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献血とエイズ疑惑

 「あら、あなた。今日はやけに食欲があるじゃない」

 夕食を取っている最中に、妻からそう言われた。

 「ああ、今日は献血に行ってきたからね。多分、その所為だよ」

 私がそう言うのを聞くと妻は「また行ってきたの?」とそう言った。「“また”とは何だよ」と私が言うと、「だって、ちょっと前にも行ったじゃないの」とそう返してくる。

 「“ちょっと前”たって半年くらい前だぞ? 献血って、しばらく間を空けないとやっちゃいけないんだ」

 正確な機関は覚えていない。あるいは半年は言い過ぎかもしれないが、少なくとも“ちょっと前”ではない。

 ところがそんな私の言葉に妻は「ふーん、そう」と関心なさそうな態度を見せた。私はそれで少しばかり悔しくなり、まるで説教をするような口調でこう言った。

 「最近は高齢化の影響で、献血も危機的状況なんだよ。しかも若年層の献血離れも深刻なんだそうだ。少しでも協力してやりたいと思うのは自然な感情じゃないか」

 すると妻は「そうかもね。あなたのそういうところは偉いって思うわよ」などと言って来た。妙に素直だが、私の機嫌が悪くなったら面倒だとでも思ったのかもしれない。あまり嬉しくはなかった。

 一応断っておくと、献血が危機的状況なのは本当の話だ。それが医療財政を圧迫するような事になれば、それは自分達の負担となって返ってくる訳で、そういう意味でもこれは決して他人事ではない。

 「中国では、献血の提供者を募るのにとても苦労しているというが、日本も中国を馬鹿にできなくなってきたな。困っている人がいるというのに、それを助けようとする人間が少な過ぎる」

 私はその後でまるで負け惜しみのようにそう言った。妻は何も返さなかった。しかしその時、いつもは親の事など無関心で、私達がどんな会話をしていようが何も反応をしない息子がこんな事を言ったのだ。

 「オレの友達とか、献血やったって言ってたけどな」

 息子が発言したことを少々嬉しく感じた私は「それは感心だな」とそう返したのだが、息子はそれから、ふいと横を向いてしまう。

 何か悪い事を言っただろうか?

 私にはとてもそうは思えなかった。その理不尽な反応に私は気分を悪くした。

 息子はもう高校生になる。中学生の頃はまだ私に懐いて来たが、中学を卒業すると瞬く間に距離を置くようになった。最近では会話も滅多にしない。

 なんとなく気まずくなった私は、夕食を取り終えると早々に自室に引き込んだ。少しばかりパソコンで調べてみたい事があったので、パソコンの電源を入れる。

 ここ数年、私は定期的に献血に行くようにしているのだが、行く度に少しずつやり方が変わっているのだ。以前は終わった後に血圧を測るなんてしていなかったのに、最近では測るようになった。その他にも献血途中に貧血予防の為の軽い足の運動を促したり、終わった後に軽い質問をされるようにもなった。

 恐らく、何かしら献血を巡るトラブルでも起こったのだろう。

 そしてそんな変化したうちの一つに“エイズ検査結果に関する警告”もあった。以前はもし仮にエイズ・ウィルスの感染が見つかったなら、報せてくれる事になっていたのだが、最近ではどうも報せてはくれないらしい。エイズ検査目的で献血を行う者を防止する目的があるのではないかと思う。そのエイズ検査結果に関する警告を見た時に、私はふと疑問に思ったのだ。

 ここ最近は、あまりエイズに関するニュースを聞かなくなった。だから私はてっきり下火になったのだと思っていたのだが、このような対処が必要な事を考慮するのなら、そうでもないのかもしれない。それで私はネットでそれについて調べてみようと思ったのだ。

 エイズに関して検索を行ってみると直ぐに結果が返って来た。すると、驚いた事に世界ではエイズ感染は減って来ているが、この日本ではむしろ増えているらしい。しかも、若年層の性感染症の知識不足が原因である可能性が高いのだとか。これは大問題のはずだ。何故、大きく取り上げられないのだろう? もう少し調べてみて、その訳が分かった。

 エイズはかつてはほぼ確実に死に至る病だった。ところが、ここ最近の医療の進歩で早期に発見さえできれば、死に至る可能性は大幅に減っているらしい。完治こそしないが、症状を抑える事が可能で、普通に生活する分には大きな問題はないのだとか。

 「なるほど。病気に対する脅威があまりなくなったことで、却って警戒心がなくなり病気に罹る人が増えてしまったのだな」

 私はそう独り言を言った。

 死に至る病ではなくなったとはいえ、それでもエイズは怖い病気だ。子供を作り難くなるのは確実だし、何か革新的な治療方法でも発見されない限り、一生エイズと付き合わなければいけない。

 しばらく検索をして調べるうち、私は献血時に行われるエイズ検査に対してのこんな書き込みを見つけた。

 『検査結果は報告してくれない事になっているが、他人に伝染す危険もあるから、実際はエイズだと分かったら通知してくれるらしいぞ』

 信頼のおけない電子掲示板の書き込みで、ソースも証拠も何も提示されていなかったから真偽のほどは分からないが、なんとなくありそうな話だと私は思った。

 “もし本当に通知してくれるのなら、やはりエイズ検査目的で献血を行う者もいるかもしれないな”

 そして、そこでふと先の息子の言葉を思い出したのだ。

 「オレの友達とか、献血やったって言ってたけどな」

 息子の交友関係はあまり知らない。だが、性経験が豊富で、かつ性病に対して警戒心の薄い友人がいないとは言い切れないのではないか? あるいは、その息子の友達はエイズ検査の為に献血をしたのかもしれない。

 私はそのような疑念を抱いた。

 

 献血を行うとしばらく経った後で、血液検査の結果を通知してくれる。だから、健康診断の代わりにもなるのだが、ある休日、その通知が届いているのを私は見つけた。

 “随分と早いな。いつもはもう少しかかっていたように思うのだが”

 自分のものだと思って、宛名を見てみて驚く。そこには私ではなく、息子の名前が書かれてあったからだ。

 “息子が献血をやったのか?!”

 私はその事実に驚いてしまった。少しばかりそれに喜んだのだが、それから直ぐに不安になった。エイズ検査の為に献血を行う者がいる。その話を思い出したからだ。

 息子は友人が献血をやったと言っていた。しかし、それが本当は息子本人の事だったとしたら? 仮にそうなら、献血をやっていた事を隠した理由は何なのだろう?

 最近の子供は性に対して早熟だとも聞く。息子が既にセックスをしているのかと思うと、正直、複雑な気持ちになる……、いや、そんな場合ではない。もし息子にエイズに罹っている心当たりがあるとするのなら、事はもっと深刻で、大問題のはずだ。

 私は血液検査の通知結果を掴むと、息子の部屋を目指した。今日はまだ起きて来ていない。もしかしたら、具合が悪いのかもしれない……

 私は緊張しながら息子の部屋のドアをノックした。

 「私だ。入るぞ」

 返事を待たずに私はドアを開けた。鍵は閉まっていなかった。息子はベッドで横になり、漫画を読んでいた。

 私の姿を認めると「なに?」と、怪訝そうな表情で息子は言った。私が息子の部屋を訪ねることなど滅多にないからだろう。

 「これが来ていたんだが……」

 そう言いながら、私は息子に献血の血液検査結果を見せた。息子はそれを見て目を丸くした。私は続けて尋ねる。

 「どうして、献血をしたんだ?」

 私はそうできる限り柔らかい口調で言った。もし、エイズに罹っているとすれば、最も不安なのは本人のはずだ。気遣ってやらなければならないだろう。

 「それは……」

 息子は非常に言い難そうにしていた。それを見て私は“……まさか、本当にエイズなのか?”とそう思う。手に汗がじんわりと滲む。

 息子は何も言わなかった。

 何故、何も言わない?

 私はゆっくりと声を絞り出すように言った。

 「どうして、献血に行ったんだ? 怒らないから、父さんに正直に言ってみてくれ」

 私は思う。

 エイズ… エイズなのか?

 息子はそこで私の様子が普通ではない事に気が付いたらしかった。あるいは、エイズに罹っている事がばれたと察したのかもしれない。

 「いや。ちょっと…」

 口は開いたものの、言いよどむ。

 私は尋ねる。

 「何か、言えない理由があるのか?」

 すると、息子は観念したような表情を見せた。そして口を開く。

 「父さんが、献血に行ってるのを少し見習ってみようと思って…… 若い世代が、献血離れしているっていうし」

 顔を赤くしている。

 へ?

 と、私は思った。

 照れている。

 ああ、だからこんなに言い難そうにしていて、献血に行った事も言わなかったのか。

 ……息子との距離が離れていると思っていても、実は、案外、そうでもないのかもしれない。

献血、どんどん減っているみたいですよ。

このままじゃ、本当に危ないかも。


あ、因みに作中の


『検査結果は報告してくれない事になっているが、他人に伝染す危険もあるから、実際はエイズだと分かったら通知してくれるらしいぞ』


ってのは、ストーリー上の都合で書いたデタラメです。

こんな噂は多分ないと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 献血制度が危機に陥っていることを訴えつつも、親子のほっこりした愛情を描いていて良かったです。 [気になる点] 特にありません。 [一言] HIV検査のために献血を行う人がいるのは紛れもない…
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