悪しき伝統
「制裁」と言う悪しき伝統が帝国海軍にはあった。兵学校をはじめとする海軍士官養成機関である所謂海軍三校(海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校)では、制裁と言う名の暴力が当たり前の様に行われていた事は以前にも紹介した。
その名残は現在の自衛隊にも見受けられる。課業である。課業とは暴力の変わりに腕立て伏せや腹筋やランニングを課すもので、暴力は完全に禁止されている。自衛隊も神様仏様の集まりではないと言う事が分かる。ヒューマンエラーは、どんな組織にもある。暴力は、本当の危機が起こった時に使用を許される、伝家の宝刀である。
それを抜く時は理由が無ければならない。確かに軍隊の特殊性を考えた時に、暴力が必要な場面と言うのは存在する。帝国陸海軍程、人を殴り付ける所もないという皮肉を言っていた人がいたが、結局暴力で押さえ付ける事でしか統制出来ない集団というのは「烏合の衆」である。
日本の自衛隊が戦前の日本軍から学びとった反省点の良い例である。勿論、日本だけではなく諸外国の軍隊も暴力を用いて部隊を統制していた事実もある。表立っては無くても、軍隊の統制に暴力を用いる軍隊は今尚存在する。とは言え、暴力は歓迎すべきものではない。殴らなければ分からない人種がいないと言えば嘘になるが、やはり暴力は、最後の手段である。
理由もなく上官の気分のアップダウンによって殴り付けるのは論外だが、戦前戦中はそれが当たり前だった。鉄拳制裁によって得られるメリットはあまりにも少ない。悪しき伝統は、帝国陸海軍の消滅と共に消える事になるのだが、理由なき暴力に正統性は無い。それが上官の憂さ晴らしならそれはただのパワハラでしかない。部下が歯向かえない事を知りながら暴力を振るう。
その行為には、何の意義も意味もない。それに気付いた自衛隊は、進歩したものであり、立派である。こうした悪しき伝統は"断つ勇気"が必要である。




