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第二話 へそなし子は植物のようにすくすく成長する

 桃から生まれた赤ん坊は、太郎の弟なので次郎、桃から生まれたので、桃次郎と名付けられた。

 すくすくと育った桃次郎は、兄である太郎の背丈を早々に追い抜くと、村一番の力自慢に成長した。

 一方、太郎は母に似て病弱。肌は冷血動物のようにあお白く、ひょろひょろとせていて、とこせることもしばしば。

 しかし、生来の体の弱さにくじけることもなく、太郎は書物を読みふけり、勉学に精を出した。父は普請ふしん奉行ぶぎょうつかえる役人。体力はなくとも、頭脳労働で父の仕事を手伝った。

 そんな兄とは対照的に、桃次郎は頭を使うのはわずらわしいという性分。汗水らして体を動かすことを好んだ。父が監督している河川工事の現場におもむいては、土木や岩を運んだり、大木をったりした。その怪力ぶりは、工事にたずさわっている職人たちからも一目置かれるほど。

 河川工事は山でおこなわれていた。神がすまうとされる山。桃次郎はこの山にいると心が落ち着いた。工事が休みの日でも、暇を見つけては草花の香りに包まれ、鳥獣の声に耳をかたむけた。

 そうしていると、悩みからも解放される。

 桃次郎は自分が父や母の本当の子供ではないと、薄々かんづいていた。それどころか普通の人間ですらない。大雑把おおざっぱ鈍感どんかんな性格だが、そのぐらいのことはわかる。というのも桃次郎にはへそがなかったのだから。人ではなく桃から生まれたので、へその緒もへそも存在しないのであった。

 まさか自分が桃から生まれたなどとはつゆほども思っていなかったが、異様な出生なのであろうと察するには十分な事実。

 同年代の子供と川遊びをしていて、自分だけが違うのだと気づいて以来、腹巻で本来へそがあるはずの場所をしっかりと隠すようになった。

 一度だけ父にたずねたことがある。自分には何故へそがないのか。父は大真面目な顔をして、それは雷様にへそを取られたからだ、と答えた。

 どれだけ古い記憶を辿たどっても、へそがあった覚えはない。雷様も赤子からへそを取ったりはしないだろう。はじめからなかったのだ。父は嘘をついている。

 もう聞こうとは思わなかった。嘘をつかれたことに傷ついたわけではない。実直な父に嘘をつかせることになったのが哀しかったのだ。家族を困らせたくはない。

 家族の役に立ちたいと、桃次郎は常に考えていた。家族が喜んでくれると、自分も嬉しい。嬉しい気持ちは、山と同じように、心のもやを晴らしてくれる。

 そんな桃次郎の心中を察してか、父は役人でも職人でもない桃次郎が工事に参加できるように、色々と根回しをしてくれているようであった。


「また新しい川を作ることになった」

 山の斜面にそそ陽射ひざしを浴びながら父が言った。

「父ちゃん。どうしてこの山は、こんなに分水ぶんすいだらけなんだい?」

 川を作っても作っても工事は終わらない。細かく分岐する流れは、葉脈もかくやという有様。

 桃次郎の素朴な疑問に、父は快活に笑って、丁寧ていねいに教えてくれた。

「理由はいくつもある。まずひとつに川の氾濫はんらんを防ぐためだ。これが一番だな。山に降った雨が一ヶ所に集中すると、鉄砲水や土砂崩れ、ふもとの村での冠水かんすいなどを引き起こす。そうならないために、流れを分散させたり、せきを設置したりするのだ」

 父の説明は続く。ふたつ目の理由は、山の裾野すそのに点在している村々に水を行き渡らせるため。飲み水や洗濯、それから畑の世話など。生活に水は欠かせない。みっつ目は物流のため。川があれば、舟を使って重い荷物を簡単に運べる。各地方へとつながる川があれば、この地がいつか商業などの流通のかなめとして栄えるのも夢ではない。という、藩主はんしゅの政策。

「でも、この山って神様がすんでいるんだろ。こんなに好き放題にいじくって、山神様が怒ったりはしないのかな」

 心配する桃次郎の頭に、大きな手のひらが置かれた。土で汚れた髪の毛を、陽に焼けた手がくしゃくしゃとかき混ぜる。

「大丈夫だ。なにを隠そう、いまおこなわれている工事は、山神様の命によるものなのだからな」

「えっ? それって、どういうことなんだい?」

「以前までは確かに、先程話していたような理由で工事が進められていた。しかしいまは違う。近年の状況では、増水など起こりようがないからな」

 分厚い指が、山のふもとを流れる最も太く立派な川の終着点を指し示す。

「あれを見なさい」

 小箱のような家々の隙間をって、荒れた獣道に寄り添った川は、地平線の手前であし鬱蒼うっそうと生い茂る原にみ込まれている。

 その向こうにはかすみがかった広大な湖。

 沖に浮かんだおぼろな島。

「あそこには鬼がんでいる。昔は名もなき島であったが、いまでは鬼ヶ島と呼ばれ、み嫌われている」

「はじめて聞いた」

「そうだろうな。皆、口にせぬようにしているのだ。特に子供には聞かせられん。だが、桃次郎はそろそろ知っておくべきだろう」

 そうして語られた鬼の所業は、耳をふさぎたくなるぐらいに陰惨いんさん極まるもの。

 約二十年ほど前。

 突如として鬼どもがあらわれた。

 鬼とは巨体で、頭から角が生え、様々な色がいて、岩を砕くほどの怪力。

 山の付近は山神の加護により守られたが、遠く離れた藩領の隅にある湖を拠点として、鬼は悪事を働いた。

 湖の周辺、葦原あしわらに近い村では、湖風こふうに乗ってただよってくる鬼の瘴気しょうきによって、畑の作物は枯れ、病が蔓延まんえん、次々に死者がでた。弱り切った村人たちに追い打ちをかけるように、鬼は時折、湖を越えてやってきては、困窮こんきゅうする人々を痛めつけ、なぶり殺しにして、はたまた子をさらって食ったりもするのだという。

 父は語りながら、固くこぶしをにぎめる。

 聞いているだけで、桃次郎の胸はむかむかしてきた。

 なんという非道な奴ら。許せん。

「これまで、こちら側にはあまり影響がなかったのだが、災厄さいやくの気配は着実にいよってきている。鬼が出現してからというもの、雨が減り続けているのだ。このままでは、近いうちに旱魃かんばつが起きるだろう。雨乞あまごいのの結果もかんばしくはない。瘴気しょうきはばまれ、天の神に祈りが届かなくなっている、と宮司ぐうじ殿はおっしゃっていた」

 言葉を切った父は、桃次郎が座る岩の隣に腰掛けた。あおぐ空は青々として爽快だが、雲が少なく乾燥気味。救いの雨はどこへやら。山から湧き出る水が頼り。

「そんな悪い鬼をどうして放っておいているんだ?」

 と、桃次郎。すると、父は暗い目をして、

「鬼が出現して、しばらくした頃。選りすぐりの武士を集めた大規模な討伐隊が編成された。そうして、血気盛んな武士たちが、鬼ヶ島に乗り込んでいったのだ。だが、結果は失敗だ。それも、大失敗だった。討伐隊は全滅。報告を聞いた藩主様はおおいに意気消沈なされた」

「鬼っていうのはそんなに強いのか……」

 顔を伏せた桃次郎に、父は努めて声を明るくして、

「心配せずともよい。話を戻そう。この河川工事についてだ。きっかけは、藩主様の元にもたらされた山神様の啓示けいじだ」

「神様が顕現けんげんなされたのか? そりゃあすごいや」

「ちょっと違うが、まあすごいことには変わりない。庭に生えるにれの木が藩主様の夢に出てきたのだそうだ。次の朝、藩主様はこれからなにをすればよいのか、一切合切を承知なされていた。夢を通じて、山神様が御意思をお伝えになられたのだ。鬼についても、その正体がわかった。奴らは水妖。昔から、あの湖には大蛇の化け物がんでいると言われていた。鬼はその手先なのだ。奴らの力の根源は水。根城である湖に流れ込む水を減らせば、力をぐことができる。そのための河川工事というわけだ」

「ふうん。でもそれなら川を完全にき止めちゃうとか、埋めちゃうとか、いっそ湖に毒を流すとか。そういう方法じゃあだめなのかい?」

「そう簡単なことではない。水というのは一筋縄にはいかないものなのだ桃次郎。湖が枯れては我らが困る。というのも、あの湖が位置しているのは広大な藩領の隅ではあるが、この藩の地下全体を巡る水脈の大本であるらしい。すなわち。湖が枯れれば井戸も枯れる。そんなことになれば、旱魃かんばつを待たずして、大地そのものが死ぬことになる。毒を流すなどもってのほか。ただでさえ、井戸から鬼の瘴気しょうきれてくる可能性が懸念けねんされているのだ。どれだけ迂遠うえんであろうと、慎重に川をせ細らせ、湖を生かし、鬼を殺す均衡きんこうを探るのが、我らの唯一の救いの道ということを肝にめいじねばならぬ」

「なるほどなあ」

 桃次郎は長い長い話で普段ほとんど使っていない頭を働かせたので、少々疲れてしまった。

 目をこすすって、照りつける太陽に手をかざす。陽の光が血を巡って、心が一気に熱くなってきた。鬼。憎むべき奴ら。義憤ぎふんの炎が魂に宿る。

 元々正義感が強い性質たち。曲がったことが大嫌い。困っている者がいれば迷うことなく手を差し伸べて、喧嘩と聞けば止めに入る。流れ者の悪党なんかを捕まえたのも一度や二度ではなかった。

 山の木々が風にざわめく。こずえから、どこか懐かしい香りがふわりとただよってくる。

 桃次郎の意志が固まった。

「おれが鬼を退治する」

 立ち上がり、山頂を仰いでこぶしをかかげた。山へ向けた正義の誓い。

 しかし、父は慌てた様子で桃次郎の肩をつかむと、大きく大きくかぶりを振る。

「だめだ。やめなさい」

「何故だ? おれの腕っぷしの強さは父ちゃんもよく知っているだろ。討伐隊の武士たちがどれほどのものだったかは知らないが、おれは百人斬りの悪党や、熊殺しの悪党だって捕まえたことがあるんだぜ。鬼なんておちゃのこさいさいさ」

「いいか桃次郎。鬼というのはな、そんな荒くれ者なんかとはわけが違う。本当に恐ろしい存在なんだ」

 幼子おさなごに言い含めるみたいに、父は我が子の瞳をのぞき込んだ。澄んだ瞳には一面の山の緑が映っている。

「討伐隊は全滅したと言ったがな、武士たちは、ただ死んだというわけではない。討伐隊が乗っていた舟が、湖の流れに乗って鬼ヶ島から陸へと戻ってくると、そこには死体が山と積まれていた。暗澹あんたんたる死体だ。両の目玉がくりぬかれ、舌は引っこ抜かれ、四肢ししが落とされていた。どの顔も苦悶くもんで、ひどくゆがんでいた。想像を絶する苦しみをその身に受けたのだろう。まさしく地獄の責め苦だ。そんな極悪非道なことを平気でおこなう鬼が、うじゃうじゃと鬼ヶ島には蔓延はびこっているのだ」

 必死の説得。しかし、いま桃次郎の心に宿るのは、悪を滅せよという使命のみ。

 へたりこむようにして、父は愛しい我が子を固く固く抱きしめる。

「いかないでおくれ桃次郎。こうして地道に河川工事を続けていれば、きっと鬼は退治できる。急がば回れの精神だ。強引にことを進めようとしても、うまくはいかないものなのだ。だから、これからも、父の仕事を手伝っておくれ……」

 父の懇願こんがんが、桃次郎を心を揺れ動かす。木々を焦がすほどであった決意のほむらは、水底に沈むがごとくに火勢を弱め、やがて、こくんと小さなうなずきと共に消え去った。

「……うん。わかったよ。父ちゃん」

「そうか。わかってくれたか。そうか……そうか……」

 微笑ほほえんだ父は、すっかり暗くなりはじめた空を見上げた。職人たちは後片付けを終え、すでにあらかた引き上げている。

「遅くなってしまったな。帰ろう。家に」

 川のせせらぎに落ちたふたりの影が水に揺れる。山林の奥から閑古鳥かんこどりの鳴き声。夕陽に焦げた葉の香り。職人たちが踏み固めた山道の土。小石がころころと転がって、ぽちゃりと川面かわもに波紋を広げた。

 それらすべてを包み込み、荘厳そうごんな神の山は身動みじろぎひとつすることもなく、連綿れんめんとして途切れることのない人々の暮らしを、見守り続けているのであった。

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