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第九話 山神の御遣いは甘く薫る

「桃神様との謁見えっけん相成あいなりませぬ」

「しかし、ぼくは兄だぞ。栗之丞くりのじょう

「桃神様の御親族は、山神様のみで御座ございますれば」

柿之丞かきのじょうまでそのような……。では、せめて言伝ことづてを頼む」

「できませぬ」

「以前、渡した手紙への返答はないのか?」

「存じ上げませぬ」

「これでは話にならん!」

「どうぞ、お引き取りを……」

 湖のほとりで、すげなく追い返された太郎の元に、猿彦、犬子、きじ彦の三人衆があしをかき分けてやってきた。

「相変わらず慇懃無礼いんぎんぶれいで気味の悪いやつらだ。会わしてくれたっていいだろうに」

 雉彦が嘆息たんそくすると、太郎は暗い顔で霧がけぶる湖を眺め、

「仕方ありません。桃次郎は、神となってしまったのですから」

「でも、それにしたって薄情すぎるよまったく」犬子が目を尖らせて「会いたいっていう家族のことをほったらかしにしてさ。しかも、水神様のほこらでふんぞり返っているんだろ? 絶対に許せない……!」

 ぐちぐちと文句が垂れ流される。桃次郎のことだけにとどまらず、栗之丞、柿之丞が栗臭い、柿臭いだのと、悪口が際限なくあふれる。そんな妹を猿彦がなだめて、うつむく太郎の顔をのぞき込んだ。

「一度も会えていないのか?」

「ええ。桃次郎が祠に入ってしまってからはずっと……」


 鬼ヶ島での戦いが終わった後、知らせに戻ると大変な騒ぎとなった。

 半信半疑だった人々も、いざ葦原あしわらを訪れて、その静謐せいひつぶりに驚き、恐る恐る鬼ヶ島に上陸し、鬼が一体残らず消えているのを確認した。

 またたく間に噂は広がり、その立役者である桃次郎は英雄として祭り上げられた。さらに、藩主により桃次郎が山神の子だと知らしめられると、英雄たんに華やかないろどりえられて、民草たみくさたちの心を射止めた。

 藩主は天啓てんけいに従い、湖一帯の土地を桃次郎のものとした。

 それから太郎には父の役職を継ぐように申し渡し、三人衆には葦原付近に住み着く許可と、報奨金を与えた。三人衆は報奨金は受け取らず、代わりに鬼に殺された湖の民たちのため、慰霊碑を建てることを願い出て、それを許された。

 その後、隣村の村長夫婦、お爺さん、お婆さんが音頭おんどを取って、桃次郎を現人神あらひとがみとしてまつるべきだという話が持ち上がった。

 反対する者は誰もおらず、腕自慢の大工たちが集まって、かつての水神の祠が、桃神の祠として造り替えられていく。

 加熱する周囲の熱狂っぷりに桃次郎は困惑。太郎や母は毎日のように屋敷へとおがみにやってくる村人たちに辟易へきえき

 そんなところに放り込まれた起爆剤。

 山神の御遣みつかいという二人組がやってきたのだ。

 栗之丞くりのじょう柿之丞かきのじょう

 頭をすっぽりと隠す虚無僧のような深編笠は、普通であれば藺草いぐさ真菰まこもで作られているものだが、青々として瑞々みずみずしい、朝顔あさがお夜顔よるがおつるで編まれていた。

 肩から足先までもを包む外套がいとうは、天鵞絨びろーどの風合いの獣の毛皮。

 男とも女ともわからないしゃがれ声。

 背丈の程は二尺ほどしかない。

 妙ちきりんな連中だったが、藩主が正式に山神の御遣いとして認めたので、世間もそのように受け入れた。

 ふたりは薬草を使った医術に長じており、鬼によって傷ついた人々を癒した。そうして、桃次郎を祀る計画を聞きつけると、それはいいと太鼓判を押して、推し進めるのに手を貸したのであった。

 やがて桃神の祠が完成。

 そして、栗之丞と柿之丞が屋敷へとやってきた。

 太郎はそのとき、用事で屋敷を離れていた。父の跡を継ぐために、やらなければならないことが山ほどあったのだ。

 帰ってきたときには、桃次郎はいなかった。

 それきり、姿を消してしまった。

 鬼ヶ島、あらため、桃ヶ島と呼ばれるようになった湖の島に渡ったのだと知り、すぐに会いに行こうとしたが、栗之丞、柿之丞がそれをはばんだ。

 桃次郎はいま、桃神の祠にこもって、豊穣の祈りの真っ最中なのだという。鬼によってけがされた土地を浄化するのに、必要不可欠なこと。一日二日では終わらない壮大な儀式。邪魔することは相成あいならぬ。ふたりは桃次郎の従者に収まったらしく、その許可なしに桃ヶ島へ立ち入ることは禁じられた。

 以降、儀式とやらがうまくいっているのか、作物がすくすくと育つようになり、何年ぶりかの豊作の予感に、農家たちは涙を流して喜んだ。


 この一ヶ月ほどのあいだ。太郎は毎日のように湖のほとりを訪れている。

 桃ヶ島は霧に隠れて見えやしない。

 湖を渡る舟はすべて栗之丞、柿之丞の管理下。食物や生活用品を運ぶ舟が日に数回往復するのみ。規則を破って、強引に島へ立ち入ろうとすれば、藩から厳しい罰が下る。いまの役職を失うことになるだろう。母のため、亡き父のためにも、太郎にそんなことはできない。

 桃次郎が桃ヶ島に渡ってからというもの、母の体調がにわかに悪化。父を失い、ふさぎ込みがちだったところに、拝みにくる無遠慮な村人たちの対応をしいられ、その上、桃次郎までいなくなり、こたえないほうが無理というもの。母を元気づけるためにも、太郎としてはぜひ桃次郎に戻ってきてほしかったが、土地の浄化という大仕事をしていると言われては、強くも出れないという状況であった。

 葦原を出て、帰路を往く。そこに三人衆が並んだ。

「御方様の具合はどうだ?」

 心配げな猿彦に、太郎は力なく首を横に振る。

 鬼退治以来、三人衆は度々屋敷を訪ねてきていた。

 来るたびに猿彦は弱っている母の代わりに家事を請け負ってくれた。時には猿彦の妻も一緒。猿彦とその妻は、鬼の襲来より前からの付き合いらしい。湖の民のお偉方に付き添って隣の藩に行く機会があり、そのときに知り合ったのだとか。

 犬子は太郎に頼まれ、仕事を手伝ってくれていた。各村の井戸に鬼の瘴気しょうき残滓ざんしがないかの水質調査が進められており、犬子の鋭い嗅覚が役に立ったのだ。

 雉彦はやたらと桃次郎に突っかかっていたが、はじめてできた友に、はしゃいでいただけのことらしい。桃次郎が桃神だなんだのと騒がれるようになってからは、少しばかり寂しそうにしている。

「いっそおいらたちの舟でこっそり島に渡ってみたらいいんじゃないか」

 雉彦が言うと、犬子が「だめだめ」と風になびいた髪を鬱陶うっとうしそうに手で払い、

「あたしらの舟はただでさえ目立つ大きさだし、見つかったら下手すりゃ首が飛ぶよ。桃のやつが祠に入ってから、あの場所はものすごく神聖視されているんだからね。水神様への信仰は忘れたくせに、ぽっと出の小僧っ子は熱心にまつるんだからたちが悪いよ。水神様もせっかく鬼を退治したんだから、湖の底に隠れていらっしゃらないで、顔を見せてくださればいいのに。それで桃のやつに、これこそ神なりって威厳をガツンと示していただきたいよ」

 牙みたいな歯の隙間から長い溜息がもれる。

 すると、赤ら顔をぎゅっと結んでいた猿彦が、

「……そのことなんだがな」

「なんだい猿兄。改まって」

「いや……太郎坊ちゃん。御方様の具合というのは、どのぐらい悪いんだ。正直に聞かせてはくれまいか」

 道端に落ちた木洩こもれ陽に立ち止まる。太郎は固く目を閉じて、しわを寄せた眉間みけんを指で押さえていたが、

「……母上を診て下さっているお医者様は、いま生きているのが不思議なぐらいだと仰られていました」

 陽の当たる場所と影との、ぼやけた境界線を見つめる。

「奇病としか言いようがないそうです。体温が低すぎる。まるで血潮が冷たい川の水と入れ替わってしまっているかのように。そして、ゆっくりと衰弱している。桃次郎が祠に入ってからは、どうやっても悪くなる一方です。ここまで復調の兆しがないのははじめてで、覚悟せねばならぬのかもしれません。母上のためにも、桃次郎のためにも、取り返しのつかないことになる前に、せめて一目、ふたりを会わせてやりたいのですが……」

 悄然しょうぜんとする太郎に、三人衆も同じようにうなだれる。

 痛々しい沈黙。それを振り払うみたいに猿彦が「ううむ」と決意のこもったうなり声をあげて、なにやら懐を探りはじめた。

「……おれさま風情が口出しすることではないのは……重々承知ではあるのだが、どうしても……どうしても……どうしても……! 黙っていられん!」

 一冊の帳面ちょうめんが太郎に手渡される。

「これは?」

「日記だ」

「猿兄。日記なんかつけてたんだ」犬子が意外そうに首をかしげる。

「おれさまのものではない。おれさまたちがはじめて御方様にお会いしたあの晩のこと。太郎坊ちゃんの御父上を納めるひつぎを作るために、おれさまと桃次郎は蔵に入り、使えそうな木切れを物色していた。そのときに、見つけた古い日記だ」

 父が鬼に殺された日。たしかに猿彦は桃次郎と一緒にひつぎを用意してくれていた。

 日記は父が書いたもの。

 雉彦が横からのぞき込んで、帳面と猿彦とを見比べる。

「盗むだなんて手癖が悪いね猿兄。でも、なんでこんなもの?」

「すまない。太郎坊ちゃん。しかし、おれさまは御方様を一目見たときから、もしやというものを感じていた。真実を知りたいがために、ついつい手を伸ばしてしまったのだ」

 頭を下げる猿彦に、犬子が眉をしかめる。

「謝って済むなら岡っ引きはいらないけどね。さっさと太郎に返してやればよかったのに」

「そういうわけにもいかなかったのだ。御方様がわざわざ秘密にされていることを知らせてしまいかねないのだからな」

 太郎は一心に頁をめくる。

 帳面にある日付は、約二十年前。

 つづられていたのは、鬼があらわれたという頃の、父の日々。

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