2-1
その日の夕方。
お父さんの知り合いの医師で、宮廷医師筆頭でもあるダレイオスさんに体を見て貰った。
「う~む、加護の封印は解けてしまったようですが、いまのところ体に異常はありませんね」
「えっと、じゃあ?」
「しばらくは様子見ですね」
やった!
あたしはガッツポーズをした。
今度こそ死ぬかもって思ってたし……死ぬまでは行かなくても、正直なところ再度封印かもって思ってた。
それなのに、かつてあたしを苦しめた高熱が全くないのだ! あたしは本当に嬉しかった。
「しかし、マーシャさん。英断でしたね」
ダレイオスさんは話す。
「剣を握れられれば、どうなってしまうのか予想もつきませんでした。最悪死ぬ可能性もあった。それでも愛する婚約者のため剣を握ったと聞きました。
結果的には、マーシャさんの体には不具合なく、ゴーレムによる被害も最小限に抑えられたと聞きましたよ」
「ま、まあ」
ちょっと恥ずかしい。
愛する婚約者って言われたけど、実際はそんなことない。
でも表面上は仲のいい婚約者同士ということになっているので、何も言い返すことはない。
もうこれ、黒歴史確定だよ。
「あ、そう言えば。封印のペンダントを見せて貰ってもいいでしょうか?」
そう言われて、あたしは胸元から銀のネックレス引き抜く。
その先についているのは同じく銀のペンダント。
ダレイオスさんはそれを受け取ると、開けた。4年間も封じられていた感慨なんて一切見せない。いや、ダレイオスさんには感慨なんてあるわけないか。あるとしたら、あたしだけ。
中身には黒色の桜の花、そのまま何の捻りもなく【黒サクラ】と呼ばれるものが入っているはずだ。
【黒サクラ】は剣士に嫌われている。理屈は分からないけど、剣が好きな人には【黒サクラ】を嫌う人が多いらしい。
そんな【黒サクラ】は《剣の加護》のせいで高熱に苦しんでいたあたしを救ってくれた。
何もしなくても流れ込んでくる剣の愛。それを【黒サクラ】は肩代わりしてくれた。多分肩代わりしてくれなかったら、あたしは剣の握りたいという衝動に負けていたと思う。そして一度でも持ってしまえば、愛の濁流があたしに流れ込んできて高熱に臥すのは確実。それどころか最悪死ぬ可能性すらあったと思う。
だから【黒サクラ】はあたしから剣を奪った象徴でもあると同時に、あたしを守ってくれたものでもあるんだ。
そんな感慨は、あたしの中だけにしかない。
ダレイオスさんは別段もったいぶらずに、あっさり開けた。
ペンダントが開かれる。
――中から虹色の光が飛び出した。
……え?
え??
え???
えっ!?!?
虹色!?
……どゆこと??
中を覗き込むと、そこには虹色に輝く桜の花が一つ、存在していた。
虹のサクラ??
そんなもの聞いたことないけど。
てか、あたしの【黒サクラ】はどこへいったの??
ダレイオスさんの表情を窺うと、ダレイオスさんも状況が呑み込めていないことがすぐに分かった。
あたしの視線に気付いて姿勢を正し、真剣な口調で告げた。
「よく分からない」
と。
うん、あたしもよく分からない。
「本当によく分かりませんが、きっと【黒サクラ】が何らかの理由で変化した結果、これが生まれたのでしょう。【虹サクラ】とでも言いましょうか……きっと特別な物です。とりあえずは今まで通り肌身離さず持っておくことをお勧めします」
「うん」
剣を持つな。とは言われなかったし、いいんだよね??
部屋から出る。
今いたのは王宮の医務室だ。
流石は王宮と言ったところか、医務室には診断するスペースしかなく、体調不良等で横になりたいような人のためにはそれ専用の部屋があって、それがこの隣である。
その部屋にはベッドが6台置かれているが、現在使っているのはたった一人だ。
その彼は、さっき見たときは眠っていたけど、今は体勢を起こしてぼんやりと窓の外を眺めている。
自慢の金髪は綺麗に洗われたようで、血一つついていない。
「レイト」
あたしは彼の名を呼んだ。
「マーシャ」
レイトは振り向く。
あたしはベッドの横に腰掛け、レイトからのありがとうを待つ。
助けたわけだし感謝されて当然だ。だってあのままだったら確実にレイト、死んでたからね? それに、もしかしたらあたしが加護に飲み込まれて死ぬかもしれなかったし……解放された瞬間、一気に加護が流れてきて死ぬみたいな? それに、今も大丈夫かどうかは分からないけど。【虹サクラ】なんて史上初めての存在だと思うし。
それだけあたしはリスクを取ったんだ。
ありがとうと言われてしかるべきだ。
もしかしたらそれでレイトがあたしのこと好きになったりして!?
それで、キスを迫ってきたり??
あ、別にあたしはレイトのこと何とも思ってないんだけどね!?
しかしレイトの言葉は、全く予想外のものだった。
「――ずっと内心、あざ笑っていたのか?」
え?
突然、何?
「見れば分かった……マーシャはとんでもないレベルの、それこそ俺じゃあ手も足も出ないようなレベルの剣士なんだって」
ああ、うん。そだね。
なんて返せばいいんだろう?
あたしの反応を待たず、レイトは続ける。
「たまたま偶然だと思っていた。4年前突如姿を消した加護持ち。周りからの過度な期待を軽々飛び越え、4年前の時点で最強の一角と言われた天才少女、マーシャ。2年前に婚約した少女の名前がその名だった時、一瞬疑ったがそんなはずはないと思った。単なる偶然、マーシャなんて珍しい名前じゃないし。そう思っていた。12歳までは他国で過ごしてきたことや、全然勉強ができないこともただの偶然だと思っていた。
なあ、マーシャ・テルムント。俺をあざ笑って楽しかったか? 人が鍛錬しているのを横目に自分は本を読んでて、楽しかったのか?」
「何その態度? 何様のつもり?」
レイトが好き放題言うので、腹が立つ。
「だいだいあたしがピンチのレイトを助けてあげたんじゃないの!? まずは“ありがとう”じゃないの!?」
「だ、だけどずっと俺に隠してたじゃないか! 婚約者だろ!? なのにそんな重要なことを隠したままなんて不誠実じゃないのか!?」
「不誠実なのはレイトの方じゃん。いっつも家に来てもゴーレムと戦うばっかりだし!」
「別にその分、普通の婚約者よりも多く行ってただろ」
「あたしがお菓子を作っても、おいしいの一言も言わないし!」
「……」
……あれ?
いつもなら何かしら反論してくるところだと思ったが、レイトは何も言ってこない。
静寂が生まれた。
「……まあもう関係ない」
レイトは窓の外を眺めながら言った。
「は? 関係ない?」
レイトは「ああ」と言いながら、ゆっくりとこちらを向いた。
「マーシャ・テルムント、お前との婚約を破棄する」
瞬間、頭を殴られたかのように、視界がぐらりと揺らいだ気がした。
「望むところよ」
あたしは多分、こう言って、逃げ去るように王宮を去った。
王宮からここまでどうやって帰って来たのか、全然憶えていない。
既に日は落ちている。
あたしは真っ暗な闇の中、自室のベッドの上にいた。
といっても寝ているわけじゃない。
『マーシャ・テルムント、お前との婚約を破棄する』
この発言が頭の中でずっと繰り返され続けている。
なぜか頭が割れそうなほどに痛い。
目を閉じても眠れる気がしない。
つらい。
どこか遠くへ逃げ出したくなる。
泣きたい。
でもどうやったら泣けるのだろう?
もう16歳。
泣き方はいつの間にか忘れてしまったようだ。
なんでこんなにつらいんだろう?
そのときのあたしはまだ、分からなかった。
※
目が覚めると、もうすでに昼間だった。
剣をしよう。
あたしは目覚めてすぐに、そう思った。
直後レイトのことを思い出しそうになったが、意識しないようにし、身支度を整える。
4年間で体つきが変わったせいで、昔使っていた剣士の恰好は使えない。まあ、いつものでいっかと諦める。服装なんてどうでもいい。一瞬年頃の女の子としてどうかと思ったけど、気にしない。
婚約破棄もされたし……
そう思った瞬間、胸がズキリと痛んだ気がしたが、気のせいだろう。
引き出しの奥から昔使ってた剣とベルトを取り出し、腰に掛ける。
うん、よし。
姿見で自分の姿を確認して、あたしはフルーツジュースを一杯飲んで、屋敷を出た。向かう先は冒険者ギルドだ。
剣を使うだけなら街を出て適当に魔物と戦えばいいんだけど、あたしにはとある憧れがあった。
あまたの冒険小説。それを読んでいたあたしはその登場人物たちに憧れを持っていた。もちろん小説によっていろいろタイプはあるけど、よくある展開というのが存在する。
その一つに、冒険者ギルドがある。
冒険小説ではまず間違いなく出てくる施設で、多くの物語の主人公たちは、ここで冒険者登録というのをするところから英雄への道が始まる。
別にあたしは英雄になりたいわけじゃないんだけど、でも冒険者ギルドってずっと気になってたんだよね。
え?
昔に冒険者として活動したことなかったのか、って?
それがないんだよ。
ずっと剣一筋だったから、冒険者になる意味がなかったっていうか。もちろん魔物と戦ったりは修行の一環でよくやったけど、冒険者として依頼を受けるってことはなかった。お金を稼ぎたいんなら冒険者になった方が効率的に稼げるとは思うけど、あたしにはどうでもいいことだったしね。
そんなわけで冒険者ギルドにはあまり行ったことはない。
ドラゴンの鱗を売りに行ったときくらいかな? あのときは受付嬢に目を真ん丸にされて驚かれたけど。まあ12歳の女の子がドラゴンの鱗を売りにくれば驚くよね……あのときは常識知らずだったから何にも分からなかったけど。でもあたしは小説をたくさん読んで幼少期に得られなかった常識を手に入れたんだ。
カランカラン。
あたしは何一つ不自然なところなく、冒険者ギルドの中に入った。
「冒険者登録したいです」
「あっ、はい。こちらにあなた様ご自身についてご記入してください。もしよければ代筆サービスも受けられます」
あたしは紙を受け取ると、そこに流れるような文字で記入する。
「えっと、お名前はマーシャ様、職業は剣士でよろしかったでしょうか?」
首を縦に振る。
ちなみに名前はマーシャ・テルムントではなく、単にマーシャだ。
冒険小説では常識で、主人公たちは大抵深い理由から家名を隠す。あたしの場合は特に深い理由はないけれど、一応重要人物だし? 第二王子の婚約者なんだから……
……あれ?
婚約破棄されたから、違うのか。
『マーシャ・テルムント、お前との婚約を破棄する』
レイトの言葉がフラッシュバックされた。
でも普通に伯爵令嬢だし。
でも何でレイトは……
レイトは嫌いだったけど、レイトから婚約破棄されたのはなんか捨てられたみたいで嫌。
なぜか気分が落ち込む。
さっきまではこのこと考えないようにしてたのに……
全部レイトのせいだ。
レイトが婚約破棄なんてするから!
別に婚約破棄自体はいいけど、状況を考えてって話。だってあたしがレイトの命を助けた直後なんだよね? それなのに婚約破棄って仕打ち? ひどくない?
なんか考えていると、ちょっと腹が立ってきた。
「マーシャ様、マーシャ様」
「あ……」
「読み終わりましたら、四角の欄にチェックをお願いします」
受付嬢に言われて現実に戻ってくる。
遅れて聞き流していた言葉が脳に届く。
『これは非社会勢力との関わりがないことへの同意書になります。もし関わりがあると発覚した場合、冒険者としての資格を失うとともに身柄を拘束され、最悪の場合死刑となります』
多分、こんな感じのことを言った気がする。そもそもあたしは冒険小説で予習済みなので聞かなくても分かるし。
紙面をチラリとみると、スパイ、暗殺者ギルド、盗賊団、違法薬物などの文字が見えた。
ま、関わりなんてあるはずもない。
チェックして渡す。
その後、お金を払い、水晶に手をかざして、少し待つと冒険者カードが貰えた。
さ~て、あたしの冒険の始まりだ!
と内心、右腕を掲げる。
そして念のため、受付嬢にギルドのシステムを教えて貰った。
案の定、だいたい知ってたけどね。あたしの大好きな冒険小説にはよく冒険者ギルドが出てくる。なので結構詳しいことまで知っている。
例えば、必要ランクと推奨ランクの違いとか。
必要ランクは護衛系の依頼に見られるもので、受けるにはそこに記載されたランク以上が必要になる。
推奨ランクは討伐系に見られ、冒険者ならば誰でも受けることができる。例えば推奨ランクBなら、ランクB以上が望ましいけど、それ以下でも受けることはできるよ~って意味。こちらなら今登録したばかりでランクFのあたしでも受けることが可能だ。
他に知ってることと言えば、例えば――
「よお、新入りの嬢ちゃん」
――こういう新人いびりという文化が存在するということとか。
振り返ると、筋肉ムキムキの大男があたしを見下ろしていた。