その2
日が沈めばあっという間に真っ暗になります。
森の夜は綺麗だけれど、時々変な声が聞こえてとても不気味です。しかし、その声は怪物なんかのものではなく、夜に鳴くフクロウの声なのだと叔母さんが教えてくれました。暖かい家の中にいれば叔母さんやお祖父さんも一緒なので怖くありません。だから、わたしは安心して、水汲みに行ったときに出会った少女の話が出来ました。
精霊の子に会ったというお話に、叔母さんは大変興味を持ちました。けれど、お祖父さんはさほど驚かず、静かに笑いながら言いました。
「それはエフェメラかもしれないね」
「エフェメラ?」
「精霊の中でも儚い存在のことだよ。この森では日々新しい命が誕生し、消えていく。大量に生み出される命の多くにはワシら人間のような個は存在しない。同じ精霊でも都で売られる高貴な子どもらとは違ってね、森の精霊たちは短い間しか生きていけないのさ」
「じゃあ、名前のないその子も短い間しか生きていけないの?」
疑問を言葉にした途端、わたしは怖くなりました。
せっかくお話しできたのに、短い間に死んでしまうなんて可哀想。何より、寂しかったのです。あんなに綺麗なのに、死んでしまうなんて怖い。どうしたら長く生きていてくれるのだろう。不思議に思っていると、お祖父さんは優しく笑んで言いました。
「大丈夫。生まれたときはエフェメラであっても、人間の愛があれば長生きできると言われている」
「愛?」
「そう、愛だよ。愛には様々な形があってね、友情も愛の一種。その子に名前がないのなら、こちらが呼び名を考えてあげればいい。そうすれば、その子もエフェメラではなくなる」
「エフェメラじゃなくなったら、何になるの?」
「お友達だよ」
お友達。その言葉に何だかわくわくしました。
町にはたくさんのお友達がいます。一緒に学校に行くお友達も大切です。けれど、あの子は町のお友達とは比べられないほど不思議な友達になりそうです。
問題があるとすれば、あの子がわたしを友達にしてくれるかどうか。
けれど、お祖父さんは言いました。
「お友達になってくれるかどうか。そればかりはその子にしか分からないね。明日もその場所に行ってみてごらん。そしてお友達になってくれるかどうか聞いてみてごらん」
「うん。そうしてみる!」
こうして、わたしは明日の楽しみを抱きながら眠りにつきました。
叔母さんは心配していましたが、わたしは再びあの妖精の少女と会えるのが楽しみで、なかなか寝付けずにいました。それでも、一日の疲れはわたしを眠りに誘います。気づけばスヤスヤ夢の中。ふわふわとした現実味のない世界の中で、明るさと楽しさばかりを味わいながら、夜明けの訪れを待ちました。
そして翌日、朝ご飯を食べてからすぐに水を汲みに行き、バケツをお家に届けてしまうとさっさと少女に出会った場所へと向かいました。
昨日は水汲みの途中で立ち寄ったから長く居れませんでした。けれど、今日は違います。あの少女さえよければ日が落ちるまで一緒にいられます。どのくらい一緒に過ごせるかは分からないけれど、わくわくした気持ちで、わたしは唄を歌いました。少女も知っているあの唄です。ついでに、少女に提案するとっておきの名前も考えていました。でも、なかなかいいものは思いつきません。どんな素敵な名前も、あの少女にと当てはめてみると霞んでしまうのです。
――どんな呼び名が気に入るかしら。
考えているうちに、わたしは気づきました。
返答替わりでしょうか。いつの間にか、わたしの歌声に混じってあの少女の歌声が聞こえてきました。声を頼りに進めば、やっぱり昨日出会ったあの場所にたどり着けました。
切り株の上に座っている少女。昨日と同じ様子でわたしが来るのを待っています。何処から来るかも分かっていたのでしょう。愛らしい顔でこちらを見つめていました。
「待っていてくれたの?」
嬉しくて駆け寄ると、少女は恥ずかしそうに顔をそむけました。
「精霊は結構暇なのよ」
そして、歌の続きを歌いました。
うっとりするほどの美声です。たしか昨日はその声で仲間を呼ぼうとしていたはずです。わたしは気になって、歌っている彼女に訊ねました。
「お仲間には会えた?」
すると、少女は寂しそうに首を振り、歌うのをやめました。
「もしかしたら、この辺りにはいないのかもね」
「いないってこともあるの?」
「いいえ。本当はいっぱいいるものなの。でも、あたしと同い年の子たちは大人になる前に殆ど死んでしまったのよ」
「え?」
びっくりして訊ね返すと、少女はつんとした態度で言いました。
「あたしたちが子どもの間に過ごす湖にね、誰かが怪物魚を呼び出しちゃったの」
「怪物魚?」
「うん。怪物魚。人間が呼んだんだっていう人もいたけど、本当かどうかは分かんない。怪物魚は次々に仲間を食べていっちゃって、たっくさんいたはずのお仲間もいつの間にか両手で数えられるくらいに減っちゃったんだ」
「生き残った仲間たちとはどうして離れちゃったの?」
「本当なら、今も一緒にいるはずだったんだけど、故郷を旅立ったその日に肉食者の精霊に襲われて、逃げているうちに離れ離れになっちゃったの」
「……結構怖いのね、精霊の世界って」
自分は人間でよかったと思いました。もちろん、口には出さなかったけれど。
それにしても、不安が生まれました。美しいだけじゃないこの森では昨日見かけた若い小鳥も今日見られるとは限らないと聞いたことがあります。死の危険は人間の世界よりも存在感を示しており、寿命をまっとう出来る生き物なんて殆どいないそうです。
では、この少女も例外ではないのでしょう。今こうして出会えていることが奇跡なのだとしたら、明日は会えないかもしれない。少しでもその不安を軽減したくて、わたしは彼女にさっそく言いました。
「あのさ、わたしとお友達になってくれる?」
「お友達? 突然どうしたの?」
「この森はキレイだし、お祖父さんも叔母さんも優しいから好きだけど、お友達がいないのは寂しいの。もしよかったら、あなたとお友達になりたいの」
あなたが消えそうで不安だから、とは言えませんでした。
少女はうーんと悩んでから、微笑みました。
「いいよ。減るもんじゃないし」
「よかった。……それでね、お友達になるなら、名前で呼びたいの。呼び名っていうやつ、何か呼んで欲しい名前はある?」
「昨日も言ったでしょ? あたしに名前なんていらないの。だから特にないわ」
「じゃあ、こっちで考えてもいい?」
「好きにしてちょうだい。あたしの方はあなたの名前なんて興味ないけどね」
つんとした態度で言われましたが、一応、とわたしは名前を教えました。
覚えてくれてもくれなくてもいいけれど、友達になる人には名乗っておくのが礼儀だとお祖父さんが言っていたのを思い出したからです。
しかし、案の定、精霊の少女は興味なさそうに流しました。
仕方ありません。お祖父さんが言ったのは人間相手の礼儀でした。この少女は人間ではなく精霊なのですから、精霊には精霊の礼儀というものがあるに違いありません。
だとしても、がっかりしました。私の名前への反応もなく、ただ黙っているだけの少女を前に、どうしていいか分からず、困っていました。
そのまま私たちの間で沈黙は流れ、居たたまれない気持ちになりはじめた頃、
「……それで?」
少女はようやく言葉を発しました。
「それで……って?」
訊ね返すと、少女はむっとした表情で私を見つめます。
「それでって?って、決まっているじゃない。あたしの呼び名は何になるわけ?」
腕を組み、足を組み、かなり強気な態度で聞いてきました。
急に訊ねられて私は戸惑いました。何せ、いい名前だと考えておいた候補がすべて頭の中から飛んでしまっていたからです。
まさか向こうから訊いてくるなんて、と、あたふたしていると、少女は首をかしげました。
「ちょっと、まさか考えてないなんて言わないでしょうね?」
「ご……ごめんなさい、考えていたんだけど、その……どれもしっくりこなくて」
「はぁ? しっくりこないぃ?」
高圧的な口調に私は怯えてしまいました。
でもすぐに、おかしいと思いました。だって、彼女は自分の名前なんて興味がないと言っていたのです。それなのに、どうして怒っているのでしょうか。
腕を組みながらつんとする彼女にわたしは言いました。
「何なら、あなたも考えてみて。なんて呼ばれたい?」
「なんて呼ばれたいって言われても……名前のことなんてさっぱりよ。何度も言っているでしょう? あたしはあたしでしかない。君とは違って、仲間とも違うってだけ。だから、名前なんて思い浮かばないの。必要ないのだもの」
「でも、それじゃあ……」
と言いかけ、わたしは慌てて口を噤みました。
エフェメラ。早死にしてしまう精霊の話。それについては禁句です。本人に直接言うなんて残酷すぎるし失礼です。急いで別の言葉の切れ端を探して、わたしは場を凌ぎました。
「それじゃあ、なんて呼べばいいのだか……」
「分かんない子ねぇ。呼び名が必要なのは君の都合でしょ? じゃあ、君が考えてちょうだい」
「勝手に決めちゃっていいの?」
訊ねてみれば、少女は不満そうな表情のまま頷きました。
本当に思いつかないのかもしれません。必要ないと言いつつも、本音では悪くないと思っているのかもしれません。それなのに、思いつかないから不満なのかもしれません。
彼女がエフェメラだったとしても、わたしの愛でエフェメラではなくなる。
お祖父さんの言葉を思い出し、わたしは少女に笑いかけました。
「分かった。任せて!」
約束は言葉にすることで形になるのよとお母さんがいつか言っていました。
わたしはその約束を言葉にすることで少女に伝え、自分の胸にも刻みました。
「町に帰るまでに、きっと素敵な名前を考えておくわ。きっと、よ」
「……本当でしょうね?」
「本当よ! だからお約束の印に」
そう言って小指を差し出すと、少女は首をかしげました。
精霊の世界にはない挨拶なのでしょうか。けれど、見よう見まねで小指を出してきたので、こちらから指切りをしてみせると、やはり不思議そうに眺めていました。知らないみたいですが、嫌がってはいません。わたしは安心して彼女に言いました。
「約束を守るためのおまじないよ。友達の証でもあるって聞いたわ」
「へえ……じゃあ、名前なんてなくても、あたしと君はこれで晴れてお友達ってわけね」
少女の言葉に何だか嬉しくなりました。
人間の友達が新しく出来ることだって嬉しいのですから当然です。ましてや精霊の友達だなんて嬉しいに決まっています。
わたしがお祖父さんの家を去る日はまだまだ先です。それまで出来るだけ長く、こうして少女と共に過ごし、とっておきの名前を考える日々は楽しいに違いありません。
今日からのその時間が楽しみで楽しみで、わたしはただ笑みを漏らすことしか出来ずにいました。
「なによ、へらへらしちゃって」
少女は頬杖をつきながら言いました。
「おかしな子ね」
その姿はまさに妖精と呼ぶのにふさわしいほど愛らしいものでした。