第一章3 『変な音がした』
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リーカナは、本当にいい街だと思う。通りを歩いていると、改めてそう感じる。
間近で見ると、建物の一つ一つの構造が繊細であり、老若男女問わず、色んな人達の幸そうな話し声が、街中に響き渡っている。
「良い気分だねー」
「まあ、確かに、今はいい気分だね」
「あーーーー、何も聞こえないなーーー!あーーー、何を言っているのかなー!」
リアムの発言が耳に入ってくる前に、反射的にルイの耳が塞がれた。なので、リアムが何を言っているのか、耳に入ってこなかった。
現在ルイたちは、中心部へと続く大通りをのんびり歩いている。
一件、呑気に歩いていてマズいのではないかと思うが、今は城壁から結構離れた場所にいるため問題ない。
仮に追手が来たとしても、人通りが多いので、人混みの中に紛れ込めば問題ないだろう。
「それにしても、あれだよな。オーガスのやつ、本当に馬鹿だよな。ちゃんと俺の事見張っとかなくちゃならないのに。兵士の仕事を怠りやがって」
オーガスが、ルイのことをちゃんと見張らなかったのが、全ての原因だ。つまり、全部オーガスのせいだ。ルイは何も悪くない。なので、怒られる筋合いは何一つないのだ。
「あー、ほんと馬鹿だよな。後先も考えずに行動に移すなんて」
万遍の笑みで、平然と皮肉を言い放つリアムは放っておいて、今を楽しむことにする。
「それにしても、これから何しよっかな?」
「え?考えてなかったの?」
リアムが目の丸くして、ルイの顔を覗いてくる。
「うん。サボるって言っても、何すればいいんだ?」
「ほんと、何も考えてないんだな…」
ルイの返答に、リアムが苦笑する。ルイは、本当に何も考えていなかった。ただ、サボることしか考えていなかったため、後先のことは、本当に何も考えずに来てしまっていた。
後のことをしっかり考えておけば良かったと、今更後悔する。
「あー、ほんと何しよ…」
そんなことを考えている矢先、目の前から小さな女の子が近付いてきた。
「お兄さん達…兵士の人なんだよねぇ?」
首を傾げながら、愛らしい目つきで、こちらを覗いてくる。手には、小さな熊のぬいぐるみを抱いており、より可愛らしさを倍増させている。
「そーだよ、お兄さんたちは、兵士だよ」
小さい子供から見て、大人は、少々怖いものだ。ルイも小さかった頃、大人が怖かった思い出がある。なので、出来るだけ優しい口調で、女の子に接する。
「あの…一つお願いがあるんだけどぉ…」
女の子は、懇願するような目つきで、弱々しい声を出しながら、こちらの様子を覗いてくる。
「お!なんでも言ってごらん!」
ルイは意欲満々だった。こんな可愛らしい女の子からお願いされるのは、なんて嬉しいことなのか。非常に気持ちがいい。
ルイは、声を弾ませて、少女の願いを聞く。
すると、願いを聞いて貰えたのが嬉しかったのだろうか、少女は顔を笑顔に染めて、こう言った。
「お腹空いちゃったから何か買ってくれない?」
抱えているぬいぐるみに顔を隠しながら、こちらを覗いてくる。少女の丸い瞳が、ルイの心を擽る。
「勿論!お兄さんがいっぱい買ってあげるからね!」
少女に顔を近づけ、胸に手を当てながら、そう言った。
こんな可愛らしい少女からのお願い、誰も断れるわけが無い。娘の頼み事なら、なんでも聞く親の気持ちが分かってきた。
少女のお願い、お望み通り、聞き入れてあげよう。というわけなので──、
「よし!リアム!何とかしろ!」
「えぇ…?」
「俺は今、一銭足りとも持っていない。つまり、リアム!何とかしろ!」
ポケットの中を、手探りで探したが、何も持っていなかったので、全てリアムに放り投げておくことにした。
「ん?どうしたんだリアム。何をしているんだ?早く金を出せ」
「あぁ…分かったよ…」
リアムは、顔をしかめながら、渋々お金を取りだした。
「いっても俺、銀貨一枚しか持ってないけどな」
「は?リアムお前、そんぐらいしか持ってないんだよ。普段から金額一枚分ぐらいは持っておけよ」
「お前がそれを言うなよ…」
リアムが何か喋ったような気がしたが無視して、少女に目を向ける。
「よし、じゃあどっか屋台にでも行こうか」
「うん!」
少女は目を輝かせながら、元気よく返事をした。その返事を受けて、ルイたちは移動を始めた。
屋台といっても、色々とあるので、どこに行けばいいのか分からない。
なので、少女に訊いてみることにした。
「ねぇ……っていうか君、名前は?」
少女の名前を呼ぼうとしたのだが、名前を訊いていなかったため、出てこなかった。名前を知っていた方が、互いに親しみやすいので、少女に名前を訊いた。
「私、エマって言うよ!」
「エマちゃんって言うんだ、よろしくね」
「兵士さんの名前は?」
「俺の名前はルイって言うんだ。よろしくな」
「俺の名前はリ──、」
「ルイ!よろしくね!」
「っておぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
ルイのエマが自己紹介を交わしている最中に、横槍が刺された。
「ん?どうしたんだお前」
「どうしたじゃねぇよ!なんで俺の存在忘れてんのかよ!俺が奢ってやるってのに」
横槍を刺したリアムは、自分の存在を忘れられたことに、激昂しているようだった。周りを顧みずに、そう叫んだ。
「おいリアム、エマちゃん怖がってるだろ?そう怒んなよ」
激昂しているリアムを窘めようとするが、一切聞く耳を持たずに、
「もういい、奢ってやらねぇからな」
そう言い捨て、兵士の仕事に戻ろうと、その場から去ろうとしていくリアム。
エマが可哀想だ。リアムに金を出させるためには、一体どうすればいいのか。
そう脳内で思考錯誤している内に、ある名案を思いつく。それは────、
「おいリアム!この涙ぐんでる目を見ろ!エマちゃんが可哀想じゃないか!」
リアムに、涙ぐんでいるエマを見せつけて、同情を誘う作戦だ。エマのような愛らしい少女が、食べ物を買って欲しいと懇願してきているのだ。
ちなみに、涙ぐんでいるエマは、自ら目を涙で潤したのだ。なんという演技派。
果たして、この完璧な同情作戦は成功するかどうか。リアムの顔を伺うと、顰めていた瞼が閉じられ、一拍置いてから、
「あぁもう!仕方がねぇなお前らは!」
と、渋々ながらも了承してくれた。やはり、同情作戦は成功した。ルイは、自分の考えた作戦の完璧さに、自画自賛する。
「で、何買うんだよ」
「そうだよな…ねぇエマちゃん」
リアムに何を買うのかを問われ、先程途切れていた会話を元に戻す。ルイの呼び声にエマは「ん?」と言いながら首を傾げた。単純な動作だが、エマのような愛らしい少女がすると、兵器と化して、ルイの心をズタボロに打ち砕く。
「おーい、ルイー」
少女の一撃で、心を打ち砕かれているルイの異変に気が付き、リアムが顔を覗いてくる。視界にはエマの姿しか無かったが、覗いてきたリアムの顔に、視界の大半を埋められたので、兵器の効果が薄れていき、次第に平常を取り戻す。
「はぁ…あぶねぇ…このままあの世へレッツラゴーしてしまうところだった」
胸に手を当て、早くなっている鼓動を落ち着かせてから、話を切り出す。
「それで、エマちゃんは何か食べたいものとかあるの?」
最初に訊こうと思っていたのだが、名前が分からなかったため、先に名前を訊いていた。その後、リアムのせいで話の路線が外れて行ってしまったため、話が途切れてしまっていたのだが、一悶着したところで、話を元に戻す。
ルイの問いかけに、エマは顎に指を当てて、目を閉じながら考え込む。
エマの一生懸命考え込む姿を見て、再び心が打ち砕かれてそうになるが、何とか耐えた。そして、しばらくエマは考え込んだ後、その丸い目を大きく見開いて、
「私、あれが食べたい!」
道端にあった屋台を指さした。ルイも指さした方法を見る。
「パン屋か?」
屋台には、たくさんのパンが並べられていた。
「ねぇ、ルイ行こぉー!」
「うん、行こうか」
エマが屋台を指差し、袖を引っ張って、早く行こうと急かしてくるので、エマに袖を引っ張られながら、屋台へと歩き出した。
「俺のこと金としか思ってないのかよ…」
リアムも、愚痴を吐き捨てながら、ルイたちの背中を追っていく。
「結構種類あるな」
屋台の目の前まで着き、並べられている商品を見る。種類が豊富にあり、どれも美味しそうだ。
「ねぇルイ、私これがいい」
エマが並べられたパンの一つを指差す。それは、パンにたくさんフルーツが挟んであるフルーツパンで、実に美味しそうだ。
「分かったよ、買ってあげるからね」
エマが買って欲しいとお願いしてきたので、ルイは快く了承した。
というわけで───、
「よし、リアム。買え」
「はいはい、分かりましたよ…」
ルイがそう命令すると、リアムは渋々ながらも了承する。
「すいませーん」
「いらっしゃいませ、なんでしょうか」
リアムが声をかけると、店主が元気よく挨拶してくる。
「これ一つください」
「はーい、どうも毎度ありー!」
リアムが会計を済ませて、エマの念願だったフルーツパンが手元にやってくる。
「やった!ありがとうね」
手元にフルーツパンの見て、エマは非常に喜んでいる様子だった。一々動作が可愛らしい少女だ。
そのまま、エマはフルーツパンを頬張った。頬張った瞬間、みるみるエマの顔が幸せに満ちていっているのが目にわかる。
そんなエマの様子を見て、ルイも幸せな気分に満ちていった。
ルイの背中を見据える視線には一切気付かずに───。
「ありがとうね、ルイ。本当に大好き!」
「いやぁ、どういたしまし───、ん?」
エマの感謝の言葉を受けていると、いきなり何者かに肩を掴まれた。嫌な予感がしたので、ルイは恐る恐る後ろを振り向いた。
「──────」
そこには、巨大な身体に無駄に筋肉がついて、丸太のような腕を持ち、目付きが鋭く、頭から毛が消し飛んでいる男。
ルイがこの世で最も嫌っている人物──オーガスがそこにいた。
「ぎゃああああああああああああ!」
オーガスの存在を認識した瞬間、ルイは叫びながらこの場から逃走しようとする。だが、オーガスの肩を掴む力が強すぎて、逃げられない。
「おいルイ、お前ついさっき、次はサボったら叩きのめすって言ったよな?」
体をぐるりと回転されて、オーガスの対峙する形になる。息が吹かかる程に顔を近づけながら、鋭い眼光でルイを睨む。
「な…なんでここにいるんだよ」
何故オーガスがルイの目の前にいるのか分からない。するとオーガスは、一段と顔を近づけながら、ドスの効いた声で答えた。
「お前のことを探しに来たんだよ」
「ひぇっ……」
その事実を聞いて、ルイは恐怖のあまり戦慄してしまう。
この状況を一体どうすれば打開出来るのか、ルイは必死に頭を働かせる。だが、良い案が何も思いついてこない。
「助けて……」
すぐ傍にいるリアムに助けを求めるが、リアムはその光景を見て、クスクスと笑っているだけだった。
ルイの隣にいるエマも、この光景を見て、ただ呆然としているだけだった。
助けは求めれない。ならば、一人で何とかしなければならない。ただ、ルイの頭では、全然打開策が思いつかない。
思いつかない。思いつかない。思いつかない。思いつかな───。
─────ぁ。
ルイはエマに向かって片目をつむり、合図を出した。エマはきょとんとした顔を見せている。果たして理解してくれるだろうか。
「おいクソ野郎、早く来やがれ」
オーガスに強引に首根っこを引っ張られて、連れて行かれそうになる。
「く…くそぉ…や…やめろぉ…」
必死に逃げようと試みるが、その抵抗虚しく、簡単に引っ張られてしまう。
その間にも、エマに向かって片目をつむり、合図を出す。
───気付け、気付け、気付け、気付け、気付け、気付け。
そう心の中で念じていると、エマがルイの心中を察したのか、急に大声を出して叫んだ。
「あーーーーーーーーーーーーーー!」
エマがいきなり大声を出したことに、周りの注目が集中する。それは当然、オーガスも例外ではなかった。
「いきなりなんだぁ?あの女の子」
振り向いて、訝しげにエマを見張る。エマは自信に注目が集まった事を理解し、オーガスの向かう反対側の通りに向かって、指を指して───、
「ドロボウさんだーーー!」
エマは泥棒がいると大声で言い放ったが、指の焦点が誰にも合わさっておらず、不確かな情報だ。それに、皆平然とした態度を保っており、怪しい人物は誰一人見当たらないのだ。
「なっ何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
だが、オーガスはその情報を訊いて、いきなり走り出した。その間もルイは首根っこを引っ張られ続けていたが、途中で邪魔になったのか、放り投げられた。
「痛……」
硬い地面に受け身を取れずに接触した為、身体の半身がズキズキと痛むが、拘束からは抜けられた。
そう、拘束から抜け出せたのだ。
「おい!そこの嬢ちゃん。泥棒は何処にいるんだ!?」
オーガスがエマの目の前に到着し、早速泥棒の行き先を問いただす。相手が相手なだけあって、怖がらせないようにする為に、ある程度の距離を保っていた。
だが、オーガスの身体中には血管が浮き出ており、明らかに激昂している事が分かる。
そんな様子を子供に見せたら、余計怖がられると思うが、
「あー、えっとね、ドロボウさんはね」
エマはオーガスの圧には一切動揺せず、片手で頭を抱えて、目を伏せながら考え込む様子を見せた。
「んーーーーーーー」
「頼む、早くしてくれ!このままだったから泥棒に逃げられる!」
唸りながら悩み悶えるエマを見て、オーガスは急かしてくる。オーガスは焦りを隠せず、周りをキョロキョロと見回す。
焦燥感に駆られるオーガスを横目に、エマはある場所を見た。そこに、誰もいないことを確認すると、
「ごめんなさーい、ドロボウって言ってたけど、見間違いだったのかもぉ」
「──そうか、見間違いなら良かった」
いかにもわざとらしく謝るが、オーガスは肩を下げて、ため息を着きながらそう答えた。
「おいルイ!じゃあ行くぞ…ってあれ?」
泥棒がいないことが判明し、今まで放置していたルイを、再び引き連れていこうと思った矢先、ルイが何処にもいないことに気付いた。
「な、な…あのくそやろぉぉぉぉぉぉぉ!」
だが、気付きた時にはもう遅い。ルイは行先は完全な不明だ。オーガスは怒りを苛立ちを含んだ声で吠える。
ここで漸く、とある事実に気付く。
「ま…まさか」
オーガスは信じられないものを見るような目つきで、エマを見張った。
「んー?どうしたのぉ?」
オーガスの視線を受けたエマは、愛らしく首を傾げて、薄く微笑んでいた。それを見て、オーガスの感じていた疑惑が確信にへと変わる。
「てっ、てめぇ!やりやが………」
自分が嵌められた事実に気が付き、共犯者であるエマに怒りをぶつけようとするが、途中で口を閉じる。
相手は小さな女の子だ。怒るにも怒れない。エマはオーガスの強烈な面構えには一切動じず、常に微笑んだままだ。
その煽りとも読み取れる笑顔を受けたオーガスは、思わず飛びつきそうになるのをぐっと堪えて、
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉお、ルイぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃい!ぶっ殺してやるぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
そう叫びながら、雑踏の中を走り去って行った。
「えへへへ、ルイ逃げれるといいな」
エマがオーガスの注意を引き付けている間に、ルイがそそくさと逃げるという作戦だ。ルイの出した合図を読み取り、見事作戦を成功にへと導いたエマ。終いには、激昂したオーガスが手を出せないことを逆手に、煽るよに微笑み続けたのだ。
その姿はなんとも───、
「恐ろしいな…」
一件可愛らしい女の子のように見えるが、その裏側は非常に恐ろしいものであり、リアムはエマの微笑に恐怖した。
「あ…誰だっけ?まあいいや、一応ありがとう」
そう言い残して、どこかに去ってしまった。
「一応って……まぁ、どういたしまして」
エマの言っている事は、決して冗談ではなく本気でリアムの名前を知らない様子だった。割と傷付く発言をされて、リアムは心の中で号泣した。
「まじで魔女みたいな子だったな…」
外見は可愛らしくとも、内心はとんでもなく恐ろしい。まるで魔女のような少女だった。
魔女というのは、この世で最も恐れられている存在であり、恐怖の象徴でもある。災いを起こし、人々を恐怖させ、世界を崩壊に導く存在。
リアムの財布に災いを起こし、リアムを恐怖させ、他の人にまでエマの恐ろしさが植え付けられ、いずれ世界を崩壊に導くであろう存在───エマ。
「魔女なんて初めて見たわ」
そんな世界から最も恐れられている魔女だが、その姿は殆どの人が見たことがないのだ。世代に世代を重ねて受け継がれてきた恐怖の存在である魔女だが、実在しているかどうかも怪しいのだ。
だが、その魔女に対する恐怖心は皆に植え付けられており、信じ難い話なのだが、中には女性というだけで魔女だと決めつける者もいるらしい。
そう、最近ここ城郭都市リーカナ付近で魔女の目撃情報があったらしいが、正直疑わしいのが本音だ。
リアムとしては、魔女の存在は信じていない派の人間だ。自分の目で見たいと信じないのがリアムの考え方だ。
今までそう思っていたのだが、エマを見て、リアムの考えは真逆になった。
「あー、恐ろしい。もう二度とエマには関わりたくないものだ…」
そう言い捨てながら、リアムは顔を上げて空を見た。太陽が強大な光を放っており、あまりの眩しさに手で太陽を隠した。
雲が緩慢に流れており、時折吹くそよ風が身に染みて、非常に気持ちがいい。
「いい場所だな…」
街中には色んな人が混ざり合い、楽しそうな声が響き渡っている。皆幸福で、充実した生活を送れているのだろう。
ただ、リアムの知る限りでは一人だけ、その楽しそうな様子とは裏腹に、絶望に追いやられている人物がいるのだが。
「ルイ…殺されないことを祈るぞ」
ルイの無事を天に向かって祈り、リアムは街の巡回を再開した。
ღ ღ ღ
街中に楽しそうな雰囲気が漂っている中、一人だけ絶望の淵に立たされている人物がいた。
「はぁ…はぁ…はぁ………」
全力で腕を足を動かして、出来るだけ人が大勢いる場所に向かって走っていた。
エマの見事な演技力のおかげで、こうしてルイはオーガスの拘束から外れて、逃げ出せているのだ。
「エマには感謝しないといけないな…」
エマに感謝の言葉を言いそびれている為、今度会った時には感謝を伝えようと思う。そして、お礼として何か買ってあげよう。勿論、リアムのお金で。
「それにしても、どこまで来たんだよ…」
オーガスの追跡を逃れる為、道を右へ左へ前へ後ろへと無我夢中で進んで行ったので、現在地が分からないというのが問題だ。
これでルイの職場付近だったとしたら、それはもう自殺するしかない。オーガスに殺されるようかはマシだろう。
「相変わらず、どこもかしこも綺麗だな」
街中を走り回っていたルイだったが、ずっと思っていたことがある。
街が異常に綺麗なのだ。地面にはゴミの一つも落ちていない。それは、清掃員がいるからではなく、街の住人が全員美意識を持っているからであろう。
確かに、街全体が綺麗であれば、汚しにくくなるだろう。最初から汚れていたら、自分が多少汚したとしても問題ないと思えるが、こんなにも街が綺麗なのならば、気が引ける。非常に頭が良い考えなのだと、ルイは感心した。
「あーあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、どうすればいいんだ」
ルイが今やっていることは、ただ自分が死ぬのを遅らせているだけだ。夜になれば、ルイは確実にオーガスに殺される。それまでに、何とかしなければと思い詰めるが、思い詰めていると脳が痛くなって、思考を停止させてくる。ルイと同様で、脳も現実逃避しようとしているのか。
「もぉー、終わった。終わった。あー、助けて、誰か助けて」
そう絶望に明け暮れていると、ルイの目の前に異質の存在が迫ってきていた。
「あっ!あれは!?」
その異質の存在を認識した瞬間、ルイは近くにあった物陰に身を潜めて、覗き見する。近くにいた人に変な目で見られているが、それは一切気にならなかった。
なぜなら───、
「そうそう、あそこのフルーツパン凄く美味しかったんだよ。カミラも食べに行ってみたら?」
「ミアがそこまで言うなら…分かったよ。今度暇な時に食べに行こうかな。一緒に行かない?」
「分かった。暇な時に一緒に行こうか」
「うん、ありがとさんね」
そんな他愛のない話を楽しそうにしている二人組の女性。
ミアと呼ばれた女性。鮮やかな桃色の長髪を靡かせており、その姿からは桜を連想させられる。女性にしては長身であり、ルイの目線より少し低い程度だ。だが、腰の位置が高く、ルイの脚よりも随分と長い。
その高い腰には、鞘が下げられており、その鞘には帝国の紋章が刻まれている。
帝国兵の証である軍服を、その長身に身に纏っており、凛々しさが感じられる美女───ミア・アイレンベルク。
そしてその隣、カミラと呼ばれた女性。茶色の髪を長く伸ばしており、その髪には光沢がある。陽の光が照らしていると思われるが、その光沢は天然そのものだ。
背丈は同じく長身であり、その脚は細長く伸びている。
その長身に軍服を纏い、同じく腰には帝国の紋章が刻まれている鞘が下げられている。
凛々しい雰囲気ではあるが、その顔には朗らかさが混じっている美女───カミラ・ラドフォード。
そんな美女二人組が、道の真ん中を異様な雰囲気を漂わせながら歩いている。
「す…すげぇ…やっぱり、ミアさんとカミラさんは違うな…」
その異常な程の美貌を持った二人を見て、ルイは唖然としていた。それはルイだけではなく、周囲にいる男性群も同じように唖然としていた。
そんな周囲の異常な状況を一切気にせずに、ミアとカミラは談笑していた。この光景に慣れているのだろうか。
そんな異常な美貌を持った二人だが、彼女らの階級もすごい。
僅か二十歳にして、『大佐』の階級にへと上り詰めた二人組。数々の魔獣騒動を自ら前線に出て、何度も何度も解決してきた。そんな異様な功績を持った二人だ。
その美貌と功績が相まって、軍の中でも非常に注目されている二人だ。ルイの推しでもある。
その推しが目の前にいることに、ルイはただ遠くから眺めていることしか出来ない。
それにしても───、
「この軍服考えたやつまじで有能だわ、あんなガチガチに硬めてたら見えるもんが見えねぇからな」
テレミア帝国の軍服は、動きやすさを重視している為、分厚い鎧などではなく、比較的に薄着なのだ。
装甲が薄いので、身体の体型がくっきりと見えてしまうのだ。そのおかげで、ミアとカミラの胸が鮮明に見えているのだ。ぐはは。
誰かは分からないが、この軍服を考案した者に賞賛を送ろう。
そんなこんなを思っている間に、二人がルイの近くにまで迫って来ていたのだ。
「そうか、また魔女の目撃情報か…この頃魔女の噂が多いな。いや、この頃ではなくいつものことか。まぁ、その全てが間違いであったがな」
「そうだよね。本当にいるかも分からない存在にね。昔はいたらしいけど…それが本当かどうかも分からないからね」
「魔女……?」
ミアとカミラの会話に聞き耳を立てていると、気になる話をしていた。
魔女という単語を聞いて、ルイは疑問の声を漏らした。その瞬間に───、
「───ん?」
小さな声量だったが、ミアはそれを聞き逃さずに、横目で物陰に身を潜めているルイを見た。そしてすぐに、その視線を隣にいるカミラに移した。
気にもとめられてない様子なのだが、ルイは興奮していた。なぜなら───、
───見られた。ミアさんに見られた。
そう、ミアの視界に入ったのだ。最下級である二等兵のルイが、美人で尚且つ大佐であるミアに見られたのだ。
もう死んでもいいとも思えてしまう。そんなことを思っていると───、
「──────って?あれっ?」
ルイが感慨に浸っていると、視界からミアとカミラの姿が消えていたのだ。二人の歩行速度はそんなに早くなかった。だとしたら何故───、
「あーーーもう、分かんねぇけど、とりあえずミアさんとカミラさんを早く見つけないと!」
ミアとカミラが消えた理由を考えている内に、更に遠くへ行ってしまうかもしれない。
頭より体が先に動いた。どこにいるかも分からない。だが、絶対に見つけなればならない。
「絶対に見つけてやるぞーーー!」
ルイは宛もなく走り出していた。街の中にはオーガスの追跡があるかもしれない。だが、そんな事はどうでもいい。
とにかく、ミアとカミラを見つけなければ。それが、ルイに課せられた命よりも重い任務なのだから。
ღ ღ ღ
ミアとカミラを見つける為、全速力で街中を走り回っていたのだが、ルイは今、膝に手を着き、絶望に暮れていた。
「はぁ…はぁ…はぁ……どこにいるんだよ」
街中を走り回ったのだが、ミアとカミラの姿は何処にも見当たらなかった。かれこれ十分近くは走り続けていたのだが、流石に体力の限界が来てしまい、こうして荒くなった呼吸を整えているのだ。
幸いにも、オーガスの姿は見当たらなかった。リーカナが広いおかげだ。だが、それが裏目にも出ているのだが。
こんな広い街の中から、二人の女性を見つけ出すのは難しいと思われるが───、
「まだ諦めねぇぞ…ぜってぇ見つけてやる」
ルイは諦めなかった。疲れ切っている身体を動かして、ルイは歩み出していた。絶対に二人の姿を見逃さない為に、目と耳を凝らした。
それが、幸か不幸かは分からなかったのだが、ルイの耳は確かに聞き取った。
「───グチャ……」
ルイの隣にあった裏路地の奥から、何かが潰れるような、そんな変な音がしたことに。