第一章15 『勇気』
「うわぁぁぁ、やっちゃったぁあぁ!!エリナぢぁぁああああぁぁぁん!」
もぬけの殻となった室内で、シエナは頭を抱えながら、嘆いていた。
リーダー核の男に隙をつかれて、室内に煙幕を張られてしまい、視界が塞がれ、気づいたら、エリナちゃんとリーダー核の男が消えていたのだ。
完全なる失策だ。もっとあの男に注意を向けるべきだった。特にルイは、何の役にも立っていないので、一番気を使わないといけないのだが、シエナの戦闘技術に見惚れてしまっていたので、一時的に存在を忘れてしまっていた。
自分の情けなさが、非常に腹立たしく思える。どれだけ自分は無能なんだと責め立ててしまう。
「いやぁ…あの、シエナ。ごめんね、何もしてなくて」
自分の情けなさ、不甲斐なさ、無能さをシエナに謝る。魔獣の時もそうだ。シエナに守られてばかりで、自分は何の役にもたてなかった。
ルイの役目は兵士だ。シエナのことを守らなくてはならない。そう、あの夜誓ったのだ。それなのに、自分はどうなんだ。守られてばかりじゃないか。
さっきまで、シエナの背中に隠れていた自分を殺してやりたい。
「んーん、大丈夫だよ?ルイくんはいてくれるだけでいいんだから、なんか後ろにいてくれたら私が強化されるみたいな?そんなに自分を責めたりしなくていいんだよ?」
首を横に振り、優しい声でそう答える。シエナの優しい口調が、余計にルイの心をズタボロにしていく。
男としての矜恃など、鼻から存在していないが、やはり傷付く。
実際には、シエナはそう思っていないだろうが、ルイはまるで必要とされていないと言われている気がする。
「そ…そうか?」
小さな声でそう答えると、シエナは笑顔で「うん」と答えた。一拍置いてから、シエナは続けて───、
「自分が役に立たないと思うなら、次頑張ればいいんだよ。今回は上手くいかなかったとしても、しっかりと反省して、次の機会に活かせばいいんじゃないかな?ね?兵士さん」
シエナはルイに、励ましの言葉をかけてくる。シエナの優しく甘い口調が、ルイの心に響き渡り、気持ちを楽にしてくれる。
「──うん、わかったよ。次頑張ってみるから、あの逃げた男は俺が捕まえてみせるから、シエナは後ろで見といてよ。なんと言えでも、俺は兵士なんだからな」
「へへぇ〜ん、分かったよ。じゃああの男はルイくんに任せておいて、私は後ろでのんびりと眺めているよ」
「おう、任せておけ」
シエナは、いたずらっ子のような目付きで、笑いながらそう答えてくる。なぜか、シエナの笑顔を見ると、自然とルイも笑顔になってしまう。
シエナとルイの笑い声が、室内に響き渡りあった。
ღ ღ ღ
互いに笑いあった、なんとも幸せな時間が落ち着いたあと、いよいよ本題に入る。
「で、エリナちゃんとあの男はどこに行ったのかなんですけど───、シエナさん検討はつきますか?」
本題となるのは、エリナと誘拐犯はどこに消えてしまったのかだ。全くもって検討がつかないので、シエナに訊いてみた。
シエナの安直すぎる考えが、功を制したのだ。街中に存在する建物の中から、一瞬にして誘拐犯が潜伏していた建物を引き当てたのだ。考えというか、完全にこれは運なような気がするが。
「んーん、さすがにわかんないかなぁ〜」
「だよな…ほんとどこ行ったんだろう」
流石のシエナも、どこに行ってしまったのか分からないようだ。まあ、当然だろう。先程誘拐犯を見つけたのは、ただの強運なのであって、断じて、シエナが頭が良いという訳では無いのだから。
「街の外には出ていないと思うんだけどな」
「まあ、確かにね」
街の外へは逃げていないと考える。あんなに大騒ぎになっていたので、恐らく、この事件は街中に広まっているだろう。誘拐犯を逃がすまいと、壁付近を警戒していると思うので、流石に街の外へは逃げていないだろう。
であるならば───、
「やっぱり街のどっかにいんのか…」
街の中にいるとしても、やはり一切検討がつかない。恐らく、今いる場所が、誘拐犯たちのアジトか何かだろう。
しかし、それを失った誘拐犯は、一体どこへ行ってしまったのか。
「迂闊に街中へ出れないはずなんだよな…」
「エリナちゃんも連れてる事だし、すぐに見つかっちゃうもんね」
既に、サントエレシアの私兵に、事件は伝わっているので、街全域に包囲網が張られているはずなので、誘拐犯は、迂闊に外を出歩けないはずなのだ。
「じゃあ、どっか街の中で目立たなそうな場所とかか…?」
「そうなんだろうけど、私たちこの街の住人じゃないから分からないよね。しかも、この街広いからねぇ〜」
「そうなんだよなぁ…」
街の中で目だた場所といっても、この街の住人ではないので、全然分からない。それに、リーカナ程ではないが、こんな広い街の中を探すとなると、相当な時間が掛かってしまう。街の中を、闇雲に探し回っていると、キリがない。
この街に詳しい人と一緒に探せればいいのだが、
「あっ、そうだ。ディアナは?」
「え?ディアナちゃん?」
「うん、あいつならこの街のこと詳しいだろうし、お手軽じゃん」
この街に詳しくて、尚且つ関わりのあるディアナというやつがいた。ディアナは、この街の領主の娘という立場であるため、誰よりもこの街のことを熟知しているだろう。そして、決して親密とは言えないが、ルイたちとも関係がある中なので、気軽にお願い出来る。
そんな、優良物件のようなディアナに、頼もうと提案するが、
「ディアナちゃん忙しいって言ってなかったっけ?」
「え?そうだっけ?」
「うん。ディアナちゃんと一緒に街の観光しに行こって言った時、色々仕事があるから行けないって言ってたよ」
「ならディアナの選択肢は潰えたか…」
あいつも色々と忙しいんだな。
優良物件だったディアナが、選択肢から外れて、等々どうすればいいのか分からなくなる。
「そこら辺にいる人に一緒に来てもらうにしても迷惑だしな…」
街の人と言うだけなら、そこら辺にいる住人に声をかけて、一緒に同行すればいい話なのだが、流石に迷惑になる。兵士たちも、エリナの捜索にあたっているはずなので、邪魔は出来ない。
「じゃあ、私たちで探すしかないね」
「そりゃあそうだけどさ…」
圧倒的に条件が悪い状態になり、声の調子を落としていると、
「大丈夫だって、適当に探してたら案外簡単に見つかるかもしれないじゃん」
すかさずシエナが、励ましの声をかけてくれる。
「まぁ、少しは信用できるな…」
シエナの軽率な発言だが、地味に信用できてしまうのが、なんとも言えない。
「それにしてもあれだよな、なんでシエナは誘拐犯をあんな簡単に見つけることが出来たんだ?」
シエナの発言を信用出来てしまうのが、先程の出来事があったからだ。シエナが適当に言ったであろう発言が、事実となったのだ。
ただの強運という考えもあるが、実際のところどうなのだろう。頭が良くないと言ったが、もしかしたら、シエナの何かしらの考えで、誘拐犯の潜伏先を導き出したのかもしれない。
そう思い、シエナの真理を聞きだす。
「あぁ、あれね。あれはね──、私の真の力が覚醒して、頭の中に答えが過ぎったからさ」
「くだらね」
こちらを見据え、全力のキメ顔を見せながら、シエナはそう言うが、ルイはその返答をバッサリと切り捨てる。
シエナの頭脳に期待したのが間違いだった。ギャンブルの時もそうだった。安直な考えで、何度も敗北を重ねたシエナが、頭を働かせているわけがない。
つまり、簡単に誘拐犯を見つけられたのは、ただの強運だと、そう断定するが、シエナは直ぐに反発し、
「はぁ?違うし!そんなくだらないことじゃないんだから!全然運とかじゃないんだし、シエナちゃんの底に眠っていた天才的頭脳が働い───、」
「あーーーーー、はいはい、分かった。分かったから。つまり、シエナさんは天才だったってことなんですね」
「そう!」
このままシエナに喋らせておくと、永遠に止まらない気がしてきたので、適当に返事をして、話を遮った。
適当に返事をしたのだが、どうやらシエナはその答えに満足したようで、ルイに微笑みを見せていた。
「──じゃあ、話を元に戻すぞ」
シエナによって、変な方向に話が逸れてしまったので、話を元に戻す。
「まあ、とりあえず…あの男はどこに行ってしまったのかだが──、」
消えた男の行方を判明させるべく、ルイは部屋の奥にある扉へと目をやる。
「あそこから逃げ出したんだろうな…」
「まあ、正面の出口から出たから目立つだろうし、裏口から出るだろうね」
大通りから逸れているこの場所は、正面から道に出たとしても、人通りは少ないため、バレる可能性は低いが、裏口から行った方が、確実だ。
つまり、あの誘拐犯は、裏口から出た可能性が、非常に高い。
ルイは、部屋の奥にある、裏口へ向かい、扉の取っ手に手をかけて、扉を奥に押した。
「逃げるのには絶好の場所だな…ここ」
裏口を出ると、そこは建物の隙間が連なる裏道だった。光があまり差し込んでこず、薄暗い。ここなら、人気もほとんどなく、逃げるのには絶好の場所だ。
恐らく、誘拐犯の逃げた経路は分かったが、もう一つ問題が出来た。
「あー、これどっちに行ったんだ」
裏道は、左右に別れているため、どちらの方向に逃げたのかが分からない。どうしたらいいものか、また問題が出来てしまった。
「んー?どうしたのー?」
「あー、道が右と左に別れてんだよ。どっちに行ったものやらね」
背後からの問いかけに、ルイは淡々と状況を説明する。誘拐犯がどちらの方向に逃げたのか一切分からない。痕跡の一つもなく、ただの運任せになる場面だ。
そんな、運任せの場面に、自称天才の少女が声を上げた。
「そういうことなら、この天才のシエナ様に任せておけ!」
シエナは腰に手を当てて、大きな声でそう宣言した。
「でもどうすんだよ、逃げた痕跡も何もねぇぞ」
裏道には、逃げた痕跡などは何もなく、男がどちらに逃げたのかは、完全に不明な状況だ。そんな中で、男の逃げた先を当てるのは、ほぼ不可能に近く、完全に運任せになってしまうのだが、シエナはどうするのか。
そんな疑問を、シエナにぶつけると、
「こういうのはね、犯人の気持ちになってみれば分かるんだよ」
「は…はぁ…」
茶番が始まった。シエナは、また意味不明な発言をしたのだが、もう突っ込む気力が起きなかった。物事の成り行きを、大人しく見ておこう。
「よし、じゃあ早速シュミレーションしてみよう」
そう言いながら、ポケットから取り出したサングラスをかけた。
「なんでサングラスかけてんだ?」
「いや、だって、怪しいやつってサングラスかけてそうなイメージじゃない?」
「すげぇ偏見言うな…」
サングラスをかけた理由は、怪しいやつ感を出すためらしい。そういう細かい部分にまで、演技を徹底しているらしい。
というか、なんでサングラスを持っているのだろう。気になるが、シエナは、演技の下準備に没頭しているので、何も言わないことにした。
下準備と言っても、目付きを鋭くしているだけなのだが。
「じゃあ、行くよ!」
そう言って、室内の中にへと戻って行った。そして、数秒たった後、裏口の扉がゆっくりと開かれる。
「ち…ちくしょう、なんなんだよあいつ。あの黒髪でめちゃくちゃ可愛い女の子のせいで酷い目にあったじゃねぇか。くそぅ…あの可愛い女の子め、絶対に許さねぇ」
シュミレーションが開始された。
やたらと、可愛い女の子という部分を強調しながら、辺りをキョロキョロと見渡している。
手元には、空気化したエリナを抱き抱えている。やはり、そういう細かい部分もしっかりしているようだ。
「どうしたら、どうしたらいいんだ…俺は…くそ…くそ…ちくしょぉ…」
普段の声とは違く、頑張って男声を出そうと、声を低くしているが、実際のところはそんなに変わっていない。相変わらず、周りをキョロキョロと見渡している。
「くそ…おい。エリナとか言われているお前。ちょっとは静かにしろ!黙れ!いいから黙ってろ!」
と、腕に抱えている空気化したエリナを見張り、怒鳴りつける。なんとも滑稽と言うかなんと言うか。
「くそぉ…ちくしょぉ…ちぐじょぉ…一体どっちに逃げればいいんだよ…くそぉ…どっちが正解なんだよ」
苦し紛れに言葉を吐き出している。やっと本題に入った。ここからが誘拐犯の行動予想の時間だ。誘拐犯の気持ちになって、動向を探る。そういう内容なのだが、果たしてこれからどうなるのでろう。
なぜかルイは、少しだけ期待してしまっていた。
「どっちに行けば…どっちに行けばいいんだよおぉぉぉぉおぉぉぉぉ」
シエナ──誘拐犯は、頭を抱えて悩み悶えている。そして、しばらく悩み悶えたあと、顔を上げて、こう言った。
「どーちーらーにーしーよーかーなーかー、」
「ちょっ、ちょっつ、ま…待てぇぇぇぇぇぇ」
シエナの演技中だったが、思わず演技を遮ってしまった。
シエナは、演技を遮られて、不機嫌そうな目をしていたが、構わずルイは続ける。
「結局運任せじゃねぇかよ、誘拐犯の気持ちになって考えるって、どこ行ったんだよ!」
てっきり、シエナは誘拐犯の気持ちになって、思考を巡らせて、状況を加味した上で、逃亡先を見定めると思っていたが、全然違っていた。ただの運任せだ。それに対して、シエナに突っ込みを入れるが、
「あの誘拐犯の人は頭がこんがらがっちゃって、運任せにこうしたかもしんないじゃん!」
不機嫌さが絶頂となり、ルイに向かってそう叫ぶ。
「はぁ………はいはい、もう分かりましたよ。それでいいですよ」
「それでいいんだよ、ルイくん」
もうシエナに反発するのが面倒くさくなってしまい、棒読みで、適当に返事をしたが、それで納得してくれたようだ。不機嫌な雰囲気が、一瞬にして消え去った。
「───で、どっちなんだ?」
どちらかを選んでいる最中に遮ってしまったので、結果が出ていない。ルイは、頭を掻きながらそう訊くと、シエナは再び続けて──、
「どーちーらーにーしーよーかーなーかーみーさーまーのーいーうーとーおーりー」
指を左右に動かして、どちらの方向に行くのかを決める。
そして、言い切った後、指は右の方向に向いていた。つまり、そこから導き出される答えは、
「右だああああああああああああ!」
右だ。男が逃げた先は、右の方向だと結論づけられた。
シエナが右だと叫ぶと、一目散に走り去って行った。
「仕方がねぇ…ついて行くか…」
ため息をつきながら、ルイもシエナの後を追っていこうとすると、
「お…おい、なんだこれ」
裏口の中、室内の凄惨な状況を見た兵士が、驚いて声を出していた。兵士は、大きく目を見開いており、腰を抜かして震えていた。
確かに、この状況を見て、驚かない方がおかしいだろう。何人もの男たちが、無造作に床に倒れているからだ。
男たちの手足が、無造作に投げ出されており、床には血が流れている。中には、曲がるはずない方向に、体が曲がっている人もいる。
殺人現場に見えなくもない惨状なので、この兵士が驚いて腰を抜かしてしまうのも無理は無い。まるで、初めて殺人現場を目視したルイのようだ。
この光景を見て、驚きで固まっている兵士に向かって、ルイは声をかける。
「そいつら例のエリナちゃん誘拐したやつの仲間だから捕まえといて」
「は…え…あぁ…」
驚愕が残っているのか、兵士は、るいの発言をあまり理解出来ていない様子だった。しっかりと、事細かに説明したいのだが、シエナが先に行ったことと、早くエリナを見せなければいけないので、ルイは「じゃあ、後はよろしく」と捨て台詞を吐きながら、シエナの後を追っていった。
ღ ღ ღ
シエナの後を追うべく、裏道の右側の通路にへと進んだルイだったが、シエナの姿は見当たらなかった。
もうどこかに行ってしまったのか。ちょっとして、シエナの持っている強運で、既にエリナちゃんを見つけたのではないか。本当はそうなればいいのだが、ルイにとっては駄目なのだ。
なぜなら、先程シエナに誓ったのだ。あの逃げた男を捕まえると。
「で…右の通路に沿って進んで行ったんだけど…どこいんだ?」
シエナの背中を追うため、ルイは裏道の右方向を進んで行ったのだが、何も見ていなかった。途中でシエナの姿が見えるかと思われたが、一切見ておらず、現在シエナの消息は絶たれている。流石にあの強さなら、誘拐犯に、殺されることは何だろうが。
「まじでどこにいんだよ…」
早く見つけないと、エリナの身が危ない。あの男が、何をして出すのかが分からないので、発見が遅れてしまうことはあってはならない。
そもそも、なんであいつらはエリナを誘拐したのか。
「あー、やべぇ…早くしないとぉ…」
焦燥感が募る。エリナを早く見つけないといけない。せめて、少しでも痕跡があればいいのだが、何一つ痕跡もないので、詰みの盤面になっているのだ。
「シエナみたいな強運を持ってたらいいんだけどな…」
残された痕跡はなく、何も分かっていないので、手当り次第探すしか、選択肢は無くなる。つまり、完全に運任せになってしまうのだ。
生憎、シエナのような強運は持ち合わせておらず、ルイは何も所有していないただの凡人だ。
「こんな独り言言ってる暇ないな…」
こんなことを言っている合間にも、エリナの身は危険に晒されている。早く見つけださねばならない。
「とりあえず…一旦裏道から出るか…」
はぐれたシエナと合流するためと、あまり薄暗い裏道に長居したくないからだ。長居したくないと言うのは、少々裏道というものに、トラウマが残っているからである。
あの生死を賭けた鬼ごっこが、裏道──正確には、裏路地で行われたのだ。本当に怖かった。二度とあんな目に会いたくない。
「こっちか…」
薄暗い裏道に光が差し込んでいる。人影が見える通路に向かって、ルイは歩き出す。
早く、薄暗い裏道から抜け出すために、足を早める。
そして───、
「出たああああああぁぁぁぁぁ!」
裏道から抜け、人通りがある場所に出た。空から降り注ぐ日光を全身に受け、ルイは思いっきり背伸びをする。
薄暗くなっていた心が、日光によって浄化されている気分だ。非常に気分が良い。最高の気分だ。初めて、兵士の仕事をサボれた時と同じぐらい気分が良い。
「さーてと、裏道から出たことだし、これからどうしよっかなぁ」
裏道から出たのはいいが、これからどうしたらいいものか。シエナと合流して、一緒にエリナを探すか、素早く彼女を見つけるために、人気のない裏道を一人で探すかだ。
正直、裏道にはあまり行きたくないのだが、エリナを見つけるためなので、やむを得ない。
シエナと一緒なら、心強いのだが、現在シエナは行方不明となっている。つまり、一人で何とかするしかないのだ。
「あぁー、どうしよっかなぁ…」
シエナと合流するにしても、どこに居るのか分からない。それに、シエナを探している間にも、エリナは危険な目に合わされている。
早く、恐怖から解放してあげるために、ルイ一人で探すとしても、探す場所が多すぎるので、キリがないのだ。
そんなことを思い、悩み悶えていると、後ろから叫び声が聞こえてきた。
「ん?」
いきなり耳に入り込んできた叫び声に、咄嗟に後ろを振り向くと、
「うぎゃぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!」
行方不明になっていたシエナが、叫びながら、雑踏の中を走っていた。
「何やってんだあいつ…」
街の中を、叫びながら走っていく姿は、完全に変人そのものだ。街の人からは、冷たい目で見られていた。
「おーい、シエナーー!」
正直、あまりシエナに声をかけたくなかったのだが、仕方がない。ルイの目的には、シエナとの合流が含まれているからだ。
ルイは、大声で声をかけるが、シエナの発している叫び声に掻き消されて、聞こえなかったようだ。
この間にも、シエナは叫びながら走り続け、ルイの目の前まで接近するが、
「おい、シエナ!」
こちらには気付いておらず、叫びながら、この場を走り去って行った。
目の前を通り過ぎていったシエナの顔の目尻には、涙が浮かんでいたような気がした。
何かしらあったのだろうか。
「しゃぁねぇ、追うか」
裏道のように、道が入り組んでいないので、シエナを追うことが出来る。
相変わらず、叫び続けているシエナを追うために、ルイは全力で後を追いかけていく。
「おーーーい!シエナーー!」
目に涙を浮かべ、叫びながら街の中を走っているシエナの姿は、まさに変人だ。街の人に冷たい目で見られている。
その変人を追っているルイも、冷たい目で見られている。これも少々トラウマになっている。冷たい眼光で、こちらを見据えられるのは耐え難い。
この状況から抜け出すには、早くシエナの捕まえなければならない。
ルイは、腕を大きく振り、足の回転を早くして、シエナに追いつこうてする。
足の速さはこちらの方が上だった。なので、段々シエナとの距離が詰まっていく。
詰めて、詰めて、詰めて、等々シエナの背中に手が届く位まで近寄れた、が───、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
一段と煩くなった叫び声を出すと、シエナは加速して、どんどん距離を離されて行った。
「嘘でしょ!?早すぎでしょ…」
異様な足の速さに、ルイは思わず驚愕してしまう。並大抵の人間では、絶対に出すことは出来ない速度で走っているシエナ。
「あいつはやっぱり化け物なんだな…」
誘拐犯達との戦闘で見せた脅威の戦闘力、そして、現在見せた脅威の脚力。つまり、シエナは化け物だと結論づけられる。
脅威の速さを見せるシエナを、ルイは全力で追っていたが、度重なる方向転換により、等々姿を見失ってしまった。
「はぁ…はぁ、はぁ……また消えたよ」
膝に手をつき、荒れた呼吸を立て直す。常に全速力で走っていたので、体力が持たなかった。鼓動が落ち着いてたのを感じながら、再びルイは立ち上がる。
「シエナを追うか…」
先にシエナを追うことを決めた。それは何故かと言うと───、
「すいません、さっきここら辺で叫んでいる変な人を見かけませんでしたか?もし知っていたら、どこに行ったか教えて欲しいんですが…」
近くを歩いていた街の人に話しかけた。すると、街の人は、すぐに思い出したかのようにして、
「あーあ、さっきここ走ってたやつだろ。それならあっちの方向に行ったな」
やはりそうだ。エリナとは違い、とんでもなく目立っているシエナなら、すぐに見つけられる。味を占めたルイは、他の人にも同じように声をかけた。
「あいつならあっちの方に行ったぞ」
「あの叫んでた女の子でしょ?その子ならあっちの方に行ったわよ」
「あの変なやつならあっち行ったぞ」
と、色んな人に聞きまくって、シエナの行き先を追う。
聞いた情報を元に、街の中を探索して回ったルイだったが、最終的にはこの場所に着いてしまった。
「おいおい、また裏道かよ…」
シエナの目撃情報を元に、行方を追っていったルイが、最終的に辿り着いたのは、トラウマになっている裏道だった。
あまり光が差し込んでこず、薄暗いため、薄気味悪い雰囲気を醸し出している。
「行くしかないか…」
本当は行きたくないのだが、シエナと合流するためなのと、裏道なので、人気は少なく、誘拐犯が逃げた先の可能性がある場所なので、行くしかないのだ。
ルイは、恐る恐る裏道へと足を踏み入れる。
「なんだ…ここ?」
裏道の奥へと進んで行ったルイだったが、ある異変に気付いた。
裏道の奥は、少々汚れており、雰囲気が違っているのだ。汚れていると言っても、地面に少々ゴミが落ちている程度なのだが、明らかに他とは雰囲気が違っている。嫌な感じとかではないのだが、なんと言えばいいのか。
地面を踏みしめて、ゆっくりと奥に進んでいく。異様な雰囲気が漂っている中、ゆっくりと、奥へと進んでいくルイだったが、とある場所で足が止まった。
「なんか…ここだけ違ってるな」
目に付いたのは、とある建物だ。一見、なんの変哲もない建物なのだが、何故か異様に目に付いた。
自然とルイは、その建物に向かって歩み出していた。そして、扉の前に着くと──、
「引っ掻き傷か?」
扉の横にある壁には、薄らと、引っ掻き傷のようなものが見える。それに、微かにだが、乾いた血が付着している。
「血…だよな?」
壁に付着している、引っ掻き傷と血。恐らく、誰かがこの壁を思いっきり引っ掻いたのだろうと予想する。
それにしても、誰が────、
「エリナちゃんなわけないよな?」
誘拐犯に連れ去られている最中に、痕跡を残すため、壁を引っ掻いた可能性が出てきた。可能性としては低いが、無くはない。
もし、それを成せたとしたら、彼女の勇気は素晴らしいものだ。
「──────」
もしかすると、エリナはここにいるかも知れないという可能性が浮上して、ルイは恐る恐るドアノブへと手をやる。
そして、ドアノブを手で掴み、ゆっくりと手を回す。
軋みながら、ゆっくりと扉は開かれていった。
扉が開かれ、薄暗い室内が目の前に広がる。非常に不気味な雰囲気だ。
ルイは、地面としっかりと踏みしめて、ゆっくりと中へと進んでいく。
一歩、また一歩進んでいくにつれ、床が軋む音が室内に木霊する。その音が、やけに五月蝿くて仕方がない。
室内の全体を見渡す。室内には、机や椅子、空になった本棚、汚いベットぐらいしかなく、特にこれといって不思議なものは見当たらなかった。
「なんだよ…何もねぇのかよ…」
不穏な空気に苛まれていたが、何も無いことを理解した瞬間、一気に落ち着いた。とりあえず、一安心と言ったところか。
ここには何も無かった。早く、不気味なこの場所から抜け出そうと、ルイは、さっき来た、扉の方へと振り向く。
後ろを振り向くと、消えた誘拐犯が目の前に佇んでおり、手に持っている鋭利な刃で、ルイの首を切り裂かんとしていた。
ღ ღ ღ
「あああああァァァァ!」
ルイの首を切り裂かんとしていた刃を、咄嗟に、後ろに飛んで、寸前のところで回避した。
咄嗟に後ろに飛んだので、受身を取れずに、尻もちを着いてしまう。
全身の産毛が逆立ち、首元から、寒気が全身を包む。今の斬撃を避けれたのは、奇跡以外他にない。シエナにしかないと思っていた強運が、ルイにもあったようだ。
「ちっ、運の良い奴め」
舌打ちをしながら、誘拐犯はルイのことを見下ろす。ルイを見下ろす鋭い眼光は、まるで獲物を捉えた猛獣のような眼差しだ。
そして、手に持っているナイフの先端は、薄暗い室内であるのに、妙に光り輝いて、ルイの魂を切り裂こうと、うずうずしている。
「あの女はいねぇのか…まあいい…あんな化け物は絶対にいない方がいい」
誘拐犯の男は、手に持っている刃を、手で遊びながら、独り言を続ける。
「俺たちの邪魔をするのなら、俺はお前を殺す。まぁ、もう顔とか見られちゃってるから、邪魔しなくても殺すんだけどな」
男の声は、妙にルイの頭に響いてくる。圧倒的恐怖、脳が恐怖という感情に支配され、まともに思考できなくなる。
───怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
そんな恐怖の感情に、全身を打ちのめされて、身体が大きく震える。
今すぐにでも、この場所から逃げ出したい。早く逃げ出さなければ殺される。
怖い、怖い、怖い。この場所から逃げ出したい。早く逃げたい。助けてくれ───。
──うん、わかったよ。次頑張ってみるから、あの逃げた男は俺が捕まえてみせるから、シエナは後ろで見といてよ。なんと言えでも、俺は兵士なんだからな
──へへぇ〜ん、分かったよ。じゃああの男はルイくんに任せておいて、私は後ろでのんびりと眺めているよ
──おう、任せておけ
ある情景が思い出させる。これは、ルイが誘拐犯を捕まえると、シエナに誓った時だ。
ルイは弱い。とてつもなく貧弱だ。肝心な時になって、腰が抜けて、役に立たない。兵士としての責務を放り投げて、自身の生に貪欲となり、逃げ出してしまった。そんな自分が情けなくて、殺してしまいたくなる。
自分は逃げてばっかりなのか。自分のことすら守れないような、弱い男なのか。
───いいや、違う。
壁の引っ掻き傷が思い出させる。あれは恐らく、エリナが付けたものであろう。自分の痕跡を残すため、恐怖で苛まれている中、勇気を振り絞って、自身の爪を犠牲にして、壁に痕跡を残した。
あんな小さな女の子より、ルイは弱いのだろうか。
───違う、違う、違う、違う、違う。
「お?なんだ、やる気かよ」
ルイは立ち上がる。気弱で、貧弱で、情けなくて、兵士なのに、自分より小さな女の子にすら、勇気が劣っている。
そんな、弱くて弱くて仕方がない、ルイ・ミラネス自身を殺すために。
「おおおおおおおおおおおおお!」
血を吐くような勢いで叫びながら、ルイは男に向かって突進する。策略は何も無い。ただ突っ込んでいくだけだ。
「おらぁぁぁぁぁ!」
無防備に突っ込んでくるルイに向かって、男は刃を振りかざして、その命を切り裂かんとしている。
魔法は使えない。唯一使える攻撃魔法は、炎の下級魔法ぐらいだ。いくら下級魔法とはいえ、使用してしまうと、この家が燃えてしまう。
なので、魔法は使えない。つまり、ルイに残されているのはただ一つ。
邪悪な目つき、命を蹂躙する刃が、束となって、ルイに放たれる。その刃は、再びルイの首を切り裂こうと───、
「ああああああああああああ!」
首元に迫ってくる刃を、ルイは寸前のところで、男の腕を掴んで止める。刃を止めるのが、僅かに遅かったようで、刃の先端はルイの首に刺さってしまったが、深傷では無い。
刃が刺さった箇所からは、綺麗な鮮血が流れ出し、地面に滴る。首元から、鋭い痛みを感じるが、そんなことは気にならない。
弱い自分自身を殺すために、ルイは目の前にいる男を倒すことしか考えられなかった。
首元を刺さんとする刃を、ルイは男を腕を全力で掴んで止める。このまま、両者が膠着し合うと思いきや、
「くそぉ……」
誘拐犯の方が、力が勝っており、ルイの首に刺さった刃は、更に奥へと刺さっていく。
再び血が流れる。ルイの首から吹き出して、地面に滴った血の音が、やけに大きく聞こえる。
「おらおらおら、どうした?お前はそんなものか?弱いなお前は」
男が大きく目の見開く。獣のような目付きをしながら、ルイを煽る。
───違う、違う、違う。俺は、変わるんだ。前の弱い俺なんかじゃない。
ルイは、余っていた方の腕で、男の腹部を思いっきり殴る。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ」
腹部に、ルイの全力の殴打を受け、男は後ろに退けた。男は腹部を抑えたまま、屈んでいる。恐らく、溝打ちに拳が入ったのだろう。男は、苦痛の声を漏らしながら、ルイのことを見張る。
男の瞳には、ルイを絶対に殺すという殺意しか宿っていなかった。
「てめぇぇぇぇぇぇぇ!」
男がそう叫ぶと、ルイに向かって突進していく。怒りに感情が支配されているのだろうか、周りのことを考えずに、男は叫ぶ。
ルイも、男に向かって突進する。男はルイを殺すため、ルイは自分自身を殺すために。
両者がぶつかり合う。男は、ルイを刺殺せんと、刃を腰だめで突進してくるが、
「ああぁぁぁぁぁぁ!」
ルイは、ナイフを掴んでいる腕に向かって、正義の鉄槌を振り下ろす。上から振り落とされる衝撃に、ナイフは甲高い音を立てて、地面に落とされる。脅威となる刃が失われたので、千載一遇のチャンスとなった。
ルイは、振り下ろした腕とは違う、左腕で、男の襟袖を掴み、頭の位置を固定したところで、先程振り下ろした右腕で、男の顔面を思いっきり殴りつけた。
「おらああああああ!」
ルイの全力の殴打に、男は後ろへ大きく吹き飛んだ。
だが、まだ安心は出来ない。男が立ち上がって、再びルイに向かって襲いかかってくる。そう思われたが──、
「あ…あれ?」
男は立ち上がってこずに、倒れたままになっている。ルイは、男に近寄り、様子を伺うと。
「な…なんだよ…気絶してんのかよ」
男は、白目を剥いて、鼻血を出しながら、口から泡を吹き出していた。鼻から吹き出している血が、口に入り込み、血の泡を吹いていた。
それを見て、全身に宿っていた緊張感が、一気に砕け散り、ルイは力なくして地面に倒れてしまった。
「はぁ…はぁ……はぁ……勝ったのか…」
呼吸が荒くなり、身体に熱が籠る。
「──いってぇ……」
先程までは感じていなかった鋭い痛みが、今になって急に襲ってくる。ルイは、右手を切れれた首元に当て、治癒魔法を使う。ルイの首元は、温かい光に包まれて、その傷を癒してくれる。やがて、その鋭い痛みも消えて無くなっていった。
首の傷が治ったところで、立ち上がろうとすると、扉の方から拍手が聞こえてきた。ルイは、体を起こして、音の正体を確かめようと、前に見張る。
そこには───、
「よくやったじゃないかルイくん。シエナちゃんは感動しちゃって目が潤ってしまったよ」
「なんだよその悪役みたいな登場の仕方。まあいいか…」
「いやぁ、本当に素晴らしかったよ。しっかりと有言実行してくれたじゃないか」
「まぁな」
まるで評論家のように、拍手をしながらやってきたシエナに、軽く返事をする。
「それにしてもシエナ、さっきまで何してたんだ?街中叫びながら走ってけど」
街中を叫びながら走っていたシエナは、今まで一体何をしていたのだろうか。そんな疑問に、シエナは「あぁ」と笑いながら言うと、
「あれね。あれはね、ルイくん追ってきてくれるかなって思ってさ」
「ん?どういうことだ?」
意味の分からない返答に、ルイは額に眉を顰める。
「あのね、私ね。すぐにこの男の人見つけちゃったんだよ。でね、すぐにでもやっつけようと思ってたんだけど、ルイくんがやっつけるって言ったからさ、ルイくんにこの人の居場所を教えようかなって思ってね」
ルイ一人で、誘拐犯を捕まえさせるため、誘拐犯の居場所を教えるために、あんな目立った行為をしたというわけらしい。
全てシエナの手のひらで転がされていたというわけだ。
「いやぁ、まぁさ、シエナの手のひらで転がされてたことは別にいいんだけどさ、誘拐犯の居場所を教えるために、なんでわざわざあんなに泣き叫びながら走ってたの?」
居場所を教えるだけなら、もっとマシな方法があっただろうに、なぜシエナは、わざわざ街中の人に醜態を晒すようなことをしたのか。
シエナに疑問をぶつけると、シエナは一瞬動揺したように、肩を跳ねさせて、
「最初はね、普通に教えてあげようかと思ったんだけど、肩に虫が着いちゃってね…」
「え?虫?」
「うん…ルイくんに犯人の居場所を教えようと思った時、肩に虫が着いてきて、無我夢中で走っちゃってたって感じかな?」
「は…はぁ…そうなんですか…」
シエナは苦笑いをしながら「うん」と答えて、更に続ける。
「けどね、ちゃんと場所を教えなきゃって思って、犯人がいるところに頑張って走ってたんだよ」
シエナは、肩に付着した虫によって、取り乱しながらも、ルイに誘拐犯の居場所を教えんと、必死になってくれたようだ。
ルイの誓いを実現させようと、協力してくれたシエナ。
「シエナ…ありがとね」
自然と感謝の気持ちが漏れていた。シエナがいなければ、何事からも逃げてしまう、弱い自分のままだった。
だが、シエナが成長の機会をくれたおかげで、ルイは自分自身を新たなものに出来たのだ。本当にシエナには感謝している。
「へへぇ〜ん、どういたしまして」
いつも通り、鼻を高くしてそう答えるが、一切何も思わなかった。唯一思うのは、感謝の念ぐらいだ。
「あ…そうだ、エリナちゃんはどこ行ったんだ!?」
一番大切なことを忘れていた。本来の目的は、誘拐犯からエリナを奪還することだ。男を倒して、満足してしまっていた。
焦燥感が湧き出てきて、ルイは周りを見回す。
「大丈夫だって、ここにいるから」
焦りに焦ったルイを見て、シエナは吹き出すように笑うと、ベットの方へと近づく。
そして、意図も簡単にベットをひっくり返すと、そこには───、
「エリナちゃん!」
口元が塞がれ、手足を縛られているエリナが、ベットの下に隠れていた。
「大丈夫だから、安心して」
シエナは、エリナに向かって優しく微笑み、慰めるようにして声をかけながら、拘束を外す。そして───、
「大丈夫、大丈夫、よーし、よーし」
腕の中で泣きじゃくるエリナの頭を、シエナは優しい手つきで摩っていた。
エリナはどれほどの恐怖に苛まれていたのだろう、想像出来るはずもない。いきなり知らない男たちに連れ去られて、手足を縛られ拘束されて。
予想通り、エリナの爪は傷付いていた。壁の引っ掻き傷は、やはりエリナのものだった。とんでもない恐怖心の中、勇気を振り絞り、痕跡を残したエリナは、本当に強い子だ。心からそう思う。
嗚咽交じりの鳴き声、顔がぐしゃぐしゃになり、鼻水もダダ漏れだ。だが、シエナはそんなことを気にせずに、ただただ、優しい手つきで頭を摩っていた。
「──────ぅ」
そんな状況の中、入口の方から呻き声が聞こえてきた。すぐさまその場を見ると、男が目を覚ましたようだった。
ルイは男に歩み寄り、冷酷な声でこう言い放つ。
「おいお前、なんでこんなことをしたんだ」
エリナという小さな女の子に、途方もない恐怖を味合わせた男に、怒りが湧く。許せない。絶対に許さない。
すると、男はいきなり大声を出して、
「頼む、頼むから!そいつを俺に寄越してくれ!頼む!頼むから!俺の命がかかってるんだ!」
意味不明な戯言を抜かした男。だが、目には、大量の涙を浮かべている。大の大人が、子供のように泣きじゃくって懇願する。なんも惨めな光景か。
「あぁ?どういうことだお前。何言ってやがる。」
当然の反応だ。男の言っている意味が分からない。自分の命がかかっているだとかなんだとか、とにかく意味がわからない。すると、男は続けて───、
「頼む!そいつを連れ去らないと俺の命が、俺の命が無いんだ。だから頼む。頼むって!」
涙を流し、血を吐くような声を出しながら、必死に懇願する。懇願する。
「おい、どういうこと───」
「おい!誰かいるのか!?」
「どうしたんだ!?」
男の意味不明な発言に、ルイは再び、疑問をぶつけようとするが、裏道から聞こえてくる声に遮られてしまう。
やがて、入口の前にやってきたのは、兵士だった。なんもとも遅い到着だ。既に誘拐犯は捕まえてしまった。
「あー!兵士の人だー!」
待ってましたと言わんばかりに、シエナは兵士に向かって声をかけると、
「この倒れている人が誘拐犯で、こっちな女の子が誘拐されてたエリナね」
と、簡単に説明した。すると、兵士は一瞬硬直したが、すぐに状況を冷静に飲み込んで、
「あぁ、分かった。ありがとう。後で謝礼はきちんとさせてもらう」
そんな兵士の言葉にシエナは「よっしゃぁ!」と、声と体を弾ませながら喜んでいた。
「あなたは大丈夫なんですか?」
不意に兵士から声をかけられる。兵士の目線を見るからに、恐らく首の傷だろう。傷口は塞いだものの、体には血が付着している。
「あぁ、これね。自分で治したんで大丈夫です」
問題ないと言うと、兵士は「そうですか」と言って、ルイから目線を外して、誘拐犯に近寄って、手錠を嵌めた。
もう一人の兵士は、エリナに向かって近寄り、「もう大丈夫だからね、安心して」と優しく声をかけていた。
そして、兵士は、感謝の言葉をルイたちに投げかけた後、二人を連れ去って行った。
「やっと終わったな…」
「だね」
なんとも後味の悪い出来事だったが、無事に事件を解決できたことに一安心する。
男の言っていた、命がかかっているというのは、一体どういうことなのだろうか。そんな疑問が残るが、とにかく疲れた。今はゆっくり休みたい。
そう思いながら、地面に横たわっていた。
「ねぇルイくん、事件を解決したことだし、お腹減ったからなにか食べに行かない?」
いきなりシエナが話しかけてきて、ご飯を食べに行こうと言ってきた。
「そうだな、腹減ったからなんか食いに行こうか。シエナが減らしたからあんまり持ってないけど」
賛同するついでに、サラっと嫌味を言っておいた。
「うん、そうだね。じゃあどこかの屋台にでも行こうか!」
元気よくそう答える。ルイの発した後半の部分には一切触れずに。
「よいしょっと!」
体を起こして立ち上がる。既に、弱かった頃のルイは消えており、今は、自分を誇れるとまではいかないが、自分に対する嫌悪感が薄れていた。これも全てシエナのおかげだ。
「よし!じゃあいっぱい買い食いしまくるぞぉ!」
「おぉ!」
ルイの掛け声に、シエナが賛同する。それからルイたちは裏道を出て、街の中へと消えていった。