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第十一話 神の子ふたり

 父の日記を読みふけっていた太郎を横からせっつき、おおよその内容を聞いた犬子が「ふうん」と鼻息を鳴らして、

「あの人、流れ者だったのか。それにしても、世の中、変な体質の人がいるもんだなあ。水に触れると渦を巻くだなんて……」

「犬姉はにぶいなあ」

 きじ彦があきれ声。

「なにが?」

「つまりさ。太郎の母御が水神様なんじゃないかってことだよ」

「なっ……!? ええっ……!?」

 目をかっぴらいた犬子が、太郎の首をひっつかむと、その顔を子細しさいに観察する。親子揃ってあお白い肌。言われると、幼き日に見た偉大な大蛇の白く透明な鱗の肌とどこか似ている気もしてきた。瞳の鋭さも蛇を彷彿ほうふつとさせるし、せ気味の体も、なんとなく蛇っぽい。考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってきた。

 太郎を離して、犬子は後ずさる。

「おれさまは確信している」

 猿彦は木陰の草に腰を下ろすと、ひれ伏すようにお辞儀をして、

「太郎坊ちゃん。おれさまが、ここしばらくずっと考えていたことをお話しする。どうか聞いてくれ。頼む」

 そうして滔々とうとうと語られたのは以下のような内容。

 鬼の目的。それは水神が治める領域を侵犯することであったに違いない。鬼にほこらを乗っ取られた水神は、湖を離れざるをえなくなり、人に姿を変えて身を隠した。それこそが太郎の母。湖は水神の力の根源。鬼の支配が、水神である母の体調に影響を与えているのだ。

「だとすれば、何故、母上は鬼を追い払ったいまもお体を崩されているのです?」

 太郎が疑問をこぼすと、猿彦は太い首を左右にねじって、

「湖が別のものに支配されてしまったので、お力を取り戻すことができないのだ」

 別のもの……桃神……桃次郎。

「……母上にお聞きしてみよう」

「御方様はきっとお話にならない。いままで黙っていらしたのは、それでいいとお考えだからだ。桃次郎に湖ごと神性をゆずられるおつもりなのだろう。桃神が、次の水神となる」

「そんな……」太郎は悲痛に顔をゆがめる。納得できない。

 聞きながら考え込んでいた雉彦が、合点がいったというふうにうなずいて、

「妙に思ってたんだ。桃次郎がいつか話していただろ。藩主が山神から夢で宣託せんたくを授かり、鬼の正体を水妖だと看破かんぱした、って。でもさ、あの鬼に水に属する部分はまるでなかった。属するとすれば土だ。水妖じゃなくて、むしろ樹妖だ。水神様が鬼の親玉だなんてとんでもない。親玉だと疑うべきは山神のほう……」

 一息に話して「おいらが湖の民だからこう考えるわけじゃないよ」と添えた。

「わかっています」と、太郎。物憂げに影へと視線を落とす。

「太郎様……」

 犬子があらたまった態度でうずくまり、こうべを垂れた。

「どうしたんですか犬子さん。妙な呼び方はやめてください」

「水神様の御子息なれば、そうは参りません。これまでの不敬な態度、礼を失した言葉の数々、どうか、どうかお許しください」

 謝罪の言葉をべ、顔を影に染める。

「あたしが祠の様子を見てまいります。湖を越えて、桃次郎を引きずってでも連れ帰りましょう。そうすれば、水神様も復調なさる、はずですよね?」

 たしかにいままでの話からすれば、そうなるのが道理。しかし、それを犬子に頼むのは道理に反する、と太郎は思った。

「ぼくが行くべきでしょう」

 兄として、家族として。

「どうやって?」雉彦が小高い鼻にしわを寄せる。

「おいらたちの舟だと目立ちすぎるって犬姉が言ったんだよ。他の舟といっても、ひとつ残らず栗之丞くりのじょう柿之丞かきのじょうに手綱をにぎられちゃってる」

 と、ここまで話した雉彦はふとこずえを見上げ、

「……そういえばあいつらなんなんだろうね。いままで考えたことなかったけど、山神の御遣みつかい……ってつまり、桃の親類縁者になるのかな……?」

「あたしが行きます」犬子はゆずらない。「見つからないように小舟を作って、それで渡る」

「犬子、それは無茶だ」

「なんでさ猿兄」

「知っているだろう。湖には複雑かつ力強い流れが渦巻いている。大型の舟でなければ、すぐ流されて霧のなかで方角を見失う。水上で干からびるまで永遠に彷徨さまようことになりかねないぞ」

「いいや。いける。流れは覚えているし、乗りこなしてみせる。水神様や太郎様のために、命をしてもやりげる」

 牙を噛み締め決意を固める犬子の肩に、太郎がふわりと手を置いた。

「死んだら意味がない、と以前あなたが仰っていたのですよ。ぼくならば、泳いで島まで渡れます」

「お、泳いで? そんなのあたしより無茶じゃないか!」

「ひとつ、腑に落ちたことがあるんです。ぼくは昔から泳ぐことが大得意だった。どれだけ激しい流れのなかにあっても、おぼれたりはしません。桃次郎にはよく不思議がられました。桃次郎は逆に泳ぐのが不得手でしたから。大柄な桃次郎は流れに押され、ぼくは逆に流れをかいくぐるように、流れのほうがぼくを避けていくかのように、泳ぐことができました。きっとそれは、ぼくが水神の、母上の血を継いでいるからなのでしょう」

 立ち上がると頬をきりりと引き締めて、

「ぼくが行きます。帰るまで、母上のことをお頼みします」

 宣言し、すぐにきびすを返して歩を進める。

 猿彦と雉彦は、神々しさすら発散されている太郎の背中を見つめたまま、その場に釘付けになってしまった。

 犬子が駆け寄り、

「これをお持ちください」

 大のこを差し出した。獣の革の鞘に納められ、あしの縄で結ばれている。

「水神様の鱗で作られていますから、持ち主を水難から助けてくれるんです。浮いてほしいと思えば浮いて、沈んでほしいと思えば沈みます」

「ありがとう」

 受け取った太郎は寂しげに微笑ほほえみ、大鋸をたずさえると、暮れなずむ陽に影を長々と伸ばしながら、ひとり、弟を迎えに湖へと向かった。


 夜。湖面に浮かぶ月が揺らいだ。

 音もなく、かつての鬼ヶ島、いまは桃ヶ島と呼ばれている島に太郎が到着した。

 したたる水が蒼白い肌を伝って、泥めいた土に吸い込まれていく。

 湖のほとりからここまで、流れに惑わされることもなく、一直線に辿たどり着けた。

 はじめて泳ぐ湖であるのに、慣れ親しんだ田んぼややぶごとくに、太郎はこの場所のことを隅々まで知っているような気がした。

 大のこにもおおいに助けられた。犬子から聞いていた通り、水神の鱗が浮きの代わりとなって、波に呑まれるのを回避し、重しの代わりとなって、体を安定させてくれた。

 夜と霧がそっとのしかかってくる。

 湖の空気を肺いっぱいに吸い込む。

 あれほど虚弱であった体に力がみなぎっている。

 太郎は迷いなく祠へと向かう。

 やがて、鬼火のような明かりが霧の奥にぼうっと浮かんだ。

 建て替えられた祠を見るのははじめてだった。水神の祠に使われていた建材を再利用し、壊れたところを補強。さらに、桃次郎が住めるように、いくつかの部屋が増築されているようだ。

 道しるべの灯籠とうろうを巡って、入り口へ。

 重厚な扉の前で、しばし逡巡しゅんじゅんする。ここまでの道中、ずっと考えていたのだが、桃次郎に掛ける最初の言葉が、まだ定まっていない。

 こうなれば、勢いのまま、心のままにぶつかるしかあるまい。

 そう決めて、扉に触れようとしたそのとき。

 ぎっ、と細い隙間が開いた。

 久方ぶりの弟の顔がのぞいた。

 わずかに痩せた気がするが、壮健そうけんのようだ。太郎は少し安心して、弟はさぞかし驚くだろう、と予想したのだが、

「おう。兄ちゃん。どこにいってたんだ。続きをするぞ」

 平然と言われて、

「え……?」

 戸惑う太郎を桃次郎が祠のなかへといざなう。

 外気よりもひんやりした空気に身震いする。がらんどうの空間。床は広く天井は高いのに、そこかしこに影がこごっているからか、強い圧迫感がある。その圧迫感を助長しているのが、中央に鎮座ちんざする畳二畳分ほどの祭壇さいだんへりに霊木刀がまつられた台の上に、山と盛られた土。植えられた奇怪きかいな樹木が、取り囲む行燈あんどんによって、煩雑はんざつな影を巨大に膨張させている。

 台座のそばに、薄っぺらい座布団がふたつ並べられていた。

 そのひとつに桃次郎が腰を下ろす。振り返って、

「どうした? 兄ちゃん?」

 空いている座布団は太郎の席ということらしい。いままで誰かが座っていたかのようなへこみがある。

「……桃次郎。驚かないのか?」

「なにが?」

「ぼくが、ここに来たことにだ」

 太郎が言うと、桃次郎は怪訝けげんな顔。

「疲れたのか兄ちゃん? ……わかるよ。ここに来てからふたりで祈りっぱなしだったもんな。でも、あとちょっとの辛抱だから頑張ろう。あとちょっとで、母ちゃんの具合もよくなるんだから」

「どういう意味だ?」

「本当におかしいぞ兄ちゃん。どうしちゃったんだよ。そもそも兄ちゃんが言っていたことだぞ。母ちゃんが具合を悪くしてるのは残留する鬼の瘴気しょうきのせいだから、それを完全にはらうためにも、ここで一緒に祈りを捧げようって……」

「それは違うぞ。ぼくはそんなことは……」

 と、太郎が言いかけたそのとき、部屋の隅にあった扉が開き、奥から思わぬ者が顔を出した。

 その者は太郎を指差し、鋭い声で叫んだ。

「桃次郎! そいつは鬼だ!」

「なにっ!?」

 桃次郎はたじろいで、けれど、すぐに太郎の両肩をつかんで押し倒した。第三の男は素早く駆けてくると、桃次郎の後ろを横切り、祭壇にまつられていた霊木刀を手に取った。

 影に塗られた男の顔が、行燈の光に照らされる。

 それは、まごうことなき太郎その人であった。

 鏡に映したかのような、そっくりそのまま。

 ――太郎がふたりいた。

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