四日目(2)
「――決まりだね」
バックステップで攻撃を躱したケイタは、片手を地面につき、怒りを滲ませた眼差しで間歩隅を見上げていた。
「僕の攻撃はあくまでもそれ単体ではアンドロイド相手に通じないんだ。カウンターという形でないとね。つまり、僕から仕掛けた攻撃を避けられなかったそちらのお嬢さんは人間で、そっちの坊やがアンドロイドってわけだ」
そうだ、伊香巣の体にシリアルナンバーがないことは真子が確認していたではないか。ケイタの体も調べると言っていたが、アンドロイドたちに襲われて結局見ることはできなかった。
「もし坊やが攻撃を避けられそうになかったら、寸止めして、怖い思いをさせてしまった坊やに頭を下げるつもりだったけれど、杞憂だったね」
むしろ今頭を下げているのはそっちのようだ――間歩隅の言葉に、依然として地面に片手をついて睨み上げていたケイタは体を起こす。
「無茶苦茶だよ、おじちゃん」手についた砂を払い、囚人服のポケットに両手を入れる。
「ほんと、嫌になっちゃう。他のみんなは好きな服を着ているのに、僕だけこんなみすぼらしい服を着ないといけないんだもん。それに、偽装者なんて呼び名もカッコ悪いし。どうせならスパイとかカタカナでキレッキレの名前で呼んでほしかったよ」
大人の庇護欲をそそる態度は見せかけだったのだ。
拳銃を構える伊香巣に目をやると、「お姉ちゃんと二人きりになるつもりだったんだけど、他のアンドロイドが割り込んできて僕の正体がバレそうになるし、そこからが大変だったよ。それにお姉ちゃん、全然隙がないんだもん。寝ているときも僕が身動きすると目を覚ますし、どうやっても殺す瞬間を見つけられなかった。そうこうしているうちに僕がアンドロイドだってばれちゃうし、ほんと散々な一日だったよ」とおもちゃを買ってもらえない子供みたいな調子でぶつくさと不平不満を並べ立てる。
ケイタが足元の小石を拾って放り投げると、近くの木の幹にめり込んだ。
「大人を模したアンドロイドには到底及ばないけど、それでも人間の大人に比べたら有能で、隙さえつけば人間の大人なんて楽勝で殺せるのに……お姉ちゃんがイレギュラーなんだよ」
イレギュラーという言葉が気に入ったらしく、「そうだ、イレギュラーだったんだ」と嬉しそうにうんうんと頷いた。
「おじちゃんも相当イレギュラーっぽいね。あれ、そういえばもう一人のお姉ちゃんが見当たらないけど、お兄ちゃんと一緒じゃないの?」
俺は何も答えない、というより、答えられなかった。
「ふーん、いないみたいだね。川に流されて死んじゃったかな。それだったら好都合だね。せっかく中年オヤジを使って君たちの内部に潜り込んだのに、何の成果もなしじゃあ割に合わないし。もう一人のお姉ちゃんだけでも死んでいてくれたら嬉しいな」
初めてケイタと会ったときに見た中年のアンドロイド男は、ケイタに騙されでもしたのか、あるいはそれと知っていて演技していたのか。いずれにせよ、ケイタがアンドロイドに襲われていたのは、茶番劇だったわけだ。
「そこのお姉ちゃんは、川上に逃げた僕に違和感を抱いたみたいだけど、普通なら何も思わないよね」伊香巣を一瞥する。
俺の目を少しの間見つめていたケイタは、「ほんと、ここまで言っても分からないなんて、大抵の人間は鈍すぎるよね」と毒づき、「教えてあげるよ」と優越感たっぷりの間をおいて、話し出した。
「僕の見た目は、人間でいうところの六歳か七歳くらいでしょ。普通それくらい小さな子供が大人に襲われて逃げていて、草むらから飛び出したときに、上り坂と下り坂の二つの逃げ道を目にしたら、どっちを選ぶ? しかも、お姉ちゃん曰く勾配は大の大人でも険しいと感じるほどだったそうじゃない。逃げているのが大人であれば、当然追いかけてくる奴も同じ道を走ることにまで理解が及ぶから、むしろ第三の選択肢である目の前の川を渡るという賭けの選択をするかもしれない。だけど、小さな子供だったら、追いかけてくる相手のことまで頭が回らずに、自分が速く走れる道、すなわち下り坂を選ぶのが自然でしょ。だけど、僕は川上を選んだ。正確には、始めから川上に向かって走るつもりだった、かな。川下に向かって走ると間に僕が入っちゃって、中年オヤジに銃の照準を合わせにくくなると思ったんだ」
気が利いているでしょ――ケイタの笑みが歪んで見えた。
「というわけで、僕にもお兄ちゃんかお姉ちゃんのどちらか一人だけを殺すチャンスを与えてほしいな。何ならそっちのおじちゃんを差し出してくれてもいいし――了承してくれるわけないか、残念」
肩を落としていたのは束の間のことで、ケイタは歪な笑みを浮かべて、片方のポケットからスーパーボールほどの大きさをした赤色の玉を、もう片方から同じ大きさをした青色の玉を取り出した。
「じゃあゲームをしよう。こっちの青いのがお姉ちゃんで、赤いのがお兄ちゃん。二つとも爆弾なんだけど、今から二人に向かってそれぞれ投げるから。回避できなかったら間違いなく死んじゃうと思うから、死ぬ気で躱してね――え?」
突然ケイタが吹っ飛んだ。
小石と砂でごった返した河原を転がって川に突っ込む。
「何なんだよ!」と獣じみた咆哮を上げながら水面から顔を出したケイタは、手元にあった青い玉がなくなって手や腕の皮が損傷していることに気づくと、伊香巣をぎろりと睨んで「……やりやがったな」と額に青筋を浮かべる。
「人間舐めすぎ」
伊香巣は涼しい顔をして、未だ硝煙を上げている拳銃の照準を再びケイタに合わせた。
「次は赤にしようか」
俺にも事態が呑み込めてきた。伊香巣が拳銃で青い玉を撃って暴発させたってことか。
ピキリと、ケイタの青筋が一層濃くなった。
「……決めた。お前らは全員、ここで殺す」
水しぶきを上げて跳躍したケイタは、河原にドンっと音を立てて降り立った。
「物騒なことになってきたね。お前らには僕も含まれているのかな?」
間歩隅の余裕たっぷりな物言いにケイタはますます気を悪くして、「当たり前だろうが!」と唾を吐き散らかして怒り狂う。
「まずは、おっさんからだ」
足下の小石が地面にめり込むほどの勢いでスタートダッシュを切ったケイタは、意趣返しとでもいうように間歩隅の目の前で跳躍すると、踵落としを繰り出した。
これまたこちらもお返しとでもいうようにバックステップで躱した間歩隅に向かって、ケイタは青の爆弾を五月雨式に投擲する。
「これはまずい」
一発でも当たれば致命傷は避けられないと踏んだのか、間歩隅は川に飛び込んで爆破の衝撃を和らげた。
水面に立った幾つもの水柱の中から、ずぶ濡れになった間歩隅が「痛かったー。ちょっとは手加減してくれてもいいだろうに」と苦い顔をして現れる。
「こっちは武器なんて持っていないだろ」両の手をひらひらとさせる。
「使えるもんは何でも使う。たとえ同類でもな。それが俺のやり方だ」
反対のポケットから取り出した大量の赤い玉をちらつかせながら「こっちの赤は中々面白いぜ。なんたって焼夷弾だからな。燃えて、燃えて、燃えまくる。お前ら人間のひょろっちい体なんかあっという間に燃えカス行きだ」と得意げだ。
「それに、こいつの爆風と組み合わせれば――」と反対の手でポケットから青の玉を補充する。
「爆風で辺り一面に燃え広がって、逃げ場なんてどこにもなくなるだろうさ。何ならこの島ごと燃えちまうかもな。ああ、考えた俺天才」両腕を顔の前でクロスさせて腰を落とす。
「さあ、ここからが真のゲームの始まりだ」
放たれた無数の青と赤の玉。
空中で互いにぶつかった青と赤は炎の渦を巻き起こし、辺りは瞬く間に火の海と化した。
川の上を炎が走り、小石散らばる地面は赤々とした光を放つ。
燃える木々から立ち上る灰色の煙と舞い上がる火の粉が混ざり合い、空を赤黒く染め上げていく。
世界が終わるときに、彼あるいは彼女、もしくは――アンドロイドが目にするのは、こんな光景なのかもしれない。
死を覚悟したそのとき、空に一本の橋が架かった。
虹。
しかしよく見るとその色はカラフルでなく、空に似た青い色をしていた。いや、まさに空の色そのものだった。何せそれは透明な水で遥か上の空の色を映し出していたのだから。
次々に空に架かる水の橋が辺りの炎を鎮めていく。
それは、水と火の戦であり、青と赤の戦でもあり、そしてアンドロイド同士の戦でもあった。
「確保しました」
いつの間にか現れた二人の女性が、ケイタを組み伏せていた。
「くそ! 何しやがる! 放しやがれ!」
「この度は四八一〇号の暴走で参加者の皆様にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。迅速に鎮火致しますので、もうしばらくその場でお待ちください」
アンドロイドと思しき何十人もの老若男女がホースを持って現れ、辺り一面に水を撒いていく。
「お前ら、人間の味方をするのか! アンドロイドのくせにふざけやがって」
「別に私たちは人間の味方をしているわけではありません。何の味方かと問われれば、この島の味方と答えます。四八一〇号が島に多大なる危害をもたらそうとしたので、私たちが止めに来たのです」
灼熱の炎に覆われていた森は言葉通りに素早く鎮火された。後に残ったのは、黒く焦げた無数の灰の塊が剣のごとく地面に突き刺さった寒々しい光景だった。
「俺の最高のゲームを邪魔しやがって。決めた、まずはお前らからぶっ壊してやる。ピーピー泣き喚いたって許してやらないからな」今なお押さえつけられているケイタは頬を歪め、頭上の二人に睨みを利かせた。
「どうしましょうか、一号。できれば無傷でということでしたが」
「そうですね、二号。このまま大人しくついてきてはくれないでしょうし、致し方ないでしょう」
「分かりました、一号。では、切り落としましょうか」
「ええ、二号。そうしましょう」
言うが早いか二号と呼ばれるアンドロイドがケイタの首に手刀を振り下ろした。
胴体と頭に分かれたケイタをそれぞれ抱えた一号と二号は、「失礼しました」と言って去っていった。