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お笑い裁判  作者: 凪沢渋次
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第1回公判

シンと静まり返った法廷には、穏やかな日が斜めに差し込んでおり、その光の筋に微細な埃の粒子がこれまた穏やかに揺蕩っていた。

傍聴席は、マスコミでも話題の裁判ということで超満員だったが、不思議と静寂が保たれていた。

程なくして、威厳に満ちた、重たい音を立てて、一番奥のドアが開き、本日の裁判長、茜谷が入廷してきた。

それを合図に、整頓されていた書棚から、皆が好き勝手に本を抜きとる時のように、ガタガタと静寂を散らかして一同が起立する。

各々が敬意をもって深く一礼した後、着席が告げられると、しばらくしてまた最初の静寂が戻ってきた。

その静寂は、崇高なそれではなく、この裁判の行方について、一言も聞き洩らすまいという、好奇心が作った見せかけの静寂だった。


「まず、最初に検察官は起訴状を読み上げてください。」


茜谷裁判長が陽だまりのように穏やかな声で指示すると、検察官の我孫子は恭しく立ち上がり、ことさら大事なものだと言わんばかりに罪状を読み上げた。


「被告人、高佐とおるは、平成39年5月8日、東京都世田谷区下北沢3丁目22、下北沢ふれあい公園の野外ステージにて、資料1にある“漫談”を聴衆に披露し、彼らを笑いのどん底に叩き落とし、公序良俗を著しく犯した。これは、『お笑い禁止法』第4条1項の定める「能動的お笑い活動の禁止」及び都の『演芸規制条例』に抵触する行為であり、世間への影響も考慮し、懲役3年の実刑を求めます。」


我孫子は、基本的には事務的に、しかし、ところどころで感情をこめる、独特な抑揚で起訴状を読み上げ、その場にいる全員に、被告人の蛮行を深く印象付けようとしていた。


「弁護人、ご意見は?」


裁判長は一貫して穏やかな語り口だった。

弁護人は松川という女性だったが、この事件を担当することからもわかるように、かなりの野心家だった。圧倒的に不利なこの案件で、自分の存在を世間に知らしめたい意図は誰の目にも明確だった。


「被告人の話した内容は、あくまで挨拶程度の日常会話の範疇を超えておらず、『お笑い禁止法』等法令違反には、まったく当たらないことを主張いたします。」


松川女史は、すでに攻撃的な口調で、検察側の言い分を全否定した。


検察官と弁護人の言い分が真っ向から食い違うので、この審議は長くなりそうだ。

傍聴席の好奇心は最大限に膨らんでいた。


「わかりました。それでは審議に入ります。」


検察官と弁護人の温度に、まるで気が付いてないかのように、茜谷は冷静で、やはりまだ穏やかであった。

太陽に雲がかかったのか、窓の外が少し暗くなった。


被告人、高佐とおるが証言台についた。

細面で色白、太い黒縁眼鏡をかけた被告人は、証言台に立つ姿がいかにも“被害者”で、彼が罪を犯すとはにわかに信じがたい容姿ではあった。

しかし、いつだって犯罪者は周囲の目を欺くのに必死だ。検察官はどうしても、その謀略を防がないといけない使命感に駆られていた。


我孫子が最初の質問をする。


「資料1をご覧ください。ここにあなたが、下北沢ふれあい公園にて、聴衆の前で披露したとされる、“漫談”の内容が記載されています。読んでいただけますか?」

「“漫談”だなんて・・・。」


温度のない言葉を正面から投げつけられた高佐は、わかりやすく狼狽えていた。

恐る恐る、「資料1」と番号がふられたコピー用紙に手を伸ばし、高佐はそれをつまみ上げ、目の前に持っていこうとしたが、その手の震えで、文字が読める状態ではなかった。

そんな被告人の様子を数秒待ってから、見るに見かねた、といった風で、検察官が、


「いいでしょう。私が読みます。」


と、同じ紙を目の前に掲げて見せた。

検察官は、あくまでも事実に対して冷静で公平であるべきだが、起訴され、不安に怯える被告人への同情心はひとかけらも持ち合わせていないようだった。


「先日、この公園で、一人のおじさんが、鳩に向かって10円玉を投げていた。何でそんなことしているのかと、不思議に思い、おじさんに聞いてみました。「おじさん、なんで鳩に10円を投げているんですか?」するとおじさんは黙って、近くにあった看板を指さした。その看板にはこう書いてあった。「鳩の餌は10円です」。」


我孫子が淡々と資料を読み上げると、傍聴席から一瞬だけ笑い息が漏れた気がしたが、すぐに巨大な緊張感にかき消されていた。


「・・・面白い!どうでしょう皆さん?この、おじさんの滑稽な勘違い。鳩の餌が10円で販売されていることを表していた看板を見て、鳩の餌が10円玉自体なのだと思ったわけです。そしてそのことに対して何も疑わず、鳩に向かって10円玉を投げていたわけです。この話を聞いた誰しもが、このおじさんの実直ながらも少し間の抜けた、滑稽な様子を容易に想像するに違いありません。その結果、おかしみがこみ上げ、“笑い”に至らしめられるのです。この程度の理屈は誰にでも理解できることであり、つまり、この話をすること自体が、明らかに笑わせることを意図した、明確なお笑い行為だと言えます!」

「意義あり!」


松川女史がすぐさま、気持ちよさそうに弁論する検察官を止めた。


「検察官の想像による部分が多すぎます。」

「あくまで一般的な思考に照らしているにすぎません。」

「しかし・・・」


弁護人がそこまで言うと、茜谷裁判長が柔らかに仲裁の言葉を入れた。

弁護人の主張は、次の弁護側の尋問の時間に回すように諭された。


今回の裁判の争点は明らかであった。

つまり、被告人に「笑わせる意志」があったのかどうかだ。

検査官は「鳩に10円玉を投げるおじさんの話」は、明らかに笑わせる意志がなければ話さない内容だとし、弁護人は、そんなことはないという。


「あなたは、下北沢ふれあい公園にはよく訪れますか?」

「はい・・・たまに行く感じです・・・。」

「事件のあった日は日曜日でした。公園には人が多かったのではないですか?」

「・・・そうですねぇ・・・そこそこいたと思います。」

「公園の中でもあの野外ステージの周りには特に人が多いようですね。」

「座れるところがあそこくらいしかないので・・・だから、皆さんあの辺に座ってることが多いです・・・。」


緊張しながらも、被告人は、つとめて真摯に、誠実に質問に答えている印象だった。


「つまり・・・、人が多い場所だとわかっていて、あなたはその場所に行ったということですね?」

「え!いや、別に人が多いから行ったわけでは・・・。」

「公園の地図です。人の少ない、西側の砂場の近くにもベンチが一つあります。また、噴水のある広場にも2つほどベンチがあります、どうしてそこではなく、野外ステージに向かったのでしょう?」

「だから・・・それはたまたまで・・・。」

「スカスカの客席より、お客さんがたくさん入っていた方が、大きな笑いになる、そう考えたんではないですか?」

「意義あり!」


高佐は検察の尋問にしっかりと捕らえられていた。

このやり取りで、傍聴席とその先にいる世論のイメージの中には、大勢の人間がいるところをわざわざ選び、愉快な話を披露しにやってきた被告人の姿がインプットされてしまった。


「検察側の誘導尋問です!」

「意義を認めます。検察官は質問を変えてください。」


松川の「異議」は一手遅かった。怯えている被告人の様子は、まるで、真相をつかれて狼狽しているようにも見えたのだ。


それからまたしばらく、検察側尋問が続いたが、第一ラウンドの戦い方としては、我孫子はもう十分な手ごたえを感じていたようで、それ以降、強硬な追及は控えていた。


続いて、弁護人の反対尋問が始まった。


「高佐さん、今朝、目が覚めて、ここへ来るまでの間のことを話してみてください。」


この質問に、傍聴席はもちろん、被告人まで、表情に「?」を浮かべていた。

この変化球に、検察側は早々に異議を唱えてもよかったが、ここはひとまず、弁護側の出方を静観することにした。


「今朝ですか・・・?」

「ええ、今朝の出来事です。覚えている限り、自由に話してみてください。」


法廷内の誰も、まだ、松川の意図を読みかねていた。


「ええと・・・、今朝は・・・7時くらいに起きて・・・、まあ、顔を洗って、歯を磨いて・・・・、テレビを見ながら、昨日買ってあったパンを食べて・・・・。あと、牛乳も飲んで・・・。」

「パンはどんなパンですか?」

「え?・・・ええと・・・・、あんぱんです・・・小さい・・・・4個入りくらいの・・・・。」

「お好きなんですか?そのパンが。」

「ええ、まあ・・・・安かったからってのもありますけど・・・。」

「テレビは何を見ていましたか?」

「え?テレビですか・・・ええと・・・『おはようテレビ』ですかね・・・ワイドショーの・・・。」

「いつも見ているんですか?」

「いや、たまたま今日はそのチャンネルがついてたってだけで・・・。」


傍聴席の「?」はどんどんと大きくなるばかりだった。

それでも、何かを導き出したいと、全員が最大限の集中力で、この退屈なやり取りに聞き耳を立てていた。

そしてこの場でもっともこらえ性のなかったのは我孫子検察官であった。


「裁判長。弁護人の質問の意図がわかりません!」


それまでずっと冷静だった我孫子に、若干のイラだちが垣間見えた。


「弁護人は質問の意図を明確にしてください。」


相変わらず穏やかに茜谷が諭す。


「裁判長、今、お聞きいただいた通りです。」


傍聴席はさらに集中力を強める。


「被告人の話・・・・全く面白くありません!」


松川が高らかにそう言うと、傍聴席から小さく感嘆の息が漏れた。

いち早く、松川の意図を解した者がいたようだ。


「もしも、被告人が、愉快で面白く、ユーモアに溢れ、人前で笑いを取りたいと欲するタイプの人間ならば、どんなお題に対しても、もう少し面白い返しをするものじゃないでしょうか?」


検察官の表情に、一瞬だけ険しいものが見えた。


「しかし、今の被告の話は、まったく面白くありません。普通です!今日の傍聴席は御覧の通り満員です。面白い話をして笑いを取りたかったうってつけの状況です。それなのに被告人は全然面白い話をしませんでした!」


松川女史は、被告人の“面白くなさ”をしっかりと傍聴席に印象付けた。

検察官は苦々しくそれをにらみつけ、裁判長はどこか楽しそうに眺めていた。


「例の「鳩」の話は、たまたま公園で見かけたおじさんの話です。おじさんが滑稽だっただけで、その話をすること自体は滑稽ではありません!あの話は、誰がしたとしても、その場にいた人を笑わせてしまう、不幸にも「愉快なエピソード」だっただけで、被告人が意図的に、テクニック等を使って笑わせたわけではないことを強く主張して終わります。」


松川弁護士の弁論は見事だった。相変わらず証言台で緊張した様子の被告人は、運悪くもらい事故を起こしてしまったかわいそうな“被害者”の姿に変えられていたのだ。


実は松川には、この裁判をなるべく早くに終わらせたい事情があった。掘り出されたくない事実があるのだ。そこを突かれると、今の松川の論旨は完全にひっくり返ってしまう。


気が付けば陽射しが戻ってきており、法廷の床にはくっきりとした輪郭の短い影が映っていた。


検察側はじっと黙ったままだった。

松川の尋問が、確実に傍聴席の気持ちをつかんでいたので、我孫子は何らかの対策を講じるべきなのに、少しも慌てた様子がなかった。

その様子が松川を小さく不安にさせていた。


「検察側は、最後に何かご意見りますか?」


茜谷裁判長が、子供にかけるような口調で、検察官を促すと、我孫子はゆっくりと立ち上がった。

ずっと伏せていたので見えていなかったが、我孫子は真顔なのに、明らかな「嘲笑」が読み取れた。それは“被害者”ではなく、“犯罪者”を見るときの検察官の顔だった。


一瞬、窓の外がまた暗くなった。


「最後に一つお聞きします。」


証言台にいる被告人、高佐とおるは、前髪の隙間から覗き見るように、検察官の方を向いた。


「鳩に、10円玉を投げるおじさん・・・・・・、そんな人、本当にいたんですか?」


ゆっくりと、全ての逃げ道を十分に塞ぐ速度で、我孫子はそう尋ねた。


松川は天井を仰いだ。

突かれたくない事実を掘り出されてしまった・・・。

あの「鳩」の話は、“ネタ”だったのだ・・・。

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