第一章18 『月夜に照らされた彼女』
誤字あるかもしれません。
今修正版を書いてるんですが、色々忙しいので全然書けていないのが現状です(;_;)
「────」
アルドスの衝撃の告白に、執務室の空気が一気に張り詰める。
魔女というのは、この世で最も恐れられている存在であり、恐怖の象徴でもある。災いを起こし、人々を恐怖させ、世界を崩壊に導く存在───魔女。
ルイも直接見たことはなく、噂話聞いたことや、歴史書などで読んだ程しか知識がない。
実際に存在するもかも怪しい魔女だが、アルドスの真剣な眼差しが、決して冗談では無いということを証明する。
ディアナも初耳だったらしく、驚きのあまり、目を大きく見開かせていた。
「────魔女」
張り詰めた空気に押し黙っていた面々だが、不意に漏らされた声で、その状況が打ち破られた。
隣の席にいるシエナを見ると、目を伏せているが、明らかに表情を曇らせているのが目に分かる。
「それは…本当なんですか?魔女って…」
ディアナがアルドスに向かって疑問をぶつけた。普通に考えたらそうだ。いきなり魔女なんて言われても信じられる人の方が少ないだろう。
「知らせがありましてね、リーカナが襲撃された際、魔女のような者の姿が見えたと報告がありましてね」
「知らせって?」
「リーカナの襲撃に巻き込まれた人だそうです。逃げてこられたとか」
「逃げたか…」
アルドスが言うには、リーカナの襲撃から逃れた人がいるらしい。ルイたちの他にも生存者がいることに安心する。
それにしても────、
「───魔女の姿か…」
魔女の姿と言っても、どのような姿なのか分からない。ルイが知っているのは、魔女が恐ろしい存在という事のみだ。
なので、アルドスにその疑問をぶつけた。
「魔女の姿ってどんな感じなんですか?」
すると、アルドスは申し訳なさそうな口調で答えた。
「魔女の姿は恐ろしいものだったとしか報告されていませんので、詳しくは分かりません」
「そうなんですか…」
アルドスは、魔女の姿は恐ろしいものだと答えた。具体性のない答えだが、それでも分かるのは、魔女が恐ろしいということだ。
きっと逃げてきた人も、恐怖で頭が真っ白になっていたのだろう。
「魔女か…それにしてもどうして魔女がリーカナを襲撃したんだろうな」
仮に、魔女が城郭都市リーカナを襲撃したのなら、何かしら理由が存在すると思うのだが、なんにせ相手が魔女だ。
そんな恐ろしい存在が、何を考えているのか一切理解できない。というか、理解したくもない。それにアルドスは、小さく首を振って───、
「分かりません…魔女の考えなど人間には理解出来かねません。理解しようとするだけ無駄でしょう」
「そうですね」
アルドスも魔女の考えについて理解出来ていないようだ。ディアナもその意見に賛同する。
「それで、ルイさん、シエナさん」
突然、ルイたちの名前を呼ばれたので、アルドスに目をやる。自身に注目が集まったことを認識すると、アルドスはゆっくりと口を開いた。
「お二人方は城郭都市リーカナが襲撃された際、居合わせたようなのですが、何か知りませんか?」
アルドスは、ルイとシエナの顔を見据えてながら問う。
ルイは城郭都市リーカナの兵士をしており、丁度今回の襲撃事件に居合わせている証人的な立場なのだ。シエナもそうだ。事の経緯は不明なのだが、一応襲撃事件に居合わせた人物だ。
アルドスはそれを見込んで、ルイたちに質問をしてきたのだが、生憎にも────、
「ごめんなさい、色々あって気絶してたからあまり知らないんですよね。ちょっとぐらいは知ってることあるんですけどね」
「気絶ですか…」
ルイの予想外の答えに、アルドスは目を見開いて驚いている様子だった。確かに、いきなり気絶していたと言われても、意味が分からない。
「ねぇ、ルイ。その色々って具体的には何があったの?」
ディアナが話に介入してくる。珍しく馴れ馴れしい言葉遣いだ。別に嫌という訳では無いが、何故かディアナがタメ口を使うと違和感を覚えてしまう。
勝手に敬語キャラとして認識しているせいか。
「色々か…あんま思い出したくはないんだけどな……」
ルイが気絶した原因となる出来事は、裏路地で死体を見つけた時だ。ルイが通りを歩いていた際、裏路地の方で変な音が聞こえたのだ。そして、謎の好奇心に足を勝手に動かされ、現場に到着すると、そこは頭部の潰れた死体が二つ地面に転がっていたのだ。
周りには、元々は人間の一部であっただろう肉片や、脳みそがぶちまけられており、思い出すだけでも吐き気が催してくる。
そして終いには、怯えて腰が抜けていたルイの頭が、何かしらによって強打されたことにより、一時的に気を失っていたというわけだ。
こう思い返すと、自分の情けなさと、トラウマが浮き彫りになっていく。
そんな嫌な思い出から逃げようと、問いに渋っていると、ディアナは痺れを切らして────、
「十秒以内に答えなかったら、ルイの首を刎ねます」
眉をひそめながらルイを見据えるディアナ。その手には長剣が握られており、今にも斬りかからんとしている。一瞬で鞘から剣を引き抜いて構える所業。剣術の天才という称号の片鱗を見せた。
「ひっ……」
ルイはその姿を見て、冷や汗をかきながら、当時のことについて話し始める。
「兵士の仕事をサボって街の中歩いてたんだけど…その時に裏路地の方から変な音が聞こえてきたんだよ」
「へぇー、街の平和を守る役目の兵士さんが仕事をサボっていたんですか……クソ野郎ですね」
「う………」
ルイをクソ野郎と評価したように、ディアナの眼光は、正しくゴミを見ているかのような、軽蔑や蔑視の感情が込められていた。
確かに、兵士としての仕事は、街の人々の安全を守ることだ。仕事を怠って、街で遊んでたことについては、クソ野郎と評価されるのには妥当だと思う。
なので、ルイはディアナの蔑む発言を無言で肯定して、話を続けた。
「───それで、変な音が聞こえた裏路地の奥に進んで行ったんだけど…そこに死体があったんだよ」
頭部が潰れている死体。初めて見る死体にしては衝撃的すぎた。そもそも、死体を見る機会など殆どないので、あのような惨状見た者は、確実にトラウマになってしまうだろう。
ルイもそうだ。あの凄惨な惨状が脳に媚びきついて、決して忘れさせてくれないのだ。
「死体…ですか…」
その事を聞いて、周りの面々は神妙な顔つきをした。ルイは続けて────、
「頭が潰れてた死体が二人分転がって、それ見たら腰が抜けちゃったんだよ。それで、誰かに伝えないとって思ってたら、後ろの方から人の気配がしたんだよ。それで、早くこの事を知らせないとって、後ろにいるだろう人に話しかけようと、振り向こうとした瞬間に、頭を強打されて、そのまま気絶したってこと」
これがルイの省略した色々の部分だ。それを受けた各面々は、どこか信じられていないようにも見えた。
「なんか…凄いですね…」
「だよな、俺もそう思う」
ディアナの感想に納得出来てしまう。自分も言ってて意味が分からないことばかりだ。
裏路地に頭部の潰れた二名の死体に関してはまだ信じられなくもないが、ルイが気絶した要因が意味不明だ。
創作と言われても仕方がないが、更にこの話が信じられなくなるのはこの先なのだが。
「それで、その後は何があったんですか?」
アルドスがその後の出来事について訊いてくる。恐怖のあまり、記憶が朧げな部分もあるので、期待に逸れるのかは定かではない。
内心不安に思いつつ、ルイは話し始めた。
「それで、しばらくして起き上がって、裏路地を出たら…もうリーカナは襲撃されていて…」
ルイが目覚めた時、平和だった頃のリーカナは消えており、地獄のような場所になっていたのだ。
「なんか…あれだ、黒いマント羽織ってて、気持ち悪い仮面を被っていた奴らが、街中の人を襲いかかっていたんだ…死体もそこたら中にあったよ」
黒いマントを羽織って、不気味な仮面を被っていた謎の集団。そんな奴らに、街中の人々が無惨に殺されていくのをこの目で見たのだ。
奴らは必死に逃げ惑う人々の、人間としての権利を容赦なく踏みにじり、蹂躙していった。
記憶が朧げだと言ったが、これだけは鮮明に覚えている。決して忘れることはないだろう。
「それで、俺もそいつらに見つかって、裏路地の奥に逃げてったんだけど、そこでシエナとあったんだよ」
必死に逃げているルイの背中を追ってくる謎の大男。恐怖で頭が真っ白になり、震える足を動かして必死に裏路地の奥へと逃げていたルイだったが、逃げた先は行き止まりだったのだ。
そんな事実を認識した瞬間、絶望に打ちのめされていたが、あることに気付いた。
そう、現在ルイの隣にいるシエナ・ユリアーネの存在だ。
「俺とシエナが初めて会った時は、シエナはボロボロだったんだよ」
少女は既にボロボロであり、生きているのかどうかも怪しかった。ルイはすぐさま少女に近付くと、少女は微かな声で何かしら囁いたように聞こえたのだ。
だが、その囁き声はあまりにも小さく、聞こえなかった。ルイは聞き耳を立てたが、力尽きたのか、少女は二度と声を発さなかった。
「そこに、俺の事を追ってきた奴が来たんだよ」
代わりに聞こえたのが、ルイに向かってくる足音だった。後ろを振り向くと、大男が迫ってきていたのだ。
「その時、俺思ったんだよ、守らなきゃって」
その瞬間、ルイは少女───シエナのことを守ろうと立ち上がったのだ。
「それで、奴が斬りかかって来ようとした時、シエナのことを守ろうとしたんだよ。その時、目の前が真っ白になったと思ったら、知らない森の中にいたんだ。そして何故か、そこにはシエナも一緒だったんだ」
説明不可能の謎の転移現象。
転移魔法なんて便利なものは、この世には存在していない。そして、何故か近くにいたシエナも一緒に飛ばされていたのだ。
なので、この現象の要因は分からずじまいなのだ。
「それで…転移したのがステラテアの森と言うわけですか…」
「そうですね」
一通りの説明を受けたアルドスは、果たして信じてくれるのだろうか。そう不安に思っているとアルドスは「そうですか」と前置きして、
「分かりました。ルイさん、辛い経験を思い出してくれてありがとうございました」
ルイの戯言と言われても仕方がない話を、アルドスも信じてくれたのだ。アルドスは頭を下げて、ルイに感謝する。
「あぁ、いや、どうも」
なんだか少し照れくさい気持ちになってしまった。人に感謝されることはなんて嬉しいことなのだろうか。
「それにしてもさ」
急にシエナが話に介入してきた。隣を見ると、何故かルイの顔の覗いていた。
そして、前置きしてから続けて───、
「私の事守ろうと立ち向かってくれたんだ。へぇー、かっこいいじゃん」
女の子から褒められるというのは、実に耐え難い事だ。ルイの頬は自然と赤くなっていき───、
「うるせぇ!黙れ!」
照れくさ過ぎて、シエナの褒め言葉を素直に受け取らずに突っぱねてしまうが、シエナはいたずらっ子のような笑みを浮かべながら、ルイに近寄ってきて、赤くなった頬をを触ってくる。
「赤くなってるじゃん」
「触るなぁー!」
シエナの手がルイの頬に触れると、何故かルイの鼓動が早くなっていく。
それが耐えきれなくて、ルイは必死で抵抗する。抵抗と言っても、口だけの抵抗なのだが。
「もう…仕方がないなぁ」
すると、シエナは腹を抱えて笑いながら、頬を触るのを辞めてくれた。
「ったく……なんだよもう」
ようやく拘束から解放されたことに一安心して、ため息を着いた。
「ルイさんのことは分かりました。それで、シエナは何かご存知なことはありませんか?」
アルドスがシエナに問う。シエナも、城郭都市リーカナの襲撃に巻き込まれた人物である。
ルイがシエナと初めて会った時、シエナは既に瀕死の状態であったので、何かしらあったのだろうと推測出来る。
そういえば、シエナの身に何が起こったのか訊いたことがなかった。というか、気にもとめてなかった。
実際のところはどうなのだろうか。
「私、あんまりあの時のこと覚えてないんだ。けど…ルイくんが襲われた奴らに私も襲われたことだけは覚えてる。それだけ」
シエナは声の調子を落として、淡々とそう答えた。確かに、シエナの服は血で汚れており、ボロボロだったため、襲われた事は明白だろう。本当によく生還出来たものだ。
「そうでしたか…ルイさん、シエナさんありがとうございました」
当時のリーカナの状況の説明を受けて、アルドスが二人に感謝の念を伝える。
「それで、あともう一つ話しておきたい事があります」
「なんですか?」
と、再びアルドスは話を切り出してきた。ルイが疑問に思うと、アルドスは咳払いをして、
「この街をいつ出発されるかの件です」
「あぁ」
サントエレシアを出発する件。そういえば、日程など何も考えていなかった。お互い万全の状態で出発するのがよいのだが、果たしてシエナはどうだろうか。
「シエナ、身体大丈夫なのか?」
「うん、もう治ったから全然大丈夫だよ」
「そうか」
シエナの身体の調子が心配だったのだが、大丈夫なようだ。ルイの問いに、元気よく答えた。
確かに、今までシエナの様子を見てきた限り、常に元気そうな様子だったので、心配は無用だったのだろう。
「それで、ルイは大丈夫なんですか?」
「うん、俺も大丈夫、全然問題ないぞ」
ディアナがルイの体調を訊いてきた。頭に強打を受けた際の頭痛も収まり、ルイの身体には特に問題ない。強いて言うならば、シエナに振り回された時の疲労が、少しだけ残ってるぐらいだ。でもそのぐらいは寝たら治るだろうかな該当しないでおこう。
「なら良かった。それで、いつ出発なさいますか?」
「んー、そうだなぁ、出来るだけ早く行きたいんだよなー」
ルイの気持ちとしては、早くリーカナに帰りたいというのが本音だ。皆が心配だ。親友のリアムや、愛らしいエマや、憧れのミアさんや、カミラさん。街中の人達。
果たして、無事なのだろうか。
「じゃあ明日の朝ぐらいとかでいいんじゃない?」
「明日の朝か……じゃあそれでいいか」
本当は休息の為に、何日かここに滞在しておいた方が良いのだが、早くリーカナへ帰還したいという気持ちが強いので、明日の朝に出発することに決定した。
「分かりました。明日の朝ですね。馬車の準備等もこちらでしておきますので、ルイさんとシエナさんは明日の朝まで休息していてください」
「分かりました」
アルドスはルイたちの決めた事を受け入れて、明日の出発に向けて準備を始めてくれるそうだ。本当に感謝の念しかない。
「では、話し合いは以上です。お部屋に戻られて休息なされてください」
「はい」
「了解でーす」
と、アルドスは解散を促して来たので、それに従って、ルイたちは執務室を出た。最後に、ディアナは「失礼しました」と言い、扉を閉めた。そしてルイ達は、自室に向かって歩き出した。
「とりあえず、俺とシエナ以外も生きてる人がいて良かったよ…」
ルイが見た限りでは、街中一面死体だらけだったので、他に生きている人がいるのかどうかも怪しかった。なので、他に生存者がいたという事実に心底安心した。
「ですね」
「だね」
シエナとディアナも、ルイの発言に賛同する。
「はぁ…疲れた」
自然と眠気が迫ってきていたのか、あくびが出てしまった。瞼も少し重くなったように感じる。
「そうですね、明日の朝出発なので、早めに寝ていた方がいいと思います」
「だな…部屋戻ったらすぐに寝るよ」
「そのまま永遠に眠っても構いませんよ。こちらでルイの死体を処理しときますんで」
「こえぇぇぇぇよ!」
いきなり繰り出されたディアナの辛辣な物言いに、驚愕し、思わず叫んでしまう。そのせいか、眠気が薄れてきたような気がした。
「おい、お前のせいで眠気薄れてきたじゃねぇか!どうしてくれんだよ!」
「じゃあ今ここで眠らせてあげましょうか?」
そう言うと、案の定腰に下げている鞘から剣を抜き出そうとする。それを「すみません」と全力で謝って阻止する。
「何回も言っているでしょう。軽率な発言は控えてくださいと」
「はい……」
力では確実に叶わないと本能か理解しているため、武力を用いられたら、こうしてひれ伏すしか出来ないのだ。なんとも情けない。
そんなこんなで、自室の前へと辿り着いた。扉を開いて中に入る前に───、
「おやすみ」
「おやすみー!」
「不快です。黙って寝てください」
ルイがそう言うと、シエナとディアナが言葉を返してきた。聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がするが、無視して部屋の中へと入って、扉を閉めた。
「ふぅ……疲れた」
自室に戻ったことで、安心感がやってきて、一気に疲れがのしかかったように感じた。
もうこれで、一日の日課は全て終了し、後は寝るだけとなった。ルイはベットへと向かう。
「お、ちゃんと洗ってくれたのか」
気付けば、ベットの上には元々ルイが着ていた礼服があった。一切の汚れもシワもなく、とても綺麗な状態だった。
「閉まっておくか」
礼服を手に持ち、部屋の隅にある棚の中へと閉まった。そして、部屋の明かりを消してから───、
「あぁ、疲れたな……」
豪快にベットへとダイブ。分厚く、柔らかいマットレスがルイの体を優しく受け入れる。
そしてそのまま仰向けになって、天井を眺めた。
「みんな…大丈夫なのかな、生きてるのかな?」
不安が募る。リーカナが襲撃されたことによって、大勢の犠牲者が出たはずだ。当然、今までルイが関わってきた人物もそこに含まれるだろう。想像したら胸が苦しくなるが、それ以上に苦しんでいる人もいるだろう。
目の前で家族を殺された者や、目の前で恋人を殺された者も確実にいる。その人達は今でも尚、嘆き続けているのだろう。
そう思えば、今のルイの状況は贅沢過ぎる。豪華な部屋、豪華な料理、娯楽などが与えられている。罪悪感も芽生えてしまう。
罪悪感と言えば、ルイが兵士なのにも関わらず、襲撃者から逃げ帰った事が一番心に残っている事だ。
ルイ・ミラネスは帝国の一兵士だ。兵士としての役目は、国民の安全を守る事だ。ルイは襲撃者に立ち向かわなければならない。なのに、ルイは恐怖のあまり、自身の安全しか考えず、国民を見捨てて逃げてしまったのだ。
その罪悪感が、ルイを繋ぎ止めて、決して逃がしてはくれないのだ。
「────シエナ」
ルイが唯一助けた人物だ。否、助けたと言うより助けられているの方が正しい。
魔獣に襲われた際、ルイのことを守ってくれたり、ルイの弱い心を勇気づけてくれた。恥ずかしくて本性に表せないが、シエナにはとても感謝している。だが───、
「このままじゃ…いけない」
ルイは弱い。なんにでもすぐに逃げ出してしまう情けない男だ。なので、今までシエナに守られっきりだったのだ。それでは駄目だ。
あの夜誓った。何処かも分からない森の中で、衰弱しきっているシエナの姿を見て誓ったのだ。
「俺が……」
確かに、ルイはシエナに劣る部分しかない。同時に、ルイが勝る部分もあるかもしれない。
それが何かは分からないが、それを最大限に活かして、少しでもシエナの助けになるような事をしよう。
間抜けで情けなくて、どうしようもない兵士であるルイが、あんな強い少女、シエナを守ると言ったら、確実に笑われてしまうだろう。
だが、改めて宣言しよう。
「───俺がシエナを、守ってみせる」
そう天井向かって言い捨て、ルイは視界を暗闇に染めた。
ღ ღ ღ
「全然寝れねぇな……」
どのくらい時間が経過しただろうか。明日の朝にこの街を出発するので、早めに寝ておこうとしていたのだが、一向に眠れないのだ。
窓から見える街の景色は暗くなっており、時刻は真夜中なのだと連想させる。
「ちくしょう……さっきまで眠たかったのに、なんで寝れねぇんだよ…」
アルドスとの話し合いが終わった時は眠かったのだが、今は何故か目が冴えている。考えられるのは明日の不安などか。
「気分転換でもしに行くか…」
いつまで経っても寝付けないので、屋敷の中でも散策して気分転換しようと、ベットから立ち上がった。
そして、部屋の扉取っ手を捻り、廊下へと出た。
長い廊下は非常に薄暗く、窓から差し込む月夜の光だけが唯一の光源となっていた。
「ん?」
廊下に沿って連なった窓の縁に、一人の人物が立ち尽くしていた。
艶めいた黒い髪、ぼんやりと外の景色を眺める薔薇色の瞳、花の紋章が形取られたネックレスを首にかけている人物───シエナだ。
廊下にただ一人立ち尽くしている彼女は、綺麗という言葉以外ではとても言い表せなかった。
月夜に照らされる彼女の姿は、なんとも、なんとも綺麗で───、
「綺麗だな…」
「確かに、綺麗だよね」
最初からルイの存在に気がついていたのだろう。自然とルイが漏らした感想を、シエナはこちらを振り向きもせず、夜空を眺めながら賛同した。
いつもの雰囲気とはまるで違う。いつもの明るい様子と違って、今の彼女は落ち着いた雰囲気を醸し出しており、綺麗だとしか言いようがなかった。
「勘違いしてるようだけど…綺麗ってシエナのことだよ?」
「─────、─────、─────。エッ!?」
認識の齟齬を訂正すると、シエナは身体を大きく跳ねさせ、その見開いた薔薇色の瞳でルイを見張った。それからシエナは自身の顔を指さして───、
「エ……エ……わ…私?」
いつものシエナに戻った。あの綺麗だったシエナの姿はどこに行ってしまったのだろうか。指を震わせながらそう訊いてきた。
「うん…なんか綺麗だなって、今はもう違うけど」
冗談混じりの本当の感想だ。今まで、ルイは沢山の女性を見てきたが、こんなにも綺麗な女性の姿を見るのが初めてだった。生憎にも、その姿はもう消えてしまったのだが。
「えっ…今、私の事綺麗って…」
ルイの感想を受けたシエナは、恥ずかしそうに顔を伏せながら、手をモジモジとしている。
「今は違うけどな」
そこにルイはすかさず補足する。すると、シエナは一瞬硬直してから、勢い良く顔を上げて───、
「今は違うってなんだぁぁぁ!おらぁぁぁあ!喧嘩売ってんのかぁぁ!」
真夜中の廊下にシエナの叫び声が響く。周りを顧みずに叫んでいるシエナだったが、彼女の頬は薄らと赤くなっているようにも見えた。
「ごめんって、ごめんって」
シエナの激昂に、ルイは両手を前に出して必死に謝る。その反省を受けたシエナは、一度ため息を着いた後、いつもの調子を取り戻して───、
「ったく…冗談を言うならもうちょっと何かあるだろ、全く」
「ごめん、ごめん、ごめん」
シエナは腕を組んで、そっぽを向いてしまった。それにルイは平謝りしつつ、話を切り出した。
「────で、シエナ何してたの?」
シエナは明日に備えて爆睡していると勝手に思っていたのだが、そうでは無かったようだ。
シエナはその薔薇色の瞳でぼんやりと窓の外を眺めていた。彼女は彼女なりに何か不安や葛藤などがあるのではないかと勝手に推測するが───、
「ちょっと悩み事とか色々あってね、全然眠れなかったんだ。それで、気分転換にでもって窓の外眺めてたんだ」
ルイの推測が完全に的中した。シエナは床に目を伏せながら心の内を明かした。彼女のような明るい性格の持ち主でも、悩み事はあるというのは、正直以外だった。
人間誰しも悩み事に駆られているということなのだろうか。
「そうか、俺と完全に一緒だな」
シエナと考えが全く一緒だった事に、思わず笑いが漏れてしまった。
「ルイくんも悩み事?」
「うん…いっぱい、いっぱいある」
悩み事の数なんて数えたらキリがない。数多の悩み事を抱えたルイの身体は、押し潰されてしまいそうなほどの重しとなる。それを吐き出して、少しでも楽になりたいと思っているのだが、シエナはルイの心中を察したように、
「どんな悩み事なの?」
小さく首を傾げながらそう訊いてきた。その顔は少しだけ笑みを浮かべていて、ルイの不安を吐き出させようとするシエナの心遣いでもあった。
その心遣いに甘えてルイは、心の内を明かす。
「自分が嫌いで仕方がないんだよ」
「自分が…?」
「うん、さっきの話し合いの時も言ったけど、俺帝国兵なんだけど…怖くて一目散逃げ出しちゃったんだよ」
国民を守らなければならない存在である兵士が、国民を見捨てて一目散に逃げ出したのだ。兵士失格だ。
「そんな自分が…嫌いで、みっともなくて、汚くて…」
守る立場である人間のルイが、逆に守られてばかりでいる。そんな自分がみっともなくて、嫌いなのだ。そう自分を卑下し続けるルイを見て、シエナは口を開いた。
「怖くて逃げ出したのに私のことは守ってくれたんだね」
「まぁ…そうだな」
確かに、シエナのことは守ったと言ってもいいだろう。そう、シエナのことだけは。
「もしかして、シエナちゃんが可愛すぎたから助けようと思ったのかね?」
シエナは微笑みながら茶化してくる。今そんなことを言われても、乗る気にはならないのだが。
「確かにシエナは可愛いけどさ…別にそんなことじゃないよ」
シエナのことを守ったのは、単純に守らなければという衝動に駆られたからだ。何故今更その衝動に駆られたとは分からないのだが。
「えっ…今私の事可愛いって…て…照れちゃうな」
「自分から可愛いって言っといて自分で照れんなよ!」
シエナがルイから目線を逸らし、頬を赤らめていたので、思わずそう叫んだ。
「あ…やべ…」
時刻は真夜中なのにも関わらず、シエナと同様に叫んでいた事に気が付き、既に遅いが、口を手で閉じた。
「ちょっと元気になったじゃん」
「え?」
シエナと話していると、調子が狂わさせる。先程までの憂鬱な気分が少し良くなったように思えた。問題の根本的な解決には至っていないが、それでも気が楽になったおかげで、何とかネガティブ思考から抜け出せそうだ。
「そう自分を卑下するのは良くないよ。もっと自分に自信をつけなきゃ」
シエナは片目をつむり、自身の胸に手を当てながらそう言う。更に続けて───、
「確かに、助けを求めている人達を見捨てて逃げ出したのは、世間的に見たらクソ野郎なんて称されても仕方ない。でも、ルイくんは私の事守ってくれたよ?ルイくんは命の恩人なんだよ?」
シエナの口は止まることを知らずに───、
「ルイくんは見捨ててなんかいない。私の事を助けてくれたんだよ。確かに、私以外の人を見捨てた事に罪悪感を抱くかもしれない。けど…これ前にも言ったかな?人間は、一度死んだらもう生き返らない。けど、ルイくんはまだ生きている。まだチャンスがある。だから、助けられなかった人の分、次助けを求めている人がいた時、ルイくんがいっぱい助けること。そうすればきっと…ルイくんの罪悪感も無くなると思うし、あの襲撃で死んじゃった人の魂も少しは笑顔になるんじゃないかな?」
シエナはその薔薇色の瞳でルイを見据えながら、そうながらかに語った。
ルイはまだ生きている。まだチャンスがある。その与えられたチャンスを最大限に活かすこと。それが、襲撃で死亡した人達へと償いなのだと、シエナに強く言われた。
言い方は優しかったのだが、どこかしらに強さが感じられ、ルイの心に直接響いてくる声。
その言葉を聞き、ルイの心の中のドス黒いモヤが薄れていった。
「そうだな、うん。そうだ。分かった。今度は逃げないぞ。絶対に助けてやる。そうしたら…死んだ人達の魂が少しでも笑顔になるのかな…」
「うん、きっとなるよ!」
ルイの疑問が混じったニュアンスに、シエナが勢いよく頷いた。今更ながら、死者の魂が笑顔になるという意味が良く理解出来ないのだが、何となくは理解出来るような気がする。
「で…この話はもう大丈夫なの?」
「うん…大丈夫。ありがとうね」
「どういたしまして」
ルイが素直に感謝の言葉を伝えると、シエナは少し照れくさそうにしながらそう答えた。
「───で、他の悩み事は?」
「そのことなんだけど…今話したことの悩みが大半を占めてたから…あとは別に大丈夫かな」
ルイが心の中で一番感じていた悩みを解消出来たので、他の悩み事は対して問題ない。全て、この悩み事を主体に広がっていったものなので、その主体が消え去ってしまえば、特にもう問題はないのだ。
「なら良かった」
シエナは微笑んでおり、ルイの悩み事を解決した事に、満足している様子だった。
「───で、今度は逆になるんだけど、シエナも何か悩んでるんだろ?」
何故シエナが窓の外の景色をぼんやりと眺めていたかというと、悩み事が積み重なって、寝れなかった為らしい。
シエナの悩み事を聞いて、解決してあげたいという目論見だったのだが、シエナは指で口を塞いで───、
「ひ・み・つ!」
一語一語を強調しながらそう答えた。
「なんで秘密なんだよ。不公平だろ」
ルイの秘密は聞いといて、自分の秘密を明かさないのは不公平だと訴える。
「女の子の内情を容易く知れると思うでないぞ。あと貴様が勝手に話したことだ、わっちに身の内を語る義務など存在せぬ」
「どこの貴族だよ」
傲慢さが垣間見える貴族風の言い方だ。だが、シエナの声は決して貴族っぽくないので、可愛らしいものに聞こえた。
「そんなにシエナちゃんの悩み事が知りたいの?」
ルイの顔を覗き見しながらそう言ってきたので、すぐさま否定する。
「別に…言いたくないんだったら別にいいんだけど」
そう言うと、シエナはいやらしい目付きでルイの顔をまじまじと見てくる。それに「なんだよ」と引き気味に答えると、シエナは含み笑いをしてから、
「いつか教えてあげる」
「またいつかかよ…」
「うん、いつかね」
魔獣の群れを意図も簡単に放り去った武器『鋼の珠』の事を訊いた時も同じ答えだった。それに内心呆れつつも、乗ってあげようと思った。
「分かったよ、いつかね、いつか」
「うん、いつか」
一体いつを指すのかは分からないが、期待しておこう。いつか来るその時まで。
「あぁ…そう、シエナ。言いたいことがあるんだった」
「ん?何?」
シエナが小さく首を傾げながらそう訊く。
絶対にシエナに伝えなくてはいけない言葉。こんな弱い自分を見放さずに、励ましてくれた。こんな弱い自分の心を救ってくれた。そんな彼女に送る感謝の言葉。
「改めて言うけど…シエナ、本当にありがとう」
これがルイの感じているシエナに対しての全てだ。
ルイが真剣な表情のまま、シエナに感謝の思いを伝えると、シエナは恥ずかしそうに目線を逸らして───、
「こちらこそ、色々ありがとうね」
自分では感謝される覚えはないが、素直にシエナの感謝の思いを受けておく。
ここでルイはあることに気が付いた。
シエナと話していると妙に心が休まっていくことに。彼女の甘い声音を聞くと、何故かルイの心が温まっていき───、
「あー、俺そろそろ眠くなってきちゃったなー」
「そうだね、私もちょっと眠くなっちゃった」
「じゃあもう寝るか、明日の朝も早い事だし」
「だね、ルイくんと色々話せて良かったよ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
そう言い捨てると、ルイは早い足取りで部屋の中に入った。そして、部屋の扉を閉めると、背をもたれかけさせる。
「───なんだ、この変な感じは」
自分の胸に手を当てて、気持ちを落ち着かせる。シエナの声を聞くと、何故かルイの心が温まっていくように感じた。それも妙に、その感覚が落ち着いているようにも感じた。
「これ…まさか」
ここで、ルイは一つの可能性に気付く。そして、自分の心に目掛けて疑問を投げかける。
「俺…シエナの事好きだったりするのか…?」
当然、この疑問は誰も答えてはくれなかった。