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勿忘草のティールーム  作者: 斎賀弓
2/2

婚約者が初恋の相手だとか夢みたいだから、もっとちゃんと眠ることにした

続きです。ジュリアンヌ側のお話。

 

 自分が見知らぬ部屋に居る、と気づいた瞬間、彼女は学生服の柔らかいスカートの内側から、利き足へ直に結わえつけたダガーナイフを引き抜いて構えた。

 

 数分、いや数十分、記憶がない。

 大窓から射し込む陽の角度で咄嗟に計算して、見たことのない人間がこちらに微笑みかけているのを睨み返す。

 少女だ。幼女と言い換えられるほど、細い人形のような手足の子ども。およそ荒事とは縁遠そうな穏和な立ち姿だが、凡庸な子どもが、いきなり目の前で刃物を見せた人間に怯えないのが『異常』。

 警戒を怠らず呼吸すら潜めた彼女に、少女は白い掌を向けた。


 「ようこそ、ジュリアンヌ様。お待ちしておりました」

 歓迎の歓びがまろい声にまで滲んで、ジュリアンヌは躊躇う。

 子どもは中等部の学生服を身に纏っている。数年前まで、自分も袖を通した、同じ型。

(まさか本当に、ただ後輩と約束していたのを、失念していただけ?)


 いいや、こんな姿形の少女は、一切記憶にない。ましてや、私的なつきあいのある相手であれば、この短剣を引き抜く前に別の『方法』を考えたはず。

 柳眉を顰めたまま微動だにしないジュリアンヌに、子どもは肩を竦めた。

 

 (強情なかただな)

 ナイフを向けられた少女――ネヴィアは、ティーポッドの横に備えた茶葉の残量を黙算しながら、笑顔の種類を変えた。

「もちろん、依頼のお話です。内密で、という要望にお応えくださり、こちらまでご足労いただいて…」

 頭を下げながら、右手で黒い一角獣のハンカチーフを広げて見せる。

 不吉なそれを、ジュリアンヌはかえって安堵する気持ちで見つめ、短剣を仕舞って席に着いた。

 

 ネヴィアの白い手が、銀の大匙でたっぷりと、不思議な香りのする茶葉をティーポッドへ入れるのを見守ってから、ジュリアンヌは口を開いた。

「それで、どなたを排除したいと?」

 ケホッと、笑うような無邪気さで噎せてから、ネヴィアは苦笑した。

「そうですね……ここで躊躇っても意味はありません、ええ。モントジオール家のロマーノ様を。」

 

 パッと檸檬色の瞳を瞠って、ジュリアンヌは沈黙した。それは、彼女の婚約者の名前だった。

 幼い日に、こちらを見てミルクのような頬を果実のように鮮やかに染め上げた人を想う。

 甘いだけの懐古を振り切るように、彼女は硬質な声を保った。


 「たしかに、私には容易い相手ですが、父から許可は出たのでしょうか?」

「だいぶ渋いお顔をされていらっしゃいましたが、条件付けされたのは『時期』だけでした」

「……私たちの卒業を待つようにと」

「ええ、その日の夜でも構わない、と仰せでしたわ」


(なんて、残酷なことを。)

もう何度も思ったことを、改めて胸の内で繰り返す。卒業の式典を終えたら、祝賀パーティーに少しだけ顏を出して、ロマーノとジュリアンヌは教会へ行く予定だった。王都で一番に清く荘厳な場所で、互いを永遠の伴侶だと宣誓し合うために。

(“あの”両家が時を同じくして『神の家』に集い、左右の長椅子に勢揃いするなんて、いったいどんな光景かしら)

 『実現しない』からこそ、頭の中で皮肉を言って笑っていられる。


 同じことだ。決して叶いはしないから、ジュリアンヌは何度もその黄金の黄昏のことを考えてきた。

 花嫁だけに許された純白のヴェールを、あの人の長い指がそっと持ち上げて、頭の天辺へ乗せ両耳へ垂らす。シチュエーションに酔っているのか、あの人の瞳は、いつになく近く、熱っぽく彼女を見つめて。そうして、誰の視線からも互いを守れるほどに近づいて、ようやく、ジュリアンヌは心のままに彼を見つめることができる。

 

 そういう幸福を、夢見たこともあった。醒めた顏で、こうした話ができるくらいには。

「わかりました。執行させていただきます。王家と秩序の安寧のため。」

 定型句と共に右腕を左肩へ。このポーズをとった後、なにか話しかけられるという経験が少なく、ジュリアンヌはふっと零された幼い声に驚いた。

 

 「ほんとうに、これで王家と秩序は安らぐでしょうか?」

 少女は、華奢な腕を精一杯伸ばして、ポッドから自分のカップへ薄緑色のお茶を注いだ。トクトクという高い音と同時に、脳を直接揺さ振るような、刺激的なハーブの香りが立つ。

「モントジオール家は200年もの間、王家を支える忠臣を途切れることなく輩出してきた名家。お輿入れの後に国母となったのは先代に留まらず、現に王太子殿下は従兄のロマーノ様を実兄のように敬い慕っているとか」

 知っている。あの、血縁を笠に我が物顔で彼を独占しようと、いつも私の粗を探している王女。陽の当たるお城でぬくぬくと育った、目障りな兄妹。

「ああ、ジュリアンヌ様のコルデフィード家も、同じく王家に忠節を尽くすと代々高名ですが…不思議と、姻戚にはなられてこなかったのですね」

 不思議でもなんでもない。『あんな』命令を下しておいて、その家の娘を自らの血脈に招きたい訳がない。


 コルデフィードの者は、物心つく頃には、人間の血潮の温度を生身で“知って”いる。フォークもナイフも、扱いを覚える一番の理由は自分の食事のためじゃない。友人を作る時は、その『友人』の弱点を知りたい時。千回に一度、本音を晒すのは、そうした方が確実に、『仕事』を進められるから。

 

 うんざりとして、つい、ため息を落とす。

 これが真実、大義名分のためだけの職務であればよかった。ジュリアンヌの祖父母も曽祖父母も、そうして誇らしい一生を終えた。国のため王のため、民衆に怪しげな黒魔術を伝道する異常者を、自らが権力の頂点に立とうと武装蜂起した荒くれ者を、表舞台の影で一掃してきた。


 闇の中の裁きだ。光が当たってはいけない。王とコルデフィードしか知らない、知ってはならない。命懸けで、時にそれを失いながらも成し遂げた功績は、公の場では当然の顔で他家の――モントジオールのものとして王直々に賜られた。

 

 代々、こうした不公平を口にした男女はいた。だがあくまで、それは家の中での話だ。前提として、コルデフィードが行ってきたことについて、知っている者が歴代の王しかいない。王にもの申すことは叛逆だ。

 そうして、ジュリアンヌの父が、その矛先をすり替えた。

 『悪いのは、労無く降ってきた功績を何食わぬ顏で我がものと高らかに吠え続ける、無能で恥知らずなモントジオールだ。』

 彼の妻――ジュリアンヌの母が、『仕事』へ行った後に変わり果てた姿で発見された、その翌朝。父は一族を集めて血を吐くような演説をして、そっとジュリアンヌの手を引いた。

 「お前がいつかこの手で終わらせる、お前の『王子さま』に会わせてあげよう」

 

 そうして始まった婚約だ。

(“仲良し”のふりを何年も続けなきゃいけないなんて、めんどうだな)

 最初はそんな風にしか思っていなかった。ミルク色の肌と、輝く蜂蜜の髪を持つあの人に出会う前は。

 ジュリアンヌは、家族でない人から与えられる本物の真心や優しさを、彼に教わった。本物を返せないこと、決して返してはいけないことを、思い出しては心が軋んだ。

 

 正気を失ったのなら理性ごと手放してしまえばいいのに、父の監視と警告の手腕は衰えるどころか鋭さを増していった。

 コルデフィードの裏の家紋である『黒い一角獣』と同じ、有り得べからざるもの。青い薔薇を身に纏い、氷よりも冷たく自らを律し続けることだけが、今の彼女にできる精一杯だった。


 『大きくなったら、きっとふたりで幸せになろうね。なんにも心配しないで、思ったままのことをぜんぶ話し合える、この国で1番の仲良しだよ』

 

 幼い頃にもらった、蕩けるような温かな眼差しが、蹲りそうなジュリアンヌを何度だって励まし、前を向かせる。

 

 決行を迫られた時、どう行動するべきか、もう何年も前から心を決めていた。

 ロマーノに勧める本、彼の従弟へ聞かせる言葉、ふとした仕草、学園の他愛ない噂話。どれも父の耳目に入らない些細なことだけれど、すべてを使って、ロマーノに伝えてきた。聡い彼は気づいている。ジュリアンヌが信じた通りに。

  

 ふっと、素直な彼のことが愛しくなる。最近は、彼がいないところでは気がつくと微笑んでいることが多くて、卒業の日の忙しない予定を知っているクラスメイトたちには「気が早い」とからかわれている。

 (私には、もっと良いプランがあるのよ)

 その日、きっと私は、ロマーノをコルデフィード――私から、解放してみせる。

 

 「上機嫌でいらっしゃいますね」

 目の前の少女は、台詞とは裏腹に、どこか哀しそうに目を細めていた。たしかに、この年頃の女の子には、『長らく許嫁を演じていた暗殺者が、式を挙げたその夜に伴侶をその手で葬る』だなんて、あまりにも夢のなさすぎる話かもしれない。


 ジュリアンヌは苦笑して、『先輩の女学生』の顏をした。

「長らく煩わされてきた悩みから、ようやく解放されるわ」

「悩み?」

「私だって、本心から好きと言えるお相手に許されて、結婚の約束をしたかった」

「そのお相手とは、どのようなかたですか?」

「この世で一番透明な水晶の瞳と、真午の太陽の髪を持つ人よ」

「それは、ロマーノ様と同じくらいの美男子でしょうね」

「ええ」

 そう、まさにその人のこと。 


 『依頼』をしてきたはずの少女から、自然な敬意と共にその名前が出た気がして、ジュリアンヌは家では禁忌とされる疑問を口にした。


 「ところで、あなたはなぜロマーノを」

「あのかたが、もう何年も一途な乙女の心に気づかず、闇夜にひとりきりで泣かせてばかりいるからですよ」

「まぁ…」

「もちろん、私ではございません」

 それはよかった。この上、心を騒がせる事情が増えてはほしくない。この先の『計画』を、冷静に、確実に進めるために。


 「あのかたはその上に、おひとりで要らぬ覚悟を決めておしまいになられた」

ロマーノの、覚悟。

「――それは、どういう」

「ジュリアンヌ様。私が今飲んでいる、この茶の材料がお分かりになりますか」

 香りで、5種類までは判別がついていた。けれど、知らない茶葉か、もしかすると樹皮や草の根から抽出したオイルが複数混ざっている。

「アイオロスの樹皮を燻したもの、タキオンの茎と根の粒子を4対6、月齢21.9の晩いっぱいに月光を浴びたダイトテキストラの涙。」

 反射で瞬時にそれらを記憶してから、それは違う、と思う。そんな劇物を入れて、人間が口にできる飲み物になるはずがない。だが――。


 思考の廻廊に沈みかけたジュリアンヌを、小さな手が招いた。

「どうぞ。ぜひ、お飲みになって、確かめてみてください」

 とても理に適っているような気がした。注がれたライトグリーンの液体に顏を近づけて、組み上がりつつある自分の仮設を証明するために口をつける。

 そこで、意識は途切れた。

 


 「なんという。これほどの濃度で煮出しても、足りないかと思いましたよ」

 薬物耐性だけでなく、精神力に非常に優れた女性だ。なるほど、コルデフィードで育って、コルデフィードを裏切る女傑に相応しい。

 瞼を閉じた横顔は、無垢な少女そのものの可憐さ。けれど、巧妙な化粧の下には、彼女の苦悩を物語る青白い疲労が滲んでいる。


 (この上、固めた心をさらに揺さぶるようなことはしたくなかったけれど)

 彼女はきっと覚えている。目覚めた後、自分とこの部屋のことを綺麗さっぱり忘れても、あの3つの材料の名前と、その配分は。


 「私の『レシピ』が、あなたがたに幸運を運ぶことを願っております」

 

 『死者を眠りに就かせる』とまで謳われる強力な仮死薬。

 その前身とも呼べる眠り薬を、ゆっくりと味わって、ネヴィアは飲みくだした。

 

 

 


見たままロミジュリをもじりました。冷静にヤンデレるロミオと、計画犯かつ実行犯なジュリエットif。稀に見るほど情熱的で若者らしいのは原典のまま。

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