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孤独に殺される  作者: ノベルのベル
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二日目(2)

 太陽が傾き、西の空が染まり始めた頃、今夜の寝床を探しに行こうという話になった。

 川上に向かってしばらく歩くと、勾配が険しくなってきた。

 突然、進行方向の対岸の茂みから囚人服を着た少年が飛び出してきた。かと思うと、ジャージ姿の中年の男性も現れて、川上に向かって必死に走る少年の後を追いかけ始めた。男の手には包丁が握られており、少年が狙われているのは明らかだった。

 伊香巣に声を掛けるよりも早く、彼女は持っていた拳銃を構えて、発砲した。弾は的確に男のふくらはぎを貫き、男の体は地面を転がる。流れの速い水に足を取られないように気をつけながら向こう岸に渡り、警戒しながら男に近づいていく。

「やめろ! 殺さないでくれ! 頼む! 殺さないで!」

 男は涙を流して懇願しているが、撃ち抜かれたふくらはぎを見ると流血はなく、内側から金属が覗いていた。

「俺はただ、そこのガキがあまりにも生意気なもんだから、ちょいと懲らしめてやろうと思っただけなんだ。俺は何も悪くない。悪いのはそこのガキだ」数メートル川上でこちらを見ている少年を指差して、下卑た笑いを浮かべた。

(しつけ)だよ、躾。大人が子供を躾けるのは当たり前だろ。強者が弱者の面倒を見てやらねえと。なあ、そうだろ?」唾を飛ばして話し続ける姿は、ふくらはぎのそれがなければ、感情をむき出しにして自らを正当化しようとする、そこいらの人間と何ら変わらない。ここまで人間に似ているアンドロイドを目の当たりにすると、どうしても後ろに人間の影がちらつく。このまま見逃してしまおうかという考えが頭の隅で芽生えてしまう。

「黙れ」

 けれど、伊香巣は容赦なく照準を男の額に合わせ、「躾が必要なのはお前の方だ」と引き金を引いた。背中から倒れた男は少しの間肢体(したい)痙攣(けいれん)させていたが、やがて瞳の色を失って停止した。

 束の間の静寂。

「……本当に、嫌になる」拳銃をズボンのポケットにしまうと、足元に置いていた本を拾い上げ、ついた砂利を払い落とす。

「僕、怪我はない?」

 駆け寄ると、少年は戸惑いの表情を浮かべながらも首を縦に振ってくれた。

 小学校低学年くらいか。こんなに小さな子供まで参加しているのか。この子が自分でICPに申し込んだとは思えないし、親やそれに類する誰かが申し込んだに違いない。

 名前はケイタと言うらしい。漢字までは分からなかった。

 本を抱えた伊香巣もやって来る。

「お兄ちゃんたちは、人間?」

 頷くと、ケイタは顔をほころばせて「よかったぁ」と安堵の息を漏らした。俺たちと一緒に来てほしいと話すと、「こちらこそよろしくお願いします」と礼儀正しい答えが返ってきた。見知らぬ大人とも話せているし、極度の人見知りというわけではなさそうだ。そんな子がどうしてICPに送られたのか。孤独者と小学校の組み合わせで思い至ることがあるとすれば、いじめだろうか。息子が学校でいじめられているのを見かねた両親がICPに申し込んだ、とか。もしそうならいじめの原因がケイタにあるとした点が気に食わないが、今になってとやかく言っても後の祭りだ。

 ケイタのペースに合わせて、再び川上に向かって歩き始めた。

 上流に近づくにつれてさらに勾配はきつくなり、川の流れも速くなってきた。今の川ではとても(ます)掴みなどできそうにない。川に入ればあっという間に流されて下流行きだ。西の空が鮮やかな夕焼け色に染まっている。日没までに寝床となる洞窟を見つけられるだろうか。左右には森と川が見えるだけで、昨日のような洞窟は望むべくもない。あるとすれば今向かっている上流だろうが、曲がりくねった道の先には曲がるたびに木々が見えるだけで、今のところ岩壁の影は微塵も感じられない。

 真子に焦りの色は見えない。夜の森で野宿するのは自殺行為とまで言っていた彼女だ。当てがあるのかもしれない。

 しかし、その期待も虚しく日没が訪れ、「今夜は野宿ね」と真子は肩をすくめた。

 近くの林に入り、小枝や落ち葉を集めて簡単な寝床を作っていく。野宿するのは人生で初めてだ。これまでの二十年間が恵まれていたと言うつもりはないが、それでもある程度の生活を送らせてもらっていたのだなと、今更ながら両親に対する感謝の念が芽生えた。

 真子の提案で、子供のケイタを除く三人で順番に見張りをすることになった。全員が眠ってアンドロイドの接近に気づくことができず、そのまま一生夢の中――なんて笑えない。

 一番目の見張りを終えた真子から見張りを引き継ぐ。寝ぼけ眼をこすりながら起き上がると、「ちょっといいかしら」と耳打ちされた。眠る伊香巣とケイタから離れて風下に移動する。

 真子は元居た方向に目をやると、「ケイタには気をつけた方がいい」と小声で話を切り出した。

「あんなに小さな子供がICPに参加しているという違和感は百歩譲って脇に置いておくにしても、ケイタを見ていておかしいと思うところはなかった?」

 ケイタに会ってからのことを頭の中で振り返ってみたが、特にケイタの様子で気になる点やおかしな点はなかったように思う。

「それこそがおかしいのよ。彼はまだ子供よ。大人にとって奇想天外な行動をするのが子供でしょう」女子高生で俺から見たら未だ子供である真子は、人差し指をピンと立てる。

「子供の行動が大人の考えと食い違ってこないなんて、おかしいでしょ。私たち大人から見ておかしな行動をとっていない点こそがおかしいのよ。まるで、そう動くように命じられたアンドロイドみたいじゃない」

 多分に主観が入った意見だったが、つまり真子はこう言いたいわけだ。

 ケイタは偽装者である、と。

「ケイタが単に大人びた小学生だという可能性もあるだろ。最近の子供はネットに通じていて、いくらでも好きな情報を手に入れて好きな自分を演じることだってできる。それに、子供が大人にとって理解し難い存在だという真子の意見には穴が多すぎる」

「確かにその通りね」と両手を上げて降参のポーズをとる。

「だけど、やけに大人びた、いえ、人間離れした冷静さを持っている少年だとは思わない? 彼は目の前で伊香巣が拳銃でアンドロイドを撃つところを見たのに、彼女に対して何ら恐れを感じているようには見えない。普通の、人間の子供だったら、拳銃を所持、ましてや発砲した人間に対しては警戒心を抱いて近寄らないでしょ。しかも見ず知らずの大人よ。拳銃を知らない小学生なんて今どきいないでしょうし、彼が私たちの知っているようなごく一般的な子供ではないことは確か」

 警戒するに越したことはないわ――真子は枝葉に覆われた頭上を見やって、肩をすくめた。

「隙を見て彼の体にシリアルナンバーがないか調べるつもりよ――先に戻るわ。伊香巣をいつまでも彼とふたりきりにさせておくのは心配だし」

 去り際に「これ渡しておくね」と手渡されたのは、一枚の布に包まれた細長い何かだ。開けてみると、中には包丁が入っていた。驚いて思わず手から滑ったそれの柄を、真子は地面に落ちる前にひょいと掴んだ。「そうそう、大人でもそういう反応をするよね」と俺の両手に包丁を置くと、「さっきの奴がケイタを襲ったときに持っていたもの。私はナイフを持っているし、伊香巣は拳銃を持っている。孝允も何か武器を持っていた方がいいでしょ」と言ってひらひらと手を振り、木々の向こうに姿を消した。

 真子もケイタが偽装者であると確信しているわけではないのだろう。であればこうして寝床から離れて、彼と伊香巣を二人きりにするはずがない。

 考えすぎかもしれないが、真子は今夜安全な寝床を見つけるつもりなど毛頭なかったのでは? シャッター付きの洞窟で寝ることになれば見張りの必要性を主張できず、全員で眠ることになるだろう。仮にケイタが偽装者なら俺たち三人は袋の鼠。他のアンドロイドに襲われる危険性を踏まえても野宿する方が安全だと真子は判断した。そうなると、ケイタが偽装者であるとそれなりに高い可能性で信じているということになるが――ああ、くそっ、頭がこんがらがってきた。

 要するにケイタには注意を払えってことだろ。

 包丁を布でぐるぐると巻いてズボンのポケットに押し込み、ため息をついた。月明かりで所々が微かに照らされた森の中を歩いて帰り、すやすやと寝息を立てているケイタの横顔を一瞥すると、腰を下ろして木の幹に背を預ける。

 引き延ばされた夜が、森をじっと見下ろしていた。

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