人攫いの噂
ティケダの街に着いたわたしと師匠は真っ先にアトリエに帰りました。
わたしと師匠が住むアトリエはティケダの街の北西の外れの山側。この日出かけていた川からは近くて、川沿いを下流に歩いて街に入ればすぐの場所です。
「とりあえず、鉱石を地下室に置いて、お前は着替えて、熊魔獣の魔石を持ってハンターギルドへ行こう。ついでに晩飯だ。鉱石類の換金は明日な」
「はい、師匠」
わたしは身軽な格好に着替えます。ロングのエプロンスカートと、短い袖と襟周りにフリルがあしらわれた白いブラウス、ボディスと呼ばれる腹から胸の下までを締めるベストを着ます。
師匠がディアンドルと呼んでいるスタイルです。街娘のスタイルとしては珍しくないのですが、わたしの私服は師匠が服屋に頼んで仕立ててもらったもので、スカートとベストが黒く、何だか給仕服みたいです。不本意ながら、師匠作の紐パンも着用します。こんなものでも無いよりマシなのです。
「師匠、外套お返しします」
「おぅ。今日も愛からわず、俺のエミリーはカワイイなっ」
「やめてください。不本意です。気安く撫でないで下さい。あと外套の匂い嗅ぐのもやめてください」
アトリエを出て街中に向けて師匠とわたしは歩きます。ティケダの街の北部は職人の工房や鉱工業施設が立ち並ぶ工業地区で、街の南部が商業地区になっています。ハンターギルドは南部と北部に一つづつ支部がありますが、南部の方が栄えている関係で、支部も南部の方が大きいです。わたしたちが今向かっているのは北支部です。張り出される依頼や得られる情報は南北で差があるのですが、今回は討伐報告だけなのでどこに行っても問題ありません。
ハンターギルドは街の南北をつなぐ街道沿いにあり、周囲は職人向けの飲食店も並び、ティケダ北部の中心地にあります。
ちなみにこの辺りの街並みは木造の柱に、木や土と漆喰で壁を作り、焼き物の瓦で屋根を葺いた建物が一般的です。山林から木材が豊富に採れるのと、火山地域なので地震が多いため、石やレンガ造りの建物はあまりありません。
ハンターギルドもそんなありふれた外観の建物でした。師匠とわたしはギルドに入り、受付の窓口に向かいます。ギルド内は数人のハンターの方々が依頼を眺めたり、相談したりしていますが、閉館間際の夕食時とあって、人はまばらです。南部支部では酒場が併設されているのですが、北支部ではそれはありません。
「あら、アルベルト、何の用よ。エミリーちゃんも今日も可愛いわねっ」
「そんなことないですよっ、ダリアお姉さま」
受付のダリアさんは年齢不詳の美人です。赤い髪を後ろで束ねて、冒険者風の恰好で腕を組んで椅子にくつろいでいる、何やら貫禄のある女性です。
「討伐の報告に来た、熊魔獣の魔石二個だ。換金してくれ」
「あんた、エミリーちゃん連れてまた魔獣なんか狩ってたのかい? こんな可愛い子に危ない仕事させるんじゃないよ?」
「あぁ、いえ大丈夫です、ダリアさん。師匠がいればそんなに危なくもないので」
「エミリーちゃんさえよかったら、こんな甲斐性なしの手伝いなんか辞めて、うちでお仕事用意してあげるから、いつでも逃げていらっしゃいね」
「はい、その時は是非」
「アルベルトも、気を付けなよ? ここ最近山道での山賊や人攫いが増えているみたいなんだ。人間相手であんたが負ける事はないと思うが、エミリーちゃんに何かあったら、ただじゃおかないからねっ!」
「あぁ。気を付けるよ」
ダリアさんはわたしのことを大変気遣ってくれるのですが、ちょっと心配しすぎな気がします。ちなみにわたしは個人ではハンターとして登録してはいません。
師匠曰く、「まだお前ひとりでハンターの依頼をさせるつもりはない。かといって、お前と俺でパーティを組んでポイントを貯めても、お前の為にならない」だそうです。
師匠もダリアさんに劣らず過保護ですね。ですから、ダリアさんのようにわたしに対して過剰に心配する人に対しても、師匠は特に説明も反論もせず、わたしを心配させるがままにしているのです。わたしの事を心配してくれる人には心配させたままにしておいた方が、いつかわたしにとって助けになるという事でしょうか。
「さて、ついでだから依頼でも眺めていくか」
師匠とわたしは、依頼票が張られている掲示板をみにいきました。
「確かに、人探し多いな。無期限、ランク問わずか」
「そうですね」
依頼票には、被害者の名前、特徴、被害にあったと想定される場所と時期が書かれていました。数枚の依頼票の詳細を師匠は斜め読みしています。被害者は子供から大人まで、法則はなさそうでした。
「北方の隣国へ山を抜ける山道での被害が多いな。確かに俺たちも気を付けた方がいい」
「はい」
師匠は、被害のあった地域に注目していたようです。
「さて出るか。ありがとよ、ダリア姉さん」
「ばか。お前に姉呼ばわりされるような年じゃないよ」
「さようなら、ダリアお姉さま」
「またね、エミリーちゃん」
わたしたちは、ダリアさんに声をかけてから、ギルドを後にしました。
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「さて、飯は何が食いたい?」
「麺以外で」
「却下だ」
「じゃあ聞かないで下さい」
師匠は無類の麺好きです。シュペと呼ばれる小麦を練った麺はこの国ではポピュラーな食べ物です。卵を加えたものものあります。
味はトマトやチーズや豆やなど塩など多種多様なソースがあり、師匠はトマトソースを好んで食べます。わたしは麺よりも、ニョッキと呼ばれるスプーンで掬って食べれる丸い形のものが好きです。つまりは、同じお店で食べれるので特に問題はありませんでした。そして入るのもいつも定番の食堂でした。
「いらっしゃーい!アルベルト様、エミリーちゃん!ご注文は何にしますか?」
「やあ、ラーラちゃん。今日も可愛いね」
「こんばんは、ラーラちゃん」
給仕のラーラが元気よく声をかけてきます。ラーラはわたしと年は同じぐらいの少女で、この食堂のマスターの娘です。
「いつもの。あと腸詰と赤ワインくれ」
「チーズのニョッキと、野菜の煮物下さい」
「かしこまり!」
師匠の言う"いつもの"というのは、つまりシェフのお任せです。それならそう言えば良いのにと思いますが、この件に突っ込むのはもうやめました。わたしたちはテーブルに着いて注文が来るのをまちました。
「師匠は人攫い関連の依頼は受けないんですか?」
「ん? 昔の俺ならともかく、今は受ける気はないぞ。まぁ、お前みたいな餌もあるから山賊なら入れ食いだろうがな」
「何て事をおっしゃいますか。そうですね。受けなくて正解だと思います」
「もっとも、人探しはともかく人攫いの対応は治安の問題だ。そのうち騎士やら兵士やらが動くよ。なんにせよ、俺とエミリーの二人で事にあたるのは危険だ、多人数を相手取るにはこちらもそれなりに人手がいる。それに野外では俺の薬物は必ずしも効果的ではない。遠巻きに囲まれて狙撃されれば、もうどうしようもない」
「でも師匠って、あまりパーティを組みませんよね、たまにガラス工房のドラカさんと一緒に行くぐらいで」
「あいつは信頼できるし腕は確かだからな。そして何よりお前に対して下心がない」
「あーら、アルったら、うれしい事を言ってくれるじゃないっ!」
唐突に聞き覚えのある太い声が聞こえました。噂をすれば、ちょうどドラカさんもお店にいらしたようです。ドラカさんは師匠の隣の椅子に座ると、筋肉質でガッチリした腕を師匠の肩に回し、師匠にもたれかかりながらジョッキで麦酒を煽ります。
ドラカさんは身なりに気を使うタイプらしく、濃い黒髪をパリッと固めて、白くてタイトなシャツと、これまたタイトな黒いズボンをはいています。一見清潔感があるスタイルなのですが、シャツの胸襟は大きく開かれ胸筋を露わにしていて、なんとなく暑苦しさもあります。
「朋友の健勝を祝してさぁ乾杯しましょっ!」
「ああ、乾杯」
やれやれといった感じで、師匠はドラカさんと杯を合わせます。ドラカさんは、今は師匠が懇意にしているガラス工房で修行をしているのですが、もともと師匠と一緒にパーティーを組んでハンター業をしていました。わたしが師匠と出会ったときに、ドラカさんも一緒に居ました。その後、いくつかの国を渡り歩いて、今のティケドに師匠と同じく落ち着きました。
師匠とは仲良しさんですね。
「エミリーちゃんも、アルに酷い事されてなぁい? 困った事があったらいつでもこのドラカさんを頼ってくれていいのよ?」
「あ、はい、ありがとうございます」
ドラカさんが身を乗り出してわたしに言いました。なんというかこの人、距離感が近いんですよね。師匠ともちょっとスキンシップが過剰に見えます。いい人なんですけど、わたしはちょっと圧倒されてしまいます。そうこうしている間にわたしたち料理が運ばれてきました。
「で、何の話をしていたの?あたしの力が必要なら、いつでも頼ってちょうだい」
「いや、その心配は今はいらない。最近人さらいが多いって話をギルドで聞いたんでな」
「ああ、それならあたしも知ってるわ。職人組合にギルドから連絡があって、採掘に行くとき注意しろって注意喚起がされてるのよ」
「まぁ職人組合にも明日行くつもりだがな。お前は工房か?」
「そうよ、アルがあたしに逢いに来てくれるなんて嬉しいわね」
「そうじゃないが用事は色々だ。原石を色々取ってきたんでな」
「そう、それは楽しみにしてるわっ」
師匠とドラカさんは世間話をしながら、わたしたちは夕食をたべました。ここのニョッキはおいしいので、わたしも結構好きです。ヤギのチーズの風味と塩味が食欲をそそります。そっと添えられた香草のかおりもよいです。野菜の煮物もトマトの酸味と根菜の甘味が合わさって、とろけるような味わいがあります。師匠は、「酒に合いそうな取り合わせだな」なんて言います。お酒を一緒に飲んだらどんな味がするのでしょうか。師匠と楽しそうにお酒を交わしているドラカさんが少しうらやましいです。
「ねぇ、ちょっと聞いていいかしら、アルって鉱毒の解毒薬って作れる?」
「出たのかい? 鉱毒が」
「いいえ、この辺りではないのよ。組合にね、コシューの職人組合経由で依頼が来ているみたいなのよ」
「ほう。で、ティケダの組合としてはどうするんだい?」
「そこまでは知らないわ。ただ、組合としては協力は一応するとは思うけど、どうこうできるものでもないわね。(で、アルは作れる? 鉱毒の解毒薬)」
ドラカさんは最後を小声で師匠に問いました。
「(勘弁してくれ、俺は鉱毒の浄化に一生費やすつもりはないんだ)」
「そうだわね。一応、組合に顔を出すときは気をつけなさいね」
「師匠、鉱毒って普通の解毒薬や解毒魔法は使えないのですか?」
「解毒薬っていうのは、蛇毒やなんかは家畜に打って慣らして血清を取るなんて方法もあるが、一般的な解毒剤や解毒魔法は毒物の酸化分解を促すものだ。要は肝臓の働きを助けたり、模倣するのさ」
(しまった……難しい話になってよく分かりませんっ!)
「ところが、鉱毒は酸化分解が出来ない。基本的にただの重金属イオンだからな。しかも排出する機構が生体に備わっていない……ということは……………………エミリー、聞いているのか?」
「……ん、はっ!?、ええと。 何の話でしたっけ?」
「あー、まあいいや。寝る前にしっかり食べとけ。健康が一番って話だ」
「はい!」
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「それじゃ、ドラカさん、お休みなさいませ」
「またね、エミリーちゃん、送り狼に気をつけるのよ?」
「誰が送り狼だ、俺は紳士だぞ」
わたしたちは食事を終えて、お店の前で別れるとそれぞれの家に向かって帰りました。歩きながら師匠は何やら考えごとをしているようでした。おそらく鉱毒の解毒薬の製法を考えているのだと思います。できるとも、やるとも言わないけれど、備えはする。師匠はそんな人です。
わたしは師匠のそんな考え事をしている横顔は嫌いじゃありません。
わたしは師匠の顔を横目に見上げたりしながら、師匠の隣を歩きました。
「あの……、師匠って何がしたいんですか?」
なんとなく聞いてみました。
「なんだ、いきなりだな。そんなの決まっている。お前を育てる事だ」
「その後は?」
「それも決まっているが、今は内緒だ」
「そうですか、じゃあいいです」
「えっ、ちょっとまって?そこは掘り下げて行こうよ!ほら、いつか話してあげるから! エミリーが成人したらきっと話すからねっ!?」
「いえ、いいです。そのまま胸にしまっといてください」
お腹がいっぱいになり、わたしは気分がよくなりました。
暗い夜道でも、人攫いがでても、きっと師匠と二人ならへっちゃらです。そんな安心感がありました。