黒ばらが選んだひと
薔薇の君はその座が空席になってはいけない。だから、即位の式典まで、その座に居る。
「黒ばら」
「はい、陛下」
「わたくし……「銀ばら」はその座を降り、黒ばらに薔薇の君の称号を譲ります」
薔薇の君……銀ばらは、そういって冠を外した。そのまま、俺の頭に冠がかぶせられ、薔薇乙女達がやってきて、ピンをつかって固定した。
宮廷の前庭だ。今日に限って、城門は開放され、ゆるしを得れば一般市民でもなかへ這入れる。薔薇の君が代がわりするのを見る為に。
民衆は静かだった。俺達と民衆との間には、儀仗兵が並んでいて、その手前に、王子達が並んでいる。大公はすでにその座を降り、宮廷を去った。民衆のなかに紛れこんでいても俺はわからないし、民衆達はもと・大公に関わるまいとする。重すぎる役目から解放されたひとを捕まえて騒ぐ者は居ない。
薔薇乙女達が俺のまわりを離れる。民衆から、拍手と歓声が聴こえる。
「あらたな薔薇の君」銀ばらが穏やかな声を出した。「あなたの夫となるひとを選んでください。そのかたは、ジャルディニエのあたらしい大公になります」
王子達が居住まいを正す。端に、いつもの格好のルーが居た。不安そうに俺を見て、手を握ったり開いたりしている。
薔薇の君のドレスは重たく、動きづらかった。俺はゆっくりと、民衆達へ体を向ける。王子達が俺を見ている。
ルーと目が合う。ルーは泣きそうな顔だ。
俺はルーから目を逸らした。正面から少し右に、トレ・ショーが立っている。なにかを期待するような顔だ。
俺はしばらく、トレ・ショーを見てかたまっていた。トレ・ショーが段々と困惑したような、こわがっているような顔になる。
「薔薇の君……?」
銀ばらが戸惑ったような声を出した。俺は息を吸う。
声が震える。
「わたしは、トレ……」
トレ・ショーの顔が驚愕にゆがんだ。
最後までいえなかった。どうしても、トレ・ショーの名前がのどにひっかかって、出てこない。
騒いでいた民衆が静かになっていく。「今、なんとおっしゃった?」
「聴こえなかった」
「どなたがあたらしい大公さまになるのだろう」
「どなたでも……」
「申し上げたき儀がございます、陛下!」
トレ・ショーが大音声でいった。
彼は俺をじっと見ている。俺は喋ろうとする。
「な、なんですか、トレ・ショー殿下」
「は」
トレ・ショーはその場に膝をついた。民衆がどよめく。「僭越ながら、このトレ・ショー、自分が大公の器でないことは承知しております。どうぞ、わたくしを選ばないでください」
民衆のどよめきが酷くなった。そりゃ、そうだ。ここで、大公にしてくれ、というならまだしも、しないでくれ、なのだから。
俺がトレ・ショーに返事できないでいるうちに、左斜め前に居るリオンが膝をついた。「陛下、わたくしも同じ気持ちでございます。わたくしめには重すぎる任、どうぞ、大公に選ばないで戴きたい」
「陛下、わたくしにも大公の任は重すぎます」
「わたくしも」
「わたしには無理です」
王子達が次々膝をつき、口々に大公になりたくないといっている。
一般市民がとびだし、儀仗兵がそれを抱いて停めた。薔薇乙女達が俺の前に出てくる。「あたらしい薔薇の君さまを軽んじているのか、王子達よ!」
「そうだ! 農民の娘を薔薇の君と認めないつもりか!」
「そうではない!」
ルカンが肩越しに民衆達を見て、怒鳴った。「我らは大公に相応でないのだ。薔薇の君が選ぶ大公は、薔薇の君が真に愛す者でなくばならぬ。我らはそこまでうぬぼれてはいない!」
「陛下」トレ・ショーが顔を上げた。いたずらっぽい笑みだ。「陛下が大公に選びたいのは、あのかたでしょう」
トレ・ショーが示したのは、呆然と立っているルーだった。
ルーはあおくなっている。「え……? トレにーさま……?」
「ルー、陛下を愛しているのだろう」
「でも……でもルーはだめだよ」
ルーは身をよじる。「だってルーは、半分はジャルディニエの人間じゃないんだよ。そんなひとが大公になるのは、よくないよ。それにルーは」
「ルー、ここまでお膳立てしてやってもだめなのか」
フリュニエ家のシリュール殿下が呆れたみたいにいった。あのひとは、ルーの母親違いの兄だ。「はっきりしろ。陛下のことをお慕いしているのだろう」
「シリュにーさま、でもルーはジャルディニエのちゃんとし」
「お前はフリュニエの子だ。ジャルディニエの臣民だ。それともなにか? お前は他国民の血をひいた国民は、ジャルディニエの臣民にあらずと、そういいたいのか」
ルーが詰まった。
トレ・ショーが笑う。
「ルー、陛下は慎ましいおかたなのだ。市井では女が男に結婚を申し込むのははしたないこととされているらしい。陛下はその習慣に慣れておいでだ。だからお前から申し上げろ」
「トレにーさま!」
「ルー」
「ルー、いえ」
「ルー、この格好は膝が痛くなるんだ」
リオンがふざけた調子でいった。場違いにも、民衆達に笑いが起こる。
ルーはもじもじしていたが、まっかな顔で俺を見た。
「薔薇の君!」
「はいっ」
返事が裏返った。
ルーはぎゅっと目を瞑る。
「ルーと……フリュニエ家の次男、ルー・フリュニエと、結婚してください!」
……。
…………。
………………。
シリュール殿下が立ち上がって拍手した。「さすが、我が弟だ」
「ルー、よくいった!」
ほかの王子達も似たような反応だ。民衆も拍手喝采である。ルーは泣き顔で、兄のシリュール殿下へとびついている。
ちょっと、まって。
次男?
弟?
は?
ルーが近付いてきて、俺の目の前で跪いた。俺は呆然と、それを見ている。「黒ばらちゃん、ルー、黒ばらちゃんのこと好きなの。だからルーと結婚して」
ルーはうるうるした目でそういい、俺は口半開きのまま頷いていた。
なんということでしょう。すべては俺の勘違いなのでした。
俺とルーはそのまま、都一の聖堂まで移動していた。歩きでだ。俺とルーは腕を組み、周囲には王子達が居る。王子達は上機嫌だ。
「ルーが選ばれてよかった」
「ああ。ルーは真に我が国を思っているからな」
「肌の色や格好でよく思わない連中も居るが、陛下がそのような人物でないことは俺は最初からわかっていた」
「陛下」
トレ・ショーがルーを見てにやにやする。「わたしを将軍の任から解かないでくれますよね」
「やめてよ、トレにーさま。いつもみたいに喋って。じゃないと将軍辞めさせるよ」
ルーが赤くなっていいかえす。その身長はやはり、俺よりも低いし、華奢だし、どこからどう見ても美少女だ。
ルーは、俺が見ているのに気付いたみたいで、はっとこちらを見た。「あ……ごめんね、黒ばらちゃん。にーさま達が、あんなことして、驚いたでしょ?」
ほかのことに驚いている。
俺がなにもいえないでいると、ルーははにかんだみたいに微笑む。
「あの……ありがとう、断らないでくれて」
「え?」
「あのね、ルーね、魔境のなかでうまれたの。そういう子は、怪物みたいな力を持ってることがあってね、それにルーは、姿も変わっちゃうから……」
……あ。
あれか。青ばら達に怒鳴った時、あの時、ルーは顔に赤い模様みたいなのがうきだしていた。
ルーはもじもじしている。
「だからね、ルー、黒ばらちゃんこわがらせたから、ルーのこときらいになっちゃったんだって思ってね、ごめんなさいしたくても、会えないし、だから虫さん……それで、トレにーさまを選んだんだって」
「いえ」
反射的にいう。俺はゆっくり、頭を振る。「芋虫は、可愛いので、そだてています。あの……なんでもないのです。そうではなくて。き。緊張してしまって、あの、間違えました」
苦しいいいわけだったが、ルーは嬉しそうににっこりした。
まあ……いっか。