今と昔
第3章 出船の精神
鉄拳制裁は、帝国海軍の悪しき伝統であった。海軍兵学校だけではなく、海軍士官を養成する所謂海軍3校(海軍兵学校・海軍経理学校・海軍機関学校)でも行われていた。(鉄拳修正)
制裁の方法は正に拳であり、これは有名であった。拳のみを用いる制裁には、作法があった。親指を拳の外側に出した状態で拳骨の内側を使用する。親指の先が相手の目を突く可能性があったからだ。また、「突然に殴るな。」と言う鉄則もある。「足を閉じて歯を食いしばれ!」とこれから殴る相手に対して殴られる相手に体勢と心の準備をするだけの余裕を与えなければならない。そうした上で殴る方は相手の頬に狙いを定めて、拳の内側で、正確な一撃を送る。
一方殴られる側にも要領が必要である。ただ、ボーッと殴られれば良いと言う訳では無い。下手に避けたりすると耳などに当たって、怪我をしかねないので、殴られる瞬間全身に力を入れて拳を顔で受け止める。するとどういう訳か、あまり痛みを感じず、殴った方も自分の拳を痛めない。双方の阿吽の呼吸によって、成立する現代で言う体罰の名の暴力が生徒間で、成立する。
部隊配置になると、バッタと言う日本海軍伝統の制裁に用いる1メートル程の木棒などもあり、昔の日本海軍では、何処もかしこも制裁ばかりしていた。
だが、今は違う。暴力の変わりに課業がペナルティとして課される。課業は、腕立て伏せや腹筋、持久走の事である。要するに暴力は認められないが、体を鍛える"ペナルティー"なら、法に触れないという訳である。
「一体、帝国海軍程人を殴る所は無い。」と、嘆く者は少なくない。「シベリア抑留よりも、海軍での鉄拳制裁の方が辛かった。」と言う人間もいると言う事であるから、その切実さがよく伝わってくる。恐らくこれはきっと、日本人が崇拝する「年功序列」と、プライドの高さ(職人気質)のようなモノが影響を受けたものだろうと思う。
時代も組織も変わり、この無意味な制裁と言う名の暴力は、減った。これからどの様な組織に変わったとしても、体罰や暴力の無い組織でなければならない。その癖に日本海軍では喧嘩はご法度であったのだから、尚更筋が通らない話である。理不尽な暴力が認められたのは、過去の話。今と昔では世論も自衛隊もそれは認められない事に変わったのは合点が行く。




