「薔薇の君」の素質
薔薇乙女が殿下を襲撃したというのは、前代未聞のことだ。怪物退治に出ていた大公が戻り、査問が開かれるくらいの大事になった。
俺は査問の間、薔薇の君の塔へ隠れることになった。青ばら達の関係者に襲撃されかねないからだそうだ。どうやら、あの襲撃に関わっていたのは黄ばらだけではなく、青ばらと緋ばらも一枚嚙んでいるらしい。
俺はおとなしく、薔薇の君の塔へ行った。訊きたいこともあったしな。
初日は、薔薇の君に会う機会はなかった。ルーが来てくれたが、薔薇乙女以外は這入れない場所なのと、誰であっても査問の間は接触させないようにと大公の命令だそうで、ルーを追い返すしかなかった。
ルーは植物園に居たという、めずらしい虫を持ってきてくれていた。掌サイズの芋虫で、俺の護衛の薔薇乙女達は気味悪がったが、俺はそいつが可愛く思えたので、木桶をひとつもらってそこに飼葉を敷き、飼育することにした。
ふつか目の朝、薔薇の君から呼び出された。
俺はせまい、円形の部屋に居る。壁はほとんどが本棚で埋まっている。扉は三ヶ所。俺は這入ってきた扉のすぐ前にあった椅子に座らされた。
薔薇の君はドレスへ埋もれるみたいにして座っていて、室内には俺と彼女しかいない。薔薇の君の膝の上には大判の本がひろげられていて、冠をかぶっていない彼女は余計に若く見えた。
「災難でしたね、黒ばら」
「はあ……」
「青ばらは、トレ・ショー殿下に見初めてもらうつもりだったそうです。殿下が一番、勲章を戴いていますし、将軍でもありますから」
あ、トレ・ショーって将軍なんだ。知らなかった。
薔薇の君は顔を上げる。どこまでも澄んで、そして冷たい瞳だ。俺の思考は停まった。「緋ばらもそう。あの子達は高望みがすぎました。黄ばらは、実家が儲かればそれでよいのだとか。薔薇乙女にあるまじき娘達です。そんな者達を薔薇乙女にしたわたくしにも、今回のことは責任があります」
「そんな……陛下はなにもご存じなかったのですから」
「薔薇の君というのは、知らないだのわからないだのですませてよい立場ではありません。わたくしは薔薇の君の座を退きます」
口を半開きにする。
薔薇の君は本を閉じた。
「今年の得点の集計は、ほとんどすんでいます。一番はわたくしだけれど、わたくしは薔薇乙女を辞めます。次に得点が高いのはあなたです、黒ばら」
「そんな……わたしにはとても、薔薇乙女なんて……」
「ソヴァール」
びくっとした。
薔薇の君は微笑んでいる。それでもまだ、冷たい印象の瞳だ。
「陛下……」
「ソヴァールをつかえるようになったのでしょう。ルー殿下はシャ・ソヴァージュの毒をうけていました。あれはソヴァールでないと解除できない、深い眠りを引き起こすもの。ほんのふつか程度で眠るように死んでしまうもの……」
どきどきしていた。
ルーが死ぬかもしれなかった、だって?
「あなたがソヴァールをつかえるようになったのは、ルー殿下を思う強い気持ちあってこそ。自分ではなく他人を心の底から案じないと、あれはつかえるようにならない魔法です」
「え」
「あなたがルー殿下を愛している、なによりのあかし。薔薇の君は、国の母だなどと偉そうなことをいったけれど、薔薇の君というのは愚かでわがままな人間でないとなれないのです。自分の愛するひとがこの世で一番で、そのひとをまもる為になら国民でさえないがしろにできる人間……」
ぼんやりしてしまっていた。
薔薇の君が立ち上がり、本を棚へ戻す。そのまま出ていこうとする彼女を、俺は呼びとめた。
「陛下」
「……なんでしょう、黒ばら」
「大公陛下は? 陛下がその……ご承知なのですか?」
「勿論です」
薔薇の君は微笑んだ。はじめて、やわらかい印象をうけた。
「あのひとは、わたくしをやっと独り占めできるとおっしゃいました。わたくしを独り占めしたくて大公になったのに、今までの時間はすべて国民に捧げてしまったから、これからはその分をわたくしにくださるそうです」
薔薇の君はそういって、軽くお辞儀した。「では、あらたな薔薇の君、くだらない出来事の後片付けがすむまで、ここで心安らかにお過ごしください」
薔薇の君は出ていった。
俺は背凭れに体を預け、溜め息を吐いた。