4-2
気が付くと寝ていたようだ。
起きて外を見るが、すでにフーガはいない。
さっき話したのがどれくらい前のことか、よく分からない。たった5分前のことにも思えるし、もう何日も経っているようにも思える。ただ目の前に広がる赤い空から推測すると、今の時刻は夕方で、話したのは数時間前ってところだろう。
『俺の女になれ』
フーガのセリフが脳裏によみがえる。あたしはそれを斬り捨てるように剣を腰に下げ、逃げるように外に出た。
王都の街を歩く。
ゴーレムの暴走があったとはいえ、中央広場以外の場所はいたって普段通りであった。
ならばいつもの綺麗な街並みを楽しめばいいじゃないか、と思ったが、自分の足はすこし変なのだろう。
そもそも自分自身、なぜ外に出たのか分からない。
ここ3日間ずっと引きこもって家から一歩も出なかったのに……
まだ食料も水もある。
引きこもろうと思えばまだまだ引きこもれるはずだ。
外に出る必要なんてない。
「あ……」
中央広場の端にある巨大なクレーターは健在だった。
どれほど強大な一撃ならばこれほどへこむのか想像もつかない。
《初撃の加護》を持つミアにしか不可能な痕跡だ。
自分の身に起きたことは夢でなかった。
時間に直せば2日に満たない時間だったけど、確かにミアと出会い、そして裏切られたというのは事実だと痛感させられる。
ミアは今、何をしているのだろう?
小国の姫でお金稼ぎのために暗殺者となったと言ってたけど、それほど暗殺するとお金がもらえるのだろうか。
Sランク冒険者としての稼ぎは、たった一回の討伐で一生遊んで暮らせるほどの額だ。それを大きく上回るお金が貰えないとミアが暗殺する意味はない。
具体的にどのくらいの額か分からないけど、途方もない金額なのは確かだ。
依頼主――つまり黒幕はそれほどの大金を持っていたということになる。大金持ちなのだろうか?
それに気になる点はある。
中央広場から王宮へと逃げるための地下通路。もちろん極秘なはずだ。それをミアは知っていたことになる。依頼主の指示通りに、って言っていたはずだ。ということは、少なくとも黒幕はこの国の中枢とのつながりはある。
この国は予想以上にヤバい状態なんじゃないの?
黒幕が極秘事項を知り、そしてのうのうと生きている。国の兵士たちは全くそんなことには気付いていない。
……考えない方がいいのかも。
もうあたしには分からない。
剣の加護、婚約破棄、ミアの王様殺し、お父さんの死刑、ハーフ天使という事実。
そして、フーガの提案。
頭は未だに整理されない。
「あの!」
「ん?」
呼びかけられたような気がして振り向くと、そこには見知らぬ美少女がこっちへ向かってくる。
え、あたし?
……それに、どこか会ったことがあるかもしれない。その顔になんとなく見覚えがあるような気もする。
その少女はあたしの前まで来るとぺこりとお辞儀した。
「あの、ありがとうございました! 憶えていられないかもしれませんが、私、ちょうどそこでゴーレムに襲われてて……」
少女が指さすあたりは……あれだ。3体目のゴーレムのところだ。
レイトがゴーレムに敗北し、あたしが《剣の加護》を使ったところでもある。
そう! 思い出した!
「あー、あのときの! レイトに助けられた子ね! ……でもそれならあたしに感謝するのは筋違いじゃない?」
「いえ! あのままだったら、あの方も死んでたと思います。多分私だって……」
あの方、ね。
レイトのことを指しているのは分かる。
でもあたしはなぜか、ちょっぴり不機嫌になった。
少女は一歩近づき、
「だからあなたは私の命の恩人です! 同時に私の命を救ってくれたあの方を助けた人でもあるんです! だから本当にありがとうございました!!」
深々とお辞儀した。
……ズルい。
何にも悩んでなさそうなそのはきはきとした行動にイラつく。
あなたの命の恩人様はこんなに悩んでいるのにっ!!
「ありえない」
「え?」
「あたし、こんなに大変なのに……」
「あの、私ができることがあるんなら、何でも言ってください!」
その少女は笑顔でそう言った。
「あたしがいなきゃ死んでたくせに!! なんでそんなに楽しそうなの!?」
「……えっと」
「ありえない、ありえない!! こんな頑張った人が報われない世界なんて、ありえない!!」
「……」
「死ね。死ね死ね死ね。消えろ。死んでしまえ」
あたしは勢いに任せて、剣を抜いた。
感情に任せて右腕は加速する。
当然、剣も加速した。
ちょっと怖がらせるだけのつもりだった。
しかしあたしの感情はあたしの感覚を壊していた。
気付けば、剣が少女の首に触れようとするところまで接近していた。
ヤバい!
あたしはで剣を気合で停止させた。
ああ。
剣は少女の首に触れていた。
首からは真っ赤な血が流れ出る。それは止まらない。
少女の表情は恐怖に染まっている。
涙は流れていない。
こうやって自分の命が本当に危険な時に涙は流れないのものだ。
剣を振り、剣身についた血を振り落とす。
少女の首からは真っ赤な一筋の血が流れ続ける。
傷は浅い。致命傷には程遠い。
……あたしは悪くない。もともと殺す気なんてないし、ちゃんと止めたし。血が出たのは予想外だったけど。
「あんたなんて助けなければよかった」
少女は小さく「ああ」と震えるように呟いた。そして落ちるように地面に座った。
すすり泣く声が聞こえてきた。
あたしは夕方の街を歩くのだった。
※
夜、あたしは王宮へやってきた。
侍女に『フーガ・アシュガルド第一王子がお待ちになっております』と言われて、驚いた。癪に障るが、どうやらフーガの中ではあたしがやってくることはお見通しだったらしい。
そのままあたしはその侍女について行った。
夜だからなのか、室内なのに寒い。
窓から見える王都の景色はぼんやりと薄暗い。散りゆく桜のような儚さを感じた。
寒い。
歩くごとに、寒くなる。
風だ。
室内なのに風が吹いている。
しかも冷たい風だ。
「こちらになります」
かなり上に上がった。
ここがフーガの部屋だろうか?
扉は普通の、とはいっても王宮なので高級な物なんだけれども、という感じで、取り立てて変なところはない。
あたしは意を決して、扉をノックした。
「マーシャ・テルムントです」
「来たか、入れ」
中からの言葉に従いあたしは入った。
そこは薄暗い場所だった。
扉を閉めると薄暗さが際立ったが、別に見えないほどではない。ただ奥にいるのが第一王子なのかそうではないのか分からないくらいの明るさではあった。
ぶおっ
暴風が巻き起こる。
あたしは軽く暴風を受け流した。
「ふん、つまらん女だな。これからパンチラ以上のことをするのだから、守る必要もないというのに」
「でも……」
「ふん、まあいい。そういう女を落とすのも一興か。これから何度も夜を共にするんだ。最初からクライマックスではつまらんしな」
「……」
わざわざ言わなくてもいいのに……
そう思いながらも、耐性のない自分に嫌気が差す。顔が熱い。今から自分が何をするのか自覚させられる。幸い部屋は暗いからフーガにはバレていないだろうけど、今あたし絶対、耳まで赤いと思う。
自然と俯いてしまっていた。
そんなあたしを見透かすようにフーガは「ククク」と嗤い、
「今回は加護も使うつもりもないしな」
「……加護?」
あたしはなんとか聞く。
「ああ、少しばかり女に使うと、たかが外れていい感じになるんだ……まあ、またチャンスはあるさ。そんなもの欲しそうな目で見なくても、次使ってやるよ」
何を言ってんの?
《暴風の加護》を女に使う?
どういう意味なんだろう?
……熱に浮かされてまともに考えられない。
頭が熱い。
「まずはシャワーを浴びて来い。そしてそこに用意されている服を着るんだ」
言われた通りシャワー室に向かう。
服を脱ぎ、無駄に丁寧に服を畳んで、シャワーを浴びた。
ふぅ、これでちょっと冷静になれる。
でも冷静になっても変わんないよね……
これから私は一線を越えるのか。
そして第一王子の側室として生きていくことになるのか。
結局冷静になっても変わらない。
ここに来た時点で、もう未来は決定したんだ。
胸が熱い。
熱を冷ますために冷たいシャワーを浴びていたが、それでも熱い。胸の中に熱い塊が残っている。
こんなときでも銀のネックレスだけは外していない。
これを外すと加護からの熱も来て大変なことになってしまうから。
両手でぎゅっと祈るようにネックレスを握る。
きっと大丈夫。
あたしは未来を祈った。
そしてシャワーを出てタオルで体をふく。
更衣室にある姿見に自分の姿が移った。
注意が自分の体へ向く。
細い。
全体的に細い。
肌は白く、ちょっと白すぎって思うかもしれないレベル。胸は並みくらい? 自分で言うのもあれだけど形は良いと思う。お腹は……ぷにぷに。脂肪はある。でも細いしぱっと見はそんなに脂肪があるようには見えないから……でもお腹だって触られるだろうし、そうなったらお肉がバレてしまう。
……別に関係ないか。
あたしは第一王子が用意してくれたという服を着る。
って、なにこれ!?
でもこれを着るしかない……
パンツは青と白のしましまで、カワイイ感じ。でも子供っぽすぎ。普段白のパンツしか穿かないのでちょっと恥ずかしいよ。
ブラジャーはないし。
スカートはものすごく短くて、歩くだけでパンツが見えてしまうと思う。
上は意外とかっちりとした襟付きのワイシャツ。上だけがまともだ。
あたしは仕方なくこの服を着た。
恥ずかしい。
薄暗いのが唯一の救いだ。あたしは第一王子の前に戻る。
「ふむ、とても良いな」
やっぱり恥ずかしい。
薄暗いお陰であんまり見えていないと思うけど、でも足とかほとんど出てるし、シャツは薄くて胸が透けてるかもだし。
「あと最後にこれだな」
第一王子はそう言って銀色の首輪を持ってこちらにやって来る。
「え……」
「何、これは決意表明みたいなものさ。側室になるということは俺の奴隷になるようなものだからな」
「……うん」
奴隷……やっぱり、その首輪は隷属の首輪なんだ。
魔法的な処理を感じ取れるし。
「……あたしが側室になれば、お父さんは助かるんだよね?」
「そうだ。付けるぞ」
私は小さくうなずいた。