悪魔の横笛
むかしむかし。
とても強欲で、傍若無人な王さまがおりました。
欲しいものは他人のものであろうと奪い取り、いさめようとする者があれば、その者の首を斬ってしまっておりましたので、人々は暴君と恐れおののいておりました。
ある年の舞踏会のこと。
王さまは、一人の美しい女性をみつけました。
その女性は、バークルン男爵の妻エレナでした。
王さまはバークルン夫妻を呼びつけて言いました。
「エレナを私によこせ。そうすれば褒美に領地をくれてやろう」
「それはできません。エレナは私の大切な妻です」
バークルン男爵は妻をとても愛していたので、首を振りました。
「私の夫はバークルン男爵だけです。どうかお許しください」
エレナも王さまの申し出を拒絶しました。
「何と無礼な奴らだ!」
王さまは激怒し、剣を抜きました。
「どんなに脅されようと、エレナは渡しません」
バークルン男爵はエレナをかばい、王さまの顔をまっすぐにみつめました。
「ならば、死ね」
王さまは腹を立て、バークルン男爵の首を跳ねてしまいました。
「あ、ああっ」
エレナはバークルン男爵の首を抱え、絶叫しましたが、夫がよみがえることはありません。
「朕に逆らうとこうなるのだ。首と胴体が離れてしまっては、もはやどうすることもできまい。夫が死んでしまったのだから、エレナ、そなたはもう朕のものだ」
王は楽し気に笑い、エレナを塔に閉じ込めました。
花嫁衣装を着せられたエレナは、暗くて狭い塔に閉じ込められ絶望していました。
このままでは夫を殺した王の妻にならなくてはいけません。
いっそ命を断とうにも、何もかも取り上げられていて、どうする術もないのです。
エレナは自ら自分の指を血が出るまで嚙み、その血を使って悪魔を呼び出しました。
「私を呼び出したのは、女、そなたか?」
青白い月の光に照らし出された悪魔は、たいそう美しい顔をしておりました。
「はい。私の魂も血も肉もすべて差し上げます。ですから、どうか夫の仇を取ってください」
「ふむ」
悪魔は目を細めました。
「そなたの周りから離れぬ魂も一緒にもらっても良ければ構わんが」
悪魔の言葉に、エレナはハッとなりました。
悪魔がパチンと指を鳴らすと、バークルン男爵がエレナの隣に立っていました。
「旦那さま」
エレナが問いかけると、バークルン男爵はこくりと頷いたように見えました。
「ええ。お願いいたします」
「わかった。そなたたちの願い、叶えてやろう」
エレナが頷くと、悪魔はもう一度、パチンと指を鳴らしました。
すると、エレナとバークルン男爵は真っ黒な笛になり、悪魔はエレナの姿に変わると、その笛を懐にしまいました。
王さまとエレナの結婚式の日がやってきました。
エレナは相変わらず美しく、そして、王さまに逆らう気持ちはなくなったようでした。
その日はとても寒い日でしたので、お祝いの宴には、大きな暖炉のある部屋で行われることになりました。
お祝いの宴が始まると、王さまは満足げに花嫁を抱き寄せました。
「王さま。わたくしから、この日を祝して、拙い楽を披露してもよろしいでしょうか?」
「おお、それはよい」
王さまの許可を得ると、エレナは懐から真っ黒な笛を取り出し、そっと口をよせて息を吹き込みます。
ひゅるるらら
美しい笛の音が流れ出しました。
すると大きな暖炉から火の粉が突然王さまの上にふりそそぎ、王さまのマントに火が付きました。
「うわぁああ」
みっともなくも慌てふためく王を見て、エレナは傍に飾ってあった花瓶の水を王さまにぶっかけました。
すると、大量の水が花瓶から吹き出し、その部屋の火は全部消えましたが、王さまはずぶぬれになってしまいました。凍てつく夜の風にふかれ、王さまの体は氷のように冷たくなりました。
王さまは背中にひどいやけどをしただけでなく、風邪をひいてしまい、高熱を出して寝込みました。
王妃となったエレナは、そんな王さまのそばでずっと看病をしました。
今まで誰にも優しくされたことのなかった王さまは、そんなエレナをとても愛おしいと思いました。
王さまの熱がさがると、エレナは、王さまをバークルン男爵領に誘いました。
「田舎ですので、特に護衛はいりませんわ」
病気の時に優しくしてもらったことで、王さまはすっかりエレナに夢中でしたから、何の疑いももちません。エレナの言うままに、王さまは護衛も連れずにエレナとともにバークルン男爵領へとやってきました。
エレナの言う通り、そこはとても田舎で、そして美しい場所でした。
「船遊びをいたしませんか?」
エレナは湖に浮かべられた一艘の船を指さしました。真っ白なそれは、湖の青に映える美しい船でした。この湖に伝わる魔法の船で、櫓をこがなくても自在に動くことができる船なのだと、エレナは言います。
「素晴らしい」
王さまは喜んで、たくさんのごちそうを持ち込み、エレナとともに乗り込みました。
船は漕ぎ手もいないのに、すいすいと湖を走るように進みます。
ちょうど船が湖の真ん中くらいにくると、エレナは笛を取り出し、楽を奏で始めました。
ひゅるるらら
青い空と青い水面の広がる中、笛の音が鳴り響きます。
王さまは思わず聞きほれ、うっとりと目を閉じました。
どれくらいたったでしょうか?
王さまは足が濡れていることに気づきました。
「なんだ?」
みれば、足元にどんどんと水が溜まっていくのです。
「おい! 船を岸に戻せ!」
慌てて王はエレナに命じましたが、エレナは何も言わずに笛を吹き続けます。
水はどんどん増えて行き、王さまの膝までやってきました。助けを求めようにも、護衛は連れてきておらず、岸はとても遠くて泳げそうもありません。
「何をしている! 船が沈むぞ! 早く岸へ戻せ!」
王はエレナにつかみかかろうとしました。
すると、エレナはぴょんと飛び上がり、宙に浮きました。
「な、お前は何者だ! 朕を誰だと思っている!」
王さまは叫びましたが、エレナは笛を吹くばかりです。
やがて、船はゆっくりと沈んでいき、王の声がきこえなくなると、エレナ、いえ、悪魔は笛を吹くのをやめました。
「これで願いは叶えてやったぞ」
悪魔は自分の姿に戻ると、笛に向かって話しかけました。
二つの魂の宿った黒い笛は、いつのまにか銀色に輝いておりました。
「ふむ。上々」
悪魔は満足げに頷いて、青い空の彼方へと消えていきました。