第121話 春がきた(最終話)
「仁、急がないと学校に遅れるよ」
「ちょ、ちょっと待って」
「2人ともお弁当を忘れてるわよ」
「「あっ!」」
月日は流れ、季節は春になっていた。桜も散り、青々とした葉っぱを付けている。そんなある日の朝。仁と頼子は一緒に生活するようになっていた。もちろん音羽も一緒である。住んでいるところは仁の家で、頼子と音羽が暮らしていたアパートは既に引き払っていた。
「お母さん、ありがと」
「頼子さん、呼び止めてくれてありがとう。もう少しで持っていくのを忘れるところだったよ」
「2人とも、おっちょこちょいさんなんだから」
家を出るときに弁当を持っていくのを忘れた仁と音羽に対し、頼子は2人分の弁当を持って家から出てきて呼び止めた。そして、それぞれに弁当の入った手提げ袋を手渡した。
「それじゃ、行ってらっしゃい。2人とも車に気をつけるのよ」
手を振る頼子に見送られ、仁と音羽は学校へ向かって歩き始めた。
「音羽が急がせるから忘れたんだよ」
「そういう仁だって気付かなかったくせに」
移動途中、仁と音羽は、弁当を忘れた原因について言い合っていた。
「おはよー、音羽、兼田クン。一緒に教室に入ってくるなんて、相変わらず仲が良いわね」
仁達は春を迎えたことで、学年が1つ上がり3年生になっていた。と言っても、この学校では、2年から3年に進級する際、クラス替えがないためクラスメイト達の顔ぶれは変わっていない。仁と音羽が教室に入ると日花里が声をかけてきた。
「おはよう、日花里」
「おはよ。小山内さん」
音羽と仁も日花里に挨拶を返した。
「本当に2人とも仲が良いわね。それもそうよね。2人はクラス公認のカップルだからねぇ」
「ちょっと、日花里、私と仁はそういう関係じゃないって言っているでしょ」
仁と音羽は一緒に居ることが多くなり、呼び方もお互い変わったことでクラスの人達からは付き合っていると認識されていた。そういうこともあり、日花里を始め仁を狙っていた女子は仁にアタックすることを止め、2人の仲を祝福するようになっていた。だが、仁と音羽はカップルではなかったため、関係を否定していたが、照れているだけと思ったクラスメイト達は話のネタに揶揄うようになっていた。
「はい、はい、そう思っているのは音羽だけだよ。そう思うよね? 兼田クン」
「音羽は家族だと思ってるよ」
「キャー、聞いたでしょ? 家族だって」
「家族なのは私も否定しないし(ぼそっ)」
日花里は仁に同意を求めてきた。仁は事実だけを告げたが、日花里は、それを別の意味で受け止めていた。そのことを音羽に告げると、彼女もそれは否定するつもりはなく、日花里に聞こえないような小さな声で答えた。
「音羽ーっ、何か言った? 声が小さくて聞き取れなかったよ」
「なんでもなーい。行くよ、日花里っ」
音羽の声が聞き取れなかった日花里は再度聞き返したが、音羽は誤魔化すように日花里の手を取って自分の席に向かった。
「ははっ、音羽も凄く明るくなったな」
笑顔で日花里の手を引いている音羽を見て、仁は微笑ましく思っていた。
「では、ホームルームを始めるぞ」
それから少し時間が経過し、ホームルームの時間になった。仁と音羽の席は、2年の3学期に行われた席替えで離れてしまい、それっきり前後や隣の席になることはなかった。そのため仁の席は左後方で、音羽の席は真ん中付近になっていた。ちなみに音羽の後の席は日花里が座っているため、休憩時間などは2人を中心とした女子達が集まり、賑やかに話をしているのが日常的な光景になっていた。
「あー、それと皆にお知らせがある。月見里だが、今日から名字が兼田に変わった。我が校の出席番号はあいうえお順だが、便宜上番号の変更はしないからそのつもりでいてくれ。まあ、名字が変わるだけで中身が変わる訳ではない。皆変わらず仲良くしてやってくれ。では、今朝のホームルームはこれで終わる」
担任の男性教師が思い出したように、追加の連絡事項を伝えた。それを聞いたクラスメイト達の表情が一瞬にして変わった。
「ちょっと、音羽っ! どういうことよ?」
担任教師が教室から出て行った途端、日花里が大きな声で音羽に尋ねた。それは皆聞きたいことであり、音羽がどのように答えるか見守っていた。
「そのね、お母さんが再婚したから名字が変わったの」
「なるほど、そういうことか。音羽が兼田クンと結婚して名字が変わったかと思ってビックリしちゃったわ。そうよねぇ兼田って言う名字はいっぱいあるし、たまたま偶然よね」
名字が変わった理由が母親の再婚だと知った日花里は、家族のプライベートに関わるためこれ以上聞いてはいけないと判断し、尋ねるのをやめた。クラスメイト達もこれ以上聞いてはいけないという空気になり、それ以降、音羽の名字が変わったことに対し尋ねる者はいなくなった。
「なんか上手く誤魔化した感じになっちゃったね」
「別に隠さなくても良かったけど、今更言い出せるような雰囲気じゃないね」
昼休みになり、音羽と仁は屋上に向かう階段にいた。最近、音羽は人に見せられないような昼食でないため、教室で日花里達と昼食の時間を過ごすことが多くなったが、習慣づいてしまったものはなかなか戻せず、ときどきこのように2人で昼休みを過ごすことがあった。
「今日のお弁当は何かなぁ。うわぁ、おかずがいっぱい入ってる」
「よ、頼子さん、また人に見せられないような弁当を作ってる。今日はこの場所にして良かった」
「ほんとうだ。人に見せられないね。でも、仁はお母さんに愛されているね」
音羽は弁当箱の蓋を開けて嬉しそうにしていた。以前は白おむすびと夕食の残り物という組み合わせが多かったが、今は人に見せても恥ずかしくないような色とりどりのおかずが入っている弁当になっていた。これは頼子が準備した物で、仁の弁当も同じ内容になっていた。だが、1つ違うところがあり、ご飯の部分に大きくハートが作られ「好き」という文字が入れられていた。
「音羽ーっ、一緒に帰ろうか」
「あー、私、パス。今日は日花里達と遊んで帰る」
「そっか、じゃあお先。小山内さんもまた明日ね」
「またね。兼田クン」
昼休みが終わり、午後の授業が始まったが、気が付くと放課後を迎えていた。仁は帰り道が同じため音羽を誘ったが、彼女は日花里達と遊びに行くから先に帰っていいと伝えた。仁は音羽と一緒に居た日花里にも声をかけてから教室を出て帰路に就いた。
「ねえ、音羽。兼田クンと一緒に帰らなくても良かったの? うーん、音羽も兼田になったから呼び方を変えた方が良いのかな?」
「いいの、いいの。私は仁と一緒じゃない方がいいからね。さて、昨日、お義父さんからお小遣いが貰えたし、今日はじゃんじゃん遊び回るわよっ。あと、呼び方は無理して変えなくても今のままで良いわよ」
音羽は日花里達と一緒に遊びに街へ出かけた。
「ただいま」
「おかえりなさい。仁君」
仁は1人で家に帰った。少し前までは一人暮らしであった為、出迎える者などいなかったが、今は、出迎えてくれる家族がいた。
「ちゅっ」
「あっ」
「ふふっ、おかえりなさいのキスよ」
仁が玄関に入ってドアを閉めると、出迎えた頼子がそっと仁の唇にキスをした。
「ご飯にする? お風呂にする?」
唇を離した頼子は、頬を赤らめながら仁に尋ねた。
「それとも、わ、た、し?」
「じゃあ、私で」
「きゃーっ」
仁は靴を脱ぐと頼子をお姫様抱っこしたまま、リビングに向かって猛ダッシュした。学校に確認すると校則上問題ないというお墨付きを貰ったため、仁と頼子は、事前に両親の許可を得てから、仁が結婚できる年齢になった日に入籍届を提出した。その際に、仁は頼子を説得して彼女の背負っていた借金をすべて肩代わりした。金銭的な負担もなくなった頼子は仕事の量を減らし、家にいることが多くなった。これは義母に当たる恵子から、家を守るように言われたこともあったためであった。仁と頼子、そして娘の音羽は、これからも家族仲良く暮らしていったようです。




