005話
服を着替えたツカサは、ベイルに連れられ村の入口にある厩舎の前にきていた。厩舎は古い作りながらも、しっかりとした柱にささえられ、5、6頭の馬が仕切られた房で藁草を食んでいる。
「一応聞くが、馬に乗ったことは?」
「ない!」
「だろうな」
無駄にきっぱりいい切るツカサに、ベイルは淡々と返す。
「よお、ベイル。もうでるのか?」
「ああ」
そう声をかけてきたのは、木の丸椅子に腰掛けた厩舎の管理人だった。つなぎを着た男は、椅子から立ち上がると、1頭の馬を厩舎から連れ出し角砂糖をやりつつ装備を整えていく。褐色がかった黒毛の馬はされるがままに、男に身を預けていた。やがて手綱を渡されたベイルは、その首筋を2度叩くと、顎をしゃくる。
「相乗りできると思うか?」
話を振られた管理人は、ツカサと、ベイルの愛馬を交互に見る。
「どうだろうか、重量的には問題ないと思うが……。カスパールの調子も悪くなさそうだし、大丈夫じゃないか?」
値踏みするような男二人の視線に晒されたツカサは、おずおずとカスパールと呼ばれたベイルの愛馬に近づくとその鼻面に手を差し出す。
「わっ」
べろんと舐め上げられた手のひらに、びっくりするように後ずさるツカサを二人は大丈夫そうだなと笑った。
抱えあげられるように鞍に乗せられたツカサは、おっかなびっくりバランスを取りつつ、辺りを見渡す。視界が高くなり、見晴らしは良好だ。
「絶景、絶景」
「落ちたら拾わんぞ」
リグリアにも移動システムとして、馬が用意されていたが、ディスプレイの中と外とでは大違いだ。やたらテンションを上げるツカサに、ベイルは手綱を引きながら忠告する。
村から南東へ伸びる街道をしばらく進んだところで、ツカサがたまらず声をあげる。景色は一辺倒で、今のところMOBも出現せず、飽きたのだ。
「ねぇ、ねぇ、ベイルさん」
「なんだ」
「『調教』使ってみていい?」
「その『調教』とやらが何なのかは分からないが、使うとどうなるんだ?」
「使ってみないと分からない」
「断る」
ちぇっと口を尖らせるツカサに、ベイルは半眼でその後頭部を見つめる。その後はさしてトラブルもなく、トスカ関所にたどり着く。
ゴウゴウと流れる川に渡された大きな橋。その手前に掘っ立て小屋のような建物が立っている。
その建物がトスカ関所だった。ビア村が所属するバレア自治領と、エルフェルトが所属するピノン自治領の中間地点に設けられた関所で、リグリアでは単なるフレーバー要素でしかなかったのだが……
暇を持て余し魚釣りに興じている兵士が1人。
兵士のカブトや鎧は小屋の入り口そばに放り投げられ、ブーツすらも脱ぎ捨てられている。シャツはだらしなくズボンからはみ出ており、そのズボンも裾がまくり上げられ、素足が眩しい。そんな出で立ちだが、業務を遂行する意思はあるようで、橋げたに釣り竿をたてかけると、手を上げ二人を止める。
「どこいくんだ?」
「エルフェルトまで」
ベイルの答えに、兵士は頷くと顎をしゃくる。
「証文はあるか?」
「これでいいか?」
胸元から取り出したネックレスを見て兵士はうなずくと、再び釣り竿を手にした。
通り過ぎしばらくしたのち。
「なんだろう、私が言うのもアレなんだけど、関所ってこんなもの?」
「この辺はな。東の方の、アルベルト辺りであればまた別なんだがな」
ベイルの言う、アルベルトというのは、正確に言えばアルベルト共和国領の事である。宗教戦争が長年続き、その国境は物々しい警備体制が敷かれている。だが、あっちのクエは難易度高い分美味しかったなぁとその雰囲気よりも、報酬についての記憶がツカサの大半を占めていた。
それからも平和な行軍は続き……とうとうツカサが切れた。
「暇! 暇過ぎる! MOBはどうした、この辺一帯生息域だったはずだろ、レベリングしたい、初心者から脱出したい! 行き倒れの馬車はまだか!」
「お前な……っ!? 口を閉じろ」
「えっ? んぎゃっ」
ベイルが勢い良く手綱を引くに合わせカスパールが急停止する。注意を凝らして見れば、目測で5メートル程先。街道の左右、膝丈程の草むらにまじり、灰色の『何か』が蠢いている。
ブルルと武者震いのように鼻を鳴らすカスパールをなだめるように、ベイルは手綱をゆるく二回引くと、鐙に足をかけ、地に降り立つ。
「ちょ、ちょっと」
支えがなくなり安定を欠いた体を揺らし、ツカサが焦った声を上げる。
「二人乗りだとどのみち追いつかれる。先手を打つほうが得策だ」
リグリアにもあった二人乗りシステム。ゲームでは二人乗りだからといって、馬の速度が落ちるなんて事はなかったのだが。これが現実かと、ツカサは目の前に迫る危機を尻目に、落胆とも喪失感ともとれない、失墜した気持ちを抱いた。
ベイルがカスパールに預けていた剣を抜くと同時に、草むらから灰色の塊が飛び出してくる。3匹。それは灰色の狼であった。
「はぐれ狼!」
即座に思い至ったMOB名に身を乗り出すツカサ。ベイルは振り向きもせず、剣を掲げるように構えると……
「マジックアロー」
「はぁ!?」
掲げた剣先から飛び出した三つの光球は狙い違わず、ベイルに向かい襲い掛かってきた狼の頭部にあたり、吹き飛ばす。同時にツカサから悲鳴に似た声が上がるのだが、それは無視される。
「チェーンライトニング」
続けて、剣を横に振りかぶると雷光が伝播するように、草むらに隠れていたモノ、背後から迫ろうとしたモノ、逃げようと飛び退ったモノを次々と襲う。電撃から逃れた僅かな狼は我先にと逃げていった。
「こんなものか……」
油断なく、辺りを見渡し剣を納めると、そこでようやくベイルは気を緩め表情を和らげた。
「いやいやいや?」
一人、そんなベイルに向かってツカサは頭を振り、鐙に足をかけ降りようとするも……
「あっ……」
「おいっッ!」
バランスを崩し、後頭部から地面へ落下寸前、駆けつけたベイルによって救われる。
「お前なぁ……」
先程の戦闘よりも、心臓に悪いと、ベイルは叱りつけるか、呆れるか迷った末、ため息をつくに留める。
「ごめんごめん、それよりもっ……と」
ベイルに身を預ける格好から、体を起こし、ツカサはカスパールに括り付けられた剣をまじまじと見つめる。
「ねぇ……抜いてもいい?」
「い……いや、ダメだ」
うっかり頷きそうになったベイルは、先程の騒動を思い出し、慌てて否定する。自分の首を撥ねかねないと嫌な想像に至ったのだ。
「えぇ~……じゃあ触るだけ」
「……触るだけならな。絶対抜くんじゃないぞ」
それすらも嫌だったのだが、喜々として目を輝かせるツカサを説得する手間と時間、街までの旅程。天秤にかけ、ベイルはしぶしぶ頷いた。
ワクワクとした表情でツカサは、剣の柄にツツと指を滑らせる。紺色に染められた皮。その先は、ざらついた鈍く光る鋼の柄。唐草模様が縁取っている。中央には、紫色の丸い宝石が嵌められていた。
「バスターソードに似てるけど、微妙に違うなぁ。これ、水晶? 綺麗~。この大きさで紫色ってことは必中?」
「いや、詠唱短縮だ」
ベイルの答えに、詠唱短縮と、ツカサは口の中で確認するようにつぶやく。水晶は武器や、防具に嵌め、その性能を微調整するのに使われる。個々の戦闘スタイルに合わせその組み合わせは多岐に渡る。剣士なら、命中や、筋力強化を嵌める物が多かったが。
剣から手を離し、ツカサはベイルへ向く。
「ベイルってさぁ剣士だと思ってたけど、魔術師なの?」
「まぁな」
「じゃあなんで、剣士の格好なんてしてるの?」
魔術師であれば、金属系防具及び、武器は装備できない。それがルールであったのだが……。
ベイルの回答に、ツカサは納得できず、眉を寄せた。
「その方が相手を欺ける。特に人間相手だとな。魔術師なら近接に持ち込めば平気と思ってる連中が、剣士の格好をしていれば逆に遠距離戦に持ち込めば平気だと考える」
「ずるい」
「ずるい方が生存率はあがる」
ずるいずるいと騒ぐツカサを無理やり抱き上げ、ベイルはカスパールに再びまたがる。旅程は四分の一を過ぎたところだ。想像以上の厄介者を拾ってしまったと、ベイルは胸の内でひとりごちるが、そんな事はつゆ知らず、ツカサはやがて見てえてきたルルイ駐屯所に再び目を輝かせるのだった。