死生観
死生観と言うものが、海上自衛官には必要である。例えば船舶立ち入り検査において、指揮官として年老いた兵隊を指示して乗り込む場合等が、そうである。最悪時には海上で銃撃戦になる事も想定される。そんな過酷な状況下にあって、もし部下を死なせる様な事になったらと考えられる幹部と、部下の生命よりもミッションを優先する幹部とでは、どちらが幹部に向いているかは一目瞭然だろう。
何をするにも"死"と言う最悪の結果が待っている事を認識出来ない人間は、幹部自衛官には向いていない。たった数十人の部下を守れないで一億2千万人の国家国民を守れる筈がない。幹部自衛官になると言うことは、それだけの責任を担う事を認識しなければならない。
ただ、単純に幹部教育を受けただけでは、立派な幹部自衛官にはなれない。真の幹部自衛官は、現場でもまれ、熟成される必要がある。そうした中で、育まれて行くのが"死生観"であり、スキルであり、テクニックなのではないだろうか。直ぐそこにある死を前にしても、動じる事無く堂堂と部下を率いる事が求められる。
勿論、死ぬ時は死ぬと言う開き直りも、時には必要で、要は腹をくくれと言う事だ。どんなに予防策をしても、戦闘のプロである自衛官であっても、それは同じである。銃や迫撃砲やナイフと言った武器を使っている以上、何の傷も無く問題解決をする方が難しい。
戦争と言う外交の最悪のカードをいつまでも切らす事が出来ないのは、その為である。ただ直ぐそこにある死を、必要以上に恐れる事無く立ち向かって行く為の、勇気を培わなければならない。海上自衛隊の幹部自衛官として、何が必要で何をしなければならないのか。と言う判断を幹部候補生の間に出来る様になっている必要はある。机上のテキストを使った座学だけでは、掴めない部分も想定される。
日本の海を守るのは、それほどの重みがある。確かに自衛隊に対する国民の理解も、法整備もまだまだ充分とは、言えない。それでも現場を任せられるであろう幹部自衛官の覚悟がきちんと、決まっていなくては国民にとってこれ程、心細い事は無いだろう。自衛隊は誰の目からみても"最後の砦"であることは間違いなく言える。




