がぶって酔ってても絶対に食え
船乗りたるもの「がぶって酔ってても絶対に食え」と言われる。それはつまり、食わないと海上に落ちた時に生き残れないからであると言う。食べる気がしなくても、飯を腹の中に入れると言う事は、船乗りとしてサバイバルする為の言わば"仕事"なのである。
船乗りはたとえ海上に身を投げ出されても、それで直ぐに溺死する事はない。だが、長時間海水に身をさらす事で低体温症になり溺れて死ぬ。その時に飯をきちんと食べているかいないかで、被我の差が出てくる。
海上で乗っていた艦艇が、例え沈没しても自分が水上にいる限りにおいては、生き残る確率は少しでもある。体力に個人差はあっても、水上ではあまり差はない。
自衛官として死に花を咲かせる事だけが、必ずしも美学とは限らない。確かに帝国海軍の時代には、沈み行く艦艇と運命を共にすると言う不文律があった。戦場で命と刺し違える"特攻"もあった。
しかしながら、生きて一人でも多くの敵を倒す事の方が、実は軍人のあるべき本来の姿である。死んで勝ち取る勝利では意味がない。常に命を賭けて守りたい者を守ると言う心掛けは大切である。だが、本当に守りたいモノは、目の黒いうちは大切な人を守りつつ死なない事ではないだろうか?
「死を持って尊しと成す」と言う文化がどうも日本人にはある。自殺率の高さも、特攻も、切腹も全てはその風土に帰結する。死んでしまえば全てはチャラになると言う考え方は日本人特有の文化的価値観である。それが、良いのか悪いのかは議論するつもりはない。少なくとも、その様な価値観を持っている民族であると言う自覚もなしに、命を賭ける事は危険な事であるし、第二、第三の特攻が生まれる可能性はある。
そうした教育を自衛隊の幹部にはして欲しい。陸海空のみならず全ての自衛隊員に共有されれば、無益で無謀な作戦を部下に命ずる事もなくなる。それは海上自衛隊幹部候補生達にも言える。