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お笑い裁判  作者: 凪沢渋次
2/3

第2回公判

その日は前日の夜から降り出した激しい雨がまだ続いており、窓には表の木々が乱暴な雨風に振り回されている様子が映っていた。

法廷は一応、防音が施されてはいたが、その光景を見ているだけで、傍聴人の多くは、窓を叩く雨粒の音が聞こえるような気がしていた。

湿気が逃げない作りなのか、法廷の中は嫌な温度の水蒸気に満たされていたが、公判が始まると、その不快をかき消すほど、傍聴席には冷たい緊張感が張り詰めた。


「証人は証言台へお進みください。」


裁判長の茜谷が、良く通る優しい声をかけると、口ひげを生やした小太りの男が黙って前に出てきた。


「お名前を。」


証言台に立たされた小太りの男は、抵抗するかのように、しばらくはうつむいたまま指示を無視していたが、程なくして重たい沈黙に耐えられなくなったのか、面倒くさそうに小声で名乗った。


「・・・腰越ポン太・・・・。」


傍聴席の好奇に満ちた感嘆で、法廷がにわかにざわついたが、すぐに元の静寂が戻ってきた。


「現在は、お笑い禁止法違反で服役中ですね?」


裁判長は先ほどと少しも変らないトーンで裁判を進めている。


「・・・そうだよ・・・お前のせいでな!」


服役中の囚人を証言台に立たせることなど異例中の異例であったが、この裁判の弁護人、松川女史は、何としてでも第1回公判の不利を、この第2回公判で巻き返したかった。

そのためには、この囚人を召喚することが必須で、かなり強引な手を使ってそれを実現させたのだった。


第1回公判の争点は、被告人の「笑わせようという意志」の有無にあった。

被告人、高佐とおるは、下北沢ふれあい公園の野外ステージで、そこにいる人たちの前で「鳩に10円玉を投げつけるおじさんの話」をした。その内容はとても滑稽で、聴衆たちはその話を聞いて、笑いの渦に巻き込まれたのだった。

そもそもこれは、高佐とおるの意図したことだったのか?

検察側の我孫子は、確実に高佐に「笑わせる意志」があったと、一方松川は断固、あくまで日常会話の範疇にある伝聞回想に過ぎず、「笑わせる意志」は無かったと主張した。


ところがだ・・・・検察側はちゃんとわかっていたのだ。


資料1「先日、この公園で、一人のおじさんが、鳩に向かって10円玉を投げていた。何でそんなことしているのかと、不思議に思い、おじさんに聞いてみた。「おじさん、なんで鳩に10円を投げているんですか?」するとおじさんは黙って、近くにあった看板を指さした。その看板にはこう書いてあった。「鳩の餌は10円です」。」


「公園の管理事務所の協力を得て、過去数年間に渡り、この公園に「鳩の餌は10円です」と書かれた看板があったのかどうかを調べました。驚くべきことに、そんな看板は実在しなかったのです。」

「異議あり!被告人は公園を間違えていただけで、他の公園での出来事だったのかも知れません。だとすれば、ちょっとした勘違いであり、攻めを追うべきほどのことではありません!」

「一応、周囲の同規模の公園にも確認しています。世田谷および周辺の区にある公園に問い合わせたところ、そのような看板はおろか、鳩の餌を販売している公園すら一件もありませんでした。昨今、鳩などの野鳥の糞によって、洗濯物やベランダが汚されることが地域の問題となっており、野鳥への餌付け自体が、自治体を通して全面的に禁止されていることがわかりました。つまり、被告人の話は、実際に目の前で見たことを伝聞したのではなく、被告人自身が作り上げた“創作物”、つまり“ネタ”だったのです!」


前回の公判の最後の方のシーンを、松川はあまりよく覚えていなかった。

松川も最初からわかっていたのだ。「鳩に10円玉を投げつけるおじさんの話」が“ネタ”であることは。“ネタ”を作っていること自体がもう「笑わせる意志」に直結する、『お笑い禁止法』で定められた「能動的お笑い行為」に当てはまるものだった。

これをひっくり返すのはほぼ不可能なことだった。

だとすれば、別のロジックで逃れるしかない。そこで松川が召喚したのが今回の証人、お笑い芸人の腰越ポン太だった。


「証人にお聞きします。」


緊迫した静寂の中、最初に松川の質問から始まった。


「お笑い禁止法で服役中、つまりあなたはお笑い芸人ですね?」

「・・・そうだよ・・・。」


やはり証人は面倒くさそうに応えたが、この弁護人とはある約束があった。

裁判に協力した暁には、減刑や服役中の待遇改善に協力するというのだ。

自分にとってはどうでもいい裁判であったが、条件としては悪くない。この取引に応じる形で、ポン太は出廷したのだった。


「資料1の“ネタ”は読んでくださいましたね?」

「・・・ネタ・・・?あれが“ネタ”ねぇ・・・。」


証人は吐き捨てるようにそう言うと、弁護人を睨み付けた。

睨み付けてはいたが、これは手はず通りのやり取りだった。証人としては「これでいいか?」の確認の意味もある“睨みつけ”だったのだ。


「どういうことでしょう?詳しく教えてもらっていいですか?」


松川は、あえて大きな声で、傍聴席の関心を引くように、証人の不遜な態度の理由を解き明かそうとした。


「俺たちプロからすれば、あんなものは“ネタ”でもなんでもない。ただの与太話だよ・・・。」


また傍聴席から小さく感嘆の息が漏れた。


「面白くなかったですか?」

「面白い?あんなもんで笑うヤツがいるとは思えないね!」


これには検察側も少し、険しい表情を見せた。論点が大きく変った瞬間だった。


「しかし、実際、あの話を聞いて、公園で笑いが起きたんです。面白い“ネタ”だったからじゃないですか?」

「けっ、そんなのたまたまだろう?しゃべりが下手なヤツほど、噛んだり、言い間違えたり、慌てて言い直してまた噛んだりしてな。そういう、どうでもいい部分でも笑いは起きちまうんだよ!ようするに、笑われてるだけだ!それをよう、“ネタ”が面白かったと勘違いする素人がわんさといるんだよ。恥ずかしくなるねぇ・・・。」


証人はせせら笑うように、その場にいない被告人の未熟さを指摘した。

態度こそ礼を欠くものであったが、この証言の論旨はしっかりと傍聴人たちの心と頭に刻まれることになった。


「つまりあなたは、被告人の話した内容は、“笑い”を目的したものではなく、偶然の失敗で“笑われてしまった”すなわち過失だったと言うわけですね?」

「ああ、ウケたと思ったんだろうが・・・、残念だったねぇ・・・。」


そこまで言うと、証言台でお笑い芸人は高らかに笑って見せた。ライオンが遠吠えしてるかのように、威厳と自信に満ちた笑い声だった。

笑い声が収まるのを待って、松川は整然と話し出した。


「裁判長。証人は一線で活躍していたプロのお笑い芸人です。その証人が、この話は“ネタ”ではないと言っています。やはり、被告人の行為が「能動的お笑い行為」であったとするのには無理があると考えられます。以上です。」


松川がクリアな発話で法廷中にそう宣言すると、拍手こそ起らなかったが、傍聴席にいたほとんどの人間が、被告人の無罪に共感したのが感じ取れた。

このロジックで進めていければ、後は、被告人に虚言癖があり、すぐに見てもいないことを見たかのように話す人間だと印象づけることで「笑わせる意志」を一蹴することができる。あと一歩だ。検察側の応戦を見守ることにする。


我孫子検察官が質問に立った。

我孫子はほとんどの検察官がそうであるように、用意周到な男だった。弁護人がどのような論法で、前回の公判をひっくり返えそうとしてくるのか、あらゆる想定を準備してきていた。

しかし、服役中のお笑い芸人を召喚すると聞いたときは、あまりの突飛さに、少々戸惑ったのは確かだった。そこからはこの芸人の過去を調べ上げ、この証人を無力化することに力点を置いて、今日を迎えていたのだった。


「腰越ポン太さん。現役時代は漫談がお得意だったそうで、何年くらいやっていたのですか?」

「20年だ・・・。浅草でオレを知らないヤツはいないよ。」

「確かに。あなたは寄席でも大人気で、その出番には客席が常に大爆笑に包まれていたと聞いています。」

「いい時代だったよ・・・くだらない法律ができる前でな・・・。」


まだ窓の外は嵐が続いていたが、それでも証人は、遠くの空を懐かしそうに見つめているようだった。


「春風ピュー太さんをご存じですか?」

「・・・ピュー太・・・?」


我孫子が少し、声のトーンを変えた。声量はそこまで大きくなかったが、何か切れ味のいい刃物のような響きのある声だった。


「あなたが現役時代、一緒に寄席に立っていた芸人さんです。春風ピュー太さん。ご存じですか?」

「・・・・知ってるよ・・・。」

「浅草演芸大賞を5年連続で受賞。漫談界のプリンスと呼ばれていたそうですね?」

「・・・まあ、そこそこ人気はあったかもな・・・・。」


明らかに、証人の語気に変化が現れた。わかりやすく、声が聞き取りづらくなった。


「あなたの3つ後輩で、それまであなたが任されていた大トリの出番を彼に奪われたそうですね?」

「う、奪われたわけじゃねえよ・・・。たまたま“ネタ”の順番的にそうなっただけで・・。」

「当時の劇場支配人、坂上さんにもお話を伺いました。“ネタ”の順番は、人気投票で決まっていて、お客さんが一番面白いと思った芸人が大トリになるルールだったそうですね。そしてそれは芸人たちもわかっていることだったと。どうでしょう?覚えはないですか?」

「・・・覚えてねぇな・・・。」


証人の最後の言葉はほとんどかすれて消えていた。

お笑い芸人の明かな狼狽で、つい数分前まで傍聴席を染めていた松川の勝利の色が、少しずつ薄められていった。

我孫子は少し間をとってから、今度はいたわるように柔らかく質問を重ねた。


「お笑い芸人さんの気持ち、というのが一般の人にはよくわからないと思うので、あえて質問します・・・・、一般に、お笑い芸人さんは、他人の“ネタ”を見たり聞いたりしているとき、どのような気持ちでいるのでしょう?面白いといいなぁ、ウケたらいいなぁと思っているのでしょうか?それとも、スベればいい、自分よりも面白くない方がいいと思っているのでしょうか?一般的にでけっこうです。」


これは証人に逃げ道を与えつつ、検察官の持っていきたい論旨にしっかりと導くテクニカルな質問だった。弁護側としても異議を唱えにくい角度の質問なのだ。


「そりゃあ、まあ・・・・あんまりウケない方がいいって思うかもな・・・。」


我孫子は満足そうに一つ頷くと、今度は矢のように鋭い語調で質問を射った。


「するとですね・・・、後輩の方が面白い、後輩の方が笑いを取っている。いや、もっと言えば、どこの馬の骨ともわからない素人が、面白い“ネタ”で笑いをとったと聞いたら、これはお笑い芸人にとって由々しき問題ではないですか?そこで戦っている以上は、負けたくない、自分の方が面白い、アイツの“ネタ”なんて面白くない!ウケたのはたまたまだ!そう感じることがあるんじゃないですか?」

「そ、それは・・・。」

「異議あり!検察官の誘導尋問です!」


松川は勢いよく立ち上がると、裁判長は穏やかにそれを受入れた。


「検察官は質問を変えてください。」


しかし、我孫子の攻撃は見事なインパクトを傍聴席に残した。

先ほどの「被告人の“ネタ”など面白くない」としていた証言が、一気に説得力を失ったのだ。


「それでは質問を変えます。」


我孫子は攻撃の手を緩めない速度で言葉を進めた。


「今朝、目が覚めてからここに来るまでのことを話してもらえますか?」


松川が我孫子を睨んだ。これは第1回公判で松川が被告人に投げた質問と同じものだった。その質問が意図することももちろんわかっている。


「今朝?」

「そうです。ここに来るまでのことを話してください。」


証人、腰越ポン太はもはや狼狽を隠そうともしてなかった。怯えた目で松川の方を向いたが、松川は目を伏せていた。こうなったらこの証人の実力に賭けるしかないのだ。


「今朝・・・・は・・・。」

「あ、そうだ、せっかく芸人さんなので、面白く話してください!」


これは残酷な展開であった。今から証人はこのもっとも寄席から離れた世界で、芸人としての価値を計られる。それはつまり、証人としての証拠能力を試されているのと同義なのだ。


「ええと・・・・今朝は・・・・あ、まず目が覚めてだね・・・・、あ、そうだ、オリの中ってのは朝が早くてねぇ・・・6時には起床のサイレンが鳴るんだよ・・・・もう、それがうるさくてね・・・・びくっとするようなでかい音でさ・・・みんなそのびくっていうのが嫌なもんだから、サイレンが鳴るちょっと前に起きるんだよ・・・・。」


傍聴席はシンと静まり返っていた。遠くで遠雷の音が聞こえた気がした。


「これ、囚人あるあるでね・・・・。サイレンが鳴る前におきて、サイレンに合わせて、一緒にサイレンやるんだよ・・・ウーーーーーーーーーーーー!」


証人の奏でるサイレンが、か細く法廷の壁に吸い込まれていく。


「ウウウウウーーーーーーーーーーーー!ウウウウウウウーーーーーーーーーー!」


証人は必死に音量を上げるも、そのサイレンは、法廷の静寂をさらに印象づけるだけの役割しか持っていなかった。


「ウウウゥゥ・・・・。」


サイレンは間もなくフェイドアウトし、まるで窓の外の雨音に溶けていったかのようだった。


「最後に質問します。芸人さんは、人前で“ネタ”をやるとき、ウケなくてもいいつもりでやるんですか?それともウケたいと思ってやるんですか?」

「そ、そりゃあ・・・芸人は、いつだってウケたいと思ってやってるよ!」

「でも、ウケていませんでしたよね?最初から笑わせないつもりでやったんじゃないんですか?」

「うるせー!」


証人はついに、魂から、本当の言葉を吐き始めた。そのことが、その場にいる誰もがそうだとわかった。


「芸人はな!いつだって面白いことを考えて、いつだって笑いを取りに行くんだよ!そういう生き物なんだよ!それだってな!たまには、たまーーーーには、スベったり、外したりすることがあるんだよ!どうしたってウケないシチュエーションってのがあるんだよ!それでも笑わせにいくんだよ!そういう芸人の気持ち、お前らにはわかんねーだろう!!!」


思いの丈を全て吐き散らかすと、証人は力なく床に倒れ込んだ。

廷吏が証人を運び出し、また法廷に最初の静寂が戻った。


「裁判長。弁護側は、“ネタ”が面白くないから、被告人はお笑いをしてないと主張しました。しかし、問題はやはり、「笑わせる意志」なのです。被告人は「鳩に10円玉を投げるおじさん」なる架空の滑稽な人物の話を作り出し、それを聴衆の前に披露しました。内容が面白いかどうかは関係ないのです。その行為自体に問題があることをどうか再度ご審議ください。」


松川の完敗であった。

奥の手として召喚した証人まで、検察側の罪の立証の手助けとなってしまった。

窓の外の木々はなおも激しく揺れており、湿度のあった法廷にも、少しだけ乾いた冷たい風が入り込んでいるようだった。

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