その3
学校の先生がいつか言っていました。
子どもの生きる時間というものは、大人の生きる時間に比べてかなり長いものだそうです。同じ一日でも大人はあっという間に過ぎると口々に言います。子どもからしてみれば、楽しい時間はあっという間に過ぎるものですから何が違うのだかわたしには分かりません。けれど、お祖父さんも自分が子どもの頃に比べて一日一日がとても速いと言っていましたので、嘘をついているわけでもなく、本当にそう感じるのでしょう。
わたしは不安でした。
だって、精霊の少女と楽しい時間を過ごすようになってから、一日がより濃くて長いけれど、過ぎ去ってみればあっという間なものになってしまっていたからです。
気づけばお祖父さんの家にいられる日も数えるほどしか残されていません。あんなにまだ先だと思っていたのに、いつの間にやら町へと戻らなくてはならない日が近づいてきていました。
今日も会ってお話をし、明日も会ってお話をする。
いつの間にか、わたしの日常はこれが当然のものになっていましたので、ふと、少女としばしのお別れをしなくてはならないのだと思うと、とても寂しい気持ちになりました。
それに焦りもありました。少女に相応しい名前がまだ思いつかないのです。これについて、少女がせがんでくるようなことはありませんでした。
彼女が口にするのは、神秘的な月の森での日常と、これまでに体験した精霊の子どもの世界についてです。精霊の世界について何も知らないわたしに教える彼女は得意げでしたし、わたしもまた知らないことがいっぱい知れて楽しかったので、よく彼女の話に耳を傾けていました。その代り、少女はわたしの日常についても興味を抱いていました。町という場所の詳細、学校とは何なのか、人間の子どもたちがどのように暮らしているのかを色々訊ねてきて、その度にわたしは知っている範囲で答えていました。中には、日頃、当たり前だとしか思っていなかったことについても訊ねられ、改めて面白さを知ることもできましたので、それもそれで楽しい時間でした。
そして、わたしは反省したのです。わたしは思っているほど、自分の世界について知らないのだと。自分たちのことについて、よどみなく話すことの出来る彼女はかっこよくて、そして不思議でした。
エフェメラ。
お祖父さんがそう言っていたように、そして、少女自身が名前など必要ないと言っていたように、彼女は本当に精霊という大きな存在の一部なのかもしれません。だからこそ、自分たちについて自分自身の身体を紹介するかのように話せるのかもしれないと。
しかし、だとすれば、お祖父さんの言っていたように長く生きられないのかもしれません。
学校の先生が言っていました。わたし達の身体は日々、組織が生まれ変わるのだと。皮膚も髪もずっとわたしと一緒にいるわけではなく、生え変わって新しいものになるのだと。
お祖父さんがエフェメラといっていたのは、そういうものに似ているのかもしれないとわたしは思っていました。だからこそ、怖かったのです。この少女も、月の森にとって、髪の毛や皮膚のような存在だとしたらどうしようと。
――彼女をエフェメラでなくするには、愛が必要……。
夜、町で見るよりも数倍は美しい満月の明かりを窓より眺めながら、わたしは考え続けました。
今日をいれないであと七日。子どものわたしにとっても、決して長いものだとは思いません。後回しにしていれば、手遅れになってしまうでしょう。だからこそ、どうにかして思いつかなければ。
けれど、焦れば焦るほど、いい名前は思いつきませんでした。
翌日の昼、少女とわたしは昨日までと同じように談笑していました。
精霊の世界について、もう一冊の本が書きあがるほどお話した彼女ですが、まだまだ語っていないお話はいっぱいあるようで、わたしは飽きずに話を聞くことが出来ました。
一方、わたしの方はというと、語ることの出来るお話が思いつきません。お祖父さんの家のこと、町の家族のこと、友人のこと、学校のこと、学校で習っていること、思いつく限りのことを話しました。ですが、足りません。少女の方はまだまだ語ってくれるのですから、わたしも何かを伝えたい。そこで思いついたのが、学校の図書館で読んだ不思議なお話についてのお話でした。
「『少年と虹色のニワトリ?』それって、誰かの体験なの?」
「ううん。創作なの」
「創作?」
「誰かの思い付きで生まれる事実ではないお話なの」
「つまり嘘ってこと? そんなお話聞いて面白いの?」
「面白いかどうかは……その人次第かな」
「ふうん、じゃあ、何か話してみてよ」
『少年と虹色のニワトリ』とは、名前のないとある少年が名前も知らない大人のちょっとしたお手伝いのご褒美に不思議な色の雌鶏を貰ったところ、虹色の卵を生み出して多くの人から買い求められ、どんどん偉くなっていくというお話です。
主人公は純朴で嘘なんかつかない優しい少年で、その優しさもあって見知らぬ人は雌鶏を託したのですが、お金がたくさん舞い込むようになっていくにつれ、どんどん優しさを忘れていってしまうのです。
「変なの。お金って確か食べられるものじゃないのでしょう?」
話の途中で少女が訊いてきたので、わたしは肯きました。
「うん。お金を食べる人間は多分いないかも」
「それじゃあ、ますます変だ。食べられないようなもので心を乱すなんて」
「うん……でも、人間の世界だと、お金は大事なんだって。大人たちが口々に言うの。美味しいご飯を食べられるのもお金があるおかげなんだよって」
「へえ……なんだか人間の世界も大変なのね」
やれやれと言った具合に少女は言いました。
自分は精霊でよかったと思っているようです。わたしとまるで逆です。
精霊の世界はとても華やかで美しいものですが、わたしから見れば危険が多すぎます。こうして遊べるのだって少女が長く生き延びてこられた知恵と賢さがあるからなのだと自分で言っていました。でも、精霊の世界の話に耳を傾けてみれば、それが決して単なる自惚れではないのだと分かります。いつ自分が殺されるか分からない世界。それが、月の森という場所で生きる精霊たちの日常なのです。それに比べれば、わたしの日常なんて平和なものです。次の瞬間には殺されているかもだなんて考えたこともないのですから。
「……で? それからどうなったの?」
少女の問いかけられ、わたしははっと我に返り、あわてて続きを話しました。
※
月日は流れ、名も無き少年も年を取り、壮年の男となっていました。虹色の卵を売って手に入れたお金は莫大なものとなり、住んでいる家も、着ている服も、周囲にいる友人たちさえも、何もかもかつての純朴な少年だったころのものとは変わってしまいました。
何か問題があっても、虹色の卵を売ればすぐにお金は生まれ、それによって解決させることができました。もちろん、その卵を産む雌鶏を狙って泥棒がくることもありましたので、男は厳重に雌鶏を管理し、自分以外の誰も触れられないように気を配っていました。
雌鶏はあの日、もらった雌鶏でした。いくら番いとなる雄鶏をあてがっても、彼女の産む卵からはヒヨコが孵らなかったのです。雄鶏を取り換えてみても駄目でした。それでも、普通の雌鶏に比べれば相当長く生き、卵も問題なく毎日産むわけですから、男もあまり気にせずにいました。
ところが、そんな日々にも終わりは訪れました。ある日の朝より、雌鶏が体調を崩し、卵を産まなくなったのです。男はすぐに看病しました。そのかいあって、雌鶏の体調は回復し、以前のように元気に動き回ることが出来るようになりました。しかし、虹色の卵はいっこうに産みません。そのうちにまた産むようになるさと気楽に構えていた男でしたが、何週間、何ヶ月経っても雌鶏は卵を産まないのです。男はだんだんと腹が立ってきました。
――こんなにも看病してやったのに、どうしてお前は卵を産まないのだ。
そして、とうとう彼は雌鶏の首を刎ねてしまったのです。
虹色の卵を産む不思議な雌鶏も、死んでしまえばただの雌鶏でした。その亡骸を見つめていると、彼のすぐそばにはいつの間にか人が立っていました。その人物を見て、男は驚きました。それは、かつて自分が少年の頃に雌鶏を託して去ったあの名前も知らない大人だったのです。あの日のままの姿で、その人は彼に言いました。
――残念です。あなたの人柄に感動してその子を託したというのに。
名前も知らない人はそう言い残すと哀れな雌鶏の亡骸を拾いました。労わるようにその体を撫でてやると、驚いたことに雌鶏の首は再び繋がり、生き返ったのです。
男はそれを見て、驚きました。しかし、彼が何か言いだすより先に、名前も知らない人は雌鶏を抱えたまま目を細めて言いました。
――この子は返していただきます。
男は必死に謝りました。けれど、許しては貰えません。まるで夢が覚めるように、氷が溶けてしまうように、名前も知らないその人は雌鶏を抱えて消えてしまいました。一人残された男が何を叫んでも、もう二度と彼らが姿を現すことはありませんでした。
※
「このお話、教科書に載っていたの。なんだか印象に残っていて……」
語り終えてすぐにそう言いました。しかし、精霊の少女の反応は薄く、腕を組みながら何やら考え込んでいました。
「どうしたの?」
「うーん……不思議」
「不思議?」
「そう、不思議。どうしてその男の人は雌鶏を殺そうとしたの?」
「えっと……看病してもなかなか治らないことが面白くなくて」
「変なの。首を切ったら治るどころじゃないのに。だいたい、無知な人ね。いくらなんでも病気なんていつ治るのだかお天道様だって分からないのに変な人! で、そのあと、その人はどうなったの?」
「ここでお話はお終いよ」
「誰か知らないの? その人の知り合いとか」
「……これは教科書に載っていたお話だから、たぶんこの人も想像上の人なのだと思うわ」
恥ずかしいことに作者については忘れてしまいました。たしか、授業でも作者について軽く触れた気がするのですが。
「あー、そうだったわね。まるでその耳で聞いた話のようだわ。誰かが実際に体験したってわけじゃないの?」
「たぶん違うよ。だって、こんなこと現実にはあり得ないもの」
「そうなの? あたしからみたら世界は広すぎて、不思議な雌鶏もそれを授ける人も実在しているようにすら思えてならないわ。ここだって女神さまの領地よ。不思議な力を使うの」
「神様や精霊はいても、出来ることには限りがあるんだって先生が言っていたの。死んだものを生き返らせることは神様にも出来ないんですって。そういう神話があるのは、本当は気絶しているだけで死んでなかったり、そうなって欲しいって願った人が生み出したりっていう背景があるんですって」
それを聞いたとき、なあんだと思ったのを覚えています。
寂しい気もしたし、怖い気もしました。
もっと小さい頃は、絶対的な正義を約束してくれる神様が見守ってくれて、悪いことから守ってくれるのだと信じていました。月の都で育ったわたしにとっては月の女神さまがそういう存在でしたが、大人たちによれば月の女神さまはそういう神様じゃないそうです。じゃあ、どの神様がそういう神様なのかと訊ねてみれば、大人たちは苦笑していました。
ある程度大きくなった今なら、理解できます。昔よりも分かったことが増えたからでしょうか。前と比べて怖いという気持ちは減っていました。
「へー、人間ってなんでも知っているのね」
「賢い人は多いわね」
「君も今みたいにお話を作ることが出来たりするの?」
「わたしは……ちょっと無理かも」
「ん? そうなんだ。それは残念。どうりであたしの名前も決まらないわけだ」
笑いながらそう言われ、わたしはハッとしました。
待っていたのでしょうか。あんなに興味がないと言っていたはずなのに、苦笑の影に隠れているのはがっかりした気持ちのような気がしてなりません。
「ごめんね……町に帰るまでには思いつけるように頑張る」
「いいの。いらないって言ったのはあたしなんだし!」
少女はけろっとした様子でそう言いました。
「それより、町に帰るのっていつだっけ」
「七日後の早朝よ」
「そっか。思っていたよりも早いなあ。残りの日も会いに来てくれる?」
「もちろん! ぎりぎりまでお話しましょう」
「よかった。せっかく友達になったのだもの。その間にあたしの名前、考えておいてね」
にっこりと笑って言われ、わたしは強く頷きました。