004話
「寝すぎだ、起きろ」
「わっ」
降って湧いた声に、ツカサは跳ね起きる。
そこには既に身支度を整えたベイルが立っていた。先程まで見ていた夢の続きかと、ツカサは一瞬錯覚しそうになったが、脳内で時系列を辿るうちに、思考がはっきりとしだす。
「ベイルさんはもう出かける感じですかね……?」
現在の時刻は分からないが、このまま外に追い出されては、昨日と何も変わらないまま今日を過ごすことになる。寝坊したのは失敗だったと、ツカサは慌てる。
「本来ならな……。裏手に井戸がある、厠もそこだ。顔ぐらい洗ってこい」
投げ渡された手ぬぐいを受け取り、ツカサは素直に指示に従う。ドアを閉める前に、室内を振り返ると、早く行って来いとばかりに、ベイルに睨まれ、慌ててドアを閉めた。
顔を洗い、手ぐしで髪を整えたツカサは改めて己の格好を見下ろし、うへぇと溜息をつく。相変わらずの酷い格好だった。とれるだけの身支度を整えたところで、ツカサは再びギルドハウスに戻る。ベイルはベッドの脇に立ち、荷物を整理していた。ベッドの上になにやら紙包みが見える。
ツカサは、手ぬぐいをベイルへ返すべく、差し出す。
「ありがとうございました」
「これからどうするんだ?」
ベイルの問いにツカサは言葉を詰まらせる。ベイル仏頂面に「いや、実はなにも考えてなくって」と答えれば、罵声を浴びせられそうな気がしたのだ。
いつまでも答えが返ってこないツカサに、ベイルは溜息を一つつくと、ベッドの上におかれた紙包みから、バゲットにレタスとハムを挟んだサンドイッチを取り出す。ツカサが寝ている間に調達してきたものだった。
「ともかく食え」
「ありがとうございます」
ベイルの態度に違和感を覚えつつも、朝食を受け取ったツカサは、サンドイッチにかぶりつく。この世界に来てからの方が人間らしい生活を送っているというのはなんとも皮肉なものだった。
「食いながらでいいんだが」とベイルは前置きをする。
「エルフェルトという街を知っているか?」
エルフェルトというのは、ビア村から南東に行ったところにある港町だ。リグリアの大陸地図を思い浮かべ、こくりと頷いたツカサにベイルは続ける。
「俺はこれからそこに向かう予定だ。ポーションの売買を諦めていないのなら、同行するか?」
ツカサは思わず、もう一口目を齧ろうとした口を止める。考えなかった訳ではない。ビア村は小さな村だ。昨日の対応を考えると、やや閉塞的な傾向もある。だが、エルフェルトは港町であり、異形種――獣人、妖精族、様々な人種が入り混じった街だ。そこであれば多少……かなり怪しい人間であろうと受け入れてくれる可能性はある。今後、この世界になぜきてしまったのか調査するにしろ、戻るすべを模索するにしろ、なにはともあれ現金が必要であり、経済活動が活発なエルフェルトであれば、とれる手段も大きくなるだろう。
問題があるとすれば一点。ビア村からエルフェルトの間には、さすらい狼とゴブリンが巣を作っている。ゲームであればそこで初めての戦闘経験を積むのだが――ツカサはちらりとベイルの帯刀した剣に視線を移す。場馴れした、戦闘経験が豊富そうな同行者というものは、まさに渡りに船。この上なくありがたい申し出だが……
「信用できないか?」
ツカサの沈黙を別の意味で受け取ったベイルに、ツカサは首を振る。
「というよりも……なんでそこまでしてくれるのかなぁと気になりまして」
「……死んだ妹に似てたからな」
真顔でぼそりと呟かれた言葉の意味を一拍遅れてツカサは理解する。反射的に謝罪の言葉を口にするよりも早く、
「冗談だ」
横を向いてくつくつと笑いだしたベイルに、ツカサは憤慨す。
「言っていい冗談と悪い冗談があると思う!」
「俺の妹はもっと美人だ」
今度は騙されるものかと、じっと見つめるツカサに、間を置いてベイルは再び「冗談だ」と口にした。
むすっとしたツカサに頓着せず、ベイルは顎に手を宛て考え込み、ツカサの頭から足先まで無遠慮に視線を走らせる。
「なに?」
先のやり取りもあって、不機嫌な態度を自覚しながらツカサは疑問を口にする。
「いやな、その格好どうにかならんかと思ってな……」
「なんとかできたらとっくにしてますぅ~。鉄と、亜麻布が足りないんですぅ~」
ベイルの言葉に、唇を尖らせる仕草でツカサは不満を顕にする。生活コンテンツには、錬金の他に、料理、採集、調教――そして加工が存在する。錬金が出来たのならばと、最も低コストで作成できる外見装備『農民の服』を精製しようと思ったのだが……いかんせん材料が足りなかった。ヒワリの花と、鉄、亜麻布が材料だ。ヒワリの花はビア村の外れに花畑があったのでそこで少々拝借したのだが、鉄の原料である鉄鉱石の一番近い入手先がゴブリン廃坑、亜麻布は亜麻から生産するか、購入するしかない。お手上げだったのだ。
「鉄と、亜麻布? どうすんだそんなもん」
「どうするって……服を作るんですよ。ははーん、さてはベイルさんってば、戦闘にかまけて生活系コンテンツに手を付けてない口ですか。ダメですよ、コンテンツは満遍なく――」
「何を言ってるかわからんが、鉄と亜麻布ならあるが」
「うっそまじで! ベイルさん流石! すごーい、冒険者の鏡! よっ踏破王!」
「……3千シルバーだ」
小馬鹿にした態度から一転、手の平を返したツカサに、冷たい視線と非常な言葉が降り注ぐ。そんな金あったら野宿なんて考えないと落ち込むツカサを哀れに思ったのか、ベイルは背嚢を漁り、布と、ソフトボール大の鉄の塊を差し出す。
「お金払えませんよ?」
「ツケにしておいてやる」
仕方ないという態度だったが、ツカサには親切が過ぎるように思えた。受け取った亜麻布と、鉄を抱え、ベイルを見上げる。
「ベイルさん……ベイルさんって、もしかして私の体が目当てだったり……」
「返せ」
「冗談ですって!!」
にべもない言葉と同時に伸のばされた腕をツカサは慌てて避け、自身の荷物からヒワリの花を取り出す。しかめっ面のベイルに、気が変わられてはたまらないと、材料並べ、手早く加工を施す。すると、亜麻布は端からスルスルと解け、どろりと形を崩した鉄と混じり合い形を変える。最後にヒワリの花が宙に舞い、材料が消えた後には、紺色の巻きスカートと、花柄の刺繍が襟元を飾るチュニック、革のロングブーツが姿を表した。
「リアルになるとこんな感じになるのなー。これで私も初心者の仲間入りーって、どうかしました?」
はしゃぐツカサとは対照的に、その光景を信じられないというようにベイルは見つめていた。異様な雰囲気に気付いたツカサは動きを止める。
「古代遺跡……? お前、古代遺跡を持ってるのか!」
「えっ、いや、持ってない、持ってないって!」
「なら! 今のをどう説明する!」
前のめりに詰め寄るベイルに、ツカサは後ずさり、全身を使って否定する。だが、納得のいく答えを出すまで許さないという態度に、あれは! と口を開く。
「加工スキル! 誰でも持ってるでしょ! 加工スキル! 料理、採集、調教、錬金合わせて五大生活スキル! 基本じゃん!!」
「基本!? 何の基本だ!」
噛み合わない会話に、ツカサはもしかしてと、口にする。
「無いの……? スキル」
「技能……? いや、お前の言ってるのはそういう意味じゃないんだな?」
「ないんだ……。うわぁ、人生計画狂う……。今欲しいのはチートじゃなくてシルバーなんだって」
ブツブツとつぶやくツカサに、ベイルは理解できないとばかりに頭を振る。
「アンタと話してるとどうも頭がおかしくなりそうだ。ともかくそれが古代遺跡に関係ないというのならそれでいい。情報を秘匿したいと言うのならそれも結構だ。深入りはしない」
聞き分けが良いというのか、諦めが早いというのか判断は難しいが、ベイルは早々にツカサに『可哀想な子』のレッテルを貼り付け、外で待ってるから早く着替えろと、準備を急かす。
ベイルがドアの向こうに消えたのを見送ったツカサはゲームとは勝手の違う現実に、そっと溜息をついた。