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第八話 鬼ヶ島に蔓延る鬼は水妖ということになっている

 ねっとりと、きりが体にまとわりつく。

 桃次郎が着物のすそをぎゅっとしぼると、大量の水が舟の床にしたたり、雨だれのような音を立てた。

 着古した小袖こそではかま。屋敷の蔵を探せば、古い甲冑のひとつやふたつぐらいはあったかもしれない。だが、猿彦に言わせれば、鬼を相手に重い装備は逆効果。いくら防御を固めても、鬼の一撃の前では薄氷はくひょう同然。攻撃に当たらないことが肝要。身軽さこそが重要なのだという。だから結局、霊木刀以外は普段通りのままだ。

 湖には布を透かしたかのごとき光が満ちていた。

 霧にぼやけた太陽は、つがいを探して空を彷徨さまよう巨大なほたるのようだ。

 まぶしい半面、わびしさもある。

 五人が乗る舟は、畳を三畳縦につなげたぐらいの大きさ。その切っ先にどっかりと腰を下ろした桃次郎。そばに立つきじ彦がけぶる風景に目をらし、道なき水上に道を見出す。舟をぐのは猿彦と犬子。前部に猿彦、後部に犬子。息の合った兄妹の動き。舟の一番後ろでは、太郎がじっと湖面こめんのぞき込んでいる。

「酔ったのかい」

 犬子が声をかけると、がばりと頭を上げて、

「いえ……なんだか……すみません」

「何故謝る」

「ぼうっとしていました」

「これから鬼と戦おうっていうんだ。緊張するのは当然さ。具合が悪いのなら舟で待っているといい」

「具合はむしろいいのです。よすぎるぐらいです。足往あゆきさん」

「犬子でいいよもう。あんたの弟なんかは犬って呼ぶって言って聞かない。猿兄は猿で、雉彦は雉だ。人をなんだと思ってるんだか」

「すみません。犬子さん」

「太郎。あんたが謝らなくてもいいんだよ」

「兄ですから。しかし、そうして呼ぶのは弟なりの信頼のあらわれなのです。あの子は山も、山に棲む獣や鳥なども大好きですから」

 舟の後部から、前部が見えないほどに霧が濃い。そこに座っているはずの桃次郎の影を探すみたいに犬子が目を細める。

「山神の子であればそうだろうさ。で、あんた、本当に体は大丈夫なのかい。無理も無茶も禁物だよ」

「自分でも驚いているんですが、心身ともにこれほど万全だったことは、いまだかつてありません。乾いた砂が体の芯に詰まっていたような感覚が、この湖にきてからというもの、すっかり洗い流されてしまった」

 血の巡りがよくなっているのか、母に似たあお白い顔がわずかにしゅびている。

「この湖には水神様の加護があるからね。その神秘のおかげだろうさ」

 犬子が自慢げに鼻をひくつかせていると、猿彦の声。

「そろそろ到着するぞ」

 しばらくすると、舟が止まった。

 真っ先に上陸しようとした桃次郎であったが、外に身を乗り出しかけて、驚く。

 陸がない。広がっているのは空を映す水鏡。

 雉彦がさっと舟を降りて、桃次郎に教える。薄く張った水がよく光を反射するので、陸が見えないだけだという。実際は草鞋わらじの厚みにも満たない深さ。足袋たびが濡れることもない。

 踏み出してみると、なるほどたしかにその通り。きちんと大地が存在している。ただし、雉彦よりも大柄な桃次郎は、泥めいた地面に草鞋を沈ませてしまい、足袋にたっぷりと水を吸わせることになった。

 ――鬼ヶ島。

 水神のほこらの島の裏手。

 鬼の目を避けるために、大回りする経路を選んだ。そのおかげで、侵入はまだ察知されていないようだ。

 前後左右を霧に取り囲まれた、一寸先は霧の風景はここでも続いている。実際に上陸すると、遠い山の上から見た印象よりも随分と広い。犬子の説明によると、中央が盛り上がった丘のような地形なので、地面のわずかな傾斜を頼りに登っていくと祠に辿たどり着けるのだという。鬼は祠の周囲にたむろしているはず。三人衆は時折こうして裏手から忍び込んで、それをたしかめていた。

「いくぞ桃」

「おう、雉」

 雉彦が背負っていた大ばさみを手に取る。大蛇である水神の鱗で作られているという武器。桃次郎も山神からたまわった霊木刀を帯から抜いた。

 猿彦と犬子も上陸して、それぞれ大斧と大のこを構える。

 太郎が追いかけて、

「猿彦さんたちもご一緒してくださるんですか?」

「当然だ。山神の小僧に手柄をひとりじめされちゃかなわないからな」

「まったくだ」と、犬子。「水神様の祠を取り戻すのは、あたしらのお役目。このいやな臭いを全部洗い流しちまわないとね」

「もし、危険だと感じたら、ぼくや桃次郎のことは気にせずに逃げてください」

「それはこちらの台詞せりふだ、太郎坊ちゃん」

 猿彦は赤ら顔に真剣な表情を浮かべると、

「坊ちゃんはおれさまの後ろにいるといい。守ってやる。御方様のところに、五体満足で帰ってもらわなきゃならん」

「そこまでのお手間をかけるわけにはまいりません。己の身は己の力で守ります。そうして、我が命はゆずらず、鬼の命は取りましょうとも」

 意気込む太郎を、桃次郎が振り返って、

「兄ちゃん。今日は具合がよさそうだけど、あんまり調子に乗ると危ないぞ。敵の本陣なんだから」

「そっちこそ桃次郎、もうすこし声をひそめて……」

 と、霧のなかにゆらりと巨大な影が浮かんだ。

「鬼だ……!」雉彦が息を呑む。

 風に揺らいだ霧の奥からあらわれたのは、まさしく鬼。

 天をくほどの巨体。大男の猿彦より、二回りか三回りほども大きい。熟した林檎にも似た真っ赤な肌。精緻せいちに彫刻された木像のごとき隆々とした筋肉。衣服代わりに巻かれた、朝顔あさがおだか、夜顔よるがおだかのつる。頭にはもじゃもじゃとした髪が生い茂り、鹿や稲妻いなずま彷彿ほうふつとさせる枝分かれした角がある。そして、手ににぎられているのは、丸太と見まごう太い棍棒こんぼう

 凶悪な面相の赤鬼。

 各々が即座に動いた。

 先手必勝。雉彦の大鋏が突き出される。両手で二本の槍を持って突撃するような恰好。桃次郎も身をひるがえしながら、背後の敵へと霊木刀をふるう。

 しかし、最初に刃を届かせたのは、太郎であった。

 一足でもって距離を詰め、鞘から白刃を抜き放つ。

 居合斬りが完全に決まったかと思われたが、堅い皮膚が刃をはじいた。腕がしびれた太郎が小さくうめくと、鬼が棍棒を高くかかげる。破壊力抜群の鬼の攻撃が繰り出されようとしていたが、雉彦の大鋏が上腕を挟み込んで阻止。その隙に、桃次郎が鬼の首を一刀両断。

 断末魔すらないままに、刹那せつな、鬼はこと切れた。

 猿彦と犬子が駆け寄り、念の為、胸を潰して、頭をく。

 まずは一体、鬼を始末。

 霊木刀に付着した鬼のねばついた血を血振ちぶるいで払った桃次郎は、兄の戦いぶりに驚きを隠せない様子で、

「どうしたんだ兄ちゃん。さっきの踏み込みは。おれより早かったぞ」

「おまえが言っていた通り、今日は具合がいいんだ」

「それにしたって限度があるよ」

 首をかしげて、兄の姿をとっくりと眺める。まるで別人のような力強さ。息もまったく乱れていない。

 だが、太郎のこれまでの病弱ぶりを知らない三人衆は、さほど疑問にも思わず、むしろ、素晴らしい太刀筋に感心しきり。

「勝てるよ」

 雉彦が確信を口にする。

 肯定するうなずきが全員から返ってくる。

 お互いがお互いを鼓舞こぶすると、皆は勝利に向け、鬼ヶ島の奥、決戦の地へと歩を進めた。


 霧をかき分け、やわらかな泥の大地を踏みしめる。降り積もった雪のような感触が、雪解けに消えて春の土のたしかさへと変わっていく。行軍する五人の心には、一歩ごとに鍛冶師のつちがふるわれて、硬く、鋭く、張り詰めていった。

 鬼の瘴気しょうきが濃くなってきた。灰をまぶしたみたいに空気がよどんでいる。吸うと胸がむかむかする。甘すぎる花の香りを吸ったのに似た感覚。手拭いを口元に巻くといくらか気分がましになった。

 突如、一陣の風が吹いた。

 すでに、目的の場所は目の前にあった。

 打ち壊された祠。かつて、太郎たちが通っていた剣術道場よりも大きなお堂。柱のいくつかがへし折れて、全体的にかしいだ輪郭りんかく。巨人にでられたみたいに、苔むした屋根瓦がごっそりと地面に落ちている。

 その周辺に、円をえがき、鬼たちがたむろしていた。

 奇妙な光景に足が止まる。

 鬼たちは全員が揃って空を仰いでいた。

 祠の付近だけは、台風の目のように霧が晴れている。上空には燦々さんさんと照りつける太陽。人なら眼が焼かれてしまうが、鬼の眼はよほど丈夫なのか、見開いたまま、陽の光を直視している。

 醜怪しゅうかい向日葵ひまわり畑。

 儀式めいた雰囲気だ。

 まるで腑抜ふぬけ。心あらず。

 いまが好機に違いないと、五人が攻め入ろうとした、そのとき。

 つきたての餅みたいな分厚い鬼たちの首が一斉にねじれた。

 鋭く射かけられた無数の視線の矢。

 だが、太郎たちはおくさない。

 真向から受け止め、見返す。

 にらみ合いはほんの一瞬。

 次の瞬間には、目まぐるしく鬼と人、そして神の御使みつかいとが入り乱れた。

 戦いの火蓋ひぶたが切られたのである。


 それからの桃次郎といったら、まさしく鬼神のごとし。

 ばったばったと鬼を斬り伏せ、八面六臂はちめんろっぴの大活躍。

 霊木刀を一振りすれば鬼が倒れ、二振りでぜて、三振りで鬼がちりとなった。

 大立ち回りのその後ろで、太郎と三人衆も奮闘する。

 鬼たちは桃次郎よりも、太郎のほうがくみやすしと考えたのか、弱い者から先に仕留めようとでもいうふうに、苛烈を極めた波状攻撃を加えてきた。

 熟練の餅つき職人のきねさばきのごとく、鬼の棍棒が乱舞。大地がえぐられ、土が散り、土竜もぐらの大群にでも襲われたみたいな大量の穴ぼこが地面に刻まれる。

 極限状態ではあったが、太郎と三人衆は協力することで、なんとか生き延びることができていた。

 太郎は脇差では鬼の肌が斬れぬと赤鬼との戦いで思い知った。だから攻撃をいなすことをまず第一とした。敵の力に逆らわず、むしろ利用し、刃やみねを滑らせて、右に左に受け流す。

 そうして鬼が攻撃を空振った隙に、三人衆が仕留めにかかった。

 猿彦の大斧の渾身こんしんの一撃が、鬼の頭をまきのように叩き割る。開いた鬼の脇腹に、犬子の大鋸が当てられて、胴体を真っ二つに削り取る。距離を取った鬼へ、雉彦の大鋏が伸ばされて、首をちょきんとちょん切った。

 三人衆はさすが十数年ものあいだ鬼と戦ってきた熟練者だけあって、冷静沈着な戦いぶり。とはいえ、ここは鬼の本拠地。倒せども倒せども、鬼の軍勢が霧のなかから湧き出して、絶え間なく襲い掛かってくる。

 じりじりと後退を余儀なくされる。

 脇差に、刃こぼれが目立ってきた。

 兄の危機に、桃次郎が駆けつける。

 霊木刀で豪快にぎ払い、鬼を牽制けんせい

 太郎がおとりとなり、寄ってきた鬼を桃次郎が討つ連係。

 劣勢はすぐにはねのけられて、みるみるうちに敵の数が減っていく。

 鬼の未来は、すでに定められていた。

 悪鬼羅刹あっきらせつを許さぬ心、霊木刀が鬼を断つ。

 鬼たちすらもおののくような、強大極まる魔を討つ力。

 ついには背を向け、逃げ出す鬼があらわれた。一転攻勢。一体たりとも逃がすべからずと、桃次郎と三人衆が駆け回り、弱った鬼にとどめを刺していく。

 死に物狂いで逃げていく最後に残った二体の鬼を、太郎が追跡。

 どこかあわれを誘う姿だが、容赦してやる義理はない。

「こっちだ桃次郎!」

 霧ではぐれぬように呼びかけながら、干潟ひがたの泥をはねさせる。

 鬼ヶ島のふちに追い詰められた鬼たちは、湖面を背にして振り返った。追ってくる先頭が太郎と知るや、棍棒を構える。

 つややかな栗色の肌の鬼と、つややかな柿色の肌の鬼。

 二本の棍棒が太郎に向かって交差するように迫りくる。

 太郎は半身で避けながら、柿鬼の腕を刀で押し、栗鬼へと寄せた。すると清流に導かれるようにれた柿鬼の棍棒が、栗鬼の腕を激しく打つ。その衝撃で、栗鬼は棍棒を取り落とした。

 柿鬼の棍棒が横に振られる。太郎は低く伏せてそれを回避。下をくぐると、ばねのように身を起こし、柿鬼の右目を一突き。堅い肌は斬れずとも、熟れた果実のようにやわらかい瞳になら刃が通る。続いて栗鬼の左目も素早く突いてひるませた。

 追いついてきた桃次郎が霊木刀を一振り。

 二体の鬼の首が胴から斬り離される。

 鬼たちの手は虚空をつかみ、宙を舞ったふたつの首は、湖の底に消えていった。

 三人衆もやってきて、倒れた鬼の体を見下ろす。

「終わったか」

 と、猿彦。その顔には二十年分の疲れがにじんでいる。

 犬子はうるんだ瞳を乱暴にぬぐって、

「なんだか、あっけなさ過ぎて、変な気分だ……」

「山神様の力が分かっただろ?」

 桃次郎が自らの胸を叩いて言うと、いまばっかりは、犬子も素直に認めた。

「桃」と、雉彦が呼んで「今度、村を案内してくれよ。鬼を退治したら外のことをもっと知りたいと思っていたんだ」

「いいぞ、雉」

 快活な返答に、雉彦は泣き笑いのような表情をして、それから、水神の祠がある方角を見やった。

「鬼の死体はどうしようか」

 何体倒したのやら分からぬほどに倒した。

 首のない栗鬼の胴体を猿彦が引きずりながら、

「火打石で燃やしてしまうか。こんなものは、土に埋めて植物の養分にするのも、水に沈めて魚に食わすのも気分が悪い」

「ここで?」と、雉彦。

「これだけ大量ではそうするしかあるまい。やたらと重い上に、山のようにあるのだぞ。運び出すには舟を何十往復もするはめになる。祠の前で燃やして、水神様に勝利を捧げよう。さっさと燃やしてしまえば、死体から瘴気が広がるのも避けられる。犬子、雉彦、肉片のひとつも残さず拾い集めるんだ」

 言われたふたりはすぐに戦場跡へと走っていった。

 猿彦に続いて、桃次郎は首のない柿鬼の胴体を引きずっていこうとしたが、ふと立ち止まり、その姿に見入る。

 妙な顔をしている弟に、太郎が声をかけた。

「どうかしたか?」

「いや……」

 桃次郎は口ごもって、

「……鬼にも、へそがないんだなって」

 鬼の死体はとてもよく燃えた。

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