002話
ビア村に到着したのは夕暮れ時だった。不揃いな石を積み上げた塀と、レンガ造りの家々、むき出しの土が踏み固められた道。夕餉支度の煙を吐き出す煙突達。斜光が差す村は牧歌的で、ノスタルジックな気持ちをツカサに思い起こさせた。時折、道行く村人のぎょっとしたような視線が向くが、ツカサは気にしてもとれる手段が存在しないと割り切る。
村に入るまでは不安だったが、ゲームを忠実に再現したかのような景観にツカサは安堵する。記憶通りであれば、村の入り口から道なりに真っ直ぐ。民家が密集したあたりで左手に折れ、やや薄暗い、建物と建物の間の小道。普段なら、山と積まれたタマネギのそばで、奥さん連中が井戸端会議しているであろうその道も、今の時間帯は人一人おらず、すれ違う人間も皆無だった。
小道に折れて三軒目の家。唐草で囲まれた袋の看板を出すその店が目当ての雑貨屋である。ゲーム内であれば、敵のドロップ品から、武器防具道具までなんでも買い取ってくれるのだが……
カランコロンとドアベルを鳴らし、店に一歩踏み入る。入り口から少し奥まったところにあるカウンターの向こう側に、店主らしき中年の女性。そして、今まで商談をしていたのだろうか? 冒険者風の男が一人。
男は二十代後半。短い黒髪に渋めの表情。格好は、金属のプレートメイルに、籠手とブーツ。腰には長剣がささっており、職は剣士、レベル帯は……と、無意識の内にそう分析している自分にツカサは苦笑した。
そんなツカサに驚いたような二人の視線が突き刺さる。
視線の意味を考えないようにしながら、できるだけ険のない声で要件を伝える。
「すみませーん、道具の買い取りってしてます?」
「あ、ああ、してるよ」
その声で我に返ったのか、はっとしたように女店主が返事を返し、男性が一歩横にずれ、カウンター前を譲る。この格好で印象に残らない方が無理だとは思うけれど、できるだけ穏便に済ませたいツカサは、丁寧に持っていた袋をカウンターにのせる。袋といっても、スカートの裾を破いてただ縛っだけの、風呂敷の出来損ないのような袋だ。おかげで、スカート丈は上がり、汚れた兎のスリッパと相まって、悲惨というしかない格好になってしまっている。
「じゃあこれを……」
と、ツカサがその袋もどきの口を解いたのを見た瞬間、女店主がぎょっと目を向く。そして困惑と警戒をふくんだ表情で躊躇いがちに口を開いた。
「その格好を見たらなんとなく、訳ありで困っているんだろうと察しはつくけどね……。厄介事はごめんなんだよ。すまないが、それは買い取れないね」
まさかの買い取り拒否にツカサは困惑する。当たり前だがこんな対応をされるなんて予想していなかった。
「え!? なんで!?」
やや食ってかかるような口調のツカサに、女店主は、呆れたような溜息を一つつく。
「なんでってそりゃあ……物が物だろう? アンタのその格好を見たらまともな手段で手に入れたなんて考えらんないのさ。それにアンタ、村のもんでもないだろう? 外から来た人間が、こんな村で急にそんなもんを買い取って欲しいなんて、厄介事以外のなんだっていうんだい?」
「買い取り拒否とか、リアル系MMOここに極まれり……。ってそういう話じゃない、えっと、大丈夫です。全然、怪しくないです。おっけーぴーけー」
ここでこれを買ってくれなければ、野宿確定である。しつこく、食い下がるツカサに、女店主はもうそのやり取りだけで迷惑なんだと、嫌悪感を露わにする。
「なに呪文みたいにぶつくさいってんのさ。ますます怪しいね。やめておくれ、そんな顔しても無駄だよ。哀れみをさそおうってのかい? 騙されないよ。その格好もなんだい。若い子がする格好じゃない。浮浪者みたいじゃないか」
「マダム」
「だいたいね……」
「マダム!」
今まで黙っていた男が二度、強く呼びかけたところで、ようやくマシンガンのように矢継ぎ早やに飛び出す言葉が止まった。女店主は、気まずげに口をつぐむと、ともかくと口にする。
「これはここでは買い取れないよ、今日は店じまいだ帰っておくれ。ベイルの旦那も勘違いしないでおくれよ、女手一本でこの店守るってのはね、なかなかに大変なもんなんだよ。足元掬われてこの店畳む事になっちまったら死んだ旦那に顔向けできやしない。さぁアンタもぼうっとしてないで帰った帰った」
女店主はポーションを乱暴にまとめ上げツカサに押し付けると、二人をドアの外へと追い立てる。バタンと閉まったドアを再び開けて、ポーションを買い取ってくれとすがりつく勇気はツカサにはなかった。
途方にくれたツカサは、隣に立つベイルと呼ばれていた男を見上げ、おずおずと口を開く。
「あのー、この村で、ここ以外にポーション買い取ってくれるところ知りません?」
「生憎とな……」
あの対応を見るに、望みは薄かったのだが、それでも気落ちする事は免れない。
「そうですか……ありがとうございます。それじゃあもう一個だけ、安全に野宿できる場所ってあります?」
「ヘッドマンとこの納屋でも借りりゃあって、アンタ野宿するつもりか?」
馬鹿か? というような目でベイルがツカサを見下ろす。だが、消えそうな声で「はい」と答えたツカサに、ガシガシと頭を掻くと、それはもう深い溜息をついて一言、
「ついてこい」
といって、ツカサの腕を取った。
「へっ、ちょっとどこへ」
「こんな田舎で、女が夜外にいりゃあ。襲って欲しいって言ってるようなもんなんだよ。商売女って訳でもないんだろ?」
あまりに明け透けな物言いに、ツカサは、ブンブンと首を横に振る。
「じゃあ、ついてこい」
これ以上の墓穴を掘りたくなかったツカサは黙って手の轢かれるままにベイルについていく。後日、それを不用心だと叱られる事になるのだが、余りにも理不尽だと思うツカサだった。ついた先は、村の北に位置するひときわ大きな建物。
「ギルドハウス?」
「なんだ、知ってんのか? これでも冒険者ギルドに加盟している身でな」
ごくごく当たり前の様に語られる内容だったが、ツカサの認識とどうも齟齬があるようで、疑問符がツカサの頭に浮かぶ。元来、リグリアのギルドというのは、プレイヤーが設立するパーティーの集合体みたいな存在である。加盟者には、ギルドスキルによる恩恵が与えられる。HP上昇効果であったり、攻撃力増加であったり様々だ。ギブがあればもちろんテイクも存在する。例えばギルドクエストをクリアする事で発生するポイントがギルドスキル習得に使用されたり、ギルド戦を通したギルド資金の獲得など、活動は多岐に渡る。それがリグリアでのギルドである。そしてギルドハウスというものは、一定規模のギルドが運営にギルド資金を提供して所持する事ができる、大型ハウジングシステムの事である。運営なんてものが存在してるのなら、GMを出せと思うツカサなのだが……
これ以上不信を買って見放されては困ると、口をつぐむことにした。
木目が浮いた重厚な扉の前に立つと、ベイルは懐から鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。ガチャンと錠前が開き、扉が開く。日が沈みきり、真っ暗な室内。ベイルが入り口にあったランプに火を灯すと、その全景が顕になる。
「殺風景……ってか狭ッ」
高さは2メートル、横は5メートル程。灰色のタイルが敷き詰められ、白い漆喰の壁が妙な圧迫感を与えてくる。明らかに外観と矛盾する間取りに、遠慮も忘れ、ツカサはペタペタと壁を触る。
家具と言えば、粗末なベッドが3つ、等間隔でならんでいるだけだった。
ベイルは慣れたように、持っていた荷物を奥のベッドの横に下ろすと、装備を解いていく。
「野宿よりはましだ……」
――グー
盛大に鳴った腹の音に、ブーツの紐に手をかけたところでベイルは動きを止める。音はベイルのものではない。だとすれば、持ち主はただ一人。壁を向いたツカサは居た堪れなさで振り向けなかった。ツカサとしての言い分もある。最後の食事はカロ◯ーメイトだったなとか、ぶっちゃけゲームのし過ぎで、まともに食事を最後に取ったのがいつだったか思い出せないなど。人間としていかがなものか? という言い訳であるが。
ガサゴソと背嚢を漁ったベイルは、りんごを二つ取り出すと、一つをツカサに差し出す。
「食うか?」
「いえいえ、そこまでして頂くわけには……」
「そうか、なら寝ろ」
乙女なんてものはとうに捨てたツカサだったが、流石にそこは遠慮する。ならと、そっけない態度で、空いたベッドを指し示すと、ベイル自身はシャクリと瑞々しい果実に歯を立てる。
それを見て、再び、くぅとツカサの腹が鳴る。
「食いたいなら食え、食いたくないなら食うな。遠慮は面倒くさい」
たんたんとした言葉に、これ以上見栄を張ってもしかたないと、ツカサはベッドに寝転がるベイルに近寄り手を伸ばしてりんごを受け取る。
「ありがとうございます。ベイルさん……でいいんですか?」
正しく名前も紹介されていないと、ツカサは問う。
「ベイル・レコーダ。好きに呼んだらいい。アンタは」
「ツカサ」
ゲームのキャラクター名を言うのも憚れ、迷ったのち、ツカサはそう伝えた。ベイルは「そうか」というだけで、もう一度シャクリとりんごを噛る。シャクリ、シャクリと互いに、りんごを噛り合う音が室内に響き合う。なんの苦行だと、ツカサは思うが、背に腹は変えられない。先に食べ終わったベイルが、芯を片手に立ち上がる。ツカサが道を譲ると、部屋の隅の床にそれを放り投げ、再びベッドに戻り寝転がった。
さすがのツカサもあまりのマナーの悪さに眉を顰める。その表情を見て取ったのか、
「どうせ明日になったら消える」
「なんで?」
首を傾けるツカサに、「知らないのか」とベイルは続ける。
「この部屋の物は、使用終了後、中身が巻き戻る。偉大な古代遺物なんだと」
「古代遺物?」
そんな設定あったか? とツカサは首をひねるが、それ以上説明する気はないと、ベイルは寝転がり目を閉じる。ツカサも昼間の疲れもあり、そのまま空いたベッド――入り口に一番近いものに寝転がり意識を落とした。