第一章19 『焦り』
朝の目覚め。知らない天井を見上げるというのは不慣れな事だ。しかもそれが、絢爛豪華な天井だとしたら。
「うぅ………」
カーテンの隙間から差し込む光に目を照らされて、ルイの意識は覚醒した。
「眠……」
朝の目覚めに対して不満を感じながらも、目を擦って無理やり目覚めさせる。朝の目覚めほど嫌いなものはこの世にない。このままずっと眠っていたい。
「─────っと」
重い体と何とか起こして、ベットから立ち上がる。瞼が非常に重く、このままだと立ちながら寝てしまいそうなので、自身の頬っぺを全力で叩く。
「いってぇ……」
体に痛みを与えて眠気を消し飛ばそうとしたが、ただ痛いだけで無駄だった。
「眠………」
とにかく眠い。眠すぎるのだ。なぜこんなにルイの眠気が強いのかと言うと、昨夜のことだ。シエナとの真夜中の話し合いを経て、何故か眠気が消え受けてしまった。
妙に気持ちが落ち着かず、常に目がガン開き状態だったのだ。そのせいで余計に寝れずにいて、寝れた時間は恐らく、二時間か三時間ぐらいなのだ。
シエナに恋愛感情のようなものが湧いて出てくるとは思わなかった。確かに、可愛らしい少女だとは思っていたが、昨夜の彼女は異常に美しくて、その姿を見るだけで心が奪われてしまっていた。
それに、普段の言動とは真逆で、頭の奥底に刻まれていた悩みを、少しだけ茶化しながらも、真摯に耳を傾けてくれて、立ち直させてくれたのだ。
そもそも、何故シエナにこんな悩みを打ち明けたのかが分からない。自然とシエナに心を許していたのだろうか。
シエナのことが好きなのかどうかが分からない。分からないけど、シエナと話していると妙に心が温まって、落ち着くような感覚がするのだ。
それに、今までシエナと一緒にいて、ルイは楽しいと感じていた。
これが恋愛感情と言うものなのだろうか。
「はぁ……」
自分の中で散乱する気持ちに整理がつかず、溜め息として吐き出した。
眠気覚ましに体を伸ばしながら歩いて、扉を開いた。ルイが扉を開いたと同時に──、
「眠いなぁ……」
隣の部屋に滞在していたシエナも、ルイと同時に部屋を出たのだ。シエナと一コンマも違わない動作に、驚き過ぎて眠気が全て吹き飛んだ。
「シ…シエナ…?」
「んー?あぁ、おはよールイくん。眠いねぇ」
シエナも眠たげに目を擦っていた。寝起きの顔も可愛らしいと思えた。シエナは眠気に唸りながらも、ルイと同様に頬っぺを叩いて、眠気を飛ばそうとした。
「はぁ…ほんと眠いねぇ、このままずっと寝ていたいよ」
「まぁ…確かにな。うん、そうだよな」
何故か口取りがおぼつかなくなり、目の焦点が合わなくなってしまう。前までなら問題無かったが、何故か今は出来ないでいた。
そんなルイの様子と見て、シエナは首を傾げ、怪訝な表情を浮かべながら、
「んー?どうしたのー?」
シエナはそう訊いてくるが、ルイは尚も目線を合わせず「いや、別に」と苦し紛れに答えた。
そんなルイの返答を経て、シエナは目を擦りながら───、
「あぁ、そう。ならいいよ。というか、早くごはん食べに行かない?」
ルイの苦し紛れの返答は気にもとめずに、シエナは朝ごはんの話をしだした。途中まで眠そうな声だったが、ご飯の話になると急に元気な声に変化した。
シエナは目を大きく見開き、煌びやかせている。朝ご飯の存在を思い出した瞬間に、眠気が消えたようだ。
どんだけ食が好きなんだこいつは。
「だな…食べに行こうか。でも、朝あんまり食べれないんだよなぁ…」
いつものシエナに変わり、ルイも調子を取り戻してきた。
ルイは朝ごはんをほとんど食べない。朝は気分が優れず、食べる気にならないのだ。何も口に入らず、口に入れるものと言えばせいぜい水ぐらいだ。
その答えを聞いて、シエナは詰め寄ってきて───、
「無理やり食わすからね」
シエナはそう笑顔で言い捨てて、体を反転させた。そして───、
「早く行こう?」
「あぁ、分かったよ」
こちらをチラリと振り向き、朝ご飯の同行を急かしてくる。
シエナの笑顔に若干恐怖心を覚えつつも、シエナの背中に着いていった。
ღ ღ ღ
ルイたちが食堂に着くと、既に朝食が用意されていた。朝食は軽めであり、ルイでも全部食べれそうな量だ。
「さぁさぁ、食べよ食べよ」
シエナがそう言うと、一目散に椅子に座った。それに続き、ルイも席に座る。
目の前に用意された朝ご飯は、パンとスープと水だった。そのまで量は無いのだが、やはりきつい。
ルイは机に並べられた朝食を呆然と眺めているだけだった。一方シエナの様子は───、
「って……あれ?」
隣の席に座るシエナを見ると、皿の上には何も無かった。そして、満足気な表情をしていた。
「え?シエナもう食ったのか…?」
「うん。そうだけど?逆にルイくん遅すぎない?」
「いや、シエナが早すぎるんだよ」
「いやいや、ルイくんが遅いだけです」
「そうなのか…」
体感十秒ぐらいだ。その一瞬にして、シエナは朝食を全て食い尽くしたのだ。幾ら量が少ないとは言え、この速さはありえない。
それに対して驚きを表したが、シエナは逆に有り得ないと言った態度でそう答えた。
「というか、ルイくん食べるの遅すぎない?何も食べてないじゃん。早く食べなよ」
「いやぁ、きついんだよ…」
ルイは食べる気にならず、何一つ朝食を手につけていない。そんなルイを見かねて、シエナ早く朝食を食べるように急かしてくるが、ルイの手は止まったままだ。
そんな様子のルイを見て、シエナは痺れを切らしたのか、顔を近づけながら圧をかけてきて───、
「ねぇ、私言ったよね?無理やり食わすからって」
シエナが万遍の笑みでそう言った瞬間、ルイの口に何かがぶち込まれる。
「──────」
下を見ると、ルイの口にはパンが無理やり押し込まれていた。必死に足掻くが、シエナの力が強すぎて失敗に終わる。
そして無理やり口の中に押し込まれ、無理やり飲み込まさせる。
「──────」
そして、このパンを食道に押し流すように、スープと水も一気に飲み込まさせられて、ようやく拷問から開放される。
「美味しかったでしょ?」
「はぁ…はぁ…はぁ……そんなわけねぇだろ!死ぬかと思ったわ!」
シエナが笑顔でそう問うが、ルイはその態度に激昂する。無理やり飲み込まされたので、一切味は感じられなかった。縮んだ胃袋に無理やり食べ物を流し込まれて、少々気分が悪くもなった。息もすることが出来ず、窒息死しそうな勢いだったのだ。
「まぁまぁ、許して許して」
「はぁ…分かったよ」
シエナは両手を擦り合わせながら、許しを懇願してくる。それにルイは、渋々ながらも許した。
一息ついたところで、ルイは気になっていた事を口にする。
「そういえば……ディアナはどこ行ったんだ?あいつの姿見かけねぇけど」
朝からディアナの姿が見当たらないのだ。彼女の食事も用意されておらず、行方が分かっていないのだ。
「なんか色々あるんじゃない?馬車の準備とか」
「あぁ、確かにな…」
サントエレシアを出発するにあたっての準備の可能性が一番高いだろう。荷物や馬車の準備などをしてくれているのだろうか。
全く、ディアナには沢山の恩を受けすぎている。ならば、絶対に仇で返すのみだ。
「あいつも大変なんだな…」
「そうだよね、やっぱ領主の娘って大変だね」
もしディアナが多忙ならば、それはルイにとって嬉しいことに過ぎない。今までルイに対して起こった愚行の数々の因果応報だ。苦しめ、苦しめ、もっと苦しめ。
「ルイくん…怖い顔になってるよ?」
自然とディアナに対しての怨念が顔に滲み出ていたようで、シエナに引き気味な感じで指摘される。
「とりあえず、朝飯も食べたことだし、これからどうしよっか」
馬車の場所や、出発時刻なども決めていないので、ディアナがいないと何も話が進まないのだ。
「んー、ディアナちゃんが来るでここで待つ?」
「だな、そうするのがいいな」
行方が分からないので、ディアナがここに来るまで待つと言うのが最善策だろう。だとしても、その間は何をしたらいいのか。
「暇だな…」
「ならジャンケンする?」
「ジャンケン?」
シエナが暇潰しの提案をしてくるが、その暇潰しの方法が幼稚なものと言えばいいか。他の方法が無いのか模索するが、まあ出てこない。なので、シエナの提案を了承することにした。
「ならジャンケンするか」
「負けたら罰として一生私の下僕になってね?」
「重すぎだろ!」
シエナは微笑みながらそう言うが、言っている事が怖すぎる。
シエナの下僕になると、散々な目に遭う未来しか見えない。勝手な妄想なのだが、ルイが椅子替わりとかにされそうだ。
ただ、こんな重い罰を与えられると言うのならば、当然シエナにも対等の罰が与えられるはずだ。
そう思い、シエナに罰について問う。
「そんな罰が重いんだったら、当然シエナが負けたら、俺と同等ぐらいに罰が重いんだよな?」
「うん、私がルイくんに負けちゃったら、ジャンケンに勝ったことをいっぱい褒めてあげる!あぁ、滅茶苦茶辛いわぁ…」
「差!」
不平等過ぎる罰の重さに、思わずルイはそう叫んだ。罰の重さの差が激しく、ルイがこの勝負を受けるメリットが一番と低くなった。確かに、女の子に褒められるというのは、男にとって嬉しいこと極まりないないが、そのリスクが高すぎる。
シエナの下僕にだけは絶対になってはならないと、そう本能が訴えかけた。
それに、ルイの事を褒めるという行為がシエナの罰とされているので、割とショックを受けた。
ルイを褒めることは、それほど屈辱的な行為なのか。
「そんなもん絶対にやるわけねぇだろ!」
勝負のリスクが高すぎるので、ルイは断固拒否する姿勢を見せたが、それを聞いたシエナは顔を近づけて───、
「やる…よね?」
間近で圧をかけられ、ルイは恐縮してしまう。シエナはルイに対して微笑みを見せているが、その笑みはまるで、魔女のような恐ろしさが感じられた。
そして、もしここで誘いを断ったら、殺されてしまうと本能が警告したので、ルイは渋々ながらも勝負を受けることにした。
「仕方がねぇな…分かったよ」
「うんうん、それでいいんだよ。とりあえず私の言うことは黙って聞いてればいいからさ」
ルイが勝負を受けると宣言すると、シエナの見せていた恐ろしい笑みが消えて、普段の可愛らしい笑みへと変貌した。
それがどんな原理なのかは分からないが、とりあえず戻ったので一安心する。
言葉の最後に、何か恐ろしい発言が垣間見えたが、この際無視しておくことにした。シエナの言動を気に止めていたらキリがない。
「よし、じゃあジャンケンするよ?準備はいいね?」
「いいぞ」
「じゃあいくよ!」
シエナの号令と共に、両者の腕が振り上げられる。ここでルイの運命が決まる。一生シエナの下僕か、それともシエナに褒められるかだ。
緊張感が過ぎり、ルイは息を呑んだ。それと同時に、勝負が開始された。
「ジャンケン!」
「ポイッ!」
「ぽい!」
この結果でルイの運命が決める。その事実に目を背け、目を閉じてしまっていた。だが、現実逃避しても意味はない。必ず現実を受け止めなければいけない。
そう思い、ルイは恐る恐る閉じていた目を開いた。果たして、勝負の結果は───、
ルイはグーを出していた。対してシエナは、チョキを出していたのだ。よって、この勝負はルイの勝ちとなる。
「やったぁぁぁぁぁぁぁ!俺の勝ちいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!おーい、シエナさーーん?早くこのルイ様をいっぱい褒めて貰えませんか?」
今までルイに犯した愚行の数々のやり返しだ。昨夜シエナに受けた恩など関係ない。ルイは出来るだけシエナのことを煽った。
すると───、
「──────」
急に机を思いっきり叩いて、勢いよく席を立ち上がった。そして正面にルイの顔を捉えて───、
「シエナちゃんの隠された最終奥義!スーパーハイパーゴット目潰し!」
そう叫ぶと、ルイの双眸目掛けて二本の指が突き出される。唐突に放たれた目潰しは、凄まじい速度を測り、確実に避けられないと思われたが───、
「おいシエナ?これは一体何をしようとしたんだ?」
「エッ!?」
ルイはシエナが放った目潰しを完全に見切り、瞬時にルイはシエナの腕を掴んだ。
指は目の寸前のところで止まっていた。完全に予想外の結果だったのか、シエナは焦りを隠せていなかった。
「で?シエナさん?これは何をしようとしたんだい?」
「な…なぜ見切った、貴様!」
異様なほど凄まじい速度で放たれた目潰しだったが、これをルイが見切ったことがシエナにとってまずありえないのだ。
シエナの計画としては、仮にルイに負けたとしたら、ルイの目を潰して、何も無かったことにするというものだったのだが。
「どうせ負けたら何かやってくるじゃないかって思ってたからだよ!そんでほら見ろ!自分が負けたからってそんな卑怯な真似しようとすんじゃねぇよ!」
なぜルイがシエナの目潰しを回避出来たのかと言うと、前述した通り、予測していたからだ。シエナの根本は卑怯さに塗れている。なので、仮に自分が負けたとしたら、ルイに何らかの危害を加えてくると予測出来たのだ。
だだ、予測出来ていたとは言え、この目潰しを防げたのは、ルイの瞬発力と、シエナの力の弱さのおかげだ。
シエナの指の動きを素早く察知して行動に移したのだ。それに、シエナの指に込められていた力が弱かったので、容易く止められたのだ。
流石に本気で目潰しはしてこなかったようだ。もしシエナが本気を出していたら、確実に失明していたので、その辺は配慮してくれたらしい。最初から目潰しをしなければいい話なのだが。
「シエナさーん。シエナさーん?あれれぇぇぇ?早くこのルイ様をたくさん褒めて貰えませんか?」
シエナの屈辱的な表情を見るために、ルイは煽りに煽って煽りまくる。
その幼稚な煽りを受けたシエナは、全身をプルプルと震わせて、小さく声を発した。
「─────く…すご……ね」
「ん?なんだって?」
シエナの発した声は小さく、それを訊いたルイはわざとらしく耳を傾ける。シエナはムッとした表情を見せたまま、再び声を発する。
「ルイくん…すご─────」
シエナが言葉を紡いでいる途中、猛烈な勢いで食堂を扉が開かれる。その音は部屋中に響き渡り、ルイはその音に驚き、肩を震わせた。
何事かと思い、ルイは開かれた扉の方を大きく見張る。そこには───、
「ディアナ?一体どうしたんだよお前。そんな息上げて」
何事にも冷静沈着に動くディアナの姿は無く、今は非常に切迫している様子だった。腰まで伸びた長い髪は乱れており、額には汗が滲んでいた。荒い息遣いであり、全速力でここに来たのだと予想される。
「ど、どうしのディアナちゃん!?」
膝に手を着いて、息を荒らげているディアナに近付き、シエナは心配げに見つめていた。
せっかくシエナに褒められるところだって言うのに、タイミングが悪すぎる。
「おいシエナー、逃げんなー」
シエナが罰から逃げたことに不服を感じ、ルイはそう口を挟んだ。
すると、膝に手を着き俯いていたディアナが勢いよく顔を上げ、ルイを見ると───、
「黙っててください」
そう一喝された。骨の芯まで響き渡る声に、ルイは恐縮する。
ルイは毎回ディアナの顰蹙を買ってしまう。意味不明だ。相性が微塵も合わないのだろうか。
「そうだ、そうだ!ルイくん黙れぇ!」
虎の威を借る狐のように、ディアナの一喝にシエナは賛同する。なんとも腹立たしいが、そんなことより、何故ディアナこんなに切迫しているのかが問題だ。
「ディアナちゃん大丈夫?」
「はい、シエナちゃんありがとう。もう大丈夫です。ありがとうございます」
シエナの憂いを受けて、ディアナは胸に手を当てて、落ち着きを取り戻した。
「それで、どうしたの?すんげぇ焦ってる様子だったけど」
ディアナが焦っている姿は想像したこと無かった。何事にも冷静沈着に対処すると思っていたのだが、この取り乱し方は明らかに異常だ。何かとんでもない問題が起こったのかと予想される。
ルイの問いに、ディアナは一度息を呑んでから答えた。
「今朝、ステラテアの森に魔獣が再出現して、領民が襲われたとの報告がありました」