3-2
「ふぅ、もうこれでレイトとはおさらば」
「マーシャ、本当にいいんですか?」
あたしの指示通りずっと黙っていたミアが、初めて口を開いた。
「本当にいい? どういうこと? もちろんいいよ。清々する」
ミアは何か言いたそうだ。
あたしはそれを見て見ぬふりする。
「よし、じゃあ、作戦開始だね。まあ作戦って言うほどのものはないけど」
作戦は単純に正面突破だ。
ミアはSランク冒険者だし、あたしだって世界最高峰の実力を持っている。
左腰に下げた剣を軽くなでる。
大丈夫、いけるいける。
作戦の基本は、あたしが兵士を無効化するってことだ。
ミアの攻撃力は凄まじいものがあるけど、それを使っちゃうと確実に侵入しているのがバレてしまう。バレたとしてもあたしたち2人ならどうにでもなるけど、戦闘狂じゃないのでできるならなるべく穏便に済ませたい。だから行きはあたしだけで頑張るつもりだ。なるべく音を立てずに兵士を昏睡させるのが目標。
「マーシャ、婚約破棄しない方が良かったんじゃ……見た目もカッコイイし」
「本性を知れば幻滅するから。まあ、第一王子よりはマシだとは思うけど」
2人で王宮の廊下を歩く。
確かこっちが地下牢だっけ?
記憶があいまいなことに気付く。
でもいっか。
「道、間違えたらごめんね」
「え……分かんないんですか?」
「多分あってると思う」
ちょっと頭のねじが飛んでいるな、と冷静に自己分析してみる。
レイトとの婚約破棄が思いのほか、心に突き刺さっているようだ。
あんなばかレイト、全然好きでも何でもないけど、でも婚約してから2年。3日に一回は会っていた。表面上は非常に仲の良い婚約者だった。
好きでもないどころかむしろ大嫌いだけど、それでも多少の思い入れはあったのかもしれない。
だからほんの少しだけ苦しい。
ホント、ゴマ粒みたいなものだ。
ゴマ粒みたいに小さな苦しみだよ、これは。
苦しくて苦しくて泣きだしそうなほど苦しいなんてこと、絶対にありえないんだからね!?
「マーシャ、大丈夫です?」
ミアに心配される。
「いい、大丈夫だから」
あたしは答える。
ばかレイトのことで苦しんでるなんて絶対に知られたくなかった。
「マーシャが良いなら……失敗しても次、チャレンジします?」
「え、道間違える前提なわけ?」
「でも昨日道に迷ってた!」
「あれは……ちょっとのことじゃん! だいたい合ってたし」
歩いていると、先に2人の兵士がいることに気付いた。
「ん? なんだ君ら。この先には牢獄しかないぞ」
兵士の一人が言う。
やった、道、合ってるっぽい!
あたしは一息で間合いを詰め、二人の兵士の意識を一瞬で刈った。
「すごい」
「えへへ、まあね。よし、速度勝負だ。行くよ」
あたしたちはすたたっと音もなく駆けるのだった。
邪魔な兵士を昏睡させて、牢の最奥まで行くと、お父さんはいた。
「お父さんっ!」
粗末な毛布の上で座る姿が見えた。
首には魔力を封じる首輪が付けられているようだ。
「マーシャか……なぜ来た?」
面と向かって問われると少し緊張したが、喜ぶお父さんの姿を思い描き、まっすぐに伝える。
「お父さんを助けに来たんだよ!」
しかしお父さんの表情は曇った。
え……
「それは、やめておいた方がいい」
低い声でそう告げられた。
なんで??
「このままだとお父さん死刑になっちゃうかもしれないんだよ?」
「でもまだ決まってないんだろ?」
「そうだけど……でも王様が死んだんだから、その罪が着せられたら……」
「つまりマーシャはお父さんのこと、悪くないと思っているのか」
「もちろん!」
「まあ王様の死の方は確かにそう考えるのは自然かもな……だが、ゴーレムが暴走した件はどうだ? 魔法的な安全機構があるんだから、お父さんが加担しないと不可能じゃないか?」
「それは……」
確かにその点はあたしも疑問だった。
でも、お父さんはそんなこと絶対にしない!
こんなこと言っても失笑されるだけ。
あたしは唯一の理由を述べる。
「“黒幕”はお父さんに罪を着せるつもり……だから、お父さんは“黒幕”じゃない。この事件は計画的だから」
“黒幕”が自分自身に罪を着せるわけがない。
だから罪を着せられたお父さんは“黒幕”じゃない。
それだけの弱い理由しかない。
「……なるほど。よく思いついたな、マーシャ」
お父さんは腕を組み、大きく頷いた。
えへへ、褒められて少し嬉しくなる。
でもこれ、ミアが教えてくれたことなんだけどね。
お父さんは「でも」と言って続ける。
「それじゃあ、認められない。状況的にそう考えるのが自然というだけ。具体的にどうやって黒幕がゴーレムの安全機構を打ち破ったのか分からないんじゃ」
その通りだ。だけど……
「……お父さんはやっていないんだよね?」
あたしは恐る恐る聞いた。
今まで、やっていない、とは一度も言わなかったお父さん。ついに観念したように頭を下に向けて息をふーっと吐いた。
「……その通り、お父さんは何もしていない。でも証拠はないし……それに一番重要なことだけど、犯人がいない」
「犯人?」
「誰かが責任を負わなくてはならない」
だからあたしたちはこうして牢に侵入したんだ。
チラリとミアに視線を向ける。
するとミアはアイコンタクトをして頷いた。
「お父さん、逃げよう。お父さんは悪くなんだから」
「それはできない」
え……なんで?
今までの議論は何だったの?
言葉が見つからずにいると、お父さんが口を開いた。
「マーシャはハーフ天使なんだ。だから、無理だ」
「……は?」
言っている意味が分からない。
ハーフ天使?
あたしが?
そもそもハーフ天使って何?
「ずっと黙っていてごめんな。言うタイミングを計りかねていたんだ……マーシャ、少しばかりお父さんの話に付き合ってくれるか?」
あたしの返答を聞くことなくお父さんは語り始めた。
それは一人の男と天使の物語――
とある山奥にたった一人、男が住んでいた。その男は来る日も来る日も、ゴーレムを作り続けていた。
とある朝、男はいつものようにゴーレム作りに精を出そうと家を出た。
しかしいつものようにゴーレムを作り始めることはなかった。
目の前に見知らぬ女が倒れていたからだ。
その女、世の中の男どもの理想を体現したプロポーションだった。こんな山奥の小屋の目の前で人が倒れているという非現実的な状況を、一層非現実的にしているようだった。
男はその女に声をかけるが、返事はない。意識はないが、呼吸はあるようだ。
家の中に運び、ベッドに寝かせる。
病人に食わせるようなものあったかな? と男は思い、森の中へ。
帰ってくると、女は体を起こしていた。顔は無表情だったが、とても美しい姿だと思った。
男は何も言わずに食事を作った。
女は何も言わずにそれを食べた。そして食べ終わると、ギリギリ聞き取れるくらいの声量で「ありがとう」と言った。
女は何も言わず居座った。
男はそれを当たり前のように受け入れた。
男と女はほとんど何も話さなかった。
でもだんだんと2人とも笑顔でいることが増えていった。
いつの間にか2人は互いに愛し合っていた。2人は夫婦のように過ごし、その山奥の小屋は2人の愛であふれていく。
静かな愛がそこにあった。
時が過ぎ、女は身籠った。
その頃から異変は起きていた。もともと桜色だった女の髪が、だんだん黒く変色していった。
色の変化は止まらない。
ゆっくりと、しかし着実に黒くなっていく。
そして、ついに髪は漆黒に染まった。
それと同時に、女は出産した。
そして言った。
「今までありがとう。でも今まで黙っていてごめんなさい。私は実は天使です。とは言っても天界から追放された今では、力はほとんど残っていませんが……
人と子をなすのは天使の禁忌なのです。そして禁忌を犯した私に待つのは死のみです。こんなことを言うとあなたは子どもを欲しがらないでしょう。でも私は欲しかった。だから黙っていました。
泣かないでください。私は幸せでした。追放され世界に絶望していた私に幸せを教えてくれたのはあなたです。
この子はハーフ天使です。ハーフ天使には禁忌はありません。普通の人間と全く同じです。ただ一つだけ、たった一つだけ……罪に弱いという性質だけが残っています。この子に罪を犯させてはなりません。
さようなら、あなた。私は幸せでした」
女はそう言って、手に抱える赤ん坊の額にキスを落とした。
桜の花吹雪が舞った。
視界を埋め尽くすほどの花吹雪が、山奥の小屋の中を埋め尽くした。
桜吹雪で女の姿が見えなくなると同時に、男は手を伸ばした。
しかし何も掴めなかった。
視界が晴れると、赤ん坊だけが残っていた。
桜の花びらはどこにも残っていなかった。
お話が終わった。
あたしが生まれると同時に亡くなったと聞いていたお母さん。
お母さんは天使だったのか。
そして、あたしは――罪に弱い。
「ごめんな、マーシャ。本当ならもっと早く言わなければならなかった」
お父さんは心底申し訳なさそうだ。
「マーシャが良い子に育って嬉しいんだ、お父さんは。それにお父さんはもう十分生きた。お母さんが死んでから、生きる意義はマーシャだけになったんだ……だから、大丈夫だ」
暗い牢の中で、お父さんの瞳が濡れているのが分かった。
「ミア、帰るよ」
あたしは帰ることにした。
「……でも、どうします? 今頃、兵士たちが気付いて大騒ぎになっているかも」
ミアが不安げに言う。
「その点はご心配には及びません」
通路から誰かの声が聞こえた。
「ダレイオスか」
お父さんが言った。
「マーシャちゃんとその友人の不法侵入は、なかったことにさせて頂きます」
「恩に着る、ダレイオス」
「えっと、どういうことなの? ダレイオスさん?」
宮廷医師筆頭であり公爵でもあるその男は「簡単に言うともみ消しです」と言った。
「まあ、私に付いてきてください。もう粗方、根回しは済んでいるので」