第一章8 『領主の娘』
ゆっくりと足音が近づいてくる。
一体誰なのであろうか、魔獣の親玉的なやつなのだろうか、体が熱を帯び、額に汗が滲む。
警戒し、足音が近づいてくる方を凝視していると。
「うわぁ……これは…すごい惨状ですね」
引きつった笑いを浮かべながら、1人の女性が歩み寄ってきた。口をポカンを開けていて、開いた口が塞がっていないといった状態だった。
まあ、女の反応は当たり前だろう。こんな惨状を目撃したら、誰だって驚く。
逆に、この女は反応が薄い方だ。
「森に魔獣が出たと言われたので、殺しにきたんですけど……先越されちゃいましたね」
血を踏み越えて、ルイたちの目の前まで歩み寄った女。
腰付近まで、金色の髪が伸びており、腰には、派手な装飾がされた鞘、手には長剣が握られている。
おっとりとしていて、愛嬌を感じさせる見た目だが、どこかしら逞しい雰囲気を漂わせている女。
「どうも、こんにちは」
「お…おう、こんにちは」
女が一礼をしつつ、挨拶を口にする。女のした一礼は、とても美しく、上品さを感じさせられるものだった。
女の挨拶に対して、ルイも挨拶を返した。
ルイが挨拶を返すと、ルイに向けていた視線をシエナの方に移して。
「そちらにいる彼女も、こんにちは」
「えぇ、こんにちは」
シエナにも、一礼をして、挨拶する。
すると、シエナも軽く一礼して、挨拶を返した。
「ところで、こんなところで何してるの?危ないですよ?いや、危ないもいってももう危なくなる原因は無くなったんですけどね」
先程の上品さはなんだったのか。急に口調を変えて話しかけてくる。
一気に、この女に対するイメージが崩れ去った。
「いやぁ、元々はリーカナにいたんだけど急にこの森に飛ばされてね。それから、この森を抜け出そうとしてたんだけど今さっきこいつらに襲われてね」
魔獣に襲われたという点なら信じてくれそうだが、急にこの森に飛ばされたということは信じてくれるのだろうか。
我ながら、とてつもなく怪しく、信じ難い話だが、本当のことなのだ。
自分が、この女の立場で、こんなことを言われたら絶対に信じない。
「へぇー。そうなんだ、それは大変ですね」
「えっ?信じてくれるの?」
「はい。信じますよ、嘘をついていないと分かるので」
信じてくれないと思い切っていたので、信じてくれたことに驚愕する。
「嘘をついていないか分かるって、なんか、そんな力でも持ってんの?」
「いや、勘です」
「え?」
嘘をついていないと分かると、この女は言ったのだ。
てっきり、相手が何かしら嘘をついたら、それが分かる能力的なものがあると、勝手に思っていたのだが、違ったようだ。
しかも勘だという。まあ、その勘は当たっているので良かったのだが。
「勘かよ……いや、そんなことはどうでもいい、なぁあんた、ここはどこなんだ?」
今の現在地が、ルイたちが一番知りたかったことだ。この女は恐らく、現地の人間であろう。
ならば、ここの場所を知っているはず。
「──ここは、ステラテアの森といいます。この森の近くには、サントエレシアという街があります。」
ステラテア、サントエレシアと女は言ったが、せっかく聞き出せたのにも関わらず、ルイは地理に疎いので、全く分からない。
森の名前は知らなくとも、街の名前ぐらい知っていると思っていたのに、ルイの脳には、サントエレシアという街の名前の記憶が刻まれてはいなかったようだ。
シエナの方に助けを求めると、シエナも分かっていない様子だった。
こいつもか、まぁ、シエナに期待するだけ無駄か。
「さっきリーカナと言いましたよね。リーカナだったら、この街からは、結構な距離離れてますけど」
「そうなのか、いや、ありがとう……あんた」
「ディアナって言います。ディアナ・サントエレシアです」
「サントエレシアって、お前、領主の娘とかなんとかなの?」
街の名前が苗字になっているなんて、その街の領主としか思えない。
そして、どうやらその答えは当っていたらしく、ディアナは「えぇ」と言いながら、首を縦に振った。
「それで、あなたたちの名前は?」
ディアナが、2人に目を向け、名前を聞いてくる。
人が名乗ったら自分も名乗るのが礼儀だろう。
「俺と名前はルイ、そして横にいるこの子はシエナって言うんだ」
ついでにシエナの自己紹介もしてやった。自分で自己紹介がしたかったのだろうか。シエナは少しご不満らしく、赤く染めた頬を膨らませていた。
「シエナさんとルイさんですね、分かりました。それで、これからどうするの?」
またしても急に口調を変えてくる。礼儀正しくするなら、ずっとその状態を維持してもらいたいものなのだが。
「とりあえず、リーカナに戻ろうと思っている。街の人達が心配だし、早くどうなっているのか知りたい。」
───逃げた癖に。
「リーカナがどうなったか知りたいって、何かあったの?」
「え?知らないのか?」
ディアナは、「うん」と返事をしながら、縦に首を振る。
本気で知らない様子だった。
六大都市の一つが業火に焼かれ、潰されたのだ。てっきり、帝国全土に伝わっているものだと思っていたが、そうではなかったらしい。
「リーカナは、恐らく陥落してる」
「陥落って……何があったんですか?」
ディアナが、パッと大きく目を見開く。非常に驚愕している様子だ。
「──知らない。多分、俺はいきなり襲われて気絶していたんだ。そして、気付いたら街は業火に燃えていて…みんな死んでいて…」
あの裏路地の惨劇、あれがリーカナが襲われた予兆か何かだったんだろう。
感情と思考がぐちゃぐちゃになり、言葉が続かない。
ディアナとシエナが憂いの瞳でこちらを見つめてくる。
シエナが、ルイに憂いの瞳を向けるのは、少し違うと思うが。
「そうなんだね、リーカナに行きたいのか。だったら、とりあえず私の家に来ますか?馬車とかも用意してあげますよ」
「え?いいのか?」
思いもしなかった返答に、思わず顔を上げる。
「はい、いいですよ。魔獣を倒してくれたお礼として、勿論、ご自身の休養も込めて」
そう言いながら、ディアナはルイとシエナをを見つめてくる。
客観的に、ルイの姿を見ると、ルイはボロボロだ。服は土や、乾いた血などで汚れており、顔色もあまりよろしくはない。
シエナの方も、外見的に見たら問題ないが、問題なのは中身だ。
身体的疲労は、治癒魔法ではどうにもできない。
シエナは、ルイに気遣って、疲労を隠していると思うが、ディアナにはそれが分かっているようだった。勘だろうか──。
「じゃあ、その言葉に甘えるとするよ」
「甘えないでください」
急に辛辣な物言いをされたので、驚愕してしまうが、まあいい。
リーカナに戻る道筋が、こうも簡単に見つかったのだ。それに関しては、運が良かったと思う。それに関しては───、
「着いてきてください」
ディアナが、森の出口の方であろう方向に進み、こちらを振り向いて、着いてくるように促してくる。
「じゃあ、行くとしますか」
「そうだね」
そして、ルイとシエナも、ディアナの背中を追って、歩いていた。