもいて……すみません」
何もかも勘違いしていたとアレクシス様はまた頭を下げた。慌てて顔を上げるように言うと、なんだか捨てられた子犬のようにジッと私を見つめてくる。
どこでそんな技を身につけたのですか。私を惚れ殺す気ですか。
確信犯ですか!?
「エステル……。こんなにダメなところを見せて、失望しただろう。それでもどうか三年の猶予をくれないだろうか。君の心を少しでも動かせるように、尽力する」
アレクシス様の言葉に、自分が短絡的で浅慮だったと反省する。プロポーズをした時も、今もアレクシス様は変わっていなかった。ただ新しい環境や魔物大量発生という異常事態、無事に戻ってこられるか不明な遠征、その遠征前にせめて式だけでもと詰め込まれたスケジュール。
私もアレクシス様と同じく不安と期待が入り交じっていたけれど、忙しくて会う機会が減っていたことも今回の行動に直結してしまった。お互いに信頼し合って、話をしていればこうはならなかったのかもしれない。
タイミングや立場的に難しかったとしても、言い訳だと思う。私以外にも同じように忙しくても、時間を捻出している人はいる。
私ももっと上手く立ち回って、不安を小出しにしていくべきだった。会うことに遠慮していなければ、こうならなかった。つい遠慮してしまったのだ。
初恋の相手に嫌われたくなくて、自分の気持ちを抑えてしまっていた部分もあった。会いたいと何度も思ったけれど、迷惑に思われてしまうかもしれない、と。
「ここ半年、私はアレクシス様に会いたいと何度も思っていました。でも嫌われたくなくて、お忙しいのに時間を作って貰うのが悪いと思って……相談しませんでした。でもそれはもうやめます」
「エステル」
「アレクシス様に対して、もっと本音を言って気持ちを伝えたい。もしかしたら疎んでいた令嬢のように、嫌になるかもしれません。そしたら──」
「そんなことにはならない。自慢話と人の陰口をいう令嬢と君は全く違う! それにエステルとなら幾らでも時間を作る。どうか傍に居てほしい!!」
そこからはお互いに謝罪合戦となり、お互いに自分の言動を反省することに。気付けばユーグ様は空気を読んでリチャード、メアリーと共に工房から居なくなっていた。二人で話し合っている間に、すっかり日が傾いていた。
その日、初夜をやり直して夫婦のルールを決めた。不安になったらまずは相談。もし、万が一、お互いに不倫をしたら相手方有責で離縁すること。
白い結婚と言っておきながら、翌日には夫婦となり、二年後には家族が増えることに。魔物生態図鑑も五巻まで増え、騎士団長を引退した後は、騎士団調査部門室長となって、魔物の生態などに特化した仕事に就いている。
あれからメアリーとリチャードは、幼馴染の来襲で修羅場があったものの翌年に結婚。メアリーは今も私の侍女をしてくれている。
魔法使いユーグ様はあれから私のインクを使った新しい術式を作り出して、お兄様の病を完治させることに成功した。
そしてティファ様という本当の名と共に、令嬢としてその姿を現した。本物のユーグ様はティファ様とそっくりで、実力も同じという。兄妹揃って天才だった模様。
そんなティファ様は今月図書館長と婚約が確定した。私のインクを使った婚約パーティーの招待状が今日届いたのだ。
私の工房は紹介制かつ受注生産というやり方が性に合っていたようで、今日も夫のために彼のインクを作る。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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