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Red brick story~赤レンガの青春~  作者: 佐久間五十六


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海軍兵学校の歴史①

 明治2年東京築地に「海軍操練所」として設立されたのが、海軍兵学校のルーツと言われている。各藩から石高に応じて、派遣された練習生への教育をしていたが、「海軍兵学寮」→「海軍兵学校」と変わって行く中で、国民から広く平等に海軍士官となるべき人材を集めて、士官教育を本格的に行う場所へと変わって行った。

 明治21年からは、広島県江田島市に移転したが、それもきちんとした理由があった。都会の喧騒に近い場所は、海軍士官となるべき者の教育には、相応しくないと言う事で、呉軍港に程近い一寒村であった江田島が海軍兵学校の場所として選ばれた。

 名のある海軍士官・将官は、皆この江田島で青春時代を過ごし、学んだ。日本海軍の屋台骨になる人材を数多にも輩出して来た。近現代まで、日本は近代的海軍を持っていなかった。しかしながら、開国と共に日本海軍は、英国海軍を目標にしながら、「ネイビー」を目指して来た。

 世界の海軍の呼称を見てみると、「マリーン」と「ネイビー」の二つに大別される。ドイツやフランスはマリーン。英国や米国はネイビーと呼んでいる。マリーンを採用している国は陸軍が強い大陸国家が多く、海軍は沿岸警備隊的要素が強い。それに対して、ネイビーを採用している国は海洋国家が多く、外洋志向で海軍の比重が高い。米国の場合は、陸軍と海軍が大国な故に同格であり、準軍事組織のコーストガード(沿岸警備隊)も保有している。

 日本海軍は、英国海軍を手本としたネイビーを標榜していたが、実情は日本近海の墨守と言う戦略的な目標からすると、マリーンの方が意味的には近かった。興味深いのはその国の政治システムとの関係性である。マリーンのドイツ、フランスは、中央集権国家であるのに対して、ネイビーの英国や米国は分権的な国家、つまり議会や地方が中央政府に対して独立した権力を持っている。

 戦前の日本は、プロシア(ドイツ)をモデルとした中央集権国家を目指して来た。その意味でもマリーンの方が実態的には、合っていたのかもしれない。日本海軍は、日露戦争に勝利するまではマリーンで、太平洋戦争の頃にやっとネイビーになった。いずれにしても、海軍兵学校ではネイビーになる為の士官を育てていたのに違いは無い。

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