初めてのパンツ魔法
「フゥッ……フゥッ!」
熊が迫ってきますっ!
すごく、大きいですっ! わたしの二倍ぐらい?
口でかいっ! 爪長いっ!!
熊は人間よりもずっと足が速いです。
そして、足場の悪いこの岩場……、まず逃げ切れないですね。
判断を迫られます。
(戦うか、怯ませてから逃げるか、そしてわたしの膀胱はどこまで持つか……)
今戦闘で激しく動けば、わたしの下半身が大変な事になってしまいそうです。
それはなんとしても、避けなければなりません。
「身体強化! 」
わたしはわたしが使える数少ない魔法の一つ、身体強化を発動しました。
おしっこを我慢するために!
「そいつは魔獣だな。倒してしまっても構わんよ」
間が良いのか悪いのか、いつの間にか熊とは別方向から現れた師匠がそんな事を言いっています。
刹那、熊がわたしに飛び掛かってきました。
わたしは自分が脱いだズボンを熊の顔に向かって投げつけると、師匠のいる下流の方向へ岩場を走ります。
「さて、エミリー。喰われそうになったら助てやるから、戦ってみな」
「えっ? そんなっ!」
何てことをおっしゃるのか。
熊魔獣は頭に被ったわたしのズボンに煩わしそうに爪で引き裂くと、周囲を見回し再びわたしを獲物と定めて向かって走ってきましたっ!
熊魔獣が前足でガリッと踏みしめた岩には、深い爪跡が出来ています。
あんな爪を食らうわけにはいきませんっ!
(一撃で無力化しないと!)
わたしは、上着の革ベストの内側を探ります。
「グルァァアッ!」
熊魔獣が大きく口を開けてあと二、三歩の距離に迫った瞬間、わたしは懐からガラス瓶を取り出し、栓を外して熊魔獣の顔めがけて投げつけました。
「喰らいなさいっ! 犬殺し!」
―― びちゃぁっ!
「ギュワッ!?、バギャ、ヘジャビュワッ、グジャベロッ!!!」
飛び出した液体は熊魔獣の顔の右半分にかかりました。右目、鼻、口に入ったようです。熊は顔をこすりながら怯み、熊はもがくように転がって水辺に向かって這うように逃げていきました。
わたしが投げつけたのは、すりおろした玉ねぎとニンニクと、トウガラシを刻んだ粉を強い蒸留酒で溶いたものでした。わたしが好んで使う劇薬(調味料)です。
効果は推して知るべしっ!
「やったかな……」
「馬鹿者、気を抜くな」
「グアァッ!」
突然、水辺でもがく熊魔獣とは別方向、山の斜面側から声が聞こえました。
(まだ!? もう一頭いたの!?)
山側から別のの熊魔獣が姿を現し、わたしに向かって走ってきました。
(まだ距離がある。もう一発"犬殺し"で…)
「ブジャバワッ!!!」
(えっ!)
先に犬殺しを受けて河に頭を突っ込んでいた熊魔獣も、立ち直ってこちらに向かって突っ込んできます!
(いけない、挟まれる!)
二頭を相手にするのは無理です!
うん、逃げようっ!
師匠のいる方向に向かって全力で逃げます!
「助けてくださいっ!師匠ぅ~っ! 二頭は無理ですっ!」
「んー、無理でも無いと思ったんだがなぁ」
師匠はわたしに並走し、二人して川辺を下流に向かて走りました。後ろには二頭の熊魔獣が追ってきています。みるみる距離が縮まり、追いつかれるのは時間の問題です。
「せっかくだからアレを試してみよう。エミリー、君が穿いているパンツは実はマジックアイテムだ」
「えっ!? 何言ってるんですか?」
「今穿いているその水色の縞パンは、強力な睡眠ガスを生成する魔法が込めてある。尻に魔力を集めて念じろっ!」
「はっ!?」
尻に魔力を集めるというのがそもそもよく分かりません!
そうしている間にも熊魔獣はどんどんわたしに迫り、ブオンッ!と振り下ろした腕の風圧がわたしのお尻を撫でましたっ!
「ひぃぃっ!」
時間がありませんっ!念じます!
(眠れ~っ!眠れ~っ!)
「熊よっ!!ねむってぇ~~~!」
―― ぶっぼぼぼぼっぼもわわわ……
突然、わたしのお尻パンツから異音とともに白煙が上がり後方の熊魔獣二頭を包みこみました!
「息を止めて距離をとれっ! 自分で吸うなよ」」
わたしは息を止めて、白煙をみつめていました。
師匠はわたしを庇うように白煙の前に立ち、熊魔獣の気配をうかがっています。
ドサッ、ドサッと倒れるような音が聞こえ、徐々に煙が晴れてきました。
「よし、しっかり効いた様だな、【付与魔法】が成功したようだ」
そこには、横たわる熊魔獣たちの姿がありました。
動かなくなった熊魔獣に、師匠は容赦なく巨大なハンマーで止めを刺し、ナイフで腹を裂いて魔石を掘り出しています。
「ううう……。助かったー」
わたしは危機が去った事を実感し安堵しました。
すると突然、わたしのパンツがキラキラと光鱗を発し……、まるで役目を終えたとでも言うように、端から砂のように崩れはじめました。
「えっ!? あっ! 待って!」
紐が崩れ、布を手で押さえてもどんどん端から消えていきます。
「そんなっ!? 消えないで!パンツさん! 消えないでっ!」
もともと小さい面積の布が、どんどんと小さくなっていき、とうとう最後の一片までも風に吹かれ完全に消え去りました。
後にはわたしの白い肌しかありません。
「いいいいやぁあああああっ!!!」
「ああ、やっぱり使い捨てか。改良がいるな」
師匠がわたしの下半身を見ながら事も無げに言います。
わたしは何がなんだかわからず、突然さらけ出されたわが身を庇ってしゃがみ込む事しかできませんでした。
どうしてこんな事になったんだろう。
布の少ないパンツ丸出しで熊と戦い、ズボンは破かれ、パンツは千の風になって消えていきました。
わたしの人としての尊厳のようなものも、パンツと一緒に消え去ってしまったのではないかと、とても悲しい気持ちでいっぱいで胸がつぶれそうです。
そして何よりっ!
「じしょぅぅ”! おトイレが、じたいでずぅぅうう! どっか行ってください!!」
わたしはぐちゃぐじゃに泣きながら、師匠にさけびました!
「お、おぅ、すまん、あっちに行ってるから、な、そんな泣くな(汗)」
師匠が物陰に姿を消すと、わたしはようやく緊張を緩める事が出来たのでした。
…………。
用も済みました。
わたしは涙を袖でぬぐい、立ちあがします。
そして、自分のベストを腰に巻くことで、とりあえず身体を隠しました。しかしこころもとないです。ベストの前を合わせ持っても、大きく開いた袖口のせいで横から色々見えてしまいそうです。
「ぐすっ……。師匠ぅ。わたしどんな格好して街に帰ったらいいんですかぁ……? 何か腰に巻ける布みたいなの持ってないですか?」
「あぁ、確かに。その格好はまずいなぁ、俺が逮捕されてしまう」
師匠は物陰から出てて、気まずそうにわたしの姿を見て言いました。
「しかし、悲観するな。こんな事もあろうかとお前のパンツの予備は持ち歩いている。その上に俺の外套を羽織れば、とりあえず人に見られても問題ないだろう」
師匠は自分のポケットから、わたしのパンツを取り出しました。それは薄桃色の紐パンでした。
「……。なんだか、色々言いたいことはありますが、とりあえず有難うございました」
わたしは師匠から外套とパンツ受け取って、外套を肩に羽織ったあと、師匠に背を向けて体を隠しながらパンツを穿こうとして……、ある事に気づきました。
「ところで師匠、このパンツはどんな魔法が込められているんですか?」
「あぁ、それはシンプルに火を出す魔法だな。威力は使ってみないとわからないが」
「……そうですか。で、このパンツって前に試着して、そして洗濯してない物ですよね?どうして師匠が持っていたのですか?」
「あっ」
わたしは手にパンツを握り絞めて念じます。
(燃えろ!)
――ヒュポ!
「あちゃわちゃぁあああ!!」
わたしの手の中から小さな火の玉が飛び出し、師匠の髪を焦がしました。師匠は慌てて水辺に寄り、頭に水をかけて消火しています。
「少しは反省してください!」
(でも、今の火魔法は思ったより威力がしょぼかった気がしますが)
さて、ついカッとなって、予備のパンツもサラサラと光の粉になって消えてしまいました。
外套で前を閉じていれば、大事な処は見えはしないけど、お尻がスースーして少し寒いです。
わたしも、予備のパンツを持ち歩いた方が良いのでしょうか。
いえ、こんなパンツ魔法は出来れば二度と使うべきではありません。
こんな悪魔のような魔法に頼らない為に、もっと強くならないと!
気持ちを無理やり前向きにして、わたしは帰り支度を始めるのでした。
ようやくタイトル回収